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【完結済】ンディアナガル殲記  作者: 馬頭鬼
陸 ~破壊と殺戮の神~ 第一章~水没世界~
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陸・第一章 第六話



「……今日も入れ食いっと」


 取り立てて工夫をする訳でも長時間待つ訳でもなくイワシのような小型魚を釣り上げた俺は、もう満杯に違い魚籠を見下ろし……ため息交じりのそんな呟きを一つ零していた。

 実際問題、ここ数日の釣果は素晴らしく……一日分の仕事を三十分ほどで完遂してしまうほどなのだ。

 とは言え、俺の技量が上がったというよりは、単純に魚の食いが良すぎるのが原因でしかなく……


 ──逆に、面白くないよな、コレ。


 溜息を吐きながらも俺は、本日最後になるだろう釣果を魚籠に放り込み……内心でそう呟く。

 正直に言うと……俺はこの作業と化した釣りに対し、早くも嫌気がさしてきていたのだった。

 勿論、それが「贅沢な悩みでしかない」ということは嫌と言うほど分かっている。

 今まで旅をしてきた数多の世界では、自分どころか子供に食わせる一片の肉片すらなくて、人間同士で殺し合うのは日常茶飯事だったのだから、食料が手に入りやすいというのは純粋に喜ばしいことであって、決して忌むべきことじゃないだろう。

 だけど、俺としては釣りを覚え始めた頃のように、餌を取られ底に針を取られ海藻を引っかけ……釣果はそこそこだったけど必死に何かをしていた方が楽しかったように思う。


 ──っと、今日も船が出てるな。


 ふと視線を上げれば、少し沖合をカヌーに毛が生えたような、櫂で漕ぐような小型の船が五隻ほど進んでいくのが目に入り……俺はそれらの視界の端に捉えつつ、次の釣果を得るべく針を手元へと引き寄せる。

 あの日……解放の宴とやらが街であったあの日以降、こうして小さな船が海上を行き来するのを俺は何度か目にしていた。


「あの海蛇の所為で、船は沖に出られなかったらしいからなぁ」


 俺はクソ婆から聞いた話を思い出しながら、その船へと視線を向ける。

 船の上にはかなりラフな格好をした女性が二人、竿を垂らしているのが見え……やはり彼女たちも結構な頻度で魚を釣り上げていて喜んでいる様子が窺えた。


 ──本当に、男が減ってるんだな。


 櫂を漕ぐのも若い女性なら、釣りをしているのも女性……両方とも二十代前半っぽい雰囲気で、ここ数日見かけた全ての船には女性しか乗っていない。

 だからこそ、あのクソ婆が言っていた「男手は殆どが海龍退治で藻屑に消えて、後は女衆ばっかりが残されてる」というのが現実味を帯びて来る。

 その事実は同時に……クソ婆が上から目線で言い放った「嫁を紹介する」というあの言葉も、俺を働かせるための口から出まかせなどではなく、嘘偽りのない「純粋なお節介だった」という可能性が浮かび上がってくるのだ。


「……もうちょっと、働く、か」


 そうと決まれば、船の上の女性をぼうっと眺めている暇なんてない。

 忌々しいことではあるが、少しでも真面目に働いてあのクソ婆の心証を良くして……ちょっとでも良い物件を紹介して貰う必要があるだろう。

 ……幾らあのクソ婆が気に喰わないにしても、婆に紹介された嫁まで嫌悪する必要性はないのだから。

 そう決断を口にすることで気分が少し前向きになった俺は、もう二・三匹は釣ってやろうと針に新たな餌をつけるべく足元の岩場に視線を向け……


 ──この辺りのフジツボも減ってきた、な。


 足元にもう餌がない事実に気付き、岩場を一つ移動しようと竿を上げて針を引き寄せた。

 最初の頃は岩場の何処を見ても……むしろグロ画像かと言わんばかりに辺り一面フジツボばかりだったのだが、昨日今日と釣り過ぎた所為かフジツボが確実に減ってきているのが分かる。

 まぁ、ンディアナガルの直感と言うか死者の記憶っぽいモノが囁くには、この手の生き物はちょっとやそっと獲った程度では死に絶えることなんてあり得ないので……どうやら同じ岩場ばかりで釣り過ぎた所為で、一時的にこの周辺だけフジツボが減ってしまったのだと推測できる。


「明日からはもうちょっと遠くの岩場にしてみるか」


 俺は少しだけ反省を込めて小さくそう呟くと、海面下にあったフジツボを抉り取って餌として……針を軽く放り投げる。

 まるでそれが至極当然かのように、餌が海中に沈んでから二秒も経たない内に釣果を得た俺は、結局のところそれから五分も経たない内に魚籠をいっぱいにしてしまい……まだ釣りを続けたい気持ちを燻らせたまま、婆の待つボロ小屋へと帰ることとなったのだった。



 

「ん?」


 そうしてボロ小屋へと戻ってきた俺は、何となく小屋周辺に違和感を覚える。

 その違和感の正体を探っていくと……何のことはない、ただ小屋から声が聞こえてくるだけ、だった。


 ──来客、か。

 ──珍しいこともあるもんだ。


 違和感の正体に気付いた俺は、声に出ことなくそう呟く。

 実際問題、「人が住んでいる家に来客が来る」という当たり前の事態を『違和感』として捉えてしまうほど……俺が居候を始めてから今日まで、あのクソ婆のボロ小屋に訪れるヤツなんて一人もいなかった訳だが。

 

「さて、どうするかなぁ?」


 あのクソ婆に珍しく客が訪れているのだから、赤の他人の俺が入り込むのも無粋で……何となく気後れしてしまう訳だが、それはそうと魚籠一杯の魚も早めに処理する必要がある。

 まぁ、俺が料理……と言うか、捌いて干物に出来ればいいんだが、生憎と俺が捌くと塩の塊になってしまい、食糧として活用することが出来なくなってしまうのだ。

 決して魚の腹腔を切り裂いて臓腑を取り出し、というグロくて躊躇われる一連の作業が出来ない訳ではなく……先日、ちょっと試してみた結果、三匹もの魚をただの塩の塊にしたのは良い思い出である。


「……ですから、王も戻ってきてほしいとっ!」


「はんっ、もう今さらさ。

 何を言ってもあの子が戻ってこないのは分かっているだろう?」


 そうして俺が入口で立ち往生している間に、ボロ小屋の中からそんな声が聞こえてきた。

 何やら変な方向に加熱し始めていて、どうにも部外者が嘴を突っ込み辛い嫌な雰囲気を察した俺は、そのまま踵を返し……


 ──いや。

 ──むしろ此処は俺の有益性をアピールするべき場面じゃないか?


 すぐさまそう思い返して、もう一度身体を反転させる。

 と言うか、ボロ小屋から聞こえてきた声が若い女性の声だったというのも、俺がそう決断できた理由の一つだったのだが。


 ──よく考えたら……

 ──ここしばらくの間、ホントに女と縁がなかったよなぁ。


 特に何かエロいことをしたいという訳ではなく、ただ間近で顔を見て言葉を交わすだけでも……などと思うのは、若い野郎として至極当然の動機だろう。

 そう自己弁護をした俺は、まだ言い争う声が聞こえてくるボロ小屋の前で少しだけ躊躇った後、息を軽く吸い込んで気合を一つ入れると。


「よっ、帰ったぞ」


 何気ない風を装って部屋に入り、本当に何も聞いていないかのようにそんな惚けた声を出す。


「……お客、か?」


 俺の声が途中から疑問形になったのは、客だと思っていた若い女性が何故かメイド姿の女性だった所為だった。

 メイドと言っても喫茶店にいるようなアレではなく、本当にプロフェッショナルに家事をしているという感じの……メイド服っぽい女中の作業服らしきモノを着ているだけの、妙に堅苦しい雰囲気の漂う二十歳くらいの女性だったが。


 ──何となく似ている、な。


 クソ婆が若ければこんな感じになるだろう……そのメイドの女性はそういう雰囲気が漂っていた。

 そしてそれは……俺の射程圏外から完全に外れたことを意味する。

 実際問題、将来はこんなクソ婆になると約束された女を……例え今は若くて美人でも、今一つ口説こうとは……


 ──いや、別に良いの、か?


 コンマ数秒で結論が翻り「今が若くて美人なら問題ない」という結論に達した俺は、何となく視線をその若いメイドの方へと向けてみる。

 堅苦しいクラス委員長がそのまま卒業して大学生になった、みたいな感じの……真面目くさった視線に晒された俺は、すぐさま居心地が悪くなってクソ婆に魚籠を突き出す。


「ほら、今日の釣果だ」


「……意外と真面目に働く。

 と言う訳だ、早く帰ってくれラティーファ」

 

 俺の差し出した魚籠を受けとりながら、クソ婆はメイドの女性に視線を向けることもなくそう吐き捨てる。

 その取りつく島のない態度に諦めたのだろう。

 ラティーファと呼ばれたメイドの女性は軽く溜息を一つ吐くと立ち上がる。


「……分かりました、アイーシャ先生。

 ですが、王は海龍の脅威が去った今、昔のように貴女と共に暮らしたいと仰られておいでなのです。

 どうか、ご再考頂きたく」


 メイドの姿の女性はそう告げながら深々とお辞儀を……礼儀なんざ何一つ知らない俺が見惚れてしまうほど美しいお辞儀をしたかと思うと、きびきびとした態度で踵を返し。


「……ふんっ」

 

 一度、まるでゴミを見るかのように冷たい眼差しで俺を睨み付けたかと思うと、ボロ小屋からさっさと出て行ってしまう。


「何だありゃ?」


 クソ婆とは何らかの因縁があるのだろうが……全く無関係な筈なのに意味もなく嫌悪を向けられた俺としてはただそう呟くことしか出来なかった。

 そして幾ら美人だとは言え……ああまで自覚のない敵意を向けられたなら、流石に「アレはちょっとばかりない」としか言いようがない。


「ああ、ラティーファは姪孫にあたる娘でね。

 少しばかり堅苦しくて、あの歳でまだ未婚という有様さ。

 ……ま、性格云々よりも、海龍の所為で男手が減ったのが一番の原因だろうけどねぇ」


 クソ婆は溜息を吐きながらそう呟く。

 その言葉は相変わらず毒だらけだったが……言葉の節々には俺に向けてのとは違う、家族に対する気安さみたいなものが感じられた。

 ……ほんの僅かに、ではあるが。


「王とか言ってた、よな?」


 そんなクソ婆の馴れ馴れしい言葉をかき消すように、俺は思わずそう問いかけていた。

 別にこのクソ婆の交友関係について何かを感じることがある訳ではないものの……この世界唯一の顔見知りが知らない他の誰かの話題を口にしていると、どうにも面白くない気分になってしまうものである。


「前に言っただろう、私は王の乳母だったと。

 まぁ、息子は海龍に挑んで海の藻屑。

 孫娘は海神の落し子だったから、船に乗せられて沖に流され……

 ああ……早い話が生贄にされたのさ」


 尤も、俺のそんな機微に気付くことなくクソ婆は吐き捨てるようにそう呟き……軽く放たれた割に酷く重い内容のその言葉によって、俺は完全に言葉を失ってしまう。


 ──生、贄?

 ──沖に流され、た?


 その言葉に俺は何となく……自分がこの世界へと跳んできた時のことを思い出していた。

 あの時はいきなり海の彼方へと投棄されたかのように感じたのだが……今まででも俺が新たな世界へと跳んだ時は、必ずそこに「巫女」がいるか、もしくは「魔法陣」があった。

 塩の荒野は「魔法陣」によって喚び出され、蟲の砂漠は「巫女」と「魔法陣」に引っ張られた挙句に中間距離に放り出されたのだがそれは例外として、腐泥では死の間際の「巫女」が、浮島では「魔法陣」があった。

 地球に戻る時にはそのルールが適用されないらしいので、コレは「新たな世界」へと跳ぶ場合のルールなのだろう。

 兎に角、俺が新世界へと跳ぶにはそういう条件付けが必要だと……破壊と殺戮の神ンディアナガルの権能『天啓』が告げている。

 そして……この世界でもその基本条件は何も変わりないだろう。

 つまり、海の底で召喚の儀式が出来ない以上、俺が喚び出されたあの海のど真ん中に……要するに同座標の海の底に「巫女」がいたに違いない。

 溺れ死ぬ際に、世界の破壊を願ったのか、人類の死滅を祈ったのか、それともただ苦しみ足掻き、救いを求めながら死んでいったのかは分からないが。


 ──縁、か。


 そのとっくに亡くなっている筈の「巫女」の嘆きが、海の底にある亡骸が俺をこの世界へと招き……偶然、このクソ婆のところへと流れ着いた。

 そんな人同士の縁によって導かれた運命によって、俺はこのボロ小屋に住みついたと考えると……


 ──やっぱ、ないな、うん。


 何となく『天啓』が導き出したままの答えを脳内で言語化してみたのだが……あのクソ婆と縁があったり運命に導かれたりなど、考えたくもない。


「だからこそ、私は王を……あの子を許せやしない。

 たとえ迷信に駆られた民衆を宥めるため、だったとしても、ね」


 そんな俺の内心に気付くことなく、クソ婆は何やら身の上話を口にしてたが……まぁ、そんなことはどうでも構いやしない。

 大体が、あの海蛇はもう死んでいるのだ。

 歳食ったクソ婆の細かい感傷なんざ放っておいて、それよりも若くて綺麗な女の子といちゃいちゃする方が遥かに大事なのだから。


「ま、もう終わったことさ。

 王は過去の贖罪とばかりに私を王宮に呼びたがってる。

 だけど、私は王を……あの子を赦せる気がしないだけさ」


「……ああ」


 この婆の人生や思考回路になんざ興味も湧かないし、理解なんて出来る訳がないと思っていた。

 だけど、ソレは……憎悪という名の激情だけは俺にでも共感できる。

 今まで何度も何度も屍の山と敵意と激怒と憎悪の中を、腕力一つだけで切り拓いて来た俺だからこそ、その激情は酷く親しい友人のように感じられるのだ。


「しかし、王宮行ってどんなことをするんだ?

 堅苦しいってのは分かるんだが」


 とは言え、俺が幾ら怒りと憎しみについて親しみを覚えるほど慣れているにしても、それを始終向けられて心が休まる訳もなく。

 気付けば俺は話題を変えるために、そんな問いを口にしていた。


「茶を入れたり、掃除をしたり……まぁ、世界が水没する前に色々してたことさ。

 海龍が討たれた今、海の水は減っていって前の生活が戻るだろうから、その技術を次世代に伝えて欲しい、とさ。

 ……まだ海龍が死んだという確証もないってのに」


 そして、それは俺が珍しくクソ婆に向けた問いだったから、だろうか?

 アイーシャという名らしきこの婆は珍しく僅かばかりの笑みを浮かべたかと思うと、饒舌にそう語り始める。

 そこから先のクソ婆は、何故かメイドの極意と言うべき、全く意味もない王宮知識を語り始め……恐らく誰も訪れない一人暮らしが長かったからこそ、その反動で話してみたくなったのだろう。

 それが己の半生を費やした知識となれば、それは口が止まらないに違いない。


 ──だからと言って、それが役に立つ訳もなく。


 実際問題、俺が銀製燭台の磨き方とか天鵞絨カーテン……とンディアナガルの権能によって翻訳されたこちらの布の洗濯の仕方、煉瓦製の煙突掃除の効率的な方法なんぞを知って何になると言うのだろう?

 兎に角、今日のクソ婆は意味もなく饒舌で、俺は延々とその被害を被ることとなったのだった。

 その酷く無駄な時間を費やして得られた数少ない収穫と言えば……このクソ婆が現王の乳母であり、息子は前々代の将軍となったほど、王の信認の厚い人物であり。

 全く納得は出来ないが、そんな経歴だからこそ、王の後宮を仕切っていたこともあって……数多の美女や女官に顔が利くのが確定したことと。

 あのラティーファというメイドが独身で全く男っ気がないということと。

 そして……海龍の生贄にされたという孫娘の身体にも各所に龍の鱗があり、その所為で「海神の落し子」と呼ばれていたという、僅か三つだけ、だったのだった。



2019/03/20 23:25現在


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