第五章 第六話
俺が放った降伏勧告への返答は翌日の、陽が上りきる前に見ることが出来た。
──見えてしまった。
城壁の上から投げ捨てられた、それらの……俺の降伏勧告に対する答えを。
「……あ?」
──そもそも俺は『ソレ』を……いや、『ソレら』を何故すぐに『彼女』だと認識できたのだろう?
『ソレ』の頭がい骨が割れて中身が飛び出しているのは、落ちていた衝撃の所為だろう。
……しかし、その頭部は原形を留めないほどに腫れ上がり、耳はなく。
髪は頭皮ごと引きちぎられ、小生意気な瞳があった場所にはただ血の色をした空洞しかなく……
唇は引きちぎられ咥内には歯が一本も見当たらない。
「……う、あ?」
胴体はあちこちの皮を剥され焼かれ、乳房は二つとも削ぎ落され横一文字に斬られた腹から内臓は引きずり出され、周囲の肋骨は完全に砕けていて。
右手は全ての指がなく、上腕下腕ともにあり得ない方向にひん曲がり。
左手は全ての爪を剥がれ指は潰され原形を留めていない。
脚と思える部位はなく、ただ細切れの肉片が転がっているだけ。
「あ、あ?」
そして……身体のどの部位にも矢ほどの太さの針で刺されたような穴が数十空いており、身体中のあちこちにこびりついている白いのは恐らく渇いた精液で。
何故か、五〇〇メートル以上離れているというのに、細部までしっかりと見えるそれらの肉片が地に転がるサマを、俺は信じられない気持ちで眺めていた。
──だって、あり得ないだろう?
彼女は戦巫女……言わばべリア族の仲間だぞ?
──それに対して、こんなこと、普通、出来るか?
俺は仇敵でしかない彼女の身に訪れた惨劇を思い浮かべ……
「う、うげぇえええええええ」
すぐにその惨劇を脳裏が受け入れず、胃の内容物が全て逆流してしまう。
武器によってもたらされる瞬間の死ではなく、拷問と凌辱の末の死は……正直、俺の常識の範疇を遥かに逸脱していたらしい。
「……どうやら、内通者と疑われた、のかも、しれません」
それらを見たロトが少し同情的に呟いたその言葉を、俺の脳はようやく理解した。
そして、それを理解した途端、腹の奥底から漆黒の灼熱が……恐らくは激怒とか憎悪とか呼ぶべき感情が湧き上がってくる。
俺は、その……『本気の憎悪』という感情を、抑える術すら持たなかった。
……いや、抑えようという気すら起きなかったが、正しいのか。
(こんなこと、許してなる、ものかよ)
そのどす黒い感情にうなされたように、俺は小さく呟いた。
……そう。
こんなことをするような『最後の領主』も、それを許すべリア族の連中も……
──一匹たりとも生きている価値もありゃしねぇっ!
憎悪と言う名の漆黒の灼熱は、いつの間にか殺意という極寒の意志へと変わっていた。
そうして激情が凍結した所為か……不意に俺は、俺と重なり合う『ソイツ』の存在に気付く。
『ソイツ』と俺は、次元をずらす形で重なり合っていた。
……いや、不可視の鎧を着込んでいるのが近いだろうか?
それとも、霊的に融合しているとでも言えば良いのか?
正直、言葉にはし辛いものの……『ソイツ』は、俺と重ね合わせた形で存在していた。
(──コレが、破壊と殺戮の神ンディアナガル)
ソレは……俺に凄まじい耐久力と膂力を与え、無敵にした『絶対者』そのもの。
全長一〇メートルほどの大きさの、龍と獣を混ぜ合わせたような、六本の腕と四枚の翼を持つ、まさに人智の到底及ばない化け物。
この巨大さと力強さを考えれば『こんなもの』と重なっている俺には矢や剣など一切通じないのは明白で……この手に持っている戦斧のような「小さな棒切れ」なんて軽々と振り回せて当然だった。
……まさに、常識外れの、化け物である。
その化け物の身体中にまとわりついている、見るだけで気分が悪くなるような漆黒の瘴気は……恐らくこの世界に蔓延している呪い。
──この世界を呪い、恨み、憎み、絶望しながら死んでいった亡霊の群れ。
ンディアナガルと重なり合う俺の抱いた憎悪と殺意を歓迎するかのように、漆黒の瘴気は神の周囲で踊り跳ね舞う。
……そして。
破壊と殺戮の神の存在に気付いた瞬間、俺は「どうすればこの破壊と殺戮の神を扱えるか」を一瞬で理解していた。
「お、おい! 破壊神どの」
突然立ち上がり、怒りに顔を歪ませ目を血走らせ、脇目も振らずに城壁に向かって歩き出した俺を、必死に止めるようにバベルが叫びながら肩を掴む。
……だが、そんなものは、ただ鬱陶しいだけだった。
ただ俺は……アイツらを許せないだけだから。
「どけっ!」
俺は怒りのままに右拳をバックハンドで振るい、邪魔をしたゴミ……これまでずっと肩を並べてきたハズの、俺を一番認めてくれたハズの、この世界で一番頼りにしていたハズの、バベルの頭蓋を右拳で叩き潰す。
俺の一撃を受けた所為か、真っ白な塩と化していくその残骸にも、長を殺されて騒ぐサーズ族の連中にも何ら心を動かすこともなく、俺は城壁に向かって歩を向ける。
身構えるでもなく守るでもなく、無警戒にただまっすぐ歩く俺に向けて、城壁の上から矢が降り注ぐ。
……が、そんな小さな棒切れ、俺には何の意味もない。
「うぉおおおおおおおおああああああああああああああああ!」
城門に辿りついた俺は叫びながら、破壊と殺戮の神の巨体と自分の身体を重ね合わせるイメージを頭に抱きながら……
──その城門をぶん殴る!
強固で絶対だったハズのその巨大な城門は、俺の一撃によってあっさりと吹き飛び、塩の塊へと変わりながらあちこちへと散らばっていった。
「ば、ばかなっ!」
「嘘だ~~~っ?」
「化け物だぁぁぁぁあああっっっ!」
門の裏側にいたべリア族の連中が、その非常識な光景に驚愕と絶望の叫びを上げる。
……が、そんなの俺の知ったことではない。
ただ城門が破られたことでわらわらと群がってきた連中を、手に持った斧で潰し両断し砕き抉っていく。
勿論、べリア族の兵士たちも反撃をしてくる。
……だが、今の俺にはそんなの……庭に生えてきた雑草とそう大差ない存在だった。
──ただ武器を振い、薙ぎ払う。
内臓が飛び散り人体の一部が宙を舞い、そしてその亡骸が次々に塩の塊へと変わっていくという、悪魔の所業か神の奇跡としか表現しようのない俺の進撃に、見る見るうちにべリア族どもの顔が恐怖に染まっていく。
だけど、それすらも……怒り狂った今の俺にはどうでも良いことだった。
近づいてくる連中は戦斧で、戦斧が間に合わなければ拳や蹴りで文字通り蹴散らしながら、街中をまっすぐに真ん中に立ってある城目がけて進む。
「……ん?」
そうしている内に、上から矢が飛んできたことに気付く。
……エリーゼだったモノを、ゴミのように投げ捨てた、城壁の上の連中が撃ってきたのだろう。
「う、う、うぉおおおおおおおおおおおおおおおお!」
そう考えた瞬間、俺の口からは自然と叫びが上がっていた。
その叫びに呼応するかのように俺と重なり合っている破壊と殺戮の神ンディアナガルの咆哮が鳴り響き。
次の瞬間、突風と竜巻が周囲で沸き起こり、城壁の外側から塩の嵐を運んでくる。
「うぁああああああああぁぁぁぁぁ」
城壁の上にいて俺を狙っていた連中はその突風に煽られて城壁から落ち……地面に赤い花を咲かせていた。
その惨劇を見ても俺は、ゴミを一瞥した程度の感情を抱いただけですぐに興味を無くすと、ただまっすぐと城へ向けて歩き出す。
「そこまでだ、化け物めっ!
ここから先へは聖剣を託された、このアーガスが……けぴっ」
「……五月蠅い」
途中、叫びながら俺の行く道を塞いだゴミを叩き潰す。
俺の戦斧を正面から受け止めた結果、下手に頑丈な剣を手にしていた所為か、自分の持っていた剣ごと潰され、地面に広がるミンチになったようだった。
「……手間を取らせるな、クズが」
俺はその赤い血と肉の、端部がまだ僅かに痙攣していた「シミ」を踏み潰して塩の塊へと変えつつも、ただ城の中心部へとまっすぐに向かう。
「破壊神どのに続けぇ!」
「な、なんだこいつら~~!」
「く、くそっ!
敵襲~~っ! 早く伝令をっっ!」
気付けば背後でそんな声が上がり始めていた。
……どうやら突風と竜巻の混乱に乗じてロトたちが突入してきたらしい。
バベルが死んだことで統率が取れずに散り散りになるかとも思ったが……彼らはここでべリア族を完全に叩くことにしたようだった。
士気を完全に挫かれ、混乱の極みにあったべリア族たちに彼らの進撃を阻止する余力なんてあるハズもなく、ただ一方的に殺されるばかりである。
──だが、そんなこと、今の俺にはもうどうでも良い。
「……手間が省けるな」
そんな彼らの存在に俺はただそう一言を呟くと、また歩みを続ける。
そのまま数十か数百か……数えるのも億劫なほどの障害物を薙ぎ払ったところで、城に辿りついた。
高さ十メートル近くのその巨大な建物は……四つの塔からなり、恐らく真ん中の一番太い塔に『最後の領主』とやらがいるのだろう。
それらは防衛施設としては優秀なのか、さっきから矢が鬱陶しいほどに飛んでくる。
尤も、俺の周囲に吹き荒れる風によって、明後日の方角へ全て逸れてしまっていたが。
「……全部を上がるのは、鬱陶しいな」
塔を見上げながら俺はそう呟くと、身体と本能の命じるがままに、渾身の力を込めて右足を地面へと叩き付ける。
──ズンッッッ!
そのたった一撃で、この辺り一体の地盤が震度五ほどの大きさで跳ね上がる!
当然のことながら直下で揺れを喰らった、耐震化構造すらしていない石造りの塔がその揺れに耐えられる訳もなく、一番太い塔を除いた残り三つの塔はあっさりと倒壊していた。
……中にいた人間は、助かる訳もないだろう。
俺に向けて矢を放ってきた数十か数百かは分からない数の兵士たちは、あっさりと建物倒壊に巻き込まれてミンチになったハズだった。
もしかしたら女子供がいたかもしれないが……そんなこと、知ったことでもない。
「かかっ。
こりゃ、確かに破壊と殺戮の神、だな」
その惨状を引き起こしたのが自分という常識では理解の及ばない事態に、そしてその惨状を引き起こしても何の罪悪感も一欠片の憐憫すらも浮かばない自分に、俺は口先だけの薄い笑いを浮かべる。
……だが、そんなことすら、静かな殺意に支配されている俺にとってはどうでも良い些事に過ぎない。
そのまま俺は、残された塔へと顔を向ける。
一番太い塔はどうやらそれなりにしっかりとした造りをしているらしく、あの揺れを受けても何の被害もないらしい。
現に今も、無駄だと知ってか知らずか、鬱陶しい矢や石ころが次から次へと俺目がけて放たれている。
常人なら一撃で命を奪われるハズのそれらを意にも介さず、俺は塔を登る面倒臭さと自分の手で連中を潰せる愉悦という二つの感情に顔を歪めながら、その塔へと足を踏み出した。
「ば、ば、化け物だ~~~っ!」
「く、く、来るな~~っ!」
その時には既にべリア族は統率なんて完全に失われていた。
俺を見て逃げるヤツか、ヤケクソになって突っ込んでくるヤツか、手を合わせて祈り始めるヤツか。
俺はソイツらが何をしようと関係なく、ただ戦斧の届く範囲に来たゴミを潰しながらまっすぐに歩く。
……そうして階段を四つほど上がったところで、俺はようやく巨大な玉座のある広間に……『最後の領主』とやらのところへとたどり着いたのだった。