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【完結済】ンディアナガル殲記  作者: 馬頭鬼
伍・第七章 ~しんじつ~
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伍・第七章 第四話



「……ぁ」


 ぺちゃりと、びちゃびちゃと。

 床を叩く水……血液の音と、もしかしたら肉片や脳漿が床へと叩き付けられた音を聞いて我に返った俺は、その真っ赤に染まった床を呆然と見下ろすことしか出来なかった。


 ──いったい、なにが?


 内心ではそう呟くものの、答えなんて分かっていた。

 未だ左手に残る権能を放った感触が教えてくれるのだ。

 たった今、人類の未来が……俺の将来が、砕け散ったのだのと。

 ただ、俺は、それを、理解、したくなかった、というだけで。


「……ぁ、ああ、あああああああ」


 その事実を悟った時、俺に出来たことと言えば、妻と認めた少女を……床に零れ落ちて散らばるその血液を、皮膚を、肉片を、骨片を脳漿を、ただただ手でかき集めること、だけだった。

 手が汚れるのも強烈な錆びた鉄の臭いも意に介さず、俺はそれらを必死にかき集める。

 ……意味がないのを理解しつつ。

 当たり前の話ではあるが……俺の持つ破壊と殺戮の神ンディアナガルの権能では、死んだ人間を生き返らせることなんて、出来やしないのだから。


「ぁあああああっ!

 何故、何故っ、何故だぁあああああああああああっ!」

 

 そんな俺の懸命の努力を嘲笑うかのように、砕け散ったラーウェアの残骸は俺の目の前でゆっくりと塩の結晶と化していく。

 彼女の死を……敗北感からとは言え、一度は妻と認めた少女が死んだ事実を目の当たりにした俺は、彼女を死から遠ざけようという一心で必死に塩の塊を血液から掬い取り、周囲へと放り捨てる。

 だけど、そんな行為に意味がある訳もなく。

 何故ならばそれは、ラーウェアが死んだからこそその死体が塩の結晶になっているのであって……塩の結晶がラーウェアの細胞の一片までもを浸食し殺している訳ではないのだから。

 尤も、喪失感と動揺によって我を忘れている今の俺がそんな因果関係を理解出来る筈もなく。


「ぁああああああああああああああああっ!

 畜生っ! 畜生っ! 畜生っ! 畜生がぁああああああああっ!」


 手を血に濡らしながら、鉄錆びの臭いの中で、必死に塩を取り除き掴み取り引き剥がし、そうして徐々に徐々にラーウェアだったモノはすり減っていくばかりで。


 ──うそ、だ……


 そうして、床の上に散らばっていた血液どころか、かき集めていた俺の両手にすら血液の痕跡は消え失せていて。

 もう赤い色すらなくなり、塩の結晶がぱらぱらと散らばるばかりとなったその両手を見ながら、俺は呆然自失のまま内心でそう呟く。


 ──嘘、だ……


 だけど、そう呟いたところで何かが変わる訳もない。

 一度失われた命が戻ることはなく……一人残らず死に絶えた人類がこの世に戻ってくることはない。

 その黄泉返りという奇跡を実現するためのツールは、今さっき失われてしまったのだ。

 ……他ならぬ、この俺の手で。


「嘘だぁあああああああああああああっ!」


 その事実を認めたくない俺は、必死に意味のない行動を……意味がないと分かっていつつも、金属で造られたその床を引き剥がし、零れ出た血液を探し始める。

 思い通りにならない怒りと、将来が失われた絶望と、早く何とかしなければならない不安の所為で手が震える中、俺は力任せに金属の床を引き剥がし……

 俺の体重どころか日記を読み終えて暴れた時でさえ歪み凹むだけだったその頑丈な床板は、俺が殺意を持って握りしめた瞬間に、まるで砂糖菓子のように塩の結晶になって崩れていく。

 とは言え、今の俺にそれを意に介する余裕などある訳もなく、床板を引き剥がして何もないことを確かめ……


「くそがぁあああああああああああああああああああっ!

 あぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」


 激昂のままに、意味もなく『爪』の権能を発動させ、前後左右四方八方……ただただ無闇に放ちまくる。

 さっきまで俺と互角に戦っていた『人類防衛システム』は、その『爪』の権能にまるでプリンか何かのようにあっさりと切り裂かれ、塩の結晶となって砕け散っていく。

 その事実が……俺の権能によって簡単に壊れてしまうという事実そのものに、俺は苛立ちと激昂を抑え切れない。


「ぁああああああああああっ!

 何でっ、何で何で何で何でっ!

 そんなに簡単にぶっ壊れるんだよ、畜生がぁあああああああああああっ!

 そんなにっ、死にたけりゃっ、勝手にっ、死にやがれぇあああああああああああああっ!」


 叫ぶ。

 意味なんてない。

 意味なんて理解せず、激情の赴くがまま苛立ちを声に乗せる。

 殴れば、掴めば、『力』を振るえば、何もかもがいとも容易く壊れてしまうというその事実にこそ抵抗しようと……俺はただ暴れて壊し続ける。

 激昂は嵐となり、権能は空間を切り裂き、叫びは破壊振動となり、拳は純粋に圧潰を招き、蹴りは崩壊を引き起こし、そして壊れた全てが塩の塊へと化していく。





「……はぁっ、はぁっ、はぁっ」


 気付けば俺は、塩の荒野ともいうべき一面の塩と、地平線の向こう側に沈もうとしている真っ赤な月と、そしてそれに染められた赤い空と、その赤い夜空の中に浮かぶ微かな星空以外、何も見えない異世界のような空間で、俺はたった一人、大の字で空を見上げて寝転がっていた。

 巨大な殺戮機械は既に影も形もなく……俺の権能の前にぶっ壊れて辺りに散らばる塩の結晶の一部と化してしまったのだろう。

 周囲にあった筈のビルや電信柱や電柱や電波塔などという人類の遺産ともいうべき数々もいつの間にか消え失せ……どうやら、俺の権能に耐えきれず、人類の痕跡全てが崩れ去ってしまったようだった。


「ははっ。

 はははっ。

 ははははははははははははははっ!」


 その事実に気付いた時、知らず知らずの内に俺の口からはそんな乾いた笑いが零れ出ていた。

 懺悔の言葉も、後悔すらも出てこない。

 そもそも、失われた命は何をどうしても戻ってこないと分かっている以上、そんなことをしようと考える、所謂「無駄な(・・・)」思考回路すら俺からは失われている。


 ──そう言えば、いつだったか。


 今の自分と似たような感覚で、空を見上げたことが、あった、ような……

 暴れ疲れた……いや、何もかもを失ってしまった虚無感の所為か、全身に圧し掛かるような疲労によって指一本すら動かす気力もない俺は、ただ空を見上げ続ける。

 そうしてどれくらいの時間が経ったのだろうか。

 気付けば、空を不吉に照らし続ける赤い月は地平線の向こうへと半ば隠れていて、いつの間にかその反対側の地平線には朝日が見え始めている。


 ──次の世界へ、行こう。


 全身を縛り付ける虚無感の中、僅かに残った俺の理性が、そう告げる。

 此処でこうして固まっていても、嘆いていも何にもなりやしないのだ。

 せめて、失われてしまったこの地球と同じレベル……とは言わないが、俺が普通に暮らしていけるだけの、不便を感じないだけの、静かに暮らしていけるだけの世界を探さなければ。

 このまま諦めることなく、朽ち果てることなく旅を続ければ、いつかはそんな世界が……俺が暮らしていける、俺を迎え入れてくれる世界が、必ず何処かにあって、俺を迎えてくれる筈、なのだから。

 そうでなければ……俺が暮らせる世界がないのであれば、俺はこのまま数多の世界を彷徨い、こうして何もない世界で飢え乾き、何の意味もなく朽ち果てることになってしまう。

 そんな最期は、受け入れられない。

 そんな最期なんて、耐えられる、筈がない。

 だからこそ俺は、ここから旅立たなければならない。


 ──さて、と。

 ──もう少し休んだら、旅立つとするか、な。


 尤も、心が僅かに希望を取り戻したところで、次の世界へと旅立つ覚悟を決めたところで、今までの旅が、この世界での戦い全てが徒労と化した倦怠感が抜ける訳もなく。

 俺は塩だらけの荒野の中、寝転んだまま何度目かになる溜息を空へと吐き出していた。

 そんな時、だった。

 呆然と大の字で空を見上げる俺の視界の端で。

 ……不意に空が横一文字に、割れた(・・・)


 ──ぁ?


 その超常現象を目の当たりにしても、今の俺は動こうという気力を捻り出すことすら出来なかった。

 唯一気力とは無関係に動かせる部位……つまり、眼球だけを動かして、俺はその空の亀裂へと視線を向ける。

 そうして俺が何となしに眺める最中、その空の亀裂からゆっくりと……一つの人影がこの世界へと降臨した。


「……よくもまぁ、自分で作ったルールの所為で儂が動けぬのを良いことに……

 好き勝手やってくれたな、小僧」


 舞い降りてきたのは、純白のローブ姿の白髪頭の老人だった。

 ふと思ったのはサンタクロースやギリシア神話のゼウス辺りに似ているという感想で……その凄まじい髭が印象的な所為だろうか。

 この爺の正体が何なのかは分からないが、それでも一見しただけで分かったことは……今まで敵対したどの創造神よりも凄まじい権能と、凄まじい殺意を放っているということと。

 その権能と殺意に刺激されたのか、それともただ単に眼前のコイツが気に喰わないのか……俺の身体の細胞の、一片に至るまでが瞬時に戦闘態勢へと入った、ということだった。

 さっきまで心の大半を占めていた絶望からの倦怠感や虚無感すらもその戦意の前に消え失せ、指先どころか髪の一本までもに力が籠り始めている。

 要するに、理性ではなくただの本能で、俺はコイツが自分の敵だということをはっきりと理解したのだ。


「……てめぇは」


「儂か?

 儂はこの世界の……ふむ、人類の神、と言えば分かりやすいか?」


 殺意か怒気か……理由は分からないものの、身体を突き動かす衝動によって俺が起き上がるのと、眼前の白髪爺が地に降り立つのはほぼ同時だった。

 

「……ラーディヌゥクオルン=ヴァルサッカラーヴェウス」


 俺は身体の奥から燃え上がるような激情に戸惑いながらも、不意に脳裏を過ったその舌を噛みそうな名を口にする。

 俺がそう呟いたのを耳にしたのか、その白髪頭の髭爺は少しだけ驚いた顔をしてこちらに視線を向け……


「ふむ、我が子の……ラーウェアの『天啓』か。

 厄介なものを手にしておる。

 とは言え所詮、それも我が名の一つ……いや、数多ある名を根源の一つに過ぎぬ。

 儂からみれば、名が知れたところで物の数でもないが、な」

 

 髭を整えてそんな言葉を呟きながら、軽く肩を竦める仕草をしてみせる。

 その妙に余裕ぶった態度が……いや、コイツの存在そのものが鬱陶しくて仕方ない。

 身体の奥底から殺意と憎悪が噴き出し続け、今にもこの澄ました髭面をぶん殴って叩き潰してやりたい衝動に駆られ続けている自覚がある。

 俺は殺意を必死に押し殺し……歯を食いしばり激情に耐えながらも、何とか掠れた声でその問いを捻り出す。


「貴様が、この世界の神だと言うのならっ!

 何故っ!

 何故っ、誰も救わなかった?

 ……何故、人類の滅びを放っておいたっ!」


「滅ぼした貴様が言えた義理か」


 俺の口から放たれた問いは、人類の神にとっても理不尽極まりない代物だったのか、髭爺の眉が一瞬攣り上がり、そう吐き捨てるように放たれた……その一言こそコイツの心からの言葉だったのだろう。

 考えてみれば当然で……認めたくはないが、勝手に動き出した俺の権能によって人類は大きく激減し、その挙句にラーウェアの力で動くあの殺戮兵器によって人類は死に絶えたのだ。

 ただ、人類の再生を目的とした巨大殺戮兵器は俺自身がぶち壊してしまった訳だが……

 それでも、俺がやらかしたのは最期のトドメ……というか、昔のゲームであったと聞く「復活の呪文を無くした程度」であり、俺が一人で人類の全てを絶滅に追い込んだ訳ではない。

 とは言え、その滅びに俺が関わっていることは紛れもない事実なのだから……確かにこの爺の言うとおり、俺がその問いを口にするのは少しばかり筋が違うのかもしれない。


 ──だけど……


 だけど、コイツが人類の神だと名乗るなら……滅んでしまった人類の代わりに、この地球に残された最後の人類であるこの俺こそが、この問いを口に、この怒りを声にしなければならないだろう。

 尤も、この忌々しい髭爺はただその一言を吐いただけで激情を抑えたばかりか、俺の怒りの声に感情を揺さぶられた様子もなく……ただ平然とその髭だらけの口を開き、その問いへの答えを口にしやがったのだが。


「人の世界に神が手を出せば歪みが生じる。

 我が子ランウェリーゼラルミアが自らの身体を紅石と称して人に分け与えた挙句、身体を失い……その恩恵に人々が欲に歪んでいったのを目の当たりにした儂は、神が人と直接かかわることを禁じておった。

 ……儂が子たちに禁じたことを、儂自らが破る訳にはいくまい?」


 人の神を名乗る髭面の爺はそう告げると、周囲へと視線を見回し……溜息を一つ吐く。


「とは言え、こんな結末になるとは予想外であったが。

 まさか末娘のラーウェアが創りし玩具が、人を喰らい数多の命を喰らい、挙句に世界や神までもを喰らい、此処までの破壊をもたらすとは……」


 神を名乗る爺はそう嘆きながらも、足元に転がっていた塩の塊へと手をかざし……どうやったかは分からないものの、手を触れることなくその塊を引き寄せる。

 直後にその塩の塊を柔らかく握り潰したかと思うと、褐色の土へと変化させ……その土をゆっくりと地面へとばらまいてみせる。


「こうして儂が直接介入しても、再生に数百年はかかるだろう。

 ……まったく、面倒極まりない。

 この薄汚い塩に忌々しい破壊の力さえ籠ってなければ、この程度の破壊など、一年も経たずに戻せるものを」


「……てめぇ」


 俺の権能など「面倒な作業(・・・・・)」でしかないと告げる髭爺のその口草に、俺は思いっきり歯を食いしばり……気付けば口の中には血の味が充満していた。

 実際……苛立ちが止まらない。

 この塩の権能を……畑を枯らし、人を巻き込んで殺し、世界を殺し尽くした破壊と殺戮のためのこの権能を、俺は疎んでいた筈なのに。

 それでも、自分でない誰かに……特に、この髭爺に薄汚いと貶されると。

 そして、そんな権能など、ただ指先一つの作業で思うがままに出来るものだと見せつけられると。

 ……何故か俺は、抑えようもないほどの怒りがこみ上げてくる。

 その抗いようもない、全身を上下に突き抜けるような激情によって、俺の身体は自然と突き動かされていた。


「てめぇはっ!

 そんな力がありながらっ!」


 気付けば俺の身体は大きく左手の『爪』をその髭面の爺に叩き付けるべく、大きく振りかぶっているところだった。

 そこまで自分が激昂している事実に俺は僅かに戸惑うものの……この爺がこんなに簡単に塩の権能を無効化できるのなら、人類くらい簡単に救えたかと思うと、やはりこのクソ爺をぶん殴ってやろうという結論に達してしまう。


「っと、暴力頼りの短慮な餓鬼……いや、ただの獣か。

 力の差も理解出来んのか。

 ……我が子が創りし玩具如きが、儂に敵う筈がなかろうに」


 爺がそう告げた瞬間だった。

 虚空から突如として現れた黒き縄が俺の身体へと絡みつき……

 たったのそれだけで、俺の身体は指一本たりとも動かせなくなってしまったのだ。



2018/06/26 21:38現在


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