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【完結済】ンディアナガル殲記  作者: 馬頭鬼
伍・第五章 ~ふたたび、ちかへ~
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伍・第五章 第七話


「てめぇ。

 ……あの女を、見捨て、やがったな?」


 その顔面をぶん殴ってやろうと右の拳を握りしめながら、爪でその身体を抉ってやろうと左手の指に力を込めながら、俺はそう問いかける。

 正直、答えが返ってくることなど全く期待することなく、威嚇程度に放った俺の問いではあるが……


「何を当たり前のことを言っている?

 我らは一人でも生き残っていれば接ぐ(・・)ことで、増えることが出来るのだ。

 なら、生存確率が最も多い手段を採るのは当然だろう」


 軍服に身を包んだその青年は、顔色一つ変えることもなく、事も無げにそう言い放ちやがった。

 仲間を見捨てることに罪悪感を覚える覚えない以前の……それが当然という口調のこの男は、俺が何故そんな問いを放ったかすら理解出来ないという有様で。


 ──この、野郎っ。

 ──人の命を、何だと思ってるんだっ!


 言っても分からない馬鹿に言葉をかけるのも馬鹿馬鹿しいと思った俺は、内心でそう吐き捨てると……そのまま右の拳をまっすぐに叩き付ける。

 勿論、そんな怒りに任せた大振りの一撃なんざ達人級に通じる訳もなく……それどころか俺の突きだした右手の、手首の血管と肘の腱、そして脇腹に走っているのだろう血管へとそのナイフを叩き付けてくる始末である。

 要するに、不意を突いた筈の俺の一撃は技量と速度が全く足りない所為で、コイツの能力である認識阻害を使わせることすら叶わず……それどころかカウンターを三発も喰らってしまったのだ。


「……ただの力任せの拳。

 ふざけているのか?」


「ふざけてんのは、てめぇだぁあああっ!」


 尤も、斬られたところでコイツのナイフでは俺の皮膚一枚すらも貫けないのだ。

 酷く冷たい声で向けられたその問いに吼えながらも、俺は『爪』を突き付けようと大きく左手を振りかぶる。

 尤も、その瞬間に俺の左手の下を男は潜り抜け、あっさりと安全圏へと逃れてしまっていたのだが。


「貴様が何故激昂しているのか、理解が出来ん。

 あいつらは私の同胞。

 私の一部であり私の兄弟でもある。

 その連中をどうしようと、貴様には関係あるまい?」


 俺の権能をどう破ろうかと思案しているのだろうか?

 それとも本気で俺の怒りを理解出来ずに戸惑っているのか。

 理由はともあれ、青年の皮を被っているのだろうこの超能力者は、ひとまず会話に応じる気にはなったらしい。


「……だから、その口調がっ!

 気に入ら、ねぇんだよっ!」


 だが、相手が会話に応じてくれたかと言って、今さら俺がそれに付き合わなければならない理由もない。

 まさに血も涙もないその口調に激昂した俺は、弧を描くように右拳を叩き付けようとするものの……それは青年の髪を僅かに揺らすことしか出来なかった。

 それどころか、俺の体勢が崩れた瞬間を狙い、背中に蹴りを入れてくる始末である。

 その一撃自体は痛みすら感じないのだが、俺が最も体勢を崩した瞬間を狙われた所為で、俺は見事に体勢を崩し、たたらを踏む羽目に陥ってしまう。


「……やはり分からんな。

 ゲルダか、マルガリータのことか?

 どちらにしろアイツら全員、私がいなければ生きていけない脆弱な根に過ぎん。

 それをどう使おうと私の勝手ではないか」


「……っ、てめぇは……」


 言葉は交わせるのに、全く言葉が通じない。

 そのどうしようもない感覚に俺は怒りを通り越して呆れてしまい、感情任せに殴りかかる気も起らなくなっていた。


「……どういう、意味だ?」


「簡単な話さ。

 私の認識阻害があったからこそ、この過酷な地下世界で生きていけた、ということだ。

 入り口の一つを認識から外すだけで、教団の虫けら、鉄くずの玩具、突然変異の化け物(ミュー)共……地下に暮らす連中は誰一人、我らの住居を発見出来なかったのだから、な」


 ……要するに。

 コイツは超能力者(スキャナー)たちが引きこもるための、家の護り手だったのだろう。

 中尉とか言われていて、超能力者たちのボスらしき存在のコイツは、その力で同胞を護っていた、と。


 ──だからって。

 ──護っているからって、何やっても良い訳、ないだろうがっ!


 俺はそう歯噛みするものの……それを言ったところでコイツに言葉は兎も角、意味が通じる気がしない。

 そういう意味では……俺とコイツは、別種の生物なのだ。

 一介の人間である俺と、根っこが人間に寄生しただけの植物。

 お互いに幾ら言葉が通じ、意思の疎通が出来たとしても……全く違う生き物である以上、分かり合える筈もない。


「ふざけてんじゃ、ねぇえええええええっ!」


 そう結論付けた俺は、早々に会話を打ち切ると、目つぶしを兼ねた牽制として足元のタイルを蹴り剥がして相手へと放つ。

 正直、サッカーなんて小学校の授業くらいでしかやったことのない俺のその蹴りは、見事にタイルを粉砕はしたものの、それらの破片は明後日の方向へと跳んでいき……


「……愚かな。

 知性も論理的思考力もないとは。

 所詮は、突然変異種の化け物か」


 全く意味を為さなかった俺の牽制に眉一つ動かさなかったその青年は、僅かに嫌悪を滲ませながらそう吐き捨てると……直後に放った俺の左腕の『爪』を僅かに身体を傾ぐだけで躱し、ナイフを叩き付けてくる。

 まるで権能の隙間を探すかのように、手首足首太腿腹と斬りつけられるその不快感に、俺はその鬱陶しい阿呆を蹴り剥がそうと右足を叩き付けるものの……


「……ちっ、硬いのが取り柄の阿呆か」


 すぐさま軸足である左足に足払いを喰らい、バランスを崩した俺は見事にひっくり返ってしまう。


「……ってぇなっ!

 くそがっ!」


 自重によって床に叩き付けられる衝撃にそう叫びながらも、俺は起き上がる間も惜しみ……近くにいるだろう青年に蹴りを叩き込むべく右足をもう一度振り回す。

 とは言え、相手は達人級。

 怒り任せの俺の反撃を読んでいたらしく……倒れた俺へ追撃を加えるどころか、背後へと跳んで安全圏へと逃れていた。


「これは、どうしたものか。

 貴様を殺し切る武器がない。

 ならば、あの機械共の住処に押し入って何かを……」


「ふざけ、んなぁああああああああああああっ!」


 倒れている俺を無視したまま自分の考察に入る青年の、その人様を馬鹿にしまくった態度に激昂した俺は、起き上がりながらも近くに転がっていたタイルの破片を掴み、投げつける。

 時速にして二百キロほどは出ただろう、振りかぶることもせずに放った俺の投擲は、生憎と僅かに首を傾げるだけで躱されてしまう。

 だが、ダメージは全くなかったにしろ……その隙にこうして起き上がることだけは出来たので良しとするべきだろう。


「てめぇは、殺す。

 確実に、だ」


 そして、いい加減我慢の限界が来た俺は、右手に権能を集中させ……使い慣れた薄紅色の矛を権限させる。

 破壊と殺戮の神ンディアナガルの権能が一つ、紅の槍ランウェリーゼラルミアの亜種である『(チェン)(マォ)』だ。

 この達人級を屠るのに素手では少しばかり荷が重いが……手慣れた武器ならば、もう少し簡単に潰すことが出来るだろうと考えての行動だった。


「……馬鹿な。

 超能力、だと?」


 俺が武器を持ったことよりも、何もない空間から突如として塩の矛が生まれたことに青年は驚いて動揺を隠せない様子だったが……コイツにどんな事情があろうと俺には関係ない。

 そのまま大きく一歩を踏み込むと、右手の矛を力任せに大きく薙ぎ払う。


「……っ、何故、貴様が超能力を使えるっ!

 それは、我ら同胞だけにもたらされた、神の恩寵っ!」


 冷静さを失った所為だろうか。

 俺の放った横薙ぎの一撃を大きく跳んで躱した青年は、先ほどまでの超然とした態度を完全に失い、怒りか憎悪かによって端正だった筈のその顔を醜く歪めている。


「……まさか、喰って、得たのか?

 その能力……樹となったエドウィンのモノに似ている。

 そんな……そんな簡単なことで、神の恩寵が、得られる、のか?」


 この青年っぽい外見をした根っこの化け物がどういう思考回路でその結論に至ったのかなんて俺には分からない。

 分からないのだが……それでも何やら「別に自分が特別ではない」と思い知らされたような、そんな運命に裏切られたような絶望的な顔になったことだけは理解出来る。

 そして……


「う、うわぁああああああああああああああああああっ!」


 何をとち狂ったのか中尉とか呼ばれていたこの青年は、達人級の技能どころか超能力の存在すらも忘れ、ナイフ一つを力任せに振るいながら、凄まじい形相で俺に飛びかかってきやがったのだ。

 当然のことながら、幾ら達人級とは言え技量も冷静さも忘れ、ただ我武者羅に跳び込んで来たアホに、俺が負ける訳もなく……


「阿呆がっ!」


「ぎ、ぁ……」


 その突進に合わせるように俺の振り下した塩の矛は、見事に青年の肩口へとめり込み、その皮膚と筋肉を断ち切り、鎖骨どころか肋骨までもをへし折り、奥にあった肺腑を致命的な深度まで抉っていた。


「……これが、終わり、か」


 そうして、致命傷を負ったことでようやく我に返ったのだろう。

 青年は己の身体にめり込んだ塩の刃と俺とを見比べ、静かにそう呟いてみせる。


「……ああ。

 俺の、勝ちだ」


 敗者にかける言葉などないとは分かっているものの……青年が放ったその最期の問いに俺は静かにそう頷いてみせる。


「あの、神のお告げに従った、その末路が、コレ、か……。

 分かっては、いたんだ。

 力を得るために、人を殺せという神が……

 救いなど、もたらす、筈が、ない、と……

 だけど、私たちは……社会で、ただ静かに、死を待つだけの、私たちには……他に、選択肢など……」


「……ンデアナグアとやら、か」


 口から血を吹き出しながらも静かに懺悔を続ける青年に、俺はこの世界を滅ぼしたのだろう神の名を口にする。

 だが、その名はどうやら禁句だったらしい。

 青年は怒りと激痛に顔を歪めながら、自身の身体にめり込んだ塩の槍を握りしめ……喀血と共に吐き捨てるように言葉を紡ぐ。


「……ふざけ、る、な。

 それは、寄生虫共の、神の、名だ。

 私たちの、神に……名など、ない。

 私たちは、あの御方の、名前すら、教えて、貰わなかった、のだから……」


 そんな存在に何故命を賭してまで仕えた……などと尋ねるのは死者に鞭打つ行為だと思い、俺はその問いを呑み込む。

 男は最期の力を振り絞ったかのように俺の胸ぐらへと手を伸ばし……口から血をまき散らしながら、言葉を続ける。


「それでもっ、あの御方は、存在せぬ神などと違いっ、この通り世界を……文明を、見事に、滅ぼしてみせたっ!

 聖書(ディ・ビーベル)聖典(コラーン)などという、架空の神を信奉しての争いなどっ、何の価値もない、糞を捻り出す程度の行為でしかないとっ!

 その身を持って示して頂いたのだっ!」


 それは、青年の奥底にあった……恐らくは幼少期に刻まれた、精神的外傷(トラウマ)なのだろう。

 文字通り血を吐くようなその叫びに、末期を悟りそれでも消えぬ怒りに任せたその気迫に、俺は僅かに後ずさりながらも、胸に僅かな疑問を抱く。


 ──聖書(ディ・ビーベル)

 ──聖典(コラーン)


 何しろ、そんな……確実に聞いたことあるような、ちょっと発音が違うような単語が耳に入って来たのだ。

 疑問に思わない方がおかしいだろう。

 そして、その疑問は俺を「あり得ない筈の一つの仮定」へと導こうとする。

 だけど……


 ──この世界も、似たような歴史を辿ってきた、という訳か。


 俺はすぐさまその仮定を振り払い、そんな結論へと辿り着く。

 実際問題、宗教戦争なんてどこにでもある争いの一つでしかなく……そして、俺と重なり合うンディアナガルによってもたらされる翻訳の権能は、高性能すぎて意味が分からない時も多い。

 何しろ、別言語を使っている相手との意思疎通をリアルタイムで行うため、意訳というか、『理解出来ない単語』を俺が理解出来るよう『似たような別の何か』に置き換えることもあるのだ。

 だから、コイツの言っていた聖書やら聖典やらも、恐らくはこの世界で起こっていたのだろう宗教戦争を「俺が分かるように」単語を置き換えたものであり。

 俺の知っているキリスト教とイスラム教の戦争とは何の関係もない……筈なのだ。


 ──そう言えば、イスラム国ってのはどうなったんだろうな?


 アレ以来異世界を渡り歩いている俺は、向こうの情報を知る術もなく……だからこそ、あの時に俺が去って以降、あの国がどうなったのかすら分からない有様なのだ。

 まぁ、日本が相変わらず平和で、ご飯が大量に美味しくて、風呂に毎日入れるような場所であることに違いないというだけで俺にとっては十分であり……正直に言ってしまうと、他の国がどうなろうと俺にはあまり関係がないのだが。


 ──帰りたく、なってきた、な。


 そうして故郷である日本のことを思い出した所為だろう。

 急に俺は望郷の念に駆られ、この世界の平和もアリサたちの平穏も何もかもがどうでも良い……下らないものに思えてきてしまう。

 とは言え、一応顔見知りになり、俺のことを「ともだち」と呼んでくれる彼女たちを見捨てるのも目覚めが悪い。

 つまり、とっとと死にぞこない雑魚に引導を渡し、氷に閉ざされたこの世界から滅びの因子を葬り去ってやらなければならない。

 そうと決まれば、あとは簡単だった。

 俺は力任せに胴の半ばまで食い込んだ塩の矛を引き抜くと、傷口から噴き出す血を意にも介さず、その矛を振りかぶる。


「さぁ、最期に言い残すことはあるか?」


 とっとと終わらせると決めたにも関わらず、首を薙ぎ払う前に俺が青年に向けてそう尋ねたのは……ただの慈悲か、それとも人の命を奪う後味悪さを僅かでも軽減させようという姑息な心理によるものか。

 スヴェン中尉だったか……そんな名前で呼ばれていた青年のように見える超能力者は、俺のその問いに僅かに微笑むと……


「何も、ないさ。

 やるべきことは全てやり終えた。

 ああ、ただ一つだけ……

 祖国ドイツ(ドイチュラント)ビール(ビアー)を、もう一度、飲みたかった、なぁ」


 それが、男の口からその一言が零れ落ちた瞬間……俺は塩の矛を薙ぎ払おうとしていた自らの右腕を止めていた。


 ──ドイツ(ドイチュラント)、だと?


 異世界人であるコイツの口から、俺でも知っているその国の名前が出て来たのは、ただの気の所為……と言うか、ンディアナガルによる翻訳機能の所為に違いない、だろう。

 違いない、筈のだが……何となく。

 何となく……嫌な予感が付きまとって離れない。

 

「……そんな訳は、ない、よな」


 その嫌な予感を振り払うように俺は小さく呟くと、眼前の雑魚にさっさとトドメを刺すべく右腕に力を込め……

 だけど、真偽の判断もしないまま、重大な情報を握っているかもしれないこの青年の息の根を止めて良いかどうか……その判断が出来ない。


 ──違う、筈だ。

 ──恐らくは、認識阻害。


 似たような違う名前でないとすれば、この青年の能力……認識阻害によって「別の国の名前」を「知っている国の名前」だと思わされている(・・・・・・・)に違いない。

 そこまで分かっているというのに……俺は、眼前の超能力者へトドメを刺すという決断を下せない。

 そうして俺が躊躇っていた所為だろうか。


「早くっ!

 早く殺さないとっ!

 超能力者って連中(そいつら)は、危ないんだっ!

 さっさとトドメを刺さないとっ!」


 俺が逃げて来てないことに気付いたのか、それとも戦いの趨勢が決まったのを野生の本能で悟ったのか。

 いつの間に戻って来たのか、クロトのヤツが通路の奥からこちらへとそんな叫びを放ってくる。

 そうして叫びながらも、いつでも逃げられるように腰が引けている辺り……臆病というか生存本能に忠実というか。

 そんなクロトの生態は兎も角、彼女の姿を見て守るべきものを再認識した俺は、眼前で膝を突いたまま動かない、肩口から血を吹き出し続けた所為で血が足りなくなったのか、顔色が蒼白になっている青年へと視線を移す。

 青年はまだ生きているとは言え、傷口からの血は徐々に勢いが落ち始め、更には傷口が塩へと化し始めていて……このスヴェン中尉とか呼ばれていた男の生命力は、そろそろ限界に近づいているようだった。

 無駄に苦しめるのも残酷かと思い、いい加減にトドメを刺すべく俺が矛を構えた……その時だった。


「……てめぇ、何だ、それは」


 出血によって認識阻害の能力が途切れた所為か、それともコイツが故意に能力の使用を止めた所為だろうか。

 破れた青年の服の間から見えたその「空っぽの腹の中」に、家庭用ゲーム機くらいの大きさの、機械のようなものが埋め込まれていたことに……俺は今になってようやく気付く(・・・)

 そして、その黒い機械には堂々と、黄色い丸印に三つの羽のような……何処かで目にした記憶のある、危険極まりないマークが印されていて……


「私たちの神に……あの腐り切った社会を破壊してくれた至高の御方に、貴様を捧げる。

 ……私一人では死なん。

 何もかも私と共に吹き飛び……あの御方の贄となれ」


「……核、だとぉっ?

 クロトっ、早くここから逃げ……」


 スヴェン中尉とかいう青年がそう嗤い、その凶悪極まりない狂信の笑みを見た俺が、トドメを刺すことも放棄して出来るだけこの場を離れようと青年に背を向け……

 ふと通りの奥に見えた棘だらけの少女の顔に、そんな忠告を告げようとした……その瞬間だった。

 凄まじい光と共に凄まじい衝撃が俺の全身へと叩き付けられ……


2017/12/20 22:20現在


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