伍・第四章 第五話
──どういう、ことだっ?
頭上から振り下された戦斧を、右手に握る塩の槍で何とか防ぎながら、俺は自問を繰り返す。
とは言え、相手の攻撃でバランスを崩している現状では、上から落ちてきた戦斧の一撃を弾き返すことは出来ず……何とか戦斧の軌道を逸らすことしか出来なかった。
「ぐぁっ……ぺっぺっ」
俺が逸らした戦斧は砂地を叩き、その所為で周囲に砂塵が吹き上がる。
舞い上がった砂塵に気付き、何とか目を閉じることには成功した俺だったが……地を叩いた戦斧から伝わってきた凄まじい衝撃につい悲鳴を上げた所為で、口は大量の砂埃を吸いこんでしまう。
慌てて唾を吐き出し、口の中の気持ち悪さに一瞬だけ気が緩んだ……その瞬間だった。
「……そこかっ!」
「~~~っ、う、わあああああぁぁぁ、ぶべっ!」
砂塵の中から不意に戦斧の尖端が現れたかのが一瞬見えたかと思うと……その直撃をわき腹へと喰らった俺は、重力を無視するほどの角度で思いっきり真横へと吹っ飛ばされていた。
どうやってかは分からないが、この機甲鎧は砂塵の中の俺を察知できるらしい……そう気付いたのは、吹っ飛ばされた身体が砂の上を3600度ほど回転し、その直後に砂地に叩き付けられてから五秒ほど経った後のことだった。
──何が、起こった……いや、寝てる?
吹っ飛ばされて混乱の極みにあった俺は、そう自問自答した直後視界一面に広がる青空を見てようやく、自分が砂漠の上に仰向けに寝転んでいることに気付く。
すぐさま戦闘の途中だったことを思い出し、慌てて立ち上がろうとする俺だったが……
「……ぐ、がっ」
身体を起こした直後、わき腹に走った激痛によって動きが硬直してしまう。
どうやらあの機甲鎧の戦斧は、破壊と殺戮の神ンディアナガルの権能に護られた俺を殺すほどの威力はないようだったが……それでも息が詰まるほどの激痛を与えてくる。
ンディアナガルの権能によって護られているこの身体の頑丈さにはそれなりに自信があったのだが……さっきみたいな直撃をもう数発ほど喰らったとしたら、流石に耐えられる自信がない。
──しかし、どういうこと、だ?
衝撃でふらつく身体に喝を入れ、右手に握ったままの塩の槍を杖代わりに使って立ち上がりながら、俺はさっき頭の中に生まれた自問を再度繰り返す。
そもそも……リリとテテニスの名を知っている相手なんて、ほとんどいやしない。
テテニスは娼婦として機師として、そして悪名高い「機師殺し」としてそれなりに名が売れていたかもしれないが、リリの名を知っている人間なんてほとんどいる筈がない。
機甲鎧を乗り回せて、「黒」に所属していて、しかも二人を知っているなんて、俺の眼前で死んだテテニスか、テテニスの客だったおっさん……やはり俺の眼前で息絶えたあの機師しかいない筈だ。
だが、二人とももうこの世にはいない上に……眼前の機甲鎧は『何処かで聞いたような男の声』を発していたのだから、その正体は男なのだろう。
そして、俺の持つ無敵の権能を突破するほどの破壊力を……いや、俺相手に防御を無視してダメージを与える能力を有している。
そんな存在なんて、この砂の世界に存在している筈が……
「……くそっ、頭が……」
吹っ飛ばされた所為で三半規管がいかれたのか、立ちくらみを覚えた俺は武器を持っていない左手……異形と化したその左手でふらつく頭に手を当てる。
とは言え、平衡感覚がおかしくなっている所為だろう。
「……っ」
異形と化した左手の爪が恐竜のように鋭く尖ったものになっていたのを忘れていた俺は、少しばかり目測を誤り、その爪で額を軽く切ってしまう。
ちくりとした痛み……俺が今までの戦いで受けた「刺激」ではないその痛みに、俺は思わず眉を顰めるものの……
──待て。
──待て待て待て待て待て。
……不意に。
不意に俺は、先ほどまで考えていた全ての要素を満たす存在があることを……そのたった一人の存在を思い出していた。
だが、俺はすぐさま首を左右に振り、その思いつきを否定する。
……だって、あり得ないだろう?
幾らリリとテテニスの存在を知っていて、破壊と殺戮の神ンディアナガルの持つ無敵の権能を突破することが出来るのが「自分自身」だけ、だからと言って……
幾らあの地下世界で記憶を共有する大量のアリサを目の当たりにしたとは言え、その挙句に分裂で増えて記憶まで引き継いでいる大勢のシナミを見て来たとは言え……「俺」はあんな単細胞生物擬きなんかじゃないのだ。
勝手に増殖したり分裂したりする訳が……
だが、俺のそんな自問自答を、禍々しい戦斧がその重量をもって叩き壊す。
「ようやく、気付いたかぁあああああああああっ!」
いや、壊したのは俺の思い付きを肯定しているのだろう、その叫びの方か。
少なくともコイツが考えていることが何となく俺に分かるように……そのどうしようもない殺意と憎悪が感じ取れるように、コイツも俺の考えていることが分かるのだろう。
尤もその変な察知能力のお蔭で、完全に呆けていた筈の俺は、その迫りくる戦斧を何とか躱すことが出来たのだったが。
「……馬鹿、な」
だけど今……そうして一撃を躱せた幸運すらも霞むほどの悪意と嫌悪とが、俺の脳裏を支配していた。
戦斧の射程圏外へと後退した俺は、そう小さく呟きながらも、身体の内から湧き上がってくるそれらの凶暴な感情に呻き声を漏らすことしか出来やしない。
その反応を見てか……それとも俺の感情を察知できる所為か、コイツは今の俺が抱えている凄まじいまでの嫌悪と殺意を察したらしい。
「どうした、『俺』。
……気付いたんだろう?
だったらそんなところで震えてないで……さぁ、殺し合おうぜ?」
乗組員のいないその黒き機甲鎧は、そんな言葉を吐きながらも自分の胸甲を軽く叩き……戦斧を軽々と持ち上げ、何気ない様子で構える。
言われてみれば何処か見覚えのあるその戦斧の扱い方を目の当たりにさせられた俺は、小さく奥歯を鳴らすと……
身体の奥底から湧き上がってきた感情のままにただ叫ぶ。
「違うっ!
違う違う違うっ!」
……気持ち悪い。
……許せない。
……吐き気がする。
……苛立たしい。
……眼前から消し去りたい。
──存在の根底から、抹消してやりたいっ!
眼前の存在が「俺」……いや、「俺」の一部だと気付いた瞬間の自分の中を言葉にするならばそんな感じだろうか。
ただこの黒き機甲鎧が眼前に存在しているだけで憎悪と殺意が湧き上がり……気付けば俺は左手の『爪』を、ただ力任せに大きく振るっていた。
「ははっ!
……その程度かっ!」
だが、俺が相手の思考を読めるように、相手にも俺の思考が筒抜けなのだろう。
『爪』を振るうその瞬間に、まるでそれを知っていたかのように機甲鎧が左前へと滑り込み……肩の装甲を若干犠牲にするだけで、『爪』を躱してみせたのだ。
その事実……俺の攻撃で相手が死ななかった事実に……いや、力を振るっても相手が思い通りにならなかったという事実に、俺の怒りと殺意はますます膨れ上がっていく。
「黙れっ!
口を開くなっ!
その薄気味悪い声を、俺に聞かせるなぁああああああああああっ!」
嫌悪感を振り払おうとして、俺はただ叫ぶ。
その機甲鎧から零れ出る……最悪最低の声を聞きたくない一心で、『爪』に権能を込めて必死に振るう。
「それは、こっちの台詞だ、このクソ野郎がぁあああああああああっ!」
尤も、俺の嫌悪も殺意もコイツと共有する類のモノだったらしく……俺の振るう『爪』を躱しつつも、そんな嫌悪感を催す雄叫びを上げながら、眼前の黒き機甲鎧は戦斧を叩き付けてくる。
「ちぃいいいいいいっ!」
渾身の力で『爪』を振るい、体勢が崩れていた俺は槍でその戦斧を防ぎ……体重差によって吹っ飛ばされる。
だが、その浮遊感による恐怖も、腕に伝わってくる痺れも……この殺意の前では些事に過ぎない。
「くそがぁあああああああああああっ!」
ごろごろと吹っ飛ばされた俺は身体中に降り注ぐ砂塵も、おかしくなった平衡感覚も意に介すことなく、ただ怒りのままに叫びつつ『爪』を振るう。
「……がぁあああああああっ!
俺の、俺の腕がぁあああああああああっ?」
体勢が無茶苦茶だった所為か、それとも揺れる視界で強引に『爪』を振るった所為か。
眼前のクソ野郎は、放った自分ですら予期できなかったその『爪』の軌道は流石に察することが出来なかったらしく……俺の一撃はあっさりと機甲鎧の左腕を吹き飛ばす。
「見たか、このクソ野郎がぁああああああああああああっ!」
敵の腕を奪ったその喜びに俺は喜びの声を上げるものの……相手もまた、認めたくはないが俺と似たような『最悪最低の存在』だったらしい。
「たかが、腕一つ程度っ!
何を勝ち誇ってやがらぁあああああああああああっ!」
直後に失われた左腕を虚空へと翳すと……そこから塩の結晶が浮き上がり、そのまま機甲鎧で創られた左腕が生えてきたのだ。
その破壊と殺戮の神ンディアナガルの権能に良く似た再生能力を目の当たりにして、俺の顔は嫌悪と激怒に歪む。
「何、腕、生やしてんだよ、てめぇえええええええええええええっ!
素直に死んでやがれぇああああああああああああああっ!」
「黙れぇええええええええええっ!
この、クソ野郎がぁあああああああああああああああああっ!」
憎い相手が思い通りに死なない……そのフラストレーションで声が荒れる、罵声が零れる。
そして、技術も痛みも戦略さえも、憤怒と殺意が全てを押し流す。
頭上へと叩き込まれた戦斧を怒りに任せて額で受け止めると同時に、血が流れるのも意に介さず、俺は左手でその戦斧を捩じ切る。
「貴様ぁあああああああああっ!」
「うぜぇ、このクソがぁあああああああああっ!
とっとと死にやがぁぁあああああああああああっ!」
武器を失ったことに苛立ったのか、眼前のクソが俺に向けて拳を叩き込む。
顔面ごと砂に叩き込まれた俺は、痛みも砂の不愉快さも忘れ、起き上がりながら右拳を機甲鎧の右足へと叩き込む。
人智を超えた俺の一撃は機甲鎧の装甲を砕き、そのフレームを叩き折るものの……直後に叩き込まれた右拳が俺の顔面を撃つ。
「ってぇなぁ、このやらぁあああああああああっ!」
揺れる視界を強引に押し切り、その顔面に触れる不愉快な拳を異形と化した左手でねじ切った直後、俺はそのまま右拳を機甲鎧へと叩き込む。
その一撃は左腕でガードされたのだが……本気で放った俺の拳を機甲鎧の装甲と膂力程度で防ぐことなど出来やしない。
機甲鎧は俺の数百倍はありそうな体重差も関係なく、俺の拳一つで吹っ飛んで砂の上を転がっていく。
「ははっ、ざまぁねぇな、クソ野郎」
口の中に入った砂塵を唾と共に吐き捨てながら、俺はそう嗤う。
俺の一撃を受けて吹っ飛んだ機甲鎧はよろよろと蠢くものの……流石にもう立ち上がることも叶わなくなったらしい。
それもその筈で……既に右足は折れ砕け、右腕は千切れ、左腕も砕けている始末である。
幾らお互い権能によって再生が出来るとは言え、俺が本気の殺意を叩き込んだ以上……その殺意混じりの権能が妨害し、再生も儘ならなくなっている筈だ。
「どうした?
この程度か?」
両の手と右足を失っても未だに戦意を失わない、その黒き機甲鎧へと歩み寄った俺は、先ほど捩じ切った機甲鎧の左腕を相手の眼前へと放り投げ、そう尋ねる。
尤も、それは相手を慮るような気遣いなどではなく、ただの挑発でしかなかったが。
こうして相手が戦闘力を半減させ、もがく様を見てもまだ湧き上がる……抑えようもないほどの殺意と嫌悪。
その所為で自分が冷静さを失っていることも、さっさとトドメを刺さずに要らぬ問いかけを発するという愚かな行為をしているのが自分でも分かるものの……
それでも、この眼前の機甲鎧を見て湧き上がる嫌悪と殺意は抑えようがない。
「さえずるな、屑がっ!」
「ああ、そうかよっ!」
それは相手も同じだろう。
手足と共に戦闘力を失い、もう泣いて慈悲を乞うしか出来ない有様でありながらも、俺にそう殺意と嫌悪を叩き付けてくる。
とは言え、そんな殺意を向けられた俺の反応など決まりきったもので……俺は無慈悲に起き上がることさえ出来ない相手の左肩へと蹴りを叩き込み、その装甲を砕いていた。
「何故、殺せない。
この砂しかない世界に……貴様から切り離されっ。
一人きり残された俺が、三十年っ!
三十年も、鍛え上げた、この力で……何故っ!」
だが、その蹴りで流石にどうしようもない力の差を悟ったのだろう。
黒き機甲鎧は地に這いつくばったまま、折れた左腕で砂に爪を立てながら……そんな泣き言を吐き始める。
──三十年?
最近どこかで聞いたことのあるようなその一言だけは今一つ理解出来なかったものの……今になってようやく俺は相手の正体を悟っていた。
──ランウェリーゼラルミアの呪い、か。
あれは腐泥の世界でラーフェリリィが口にした言葉だったか、「権能の一部を僅かながらに置き去りにする」という呪い。
その呪いによって、俺の権能と一緒に自意識の一部が切り離され、この砂だらけの滅んだ世界に置き去りにした……それこそが、この黒き機甲鎧の正体、なのだろう。
腐泥の世界で最も使った権能である蟲にあの時に切り離された権能の一部が変化したと考えれば……この砂の世界での権能が機甲鎧の形を取ったのはそう不思議なことではない。
……何のことはない。
コイツが『俺自身』だったからこそ、リリとテテニスの存在を知り、ンディアナガルによる無敵の権能を持つ俺にダメージを与えられた、という訳だ。
尤も……その事実を認めるのは、吐き気に似た嫌悪感を催すのだが。
「くそがぁっ、力が……力が足りねぇっ!
コイツを……リリを、テテを死に追いやった、コイツを殺す、力がっ!」
敗北を悟った筈の機甲鎧……いや、切り離された俺の一部は、そんな呪いの言葉を吐き出していた。
その叫びは理不尽極まりなく、あの滅びの……知人友人同居人全てが死んだ責任を自分以外の誰かに押し付けるという、どうしようもない代物であるが……その気持ちは分からなくはない。
──認めたく、ないのか。
俺自身が失敗した所為で、テテがあの蟲皇ンガルドゥームの前で散り……遠征から帰ってきてみればリリたちが強盗によって殺されてていた。
俺に豪勢な料理を振る舞おうと少し羽振りの良い姿を周囲に見せつけたばかりに、だ。
未だに俺も二人の死には納得できていないし……あんなクソのようなシステムで都市を管理していた貴族という名のクズ共を許すことは出来やしない。
たとえその代償として……連中全てに「蟲の餌」というあの世界で最悪の死に様をくれてやったとしても、だ。
──だから、分からなくはない。
機甲鎧に宿った権能の塊であるコイツの言葉を信じるならば、三十年間……コイツが自責のあまり、本体である俺と別の存在だという結論に達し、そして俺を恨み続けていたその気持ちは、分からなくはないのだ。
……だけど。
「俺は、貴様を、認めない。
その存在の根底から、消し潰す」
俺の一部だったというコイツが煽り立てる嫌悪感、かき立てる殺意と憎悪……そんなものがある以上、俺は「コイツの存在そのもの」を認められる訳がない。
異形と化した左腕に『爪』の権能を込め、恐らく今まで相対した敵に向けた中でも最も冷たいだろう視線を向け、そう告げる。
「ああ、俺もだ、クソ野郎っ!」
そして、その黒き機甲鎧からの返答も、俺と同じ……嫌悪と殺意と憎悪を抑え切れない、どうしようもない叫びだった。
その言葉を耳にした俺は、静かに目を閉じると……
「だから、死にやがれ、このクソがぁあああああああああああああああっ!」
それを隙と見たのだろう。
黒き機甲鎧が残された左足に権能を集中させたかと思うと、その先端部を鋭利な剣へと変化させ……その足を俺へと突き込んできた。
とは言え、俺たちが元々同一人物である以上、そしてお互いの感情を共有できる以上……そんな破れかぶれの不意を突くだけの奇襲が通用する訳もない。
「甘ぇんだよ、この、馬鹿がっ!」
俺はその蹴りに大して右拳を叩き付け……刃に叩き付けた拳から血が噴き出すことすらも意に介すことなく、その刃ごと左足を真正面から殴り砕く。
そうして相手の四肢を砕き終え、無防備になったその眼前に立つと……権能を込めた左腕をゆっくりと大きく振りかぶる。
「クソぁあああっ!
数多の死者に呪われたまま、殺し続けっ!
そのまま地獄に落ちやがれっ!
この頭の逝かれたクソ野郎っ!
この畜生がぁあああああああああああああああっ!」
「てめぇこそ、死ねよ、このクソ野郎ぁあああああああああああああっ!」
そして俺は、最期の一撃を真正面から叩き潰され、絶望のあまり呪詛を吐き続けるしか出来なくなった無力な達磨の鉄くずへと左腕の『爪』をまっすぐに叩き込み……その存在の根底までもを完全に殺し尽くしたのだった。
2017/10/12 22:08現在
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