第五章 第二話
二日が経ち、ようやく怪我と体力が回復した俺は神殿を出て集落を歩いていた。
目的と言えば、次の戦いのことをバベルのヤツと相談するためなのだが。
(……ちっ)
相変わらず、俺を恐れ敬うサーズ族共が鬱陶しい。
蝿に集られた気分になった俺は内心で舌打ちしていた。
下手に話しかけたり触れようと近づいたりしないから良いものの……そうだったら虫を潰すように数人は肉塊にしていた自信がある。
(……しかし)
何と言うか、僅かに違和感を覚えた俺は足を止めて周囲を見渡す。
相変わらず集落に残されているのは非戦闘員の婦人や老人ばかりで特に俺の興味を引くようなモノはなく。
変わっていることと言えば……彼らが向けてくる視線が、最初戦闘に勝った頃と比べ、どうも不穏当と感じるくらい、だろうか。
それに数日前よりは、妙に足音が周囲に響き渡るような……
「……気のせい、か」
サーズ族を救った救世主である俺に、憎悪や殺意が向けられる訳もないだろう。
それらの視線を、俺は肩を軽く竦めることで無視すると……そのままサーズ族たちに拝まれる中、バベルの家までたどり着く。
「よっ」
「これは、破壊神さま」
俺が顔を出すと、彼らは相変わらず軍議の真っ最中だった。
と言うより、彼らにはそれ以外やることもないのだろう。
……畑は塩害でほぼ滅んでいるし、猟をしようにもこの乾き切った世界には、ろくに獲物もいないのだから。
「今日は何の御用でしょう」
ロトのヤツが俺を見るなり顔色を窺うように話しかけてくる。
その表情は、俺が次の災厄をもたらすと確信しきっているようで、微妙に腹立たしい。
「次の戦争の話をしに、な」
「……無茶ですって!
幾らなんでもそりゃ無理だっ!」
俺の言葉に悲鳴を上げたのは未だに片腕を包帯で吊ったままのゲオルグのヤツだった。
「先の戦いだって無茶苦茶で、生き延びたのだってギリギリだったんだ!
貴方様は俺たちを地獄まで引きずり込むつもりですかい!」
俺は悲壮感たっぷりに悲鳴を垂れ流すゲオルグを無視すると、正面のバベルへと視線を向ける。
「ああ。確かにもうサーズ族の兵士がいない。
前の戦いが快勝とは言え、それでも死者が二〇は出た。
しばらくは戦えない怪我人もその倍はいる。
残り一〇〇にも満たぬ兵では……あの城を落とせるハズもない」
……とはバベルの言葉だった。
「……あの城?」
「べリアの居城です。
『最後の領主』を名乗るべリア族の長が住む、古の時代に造られた巨大で強固な石の城に連中は巣食っておりまして……」
ロトは口惜しげにそう呟くと地図を指差して見せた。
前にも見た、四角で覆われた×印。
前に襲撃をした村との距離を考えると……此処から丸一日ほど歩けば届く距離だろう。
「そして連中には痛打を与えている。
……もう一〇年は攻勢には出られないだろう。
食糧も冬を越せるほどは奪えたし、我々にはもう戦う理由が……」
「そして、一〇年後に滅ぼされるのか?
このまま座して皆殺しに遭うと?」
バベルの言い訳を俺は一刀両断する。
俺の言葉に、この場にいる誰一人として反論してこなかった。
──当たり前だろう。
サーズ族はべリア族に比べて総数で負けている。
技術力で負けている。
生産力で負けている。
……今は俺の力で互角に戦えても、一〇年後にもう一度戦うと負けるのは確実で。
「ですが、攻めていっても勝てる訳が……」
……だけど。
ロトが恐る恐る告げた通り、戦争を継続するほどの力が彼ら自身にないのもまた事実だった。
(……けど、それじゃ困るんだよな)
戦士たちの顔色に厭戦の気配が広がっているのを感じ、俺は内心で一つ舌打ちをする。
正直、俺は彼らの未来なんざに興味はない。
俺の興味はただ一つ……あの小生意気な戦巫女エリーゼを叩きのめし、我が物にすることのみ。
──そのためなら、コイツらサーズ族の戦士たちが幾ら死のうが知ったことか。
「俺が突っ込む。
城壁をぶち壊し、連中を掻き乱し、戦意を挫こう。
お前たちは混乱した連中を刈り取るだけだろう?
何を恐れる必要がある?」
自信満々に勝利を騙る俺の言葉に、サーズ族の戦士たちは少しだけ活力を取り戻す。
──実際、今攻めなければ……一〇年後に彼らが滅ぼされるのは事実なのだ。
慎重なハズのバベルでさえ、何の保証もない俺の言葉に頷きかけるほど……彼らは追い詰められていた。
俺の言葉でこの室内の空気が一気に次の戦闘を強行する気配を見せ始めた……その時、だった。
「だから、無理だって!
あんたはあの城を見たことがないからそう言えるんだ!
絶対に死ぬ! 間違いない!
ハリネズミのように全身を射抜かれるんだ!
そんな死に方、俺は御免だ! なぁ、お前たち!」
悲壮感たっぷりに叫ぶゲオルグの言葉で、その城とやらを攻略する難しさを思い出したのか、サーズ族の戦士たちの顔には恐怖の色が浮かび上がっていた。
まるでゲオルグの恐怖が伝染していくかのように。
(……このままじゃヤバいっ!)
そう思った俺は、喚く大男を黙らせるべく、反射的に右拳を振っていた。
軽く放ったつもりの俺の拳は……彼の頭蓋をあっさりと叩き割り、周囲に脳漿をぶちまけさせる。
(──あ?)
その光景に呆然と俺は「ゲオルグだった物体」と「真っ赤に濡れた自分の拳」を見つめてしまっていた。
……誰でもなく、自分自身が殺したのだ。
──武器を手にした敵ではなく、言葉を交わしたこともある顔見知りを、この手で。
その事実は意外にも俺の心に重くのしかかってくる。
後悔と自責の念が胸の奥から湧き上がり……手が震える。
が、俺がここで後悔しても自責の言葉を発しても……もうゲオルグという名の大男が生き返る訳もない。
それどころか、俺が後悔する様を見せて常人らしく振舞ってしまうと、俺への信仰が薄れ……べリア族の本拠地へ戦争をしかける話がふいになってしまうかもしれない。
……それだけはダメだった。
──俺は、あのエリーゼを手に入れるために、ここにいるのだから。
「少し黙っていろ、この敗北主義者がっ!」
「……っ!」
こうなったら仕方ないと……俺が威厳を保つために咄嗟に出て来た言葉は、まるでナチス映画のヒトラーを真似たような、酷い独裁者のような叫びだった。
そう吐き捨てた俺を見て、サーズ族の戦士たちは息を呑んで黙ってしまう。
彼らは仲間の死を眼前で見せらたにも関わらず、俺に対して復讐をしようという気配もなく、どうやら俺に付き従ってくれるようだった。
……ゲオルグの一族であるハズの戦士たちでさえも。
と言うより、彼らにはもう他に選択肢がないのだろう。
──彼らはもう次の戦いに勝利しないと、ただ座して死を待つ未来しかないのだから。
「では、明日出発ということで。
当然のことながら、総力戦しかありませんが」
「ああ。後は頼む」
バベルの言葉に俺は一つ頷くと、自分のしでかした惨劇から目を背けるかのように、鉄錆の匂いが充満した彼の家を慌てて立ち去った。
……俺の背中へと恐怖と憎悪の籠められた視線が向けられていることにも気づかないままで。