肆・第八章 第七話
「お、おいっ?」
槍によって胸を貫かれた……明らかに致命傷を負っている『雷帝』の、力の抜けた身体を抱き留めた俺は、慌ててそう呼びかける。
正直、無駄だとは……彼女がもう助からないとは分かっていたのだが、仮にも自分の女にしようとした女性が、今にも命尽きようとしているのだ。
数多の死を見てきたこの俺も、流石に無感動・無関心ではいられない。
そんな俺の腕の中で、確実に致命傷……いや、即死だろうと思われた女帝は、意外にもその閉じていた瞳を開き、俺に向けて力のない笑みを浮かべてさえ見せた。
「ぁ、ああ。
我、愛人。
すま、ぬ、な。
……失敗、で、あった、わ」
「い、いやっ。
お前は、よく、やった。
死人兵は、倒れたからなっ!」
そんな彼女の、最期の力を振り絞ったような声を聞いた俺は、必死の思いで取り繕うにそう告げる。
事実……彼女の最期の雷撃により、死人兵たちは倒れたまま動かなくなっていて……彼女はその役目を十分に果たしたと言える。
「そ、そう、か。
……なら、妾も、そなたの、妻と、なれ……」
「……ああ。
お前は、俺の、女、だよ、招弟」
『雷帝』の……招弟の何処となく安堵した声を聞いた俺は、せめて安らかな最期を迎えさせるため、そう告げながら、その身体をゆっくりと抱き寄せる。
年増で、あまり好みではないと……正直、半ば邪険にしていた自覚のある相手だが、流石にこの状況では嫌悪感すら湧き上がることなく、自然と抱き寄せることが出来た。
意外とその身体は小さく、そして温かく……
「……そう、か……」
ただ衝動的に抱き寄せただけではあるものの……俺の体温は自分が思っているよりも遥かに、彼女にとって安らぎになったのだろう。
胸を貫かれた招弟は、静かにそう微笑むと、そのまま全身の力をすっと抜き……
次の瞬間、その身体から色が抜け、彼女の肉体だったモノは同質量の『塩の塊』へと変貌し……やがて原形を留めないほど、静かに崩れていってしまう。
──何が、起こった?
眼前の少女……黒目黒髪の少女がこれをやったとは思えない。
……いや。
俺の中にある破壊と殺戮の神ンディアナガルによるいつもの「確信」が……あの『雷帝』をその権能ごと「自分のものとした」と伝えてくる。
「……ほぉ。
その女の異能を……『神果』を女ごと喰らうとは。
流石は、世界を三つも飲み干した化け物だけはある」
「……何なんだ、貴様、は」
招弟という名の、自分の女の最期を見届けた俺は、そこでようやく彼女の仇を……輿の中に座り込んでいた少女へと視線を向ける。
少女は黒目黒髪で、和服のような服装を身にまとい、右手には白髪で白い瞳をした生首を抱え、左手には槍を持っていた。
その十歳を少し超えたくらい……鈴とそう大差ないだろう少女の雰囲気は、何処となく浮世離れていて……
はっきりと言ってしまうと、文字通り「人間離れした」気配を発している眼前の少女は、俺の視線をまっすぐに受け止め、真正面からこちらを見つめてくる。
その上、殺気を込めた俺の問いに対しても眉を動かすことすらなく……驚く様子も、脅える様子すらも見せることなく、悠然とした態度を崩そうともしない。
「……貴様が、『无命公主』か?」
状況から考えて、この少女こそが戦いの元凶……世界を滅ぼそうとしている諸悪の根源だと判断した俺は、右拳を腰溜めに構えつつ、そう尋ねる。
もし眼前に座ったままの黒髪の少女が一つでも頷いた瞬間に、その身体を肉塊へと変えてやるために。
……だけど。
「なぁ、ンディアナガル。
オレの双子の妹に……リリィに勧められたこの世界はどうだった?
なかなか楽しめただろう?」
少女は、明らかに『无命公主』では……この世界の王では分かる筈のない、そんな言葉を平然と口にしやがったのだ。
「……え、ぁ?」
「この世界はたった一つ……「力」こそ全て。
戦と暴力、生と死の狭間にある世界。
実に素晴らしい世界だろう?」
俺の戸惑いを置いてけぼりにしたまま、少女は口を動かし続ける。
「尤も……こうしてお前と遊ぶために殺し尽くしてしまったけどな。
あ~、また適当に親父のところから攫って来て……人を増やさなきゃな」
だが、その言葉は不遜極まりなく、そしてとても人を人とも思わない、外道極まりない代物で……
「……貴様、は」
そのお陰で、俺は何となく眼前の少女の正体を悟っていた。
この大上段からの物言い、人間とは思えない気配、それに何より……あの『雷帝』でさえも鮮やかに斃したその技量。
そんなヤツ……創造神を置いて他にいる訳がないっ!
俺は知らず知らずの内に半歩下がり……警戒を最大にして眼前の少女を睨み付ける。
「オレの名は、蘭花冠。
まぁ、正確にはランファクェーニって名前なんだけどな。
こっち風にそう名乗った方が……雰囲気にあっているだろう?」
俺の挙動で正体がバレたことを理解してたのだろう。
少女……恐らくは少女の身体を乗っ取った創造神は、ゆっくりと立ち上がり、槍を肩に担ぎながらそう名乗る。
その言葉で眼前の少女の正体が確認できた俺は、慌てて口を開く。
「何故、俺たちを攻める?
何故、こんなことをするっ!」
実際、理解出来なかったのだ。
この場所に……この雷によって焼け焦げた輿こそは、俺たちの城を攻めて来た死人兵の本陣であり、総大将がいる場所なのだ。
基本的に創造神って連中は現世には無関心で、世界を滅ぼした後にようやく出て来るような連中ばかりだった筈なのだが……状況証拠的に考えると、コイツこそが世界を滅ぼそうとした、俺の城を攻め落とそうとした張本人で間違いないだろう。
「言っただろうっ!
お前と遊ぶため、だとなっ!」
少女の姿をした神は、その槍を軽く振り回し、俺に向かってそう笑いかける。
その声は、さっきまでの神の威厳は何処へ捨てたのか、子供がただ楽しそうに笑うような、明るく無邪気な声だった。
「殺しが好きだ。
戦争が好きだ。
だから、この世界を創った。
浮島という限られた世界に人を増やし続け、人々が次から次へと争い合い殺し合う。
そんな素晴らしい世界にしたのさっ!」
少女は、無邪気で愉しげな……まさに子供そのものという笑みを浮かべながら、そんな凄惨な言葉を口から吐き出す。
その有り様は、まさに神、だった。
遥か格上から地上の虫けらを見下し、自分のエゴで好き勝手に殺し弄び笑う……まさに超越者そのものと言えるだろう。
「だけど、足りないんだっ!
人の殺し合いを見るだけじゃ足りない。
人同士が戦争しているのを見るだけじゃ足りない。
オレ自身も参加してみたいっ!
でも、オレの力じゃ……人間と争い合ってもすぐに殺して終わってしまう。
何とかオレと戦える相手を作り出そうと、『神果』を……異能を与え続けたんだが、生憎とオレに比肩する相手なんて、誰一人として現れやしなかった」
そのまま神は言葉を続ける。
右手に持っていた白髪の女の生首を俺に向かって突き出しながら、愉しげな笑みを浮かべたままで。
「だから……お前が来た時、好機だと思った。
この屍を操る女の力を奪い、次々と殺し続けたっ!
忠実なオレの兵で……お前と、こうして、戦争して遊ぶために、なっ!」
少女がそう言い放った瞬間、だった。
全く動こうとしなかったランファクェーニの手の中にある女の生首が、突如として目をギョロっと動かしたかと思うと……
「殺す殺す男を殺す兵を殺す。
私を辱めた男共を全て殺す。
私を貶めた女共を全て殺す。
私を騙した父母を殺す。
私を救わなかった祖父母を殺す。
かつて男だった老人を殺す男になる子供を殺す。
次の男を生む女を殺す男共を生んだ老婆も殺す女になる子供も殺す」
白い髪の生首が誰へ向かうでもない、呪詛混じりの気が狂っているとしか思えない声を、ブツブツと呟き始めたのだ。
……そして。
その呪詛に応えるかのように周囲に倒れたままだった死人兵が、いきなり動き始め……俺を意に介すこともなく、まっすぐに左扇の城へと向かい始める。
「……てめぇ。
何を、しや、がった?
何を考えてやがるっ!」
「この女の……『无命公主』の『固定』を解除しただけだよ。
だから、コイツは忠実に自分の欲望を叶え始めただけ、さ。
この世界の生きとし生きる者、全てを殺したい、という、ね」
俺は、背後の……自分が守るべき城へと死人兵が向かっているのを見て、必死の問いかけを放つ。
尤も、その怒声にも少女は全く揺らぐことなく……ただ『无命公主』だと思われる白い髪の生首を片手でお手玉のように扱いながら、愉しそうにそう言葉を返すだけだった。
「ああ、感謝してほしいな。
さっきの女……貴様が『喰った』あの女も、貴様と最期の逢瀬をさせてやろうと、槍を突き刺した瞬間に時間を『固定』してやったんだ。
ま、ちょっとした手品の一種でしかないんだけどな」
どうやら先ほどの……招弟が胸を貫かれたというのに俺が駆けつけるまで死んでいなかったのは、コイツが変な気を利かせてくれたから、らしい。
しかし、何故だろう?
全く、感謝しようという気に、なれやしない。
「……そんな、気を利かせるヤツがっ!
何のためにっ!
こんな……世界の全てを、殺し尽くすようなことをするっ!」
「だから言っただろう?
……お前と遊ぶため、だって。
えっと……お前の女がオレに王手をかけて、んで、返り討ちにしたところ、だっただろう?
ま、ちょいと中断して言いたいことを言わせて貰ったが、それももう終わったし……後は途中だった戦争を、こうして再開したってだけさ」
ランファクェーニという名の創造神は、笑いながらそう告げる。
まるで日本にいた頃……学校の教室で誰かが携帯ゲームを遊んでいて、ちょいと言いたいことがあるから適当に中断して、また再開したかのような。
そんな適当な口調で中断し、そして……またゲームと同じ感覚で始めようと言うのだ。
俺の背後にある左扇の城を……俺の管事である諸や、副官である慈、何となく庇護下に置いてある七、そして鈴、雨《ユィ》衣の餓鬼共。
遊び半分で、俺の護るべきものがある場所を……アイツらを、あの死人兵で殺し尽くそうとしているのだ。
「てめぇええええええええええっ!
さっさと、死人共を止めやがれぇええええええええええっ!」
それだけは許す訳にはいかない俺は、そう吠えると……渾身の権能を込めて『爪』を発動させる。
何の遠慮も呵責もなしに、眼前の少女に向けてそれを叩きつけようと、振りかぶり……
「うん、この生首を……『无命公主』を潰せば、死人たちは止まるよ?
だから、さぁ……かかっておいで?
戦争を、始めようっ!」
……だけど。
黒髪の少女という姿をした創造神はそう俺にアドバイスをしたかと思うと、ほとんど膨らみも見えない薄い胸を張り……直後、背中に光り輝く翼を展開する。
右の翼と左の翼が一枚ずつと、腰から突き出た一枚の尾翼……合わせて三枚の翼を。
それは決別の合図だった。
俺の必死の説得を……言葉での解決を嘲笑い、力ずくで己の意を通せという、何よりも雄弁な合図。
だからこそ俺は、言葉での解決を諦め、渾身の力を込めて右拳……『爪』を真正面へと突き出した。
「喰らい、やがりゃぁああああああああああっ!」
「あははははははははははははっ!」
俺の渾身の一撃を前にランファクェーニが取った行動は、手にした槍を真正面から振り下ろすという……非常識極まりない行動だった。
何しろ、俺の一撃は創造神ラーウェアを貫き、ランウェリーゼラルミアを切り裂き、ラーフェリリィを抉ってきた一撃なのだ。
たとえ創造神であろうとも、あっさりと砕ける、筈、なのに……
「……馬鹿、な」
「っつつつ。
流石に、パワーは凄いなぁ、うん」
それを、このランファクェーニという創造神は、槍の一撃であっさりと切り裂いたのだ。
……いや、違う。
「あ~あ、あれ、直すのって面倒だってのに……
ったく……馬鹿力にもほどがあるだろう」
俺が放った『爪』の一撃は、狙いを逸れ……少女の背後にあった『雷帝』の島を大きく抉っていた。
抉り取られてバランスを崩したのか、浮島からは幾つもの破片が剥がれ……ゆっくりと下へ落ちていくのが見える。
──防いだ訳でも、無効化した訳でもなく……
──上手く一撃を逸らしやがった、のか。
この「受け流し」という技術は、こちらに来てから、何度か喰らったことはある。
だけど……まさか俺の放つ『爪』を受け流すような常識外れの存在がいるとは、想像だにしなかった。
「どうしたどうしたどうしたっ!
次は、オレの番だなぁあああああああああっ!」
「ちぃいいいいいいっ!」
コイツは手ごわい。
一瞬でそう悟った俺は、左手に『塩』の権能を発動させて紅の槍を具現化すると、眼前の翼を持った少女が放ってきた槍の一撃を弾き返す。
だが……その抵抗すらも、創造神の予測の範疇だったらしい。
「はっ、ははっ、はははっ!」
「く、くそ、うぉぉぉっ?」
渾身の力で槍を弾き返した俺へと迫ってきたのは、弾いた筈の槍の切っ先で……つまりが俺が塩の槍を引き戻すよりも、弾かれたコイツの槍の方が速かった、という訳である。
要するに、俺の防御を読み切り、弾かれるに任せて力に逆らわず、むしろその弾かれた勢いを次の一撃を放つ予備動作としたのだろう。
次の一撃、二撃は反射神経で何とか逸らすことが出来たものの、三度目の突きを防ぎ切ることは流石に叶わず……創造神が突き出した槍の切っ先は、俺の右肩を抉り取る。
「ぐ、くっ」
直後、右肩には焼け付くような激痛……聖剣によって皮膚を切り裂かれたいつぞやの感覚が走る。
ふと視線を向けてみると、服が見事に切り裂かれ、ゆっくりと血が滲み始めている。
「……いてぇな、畜生が」
「何だよ、そりゃ。
こっちは渾身の一撃だったってのにさ。
まぁ……大将首を挙げなくても、城を落とせばオレの勝利なんだけどなっ!」
「くっ、くそったれぇあああああああああっ!」
その言葉を聞いた俺は、敵から目を逸らすことになると承知の上で、背後へと視線を向け……視線を戻した瞬間、眼前に迫っていた槍の一撃を左腕で受け止める。
左腕に痛みは走るものの……所詮は皮膚一枚に過ぎない。
それよりも今は……
──どう、すれば良いんだっ!
さっき三合ほど打ち合っただけで分かったのだが……槍の技量では、この創造神を名乗る少女の方が圧倒的に上。
幸いにして先ほどの『爪』の一撃によって、『雷帝』の島は大きくズレ、『塩塔』からは少し離れてしまい……つまりコレ以上の援軍が訪れることはない、と思われる。
……とは言え、それでも既に俺の領土に上陸している死人兵だけで三千は超えているのだ。
それが脇目も振らず一直線に左扇の城を目指していて……現在、既に城壁へと取りつき始めており、俺の部下たちによって、矢と槍で叩き落とされ始めたところだった。
地の利がある以上、すぐさまあの城が陥落することはないだろうが……それでも相手は死ぬことも疲れることもない死人兵である。
いずれ、守備隊は押し切られる、だろう。
「こう、なったらっ!
蟲ども、出てきやがれぇえええええええええっ!」
「おおお。
これがランウェの世界の、蟲というヤツかっ!」
俺の手が離せないなら、俺以外のヤツが城に迫る死人兵を狩れば良い。
そう考えた俺が放ったのは、『蟲』の権能だった。
蟲共は俺が考えた通りのサイズ……長さ十メートル直径が一メートルほどの、要するに人間を頭から喰らうのに最も適した大きさで、それが四指から放たれるように具現化すると、俺の内心での命令通りまっすぐに周囲の死人兵へと向かって行く。
爪の先程度の対価で具現化したそれらの蟲は、それでも人を喰らうには十分過ぎるほどの強さを誇っていたらしく……真っ先にたどり着いた一匹が、すぐさま近くの死人兵へと喰らいついたかと思うと、その甲冑を着込んでいる筈の死人兵の上半身をあっさりと食い千切る。
上体を失った死人兵は臓物をぶちまけ、残った下半身はカタカタと痙攣していたものの……心臓を失った以上、そう長くは動き続けないだろう。
その蟲は餌に気分を良くしたのかすぐさま近くの死人兵を跳ね飛ばしながら、次から次へと人間の死体を喰らい続け、他の蟲もその一匹に追従するかのように獲物へと襲い掛かり始める。
丸呑み、左半分齧り、上体を食い千切る、押し潰す等々……被食者と捕食者という、生物としての格差を見せつけるかのように、蟲共は死人兵を次々と肉塊へ変え続ける。
……だけど。
──何故、動かない?
その有様を見ても、周囲の死人兵は四匹の蟲に対して一切反撃する様子を見せなかった。
いや、創造神を名乗る少女すらも、槍を構えたままニヤニヤと薄笑いを浮かべるだけで、蟲共に手を下そうとはしない。
「……どういう、つもりだ?」
「すぐに分かるさ」
訝しげな俺の問いに、ランファクェーニがそう呟いた、その時だった。
先行して死人兵を蹂躙していた一匹の蟲が突如として「白い泡」を吹き出し始め……死人兵を蹂躙していたその身をいきなり翻したかと思うと、俺の方へと凄まじい勢いで突っ込んで来て……
「なっ、何がっ?」
原因不明のその急激な方向転換に対応できず、硬直してしまった俺の肩へ……そのまま喰らいついてきたのだった。




