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【完結済】ンディアナガル殲記  作者: 馬頭鬼
肆・第七章 ~王~
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肆・第七章 第七話


「……ぁ?」


 (チェン)が繰り出した異能……目に見えぬ透明の刃と、王の持つ黒き剣。

 体勢、タイミング、膂力と全てが堅に有利でありながら……先に届いたのは『黒剣(ヘイチェン)』の持つ黒き剣の方だった。

 ……いや、違う。

 王の放った黒き刃は、自らへと放たれていた透明の刃を抵抗もなく切り裂いて、堅の身体へと突き刺さったのだ。

 堅が放った……初めて目の当たりにした透明なその剣状の異能が弱かったかというと、そうではないだろう。

 何しろ、『黒剣』が切り裂いた先端部が飛んでいった先……見えないので予測でしかないが、恐らく飛んで行っただろう先の朱塗りの柱に、突如としてつむじ風が巻き起こり、直後に爪跡のような大きな傷が発生したのだから。

 それは明らかに鋭利な刃物で深く抉り取られていて……刀の鋭さと斧の重量を兼ね備える『何か』が切り裂いたとしか思えない、そんな傷だった。


「く、そ、ったれ……」


 黒き剣をその身に受けた堅は小さく呟くと、まだ戦意を失ってないのか、すぐさま左腕を振りかぶり……流石に激痛に耐えかねたらしく、腕を王に向かって振り下ろすことなく、そのまま膝を突く。


 ──致命傷、か。


 怪我した相棒を救うべく立ち上がりかけた俺だったが……(スン)(チェン)の正装が真紅に染まっていく様子を見て、傷の具合をすぐさまそう判断する。

 ……判断、出来てしまう。

 医者でもない俺がそんなことが可能になっているのは、今までに四つの世界を旅し、数多の戦場を歩き、屍の山を築き上げた所為だろう。

 そして、その判断が出来た所為で、慌てて立ち上がろうとしていた俺は、膝立ちの姿勢のまま動きを止めていた。

 今さら助けようとしたところで……アイツの命を救うことがもう不可能だと分かってしまったからだ。

 そうして力尽きた堅の左腕からは、使おうとしていた暗器……鉄の鉤爪や鏢、黒い縄までもが零れ落ちる。


「……阿呆が。

 我が異能……『黒剣(ヘイチェン)』は異能を断つ剣。

 最後の最後で、迂闊に異能などに頼らなければ……

 そんな女子供が頼る程度の百戯(パイシィ)などに頼らなければ……貴様は今頃、栄光と勝利を手にしていたものを……」


 それらの暗器を見た『黒剣』は、静かにそう吐き捨てる。

 事実……あの戦いの最後の一瞬、堅のヤツは一瞬「溜め」に硬直し、その直後にようやく異能を発動させていた。

 言われてみれば、確かに王の言う通り……アイツの技量であれば、鏢を突き出したなら一瞬の「溜め」すら不要だろうし、その一瞬の間に鉤爪で咽喉を狙うことも、黒い縄で動きを封じることも可能だった筈だ。

 自分でもそれが分かっているのか……激痛に脂汗を浮かべながらも、堅のヤツは軽く笑ってみせる。


「……ああ、そうだろう、な。

 だが、俺は……アレを、見ちまった……」


 堅はそう呟きながら、何とか身体を起こそうと動き始める。

 だが、血を流し過ぎたのか足はその身体を支えることは叶わず、その上、折れた右腕は支えにならず……立ち上がることすら出来ない有様だったが。


「貴様は、見た、ことが……ある、か?

 たったの、一撃で……数千もの、兵を、薙ぎ払う、最強の、異能を」


 それでも、まだ勝利を……いや、戦いを捨てる気にはならないのだろう。

 堅のヤツは左手に透明の剣らしき異能を発動させ、それを杖替わりにして何とか立ち上がる。


「体格も、腕力も、技量も、体捌きも、何もかもを、無意味と、化す……あの、化け物の、一撃を。

 アレを見て、俺は……小細工の、限界を、悟った、のさ。

 ……だからこそ、親父のヤツに、実験として、植え込まれた、この異能を……

 疎んでいた筈の、百戯に過ぎない、この異能を……最後の、最後で、頼っちまった」


 明らかに致命傷と分かる血を流しながら、それでも一歩一歩と王の懐へと引き摺るように足を運びながら……孫堅のヤツは自嘲気味にそう呟く。


 ──待て。

 ──待て待て待て。


 鈍い俺でも、何となく分かる。

 コイツの言っている「最強の異能」というモノが、あの時……『雷帝(レイディ)』との戦いの時に放った、俺の『爪』であることが。


「だが、それでも……

 最強を、王を望む一人として……負けたままでは、許されない。

 あの時……あの村で、渾身の一撃を、難なく止められて以降、俺は、アイツに、勝とうと、……比肩する、存在になろうと、研鑽を、積んで……

 だが、アイツは、そんな俺を遥かに、飛び越し……」


 流石に意識が朦朧としているのだろう。

 堅の言葉は意味をなさなくなってきて、今自分が戦おうとしている相手が、黒き剣を構えた王であることすらも、理解出来ているのかどうか。

 そんな堅の言葉を聞いた俺は、コイツが今まで何度か、気まぐれのように顔を出し……俺と戦う筈だった強者と刃を交え、ついにはこの王へと挑んだ「動機」を、今頃ようやく理解する。

 つまり……コイツが戦う動機全ては「俺と同等の強さを手に入れる」ため。

 そのために、戦奴として矛を振るい、戦場に付き合い、元王である将と刃を交え……そうやって自分の強さを測っていたのだ。

 そう考えると、結局のところ……


 ──コイツが死ぬ原因になったのは……


 この俺、ということになるんじゃないだろうか?


 ──いや、違う。


 俺は首を振ることで、浮かび上がってきた自分の考えを振り払う。

 一人の男が、その命を賭けて選んだ道だ。

 その生死を誰かの所為と考えること自体、傲慢極まりない……アイツの生き様を冒涜する思考でしかないだろう。

 ましてや、そんなヤツの「仇を取ろう」とか考えること自体が烏滸がましい。

 そう考えた俺が、相棒を討たれた怒りによって知らず知らずの内に握りしめていた拳を解いた……その時だった。


「や、やめて下さいっ!

 勝負なんて、もう、ついている筈ですっ!」


「か、母さんっ?」


 血まみれの情人を、流石に見かねたのだろう。

 堅のヤツの愛人であり、(リァン)の母親だった筈の女性が突然、果し合いの最中に飛び出してきたのだ。

 男を背中に庇いながら、涙目で必死に訴えるその姿は……まさか堅のヤツが力ずくで強引に奪い取った女性であるなんて、とても思えなかった。

 そして、絶対に敵わない相手……どころか、一矢を報いるための刃すら持たずに身体を投げ出すその姿は、まるで一枚の絵画のように美しく……


 ──羨ましい、な、畜生。


 命を投げ出しても惚れた相手を庇う、その女性を見た俺は……思わずそんな、場違い極まりない感想を抱いていた。

 あの女性の出身や立場、今までの経歴……そして、容姿や年齢など全てが俺の好みから外れているにもかかわらず、出来れば俺も彼女のような恋人を見つけたいものだと、心の底から願うほどに。

 ……だけど。


「女風情がっ!

 男の決闘を汚すなっ!」


 力こそ全ての世界で、王にそんな美談など意味のないモノだったらしい。

 俺が立ち上がる暇すらもなく、『黒剣』の持つ右腕が一瞬ブレたかと思うと……


「……ぁっ?」


 ……悲鳴は、上がらなかった。

 恐らくは痛みも感じなかったのだろう。

 三十を幾許か過ぎた辺りの……結局名前も知らなかったその女性の頭が、ゴロリともげ、直下へと落ちる。

 直後に頭部を失ったその首から……恐らくは頸動脈から、凄まじい勢いの血が噴き上がり、その勢いにバランスを崩したのか、身体がゆっくりと後ろへと傾ぐ。


「き、さ、まぁああああああああああああああああああっ!」


 その返り血を浴びて意識を取り戻したのだろう。

 孫堅が激怒の叫びを上げ……手にしていた透明の剣を眼前の憎い仇へと、渾身の力で叩きつけるべく、大きく振りかぶる。

 だが……達人同士の戦いで、その怒りは隙以外の何物でもない。


「阿呆が……

 色如きに我を忘れるなど……」


 フェイントも何もない、ただ力任せに振るう異能の刃を、異能をかき消す『黒剣』が苦にする訳もなく……

 そう小さく吐き捨てると同時に、黒い剣はその透明の刃ごと、堅の首をあっさりと断ち切っていた。


「……堅っ!」


 この世界へたどり着いたその日から、相棒として共に過ごしてきた男の最期に、俺は思わず立ち上がってそう叫ぶ。

 右拳の周囲には、知らず知らずの内に塩の塊が発生し、パラパラと零れ落ちていて……

 皮膚に触れた空気が「死んで」塩と化しているのか、それとも抑え切れない権能が塩を生み出しているのか……理屈も分からないまま、俺は拳を強く握りしめる。


「おおおおっ!

 流石は我らが王っ!」


「あの難敵を相手に、深手も負わず討ち果たされるとはっ!」


「凄まじく出来る挑戦者ではありましたな。

 いや、勿論、我らが王の敵ではありませぬが……」


 そんな『黒剣』の背後に立つ兵たち……恐らくは、王が連れてきた親衛隊みたいなモノだろう男たちは、彼らの王の強さをそう口々に讃えていた。

 彼らからしてみても、堅は凄まじい存在だったらしい。

 その称賛の声に……俺はまたしても怒りが若干鎮火するのを感じていた。

 この世界は「力こそ全て」というクソみたいな世界ではあるが……だからこそ、その価値観にだけは礼を示し、敬意を払うところがある。

 それはそれで一つの価値観だと、俺は心の何処かで認めてしまったのだろう。

 負けたヤツが悪で、力のないヤツが悪……そういうルールの世界も、数多ある世界の中に一つくらいあっても構わないのだと……


「母さん……。

 ね、ねぇ、こんなの……何かの、じょうだん、よね?

 だって、母さんはおくびょうで、あの日もわたしを助けようともしなかったのに……

 なんで……ねぇ、なんでよぉ?」


 そんな俺の目の前では……いつの間に近づいたのか、鈴が倒れた母親の頭をかき抱き、そう呟いていた。

 その身体は返り血に塗れ……それでも、生みの母を見捨てられないのか、それとも悲しみの余り自分が何処にいるのかも理解していないのか。

 もしくは母親だった女性に告げたい何かがあるのか……少女は完全に混乱していて、まさに呆然自失という有様だった。


「お、おいっ!

 (リァン)っ!」


 その姿を見た俺は、たとえ自称にしろ妻と名乗ってくれた少女を守ろうと、必死に前へと踏み出す。


「まだ、無粋なゴミが紛れ込むか。

 ……雑魚は、引っ込んでいろっ!」


 そんな俺の姿に気付いているのかいないのか、『黒剣』はそう吐き捨てると、その右手の黒き剣を真横へと薙ぎ払い……


「……ぐっ!」


 破壊と殺戮の神ンディアナガルの権能を使い、無理やり跳んだお陰だろう。

 俺の右腕は、何とかその異能を切り裂くという黒き剣を受け止めていた。

 尤も、その異能を切り裂く能力の所為か、俺の右腕は斬撃を完全に防ぎ切れなかったらしく……右下腕に僅かに切り裂かれた痛みが走る。

 痛みに視線を向けてみると……どうやら皮膚一枚だけが斬られたらしく、血が一滴、腕を流れ落ちていくところだった。

 とは言え、そんな腕の痛みよりも「無理な体勢で跳んだ反動」によって右足と腰が軋んでいて……そっちの方が遥かにキツい訳ではあるが。


「……ほぉ。

 今のを防ぐか。

 硬気功(イン・シィコン)とは凄まじいモノだな、おい」

 

 右腕一本どころか皮一枚しか斬れなかった俺の腕を見て、『黒剣』は楽しそうにそう笑う。

 事実、先ほどは男女ともにその首を、硬い筈の脛骨ごと何の抵抗もないように容易く斬り裂いたのだ。

 この王の技量ならば、腕一本など「斬れない方がおかしい」のだろう。

 だが今の俺は、そんな王の称賛すらも理解出来ないほどに追い詰められていた。


「……ぐ、くっ」


 今の妨害を首輪が「王に逆らう行為」と判断したらしく……首元が、急に締まってきたのだ。

 その所為で息が詰まり、立って少女を庇うことすら出来ないほど……徐々に増していく咽喉の苦しさは、あっさりと俺の意思を挫き始めていた。

 知らず知らずの内に四肢の力は緩み……俺は立つことも叶わなくなり、ついに床に膝を突いてしまう。


「だが、その礼忠の首輪がある限り、私には逆らえぬようだな。

 ならば……王として命じてやろう。

 その決闘を汚すゴミを、とっとと片づけよ」


 そんな俺を滑稽と思ったのか、自分の手を汚す価値もないと判断したのか。

 『黒剣』は俺を見下したまま、そう静かに言い捨てる。


 ──片づける?

 ──決闘を汚す……ゴミ?


 その王の言葉に、俺の視線は自然と近くにあった血だまりへと……その真ん中に座り込んだままの、涙でその顔中を濡らし、悲しみでその顔中を醜く歪め、嗚咽でその顔中を真っ赤に染めた、一人の少女へと向かっていく。

 そして、自然と……鈴の悲しみに濁った、力のない、絶望に淀んだその瞳と視線が合う。

 直後に俺の右腕が、そのゴミ……(リァン)という名のゴミを片づけるべくゆっくりと眼前の細い首へと伸ばされ……


「くそがぁああああああああああっ!」


 その事実を理解した瞬間、俺の口からは自ずと、怒りに満ちた雄叫びが吹き上がっていた。

 湧き上がる怒りのまま、右拳を力任せに握ると……それでも少女へと動こうとする右腕を、ただ膂力に任せて自分の咽喉元へと叩きつける。


「……ぐ、ふっ」


 破壊と殺戮の神ンディアナガルの権能であっても、自分の攻撃は防ぎ切れない。

 だからこそ自分の拳を自分の咽喉へ叩きつけたその衝撃で、俺は息が詰まる感覚に呻き声を漏らす。

 とは言え、この下らない首輪に訳の分からない命令を強制されるよりは……この手で今まで共に過ごした少女を「片づけてしまう」よりは、遥かにマシな苦しみでしかない。

 そのまま俺は、咽喉の衝撃が消えない内に、指を首輪へと引っかけ……次の瞬間、今までの比ではないほどの苦しみが俺を襲う。

 ……だけど。


 ──こんな程度の苦しみ如きで……

 ──俺を、止められると思うな、よ……


 歯を食いしばりながら、心の中でそう吠える。


 ──大体……何が、王だ。


 王とは人の上に立つ存在。

 誰よりも強く、誰からも慕われ、弱者を助け、情に縛られず公平である。

 少なくとも俺は……そういう存在になりたいと思う。

 餓鬼の頃、俺が憧れた……恐らく、男の子であれば誰でも一度は憧れるような、王様とはそういう存在だった。

 だからこそ……


「てめぇみたいな王なんざ、この俺が認めねぇええええええええええええええええええええええええええええええええっ!」


 俺は、ただ激情のままにそう吠えると……力任せに俺を縛り付けていた、鬱陶しい首輪をもぎ取ったのだった。


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