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【完結済】ンディアナガル殲記  作者: 馬頭鬼
肆・第七章 ~王~
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肆・第七章 第五話


「私はな……優秀な者に対しては、常にそれなりの報酬を与える必要があると思っているのだ。

 特に、比類なき強さを誇る者には、な」


 この左扇(ツォシャン)の城の最も奥まった位置にある謁見の間。

 その最上段……玉座のような城主が座る椅子に腰かけながら、我らが王である『黒剣(ヘイチェン)』はそう語る。

 その中肉中背の壮年は、その代名詞となっている黒い剣と数十騎のみを伴い、この左扇の地へと訪れたのだ。

 謀反を起こされることなど、考えてもいない……いや、もし起こったとしても、叛乱など自らの剣技で押し潰せるという絶対の自信を持っているのだろう。

 相変わらず強気でフットワークの軽い、一国の王とはとても思えない行動である。


 ──(ツー)のヤツも、珍しく驚いていたっけか。


 どうやらこの『黒剣』という王は、アイツの智略をあっさりと飛び越してしまうらしい。

 その知らせを聞いた途端、「遠征の準備を始めようとしたのですが、敵の首魁が飛び込んできたので宴会の準備に変更しますっ!」と叫んだアイツの一言は、まさに諸が混乱の極みにあることを、俺に教えてくれていた。


 ──とは言え……


 こうして王が単騎に等しい有様で懐へと飛び込んで来ているのだ。

 この世界の支配者である『四帝(スゥディ)』を討った……自分より強い力を持つのだろう、この俺の前へと。

 『雷帝(レイディ)』を打ち負かし、その領土を力ずくで分捕ることで、領土と私兵の数、農地での生産力でさえ、『黒剣』を圧倒してしまっている、今のこの俺の前へと……僅か数騎のみを率いて、である。

 正気の沙汰とは思えないものの……その度胸には敬意を払うべきだろう。 

 そんな思いを胸に抱きつつ、俺はこうして平伏する姿勢を取り、王と対面している訳ではあるが……


 ──大丈夫だ。

 ──俺たちはまだ叛乱を起こすと決めた訳じゃない。


 ……そう。

 あれから数日が経過した今でも、俺はまだ……決断を下せずにいた。

 何故かあの日以降、我が城に住み着いてしまっている『雷帝(レイディ)』なんかは何度も煽りに来ていたし、相棒である(チェン)も珍しく矛を振るう姿を人目に晒すほど鍛錬に勤しんでいたくらいである。

 そんな二人を王の前に立たせるのは、流石の俺でも拙いと感じたために、この謁見の間に二人の姿はない。

 その代わりと言ってはなんだが、俺の周囲には副官である(ツー)を始めとする数人の部下……あと槍持ちとして常に近くに立たせてある(ロー)が大刀を手に控えてある。


 ──コイツらなら、大丈夫だろう。


 慈は中立を宣言していたし、魯のヤツに至っては権力や腕っぷしを気にする様子すら見せない……よく言えば浮世離れした、悪く言ってしまえば覇気のない男である。

 王を前にしても、迂闊なことを漏らしたりはしない……筈だ。


 ──今、コトを起こすのは得策じゃない。

 ──何しろ……まだ俺の、心の準備が出来ていないからな。


 俺は配下の面構えへと僅かに視線を向け、内心でそう呟く。

 実際の話……俺に、王になる覚悟がない、訳じゃない。

 正直な話……俺に、王になる自信がない、訳じゃない。

 ただ、何故か踏ん切りがつかないまま、漫然と日々を暮し続けていただけで。

 とは言え、この場合は幸いと言うべきだろう。

 俺が今、こうして反乱を起こすべきかどうかを悩んでいたとしても……まだ俺が何も行動していない以上、眼前の王が気付く道理などないのだから。

 王の突然の訪問による動揺の所為か、普段の三割増しほどで脈打っている自分の心臓をそう宥めつつも、『黒剣』が此処に来た理由について、軽く探りを入れてみようと俺が決意した……まさにその時のことだった。


「……そうだな。

 これほどの武功を手にしたのだ。

 その方が、我が領地の全てを欲してもおかしくはないよなぁ」


 王より唐突に放たれたその言葉は、俺の内心を読み切った……訳ではなく、恐らくは「カマをかけた」だけだったのだろう。

 とは言え、眼前の壮年に内心を読まれないようにと必死になっていた俺は、一瞬、自分の身体が硬直するのを……抑え切れなかった。

 そして……その一瞬の硬直は、俺が必死に隠していたこと全てを声に出すよりも雄弁に語っていたのだ。


「ははっ。

 やはり貴様もか、皇帝(ファングィ)よ。

 予想よりも使える部下と思っていたが……まぁ、貴様にも言い分はあるだろう。

 では、話を聞かせ……っ!」


 当然のことながら……叛乱を企てていると悟られてしまった以上、眼前の王に対して口先三寸の弁解など、通じる訳もない。

 と言うよりも此処は、「口を動かす暇があるならば斬りかかる」のが正しい世界である。

 眼前の玉座に座っていた筈の『黒剣』は、そういう意味では「この世界の常識」と「人の心理」を理解した上で行動する、まさに王の中の王だと言って過言ではないのだろう。

 何しろ、弁明を聞いてくれそうな……そんな気などない癖に語りかける素振りを見せ、弁明が通じると期待させて気が緩んだ、その瞬間を狙う形で斬りかかってきたのだから。

 

「ぅぉおおおっ?」


 その一撃を俺が避けられたのは、ただの偶然だった。

 一瞬だけ、しかも僅か数センチだけ『黒剣』の右腕が下へと下がる……その予兆を感じ取った俺の身体が、ほぼ無意識の内に緊急回避を選択。

 破壊と殺戮の神ンディアナガルの権能によって増幅されている筋力を使い、背後へと必死に跳んだお陰で、何とかその斬撃を回避できただけ、なのだから。


 ──あれ?


 とは言え……避けられたと思っていたのは間違いだったらしい。

 胸元が横一文字へと避けていて……皮膚がちりちりと痺れているのが分かる。

 恐らく……『黒剣』の斬撃が、皮膚一枚のところを掠めた、のだろう。


「ほぉ……今のを防ぐとは。

 思ったよりも楽しめそうだ」


 そんな俺の行動に、『黒剣』は唇の端を吊り上げ、愉しそうにそんなことを呟きながら、ゆっくりと俺にトドメを刺すべく歩み寄ってくる。

 敵陣の……俺の領土のど真ん中だというのに、その足取りは自分の庭先を散歩するように軽やかなものだった。

 恐らくこの王は……殺し合いも果し合いも、裏切りも下剋上も当然という世界で生きてきたのだろう。

 だからこそ、こうして……何の気負いもなしに土壇場を歩くような真似が出来るのだ。


「お、おいっ!

 ほらっ、皇帝(ファングィ)っ!」


 無手のまま、『黒剣』に追い詰められている俺を見かねたのだろう。

 槍持ちである魯のヤツが、手にしていた大刀をこちらへ向けて放り投げてくる。

 俺はソレを手に取ると、鞘から引き抜き、正眼に構え……


「かっ、はっ……」


 突如、締まってきた咽喉の違和感に息を詰まらせる。


 ──何だ、こりゃ。


 ソレは……別に痛みがある訳じゃない。

 ただ静かに咽喉を締め付けて来て、息が少し苦しい程度だからだろう。

 しかし、だからこそ俺と重なり合っている破壊と殺戮の神ンディアナガルの持つ「無敵の権能」は、その首輪を無効化してはくれず……咽喉の違和感は今、確実な障害と化して俺の行動を妨げていた。


「……ちっ。

 下らん。

 さっさと終わらせて……っ?」

 

 敵を前に武器を構えもせず、咽喉へと気を取られた俺を見て、『黒剣』はそう吐き捨てると、俺へとその手に持った黒い剣を振り下ろそうとして……

 突如、身体を左へと傾けると、背後へとバックステップをして俺から距離を取っていた。

 咽喉の違和感ごと眼前の王を消すべく、『爪』を発動させようとしていた俺としては、いきなり標的がいなくなった形となった訳だが……


「誰だっ!

 一騎打ちを妨げるとは無粋なっ!」


 俺の意図を知ってか知らずか、そう叫んだ『黒剣』の左腕には、金属製の小さな刃物が突き刺さっていた。

 アレは、確か鏢とかいう投擲に使う小刀の一種だった筈で……その鏢を投げた犯人はすぐに見つかった。

 何しろ、いつの間に入ってきたのかこの謁見の間の入り口に矛を手に立ち、その上、自ら名乗りを上げたのだから間違いようもない。


「悪いな。

 だが、ここで割り込まないと、てめぇの首がなくなるだろうからな」


「……(チェン)?」


 その青年は、いつもの飄々とした相棒と同じ顔ながら……明らかにいつものアイツとは様相が異なっていた。

 毎日毎日寝起きさながらだった、ぼさぼさの髪は整えられ、日ごろから寝間着を着ているのかと疑うような雑な服装とは違い、今日は明らかに「将」が着る代物だと思われる正装を身にまとっていて……更に、いつもやる気のまるで見られなかった顔は見たこともないほど引き締められ……

 大地から軸の通ったその姿勢と、特に重さを感じさせずに矛を保持する腕を見るだけで……分かる人ならば、コイツが達人級だと察することが出来るだろう。


「……ほぉ。

 前座にしては、楽しめそうだな」


 当然のようにそれを理解した『黒剣』は、未だに首輪の影響に悩む俺から視線を逸らすと……左腕に刺さった鏢を引き抜きつつ、堅の方へと身体を向ける。


「堅っ!」


「母さんっ!

 こっちは、危ないってっ!」


 ふと背後からの叫びに視線を向けると、そこには(リァン)と、その母……堅のヤツの愛人にされていた女が立っていた。

 恐らく、アイツの様子を見てこれから果たし合うと察し……見届けに来たのだろう。

 その顔は悲壮一色に染められ……二人がそういう関係になった経緯は、かなり無理やりだった覚えがあるが、意外と二人は上手くやっていたんじゃないだろうか?


「……堅。

 本当に、やる気か?」


「ま、見てな、相棒。

 俺がお前と並ぶ……王になるところを」


 俺の問いに堅は振り返ることもなく、軽く左手を上げると……

 矛を両手に構え、真正面で待ち構える王へと向き合った。


「くっくっく。

 この王に……『黒剣』に勝てると思っているのか?

 あの男の下に仕える程度の、雑魚如きが」


「まぁ、貴様には因縁もあるんで、なっ!」


 『黒剣』の挑発に敢えて乗ったのだろう。

 先手を打ったのは堅だった。

 その横薙ぎの矛の斬撃を、『黒剣』は軽く上体を仰け反らすだけで避け……


「……なるほど、な。

 ただの雑兵ではないらしい」


「ちっ。

 突っ込んで来てたら一発かましてやれたのに、なっ!」


 俺の目からは、ただ堅が大きく空振りをした直後に一回転して正面を向いただけ、でしかなかったが……この世界の兵たちにとっては違う世界が見えていたらしい。


「今の隙に王が踏み込んでいたら、死角から龍星錘(ロンシンツィ)が直撃していた、な。

 それを見切り足を止めた王も王だが……」


「……暗器か、エグいな、アイツ」


 いつの間にか傍らに来ていた慈と魯の会話を耳にした俺は、堅の様子をじっと観察する。

 そうすると確かに、少しゆったりとしたアイツの袖から、何やら紐が一本垂れ下がっているのが見える。

 その先にあるのは、数センチほどの鉄の錘で……あの大きさじゃ直接の致命打にはならないものの、アレが死角から直撃すると、一瞬意識が飛んでもおかしくはない。

 どうやら堅はわざと空振りを見せて自らの背を囮にした上で、踏み込んできた相手の側頭部……死角を狙い龍星錘を振るっていた、らしい。

 俺には全くその錘の軌跡どころか、あの相棒のヤツがいつその鈍器を袖から出したかすら分からなかった訳だが……


「だが、これはどうするっ!」


「真正面からっ!

 舐めてっ、やがるっ、のかっ!」


 次に動いたのは『黒剣』だった。

 真正面から堂々と距離を詰めると、その代名詞となる黒い剣を振るい、堅へと襲い掛かる。

 だが、その斬撃速度は凄まじい上に、フェイントや斬撃軌道の変化など、高等技術のオンパレードで……まさにこの世界の王とはこういう存在であることを見せつけるような、そんな連続攻撃だった。

 正直な話、俺は最初に『黒剣』がいつどうやって距離を詰めたかすら察知出来なかったし、次々と振るわれる斬撃を遠くから見てすら追いつけない有様である。

 ……だけど。


「アレをっ、防ぐかよっ」


「……アイツも、化け物だぜ」


 その斬撃を、堅のヤツは真正面から矛で防ぎ逸らし躱し……一歩も退こうとしない。

 正直、アイツの武器は矛で、王の武器は剣なのだから……距離を取った方が有利に戦いを進められるのは間違いない。

 それが分かっていても一歩も退かないのは、ただの意地か……それともこの程度で退けば、あっさりと勢いに飲まれると分かっているからか。


 ──本当に人間か、コイツら……


 何よりも恐ろしいのは……両者が相互に必殺の刃を交し合っているというのに、「甲高い金属音が一度も響いてこないこと」だろう。

 お互いがお互いに、武器同士を正面衝突させて刃が毀れるのを嫌っているらしく、さっきから金属がぶつかり合う音は響かない。

 ただ金属同士の擦過音らしき音は、時折響き渡っていて……それは恐らく、斬撃の軌道上に「刃以外の部位を置く」ことで、相手の斬撃を逸らしている音、だと思われる。

 これこそが、いつかどこかで学んだことわざで言うところの……「鎬を削る」というヤツじゃないだろうか。

 結局、二十合ほど斬撃を交し合った二人はどちらともなく背後へと跳び、五メートルほどの距離を取って睨み合う。


「おい、どう見る?」


「恐らくだが……王はまだ楽しんでいる、ように見える。

 逆にアイツは……まだまだ余力を残しつつも、王ほどの余裕はない、気がするな」


 背後で魯のヤツがそう問いかけ、我が副官の慈は頬に汗を流しながらも、そう答えていた。

 戦力分析は正直嬉しいのだが……何というか、その自信なさげな口ぶりが妙に気になるところではある。


「恐らくとか気がするとか、何だよ、そりゃ」


「……仕方ないだろうっ!

 どっちも俺とはっ、格そのものが違うんだよっ!」


 俺のその疑問は、魯のヤツも感じていたらしい。

 尤も……その問いに返ってきたのは、慈の切れたような叫びだったが。

 どうやらコイツはコイツで下手に腕が立つが故に、眼前の二人が見せる剣舞に圧倒されているようだった。

 そんな耳障りな外野のやり取りなど全く意に介した様子もなく、お互いの隙を探し合っていた『黒剣』と堅だったが……


「貴様、名は何という?」


 不意に王は剣を僅かに下げると、堅に対してそう問いかけ始めた。

 ……恐らくそれは、王が眼前の挑戦者を一人前と認めた証、なのだろう。

 その問いに我が相棒は僅かに息を吐き出し、矛を肩に担ぐと……眼前の王にまっすぐと視線を向け、口を開く。


「我が名は、(スン)(チェン)

 貴様が討った『血風(ツェフォン)』……(スン)()が八男。

 『黒剣(ヘイチェン)』、その首を頂かせて貰うっ!」


 我が相棒である(チェン)……いや、(スン)(チェン)が一国の王の前で堂々と言い放ったその名乗りは……行きがかり上とは言え『血風(ツェフォン)』を討ってしまったこの俺の耳へも、しっかりと届いて来たのだった。

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