肆・第七章 第四話
「お前に出来ないなら……
俺の出番って訳だな、相棒」
部屋に入るなり、そう俺たちに告げてきたのは、いつの間にか入ってきた自称我が相棒の堅だった。
相変わらず、コイツの身体能力は凄まじく……真正面から戦うのは無理にしても、もし暗殺という手段を取ったのなら、この『雷帝』ですらも討ち取れるのではないだろうか?
「何じゃ、貴様。
此処は雑兵が来ても良い場所ではない。
……とっとと消えるが良い」
「へっ。
雑兵とは失礼な。
俺は、その男の相棒さ」
いきなり現れた男を前に、『雷帝』は不愉快さを隠すことなく、殺気混じりの言葉を放つ。
とは言え……堅も伊達に俺の相棒を名乗り、死線を潜ってきた訳ではない。
世界を支配していた『四帝』の一人である、この女帝が放つ殺気を真正面から浴びているにもかかわらず、堂々とそう答えたのだから。
「他の者が討っても意味がない。
皇帝自身が討つから意味があるのじゃ?
貴様は、それさえも分からぬ愚物かえ?」
「だが、肝心の……
お前の王様自身が、このザマじゃねぇか」
苛立たしげな女帝の殺気を真正面から受けながらも、堅は平然とそう言い返す。
事実、コイツがそう言う通り……俺は首の違和感の所為で、さっきから一切の叛意を持てずにいた。
尤も今は、この年増の……何故か闖入者が現れたにもかかわらず俺の手を放そうとしない、男に飢えた女帝の指の方が気になってはいるのだが。
「くっ……
じゃ、じゃがっ!」
「だから、コイツに出来ないことは、この俺がやるんだよ。
これでも、相棒……だからな」
自分に勝った男を立てようとする女帝と、相棒を自称する青年は静かに睨み合う。
苛立たしさを隠そうともしない『雷帝』が、それでも電撃を使おうとしなかったのは……この男の言っていることを間違いとは思っていない所為なのだろう。
事実、『无命公主』とやらの侵略に対し、この『黒剣』という島中が一致団結して抵抗できるのであれば、それでも別に問題はないのだ。
それこそが、彼女が俺に反逆を求めてきた理由でもあるのだし。
ただ……俺がただ一人の絶対権力者とはなれない、というだけである。
尤も彼女としては、それこそが……俺を絶対権力者の地位に就けたがっている節があり……
「ええい。鬱陶しいっ!
いい加減に……」
結局。
この自称相棒の男を言い負かす言葉を持たないと気付いたのだろう。
何しろ、この女帝が求めているのは、道理ではなく……自分を負かせた男が最強の王であって欲しいという願望でしかないのだから。
とは言え、それで退く女帝ではない。
苛立たしさにそう吐き捨てながらも、『雷帝』は威圧して黙らせようと……もしくは軽い電撃で物理的に黙らせようとしてか、前へと一歩を踏み出した。
……だけど。
「それに……こっちにも因縁があるんだ。
これだけは、退けないんでね……悪いな」
「……きさ、ま」
その迂闊な一歩は、自ら死地へと飛び込むための、最悪の悪手だったのだ。
いつの間にか……まさに目にも留まらぬ速度で女帝の咽喉元へと伸ばされていた堅の右腕には、俺や彼女が気付かぬ速度で匕首が握られていて……
その右手から伸びる鋭い光は、もしこの男が殺す気ならば、『四帝』の一角である筈の『雷帝』を討つことも可能だったと……そう雄弁に語っていた。
──相変わらず……
完全に女帝の虚を突いたのだろう、その完璧な一刃に……俺は言葉一つ発することすら出来ず、ただ息を呑んでいた。
実際……これが戦場であれば、『雷帝』は討たれていたのだ。
幾ら『雷帝』の雷撃が化け物じみた性能とは言え……気付かぬ内に放たれた刃に対処する方法などありはしないのだから。
──ま、実際にはそう簡単にはいかないだろうが。
もし、此処が戦場であれば、苛立たしさに負けて彼女が迂闊に一歩を踏み込むことなどなかっただろうし……そもそも、無数の配下を誇る『雷帝』は、敵兵にこれほど接近されること自体がまずあり得ない。
とは言え、それでもこの「力こそ全て」の世界では、刃を突きつけられ、生殺与奪の権利を奪われている時点で「敗北」であり、言い訳など何の意味もないことを……彼女は嫌と言うほど理解しているらしい。
刃を突きつけられたままの女帝は、歯を食いしばるばかりで……言い訳一つせず、静かに黙り込んでいた。
──この二人が協力してくれるなら、どんな王だって……
──っ、それでも……
そんな二人からの協力が約束されていたとしても……俺はまだ決断が出来ない。
俺たちの王に……『黒剣』に対して「反逆を起こす」という言葉が、どうしても発せない。
いや……発そうという気すら、起こらない。
ただひたすらに首元の違和感が大きくなり続け、この場で眼前の二人を殺せば楽になれる……そんな発想さえ頭をよぎる始末だった。
「ま、コイツが決断すれば、だけどな。
……今のこの様子じゃ、ちょっと難しそうだし」
「……そう、じゃな」
そんな俺の苦悩を見抜いたのだろう。
相棒を自称する堅はそう軽く肩を竦め……俺のことを愛人と呼ぶ『雷帝』はそれに渋々という様子で頷いてみせる。
「……ふぅ」
二人がそう告げることで……王への反逆を諦める言葉を口にしたことで、首を絞めつけていた変な違和感はあっさりと消え去り、ようやく俺は安堵のため息を吐き出すことが出来た。
「まぁ、決まれば、いつでも言ってくれ。
俺たちは、相棒、なんだからな」
話は終わったとばかりに相棒である堅はそう告げながら、あっさりと踵を返す。
後は俺が決めることであり……もう自分の役割は果たしたと思っているのだろう。
それとも……さっさと女のところへしけ込みたいと思っているだけ、なのかもしれないが。
「……うむ。
妾もいつでも手を貸すぞ。
正直……我愛人が自らで『黒剣』を討ち果たして貰いたいとは思うがの」
『雷帝』もそう告げると、この部屋を出ていく。
彼女は彼女で、俺の決めたことを尊重する様子は見せつつも……その『无命公主』とやらの脅威が脳裏から離れないのだろう。
……未練がましくこちらの方を幾度か振り返りながら、だったが。
「私は、貴方に従います。
お言葉を頂ければ、すぐに如何様にも準備を致しましょう」
自らを管事……文官であると戒めているのだろう。
さっきまで一切口を挟まなかった、俺が王になることを何よりも望んでいる筈の諸は、そう一つ頷くと書類を手に義足を器用に使いながら部屋から外へ出ていく。
この部屋は諸のヤツの執政室なのだが……まぁ、アイツなりに空気を読んだのだと思われる。
「俺も、あんたに取り立てられる前は、ただの農奴だしな。
好きにすれば良い。
俺は、あんたに従うさ」
槍持ちである魯のヤツは、俺の地位がどうなろうと特に意見はないらしい。
相変わらず敬意の欠片もない口ぶりで、だけどしっかりとした俺への忠誠を口にし……今までの三人に倣ったらしく、コイツもまた部屋を出ていく。
「お、俺は、俺は……
俺は、強い方に、従う。
それが、この……俺たち兵の流儀、だ」
一人残された慈は、あの『黒剣』を王として従う兵だった所為か、葛藤を見せながらも……そう言葉を吐き出す。
ただ長いモノに巻かれると言っているように聞こえるその言葉を、俺は今一つ理解出来ないものの……コレこそがこの世界の忠誠のあり方、なのだろう。
「……ったく。
俺にどうしろってんだ」
たった一人きりになった俺は、息と共にそう小さく呟く。
そうして愚痴を吐き出して落ち着いたところで……今さらながらにこの首輪の存在に対し、意図して意識を向けることにする。
──一体、何なんだ、コレは。
あの現代……中東紛争の中心地から転移して来てすぐ『血風』の配下によって嵌められたこの首輪は、何故か今まであまり気にすることもなく、外そうという気にもならず、これまで暮らし続けてきた。
それもこれも、首輪があってもあまり生活に問題がなかったからである。
──確か……『礼忠』の首輪とか言ったか。
言葉の意味を考えると……礼は上役に対する礼儀で、忠とは上役に従う忠誠心の意味、だった筈だ。
要するに、上司に逆らえなくする……そういう不思議アイテム、らしい。
──しかし。
──ここまで、効果があるとは……
……最初に成り行きとは言え仕えることとなった『血風』は自分からその身を餌とする許可をくれたし、次に雇われた曹孟のおっさんは意識を向ける前に堅のヤツが惨殺しやがった。
李逵とかいう城主は、取引相手であって上役ではなかったし、あの時は餓鬼を殺されてぶち切れていたから除外するとして。
後の連中は格上であっても敵なので、従う義理なんて欠片もない相手ばかりである。
この世界の金や地位に興味がない、つまりが向上心も功名心もない俺としては、実質上、上役に逆らう……下剋上を意識したのはコレが初めてだったのだ。
そして、今……俺は下剋上という選択肢を奪われ、こうして考え込む羽目に陥っている訳だが。
──考えてみれば……
砂の世界で王に拝謁した時でさえ、アルベルトのヤツを見倣って跪きはしたものの……あの時も俺は敬語なんて使ってはいなかった。
……俺は別段、反社会的で階級を嫌うような思考回路はしていないものの……偉そうなだけの馬鹿に敬意を示すような、マゾヒストのような嗜好は持ち合わせていない。
だと言うのに、あの時を思い返せば……意識はしていなかったものの、確かに『黒剣』に対して俺は敬語を口にしていたのだ。
知らず知らずの内に、首輪の影響を受けていたと考えるのが正解だろう。
──しかし、これ、どうすれば良いんだ?
いつまでも、この変な首輪に縛られている訳にもいかない。
だけど……何故か外せない。
外そうという気が起こらない。
──王になる、か。
すぐさま思索は首輪から飛び……さっき『雷帝』から勧められた反逆へと移る。
とは言え、外に強敵がいて、いつ攻めて来るかすら分からないのだ。
内部で相争っている場合じゃないというのが実情である。
自国内で無駄に兵を減らしてどうしようというのだろう?
勿論、あの年増が告げた通り、より強い者が王になった方が国家としては安定する、というのは理解できる。
だが、現状でそれを実行するのはリスクが大き過ぎる気がするのだ。
──あの年増……
──何か、他意がありそうなんだよなぁ。
何故か俺自身に『黒剣』を殺させようと誘導するとか、この部屋から去る時に見せていた未練と言い……何故か素直に頷き辛い、彼女自身の意図が紛れ込んでいる、気がする。
……そんな漠然とした予感があるのだ。
尤も……この考察自身が「首輪に誘導された」からなのか、それとも「俺自身が必死に反逆しない理由を探している」所為なのかは分からないのだが。
「ま、なるようになるか」
結局……面倒になった俺は、思考を放棄することにした。
考えても決断出来ないことは、幾ら悩んだところで意味がないことくらい、俺のそれほど長くない人生経験の中ですら、何度も思い知っていることである。
俺は一つ欠伸をすると……そのまま諸のヤツの執務室を出ていく。
正直な話……この部屋は書類を押し付けられて決済をさせられる、嫌な思い出しかない場所なので、あまり長居したいとは思わないのである。
とは言え……そんな俺の悩みを笑い飛ばすかのように、三日後、ソレは訪れた。
「これは、『黒剣』、様。
一体、何の用で御座いましょう?」
「……大したことではない。
貴様が大功を挙げたと耳にしたのでな」
……そう。
この浮島の反対側で戦っている筈の、我らが王……『黒剣』が突如として俺の領地である左扇へと訪れたのだった。




