肆・第六章 第六話
「ぐ、ぐがぁああああああああああああああああっ!」
「激痛」という名の、久しぶりに味わう脳髄から指先まで痺れが伝わるほどの刺激に……俺の口からは自然と悲鳴が上がっていた。
それもその筈で……俺がまっとうに味わう激痛と言えば、あの聖樹から叩き落とされた落下ダメージ以来なのだ。
勿論、矢で刺されたり切られたりと、痛みを感じることは何度かあったものの……悲鳴を出すほどのモノではない。
激痛……身体中の筋肉が自分の意思とは関係なく引きつり、身体の奥底から表皮へかけて痺れにも似た痛みが波打つような感覚は、とてもじゃないが、立って耐えられるようなものではなかった。
思わず大地に伏し、激痛から何とか逃れようと四肢にでたらめに力を入れる……要は、ただのた打ち回ることしか出来ないのだ。
幸いにして激痛はそう長引くこともなく、三秒ほど暴れるだけで、俺は何とか痛みを乗り越えることが出来たのだが……
──っ、化け物、め。
ようやく激痛から立ち直った俺は、土埃で汚れた身体を気にする余裕もなく、地に伏したまま、ただ内心でそんな悪態を吐くことしか出来なかった。
何しろ、さっきの攻撃で、俺の手足はまだ痺れていて感覚がなく……起き上がろうにもまっとうに立てるとすら思えない有様なのだ。
「ほぉ。
妾の一撃を喰らい、なお動くとは。
……じゃが、今は構ってられる暇はないのじゃ。
そのまま寝ておれ」
激痛から立ち直った俺を見下したまま、『雷帝』はそう言い放つ。
そのあまりの大上段に告げられた言葉に、俺は久々に怒りを覚え……動かない身体に鞭打ちながら、必死に立ち上がろうとする。
「ふ、ざ、け……がぁああああああああっ!」
その代償は……再びの激痛だった。
先ほどの一撃と同じように、光が放たれた直後に走った激痛により、起き上がろうとしていた俺の身体は再び跳ね上がり……俺はただ痛みに抗うためにジタバタと四肢を出鱈目に動かすことしか出来なない。
──コレは……電流、か。
流石に二度も喰らえば分かる。
この痛みは……電気によるモノ、だと。
恐らく電気椅子に座って処刑される囚人は、こういう痛みを味わいながら死ぬのではないだろうか?
気が遠くなるような激痛に、俺の脳からはついそんな、酷くネガティブな発想が湧き始める始末である。
とは言え、女帝からの攻撃は無茶苦茶痛く、とても耐えられない代物ではあるものの……幸いにして、激痛が一瞬で去っていくお陰で、こんな要らないことまで考える余裕が出来ている訳だが。
兎も角、電気による痺れの所為か、未だに身体が動かない俺は……二度目の激痛により、ようやく彼我の戦力差を理解していた。
──勝て、ねぇ……
いや、勝ち負けとかそれ以前の問題である。
何しろ眼前の『雷帝』が放った先ほどの攻撃は、「知覚出来なかった」のだ。
防ぐ・避ける以前の問題で、しかもその一撃は破壊と殺戮の神ンディアナガルの権能を貫き、俺に激痛を与えてくる。
とてもじゃないが……戦いにすらならない。
ついでに言えば、先ほどまで使っていた矛は、一撃目の衝撃で握り潰してしまっていて、既に武器としての役割を果たしていなかった。
武器を置いてあるところまで、十歩以上あり……とてもじゃないが、眼前の王が取る猶予を与えてくれるとは思えない。
そして、それは同時に「一つの事実」を俺に悟らせることとなっていた。
──くそったれっ!
──逃げることも、出来ねぇって訳かっ!
……そう。
数メートルの距離から見えない攻撃を即座にぶっ放せる化け物が相手なのだ。
今から逃げることなど、出来る訳がない。
背中を見せた瞬間に、背後からあの一撃をぶち込まれるのがオチだろう。
「我が『雷爪』を喰らっても、まだ死んでおらぬのか。
その方……やけに頑丈であるな?」
その『雷帝』の言葉に、逃げるための算段を探していた俺は、ようやく自分の状況を把握する。
女帝の雷撃を喰らった所為で俺の服はあちこち焼け焦げているものの……幸いにして俺の身体にはまだ傷はついていない。
破壊と殺戮の神ンディアナガルの権能はまだ健在だということだろう。
──待て。
──なら、何故、痛みがあるんだ?
本気の痛みという、久々の感覚を嫌と言うほど味わった所為だろうか?
俺は本当に久しぶりに最大出力で頭脳を回転させ……さっき喰らった激痛の正体を探る。
基本、ンディアナガルの防御能力は絶対で……聖なる武具以外のダメージはほとんど受け付けることすらない。
例外として、腐泥の世界では聖樹の影響下にあれば僅かにダメージを喰らっていたし、この世界では王の攻撃だと僅かに痛むことはあった。
──後は、熱さに弱い。
砂漠の熱さや、熱湯や炎など……熱系の攻撃には、何度も痛い目を見ている。
勿論、皮膚が火傷をするほどのダメージはある程度防いでくれるため、火傷ををしたことはない。
だが……この無敵の権能を得た身体が、それでも「感覚を保っている」故の弊害、だろうか。
傷つかない程度の……要するに生きるために必要な「刺激」の範疇に収まるダメージは、この防御を素通りさせてしまうらしい。
今までの、熱系の攻撃に苦しめられたのは、ンディアナガルの権能がダメージを低減させてくれたお陰で、敵の攻撃は「刺激」の範疇まで減衰していたものの……その「刺激」に俺自身が耐えられず悲鳴を上げていたのだろう。
要するに、破壊と殺戮の神ンディアナガルの権能は無敵でも……俺自身が「刺激」に弱いのである。
──つまり、この、痛みは……
──刺激、って訳か。
推測に過ぎないものの……『雷帝』の一撃を受けた破壊と殺戮の神ンディアナガルの権能は、俺の身体を傷付けない程度にダメージを減衰させ……
威力を落とされた残りの分は、俺が生きていくのに……正確には「正気を保ったまま生活を送る」ために必要な「刺激」として、権能による防御を素通りさせてしまった。
ただ、この場合は相手の攻撃が電気によるモノであり……俺の身体が傷つかない程度の電流だとしても、神経に直接流し込まれてしまえば、ソレは凄まじい激痛となってしまう。
それが、先ほどの激痛の正体で間違いない、だろう。
結論として……『雷帝』の電撃で俺が傷つくことはないにしろ、それを権能によって防ぐことは不可能、という答えが導き出される。
「何も解決してねぇぞっ!
くそったれがっ!」
久しぶりに必死に考えた結果がそんな……「どうせ怪我なんてしないんだから、激痛くらいは耐えてみせろ」という、何の解決にもならない結論だっただけに、俺の落胆は大きかった。
思わず地面をかなり強く殴りつけ……意図してはいないものの、一メートル半径ほどの地面を陥没させてしまう。
「……ほぉ。
まだまだやる気が十分と見える」
「いや、違……ってぇええええええええええっ!」
八つ当たりの代償は、さらなる激痛だった。
尤も、既に自分が傷つかないと分かっていたのと、激痛が来ると覚悟していた所為か、先ほどの二発よりは痛みが大人しい。
それでも立っていられるほどではなく……大地を転げまわらないと、痛みに耐えられないレベルの痛みではあるのだが。
「何、しやがるっ!
痛ぇだろうがっ!」
「本当に頑丈だな、そなた。
妾の爪が、流石に心もとなくなってきたぞ?」
そう言いつつ、『雷帝』は右手を突き出し、その真紅に染めた爪を見せつける。
その爪をじっと見てみれば、確かに人差し指と中指、薬指の爪の先が五ミリほど欠けているのが分かる。
──コレが、コイツの能力、か。
爪の先……要するに身体の一部を、電撃に変換して撃ち出す能力。
それこそが『雷帝』の能力、なのだろう。
つまり、あの電撃は無限ではなく……限りある、ということだ。
だからこそ、この無敵とも思える『雷帝』は、代償が大きいがために自分の力任せに他の全てを攻め込むことが出来ず、世界を支配し切れないまま『四帝』の一角程度に留まることになり……部下を増やすことで戦力の増強を図ろうとしていたのだろう。
「へ、へへへ。
……良いのかよ、そんな弱点を自分からバラして」
痺れが残る身体に鞭打って立ち上がりながらも、俺は余裕を装って笑みを浮かべ、そう呟いてみる。
実際のところ……幾ら耐えられるとは言え、あんな激痛をそう何度も食らいたくはないのが実情だったが。
と言うか、眼前のコイツが逃がしてくれそうな相手なら、背後の砦なんて見捨てて、とっとと逃げたかもしれない。
「ふふん。
次の一撃を貴様が耐えられるとは思わぬのでな。
貴公を敵将と認め……本気で行かせて貰おうぞ?」
「げぇっ!」
そして、強がりの代償は、そんな……シャレにならない女帝の声だった。
さっきよりも凄まじい激痛の予感に、俺は思わず悲鳴を上げ、この場から逃げようと後ずさるものの……
「皇~~っ!
まけないで~~っ!」
「やっちまえぇええええええっ!」
背後の城壁から聞こえてきた、妙に甲高いそれらの声によって、この場に足を縫いとめられる。
──ああ、そうだった。
──逃げられる、訳が、ない。
餓鬼共が見ている前で……そんな無様を見せる訳にはいかない。
そんなちょっとしたことが、神の権能は使えても全知全能には程遠く、ちょっとばかり強い力を得ただけで戦闘技能がある訳でもない、言ってしまえばただの凡人でしかない俺の……たった一つのプライドだった。
「では、行くぞ?
喰らうが良い、『雷血・撃』」
「来やがれぇぁああああああああああっ!」
そう告げた『雷帝』の、右腕から血が噴き出したかと思うと……女帝が右腕を振るうのと同時に一気に光の束となり、俺へと凄まじい勢いで飛び出してくる。
その電流と同じ速度で放たれたと思われる一撃を前に、逃げられない俺はただ両腕で頭を庇い……ただ必死にガードを固めることしか出来ない。
そんな俺の両腕、そして全身へと……とてつもない光の嵐が襲い掛かる。
「……あれ?」
必死に防御したお陰だろうか。
覚悟していたような痛みは全く訪れることなく……
……いや、違う。
服のあちこちが無残に焦げ、しかも身体のあちこちに塩の塊がこびり付いている感触がある。
──塩の、権能、か。
どうやらンディアナガルの自動防御によって、敵の必殺の一撃は完全に防ぎ切ることが出来たらしい。
確かに、冷静に考えてみれば……この『雷帝』の使う超能力が幾ら強かろうが、所詮は人間の技。
世界を滅びに導いていた二柱の神を殺し、三柱の創造神をも食らい、三つの世界を滅ぼした破壊と殺戮の神ンディアナガルを殺せる筈もない。
と言うか、本気でガードを固めれば、ダメージすらも受けないと分かった以上、眼前の敵はちょっとばかり歳の行った二十代後半のおばさんで……別に脅威とも思わない。
「……アレを耐えるとは。
そなた、本当に人間かえ?」
まだまだ奥の手を隠してはいるのだろう。
一撃を凌がれた『雷帝』は、それでも動揺した姿を見せず……ただ少しばかり不可解なモノを見つけたような視線を向けながら、そう尋ねてくる。
「……ああ。
ちょっとばかり頑丈なのが取り柄のな」
女性の問いにそう惚けながらも……俺はこれからどう戦おうかと考えていた。
防御に徹すれば勝てると分かったものの……雷の速度で攻撃を加えてくるコイツに対し、真っ当な手段の攻撃が通じる訳もない。
むしろ下手に手を出したなら……カウンターとしてまたあの凄まじい激痛を喰らう可能性が高い。
となれば、武器が手元にない俺は、『爪』や『蟲』を動員するしかない訳だが……アイツらの前であの、世界を滅ぼすレベルの神の権能を使うのは……
──今まで以上に、脅えられるよなぁ。
今まで幾度か「力」を見せつける度に餓鬼共に脅えられた経験から……俺は人間の使う「暴力」を遥かに超えた、破壊と殺戮の権能を使うことに、躊躇いを覚えてしまう。
俺とは別の理由から、だろうが……『雷帝』の方も、次の一撃をどう撃とうかと思案しているようだった。
何しろコイツは「身体の一部を電撃に変換して」攻撃力とするタイプらしいので、さっきの一撃を超えるとなると髪を捨てるか爪を丸ごと捨てるか……どっちにしろ大きな代償を支払うことになるのだろう。
つまりが、「お互いに攻め手がない」と言うよりも、「何処まで代償を支払うべきかをお互いが思案している」と表現するのが正しいのかもしれない。
「なぁ、そなた。
妾に下る気はないかの?
今なら将として……いや、妾の右腕として、召し抱えてやっても良いがの?」
「……それ、は……」
そして、その代償を今支払うべきではないと判断したのだろう。
この浮遊島で出来た世界を支配する『四帝』の一角……『雷帝』は、突然、俺をヘッドハンティングし始めた。
俺はその提案を受け、固まってしまう。
──ここで飲めば、もう激痛に耐えずに済む?
──いや、しかし……
電撃の痛みに辟易していた俺が、それでも素直に眼前の女帝の言葉を呑めなかったのは、寝返り、裏切り……そういう言葉に抵抗があった所為、だろうか?
「何だったら、背後の砦……そなたの部下も迎え入れようぞ?
あの子供を守ろうとしていたのであろう?」
『雷帝』は俺の必死に抵抗を、そう推測したらしい。
まぁ、実際、さっきは餓鬼共の声を聞いて、逃げ腰だった俺が必死に留まった訳だから……その結論に達するのは別におかしい話ではないのだろうけれど。
──だからと言って……ここで裏切るってのも……
何となく首に巻かれたままの首輪が息苦しく……首元に触れながらも、葛藤を続けていた俺だったが……
「何やってやがるっ!
さっさと降伏してしまえっ!」
「きゃあああああああああああっ!」
「貴様っ!
何を考えてやがるっ!」
城壁の上が突如と騒がしくなり、その叫びに背後を振り返ってみると……三人の兵がそれぞれ餓鬼共を掴み、首へと刃を突きつけているのが見えた。
一人は鈴の首筋に剣を添え、一人は雨の顔に槍の切っ先を押し当て、一人は唯一残された男の子である慎の首を腕で掴み、いつでもへし折れると態度で示していた。
その周囲を囲んでいるのは我が副官である慈に指揮された兵たちで、どうやらこの砦の元支配者……名前は既に忘れたが、ソイツの部下が『雷帝』の強さに絶望するあまり、こんな短慮に至ったらしい。
──くそ、どうするっ!
その光景に俺は慌てて駆けつけようと踏み出すものの……背後にいるのは一瞬で電撃を飛ばす、鬼のような強さの『雷帝』である。
コイツに背を向けてあの場所まで駆けつけるなんて自殺行為以外の何物でもなく……そして、そもそも俺の運動能力では城壁を垂直に駆け上がるなど不可能で、迂回して階段を上っていると、あそこまで十分以上はかかるだろう。
そうして俺が足踏みをした、その瞬間だった。
「俺は、本気だぞっ!
見やがれっ!」
「……ぁ、たすっ」
「っ、慎~~~っ!」
よほど追い詰められていたのだろうか。
一人の兵が、腕に掴んでいた男の子……一番年少だった慎の身体を大きく押し出す。
城壁の上から押し出された四歳ほどの男の子は、自分の身に何が起こっているのかすら分からなかったのか、悲鳴を上げることもせず、ただ落下の恐怖に助けを呼ぼうと声を上げ……
そのまま、鈍い音を立てて大地へと落ち……そのまま動かなくなる。
小さな身体から血がじわりと広がっていくのが見えるが、近くで慎の生死を確かめる気にはならない。
あんな小さな子供が、五メートル以上もある城壁から突き落とされ、しかも頭から落ちたのだ。
首や手足が本来あり得ない方向を向いているのを見るだけで分かる。
……呼吸や心音を確かめるまでもなく、即死だろう。
「て、めぇっ!」
「が、餓鬼共が、どう……ひぎぁあああああああああああっ?」
慈が怒声と共に突き出した槍により、子供という「盾」を失ったその兵は身体を貫かれ……そのまま自分が突き落とした少年と同じ軌道を辿り、大地へと叩きつけられる。
何やら弁明をしようとはしていたらしいが、あの状況で助けてくれる相手がいる訳もなく……幸いにしてまだ生きているようだったが、アレでは助かる筈もない。
「て、てめぇ。
まだ俺たちの手元には、餓鬼共が……」
「殺した瞬間っ!
貴様らもああなるのを覚悟しているんだろうなっ!」
交渉は完全に慈が主導権を握っていた。
かなり強気で人質の命を問わない方法ではあるものの……あの状況ではああするしか方法がないのだろう。
実際、人質を取っている残された二人の兵は、完全に押されている。
尤も、助かろうとして保身に走った連中が相手なのだから、ああして自分自身の命が天秤にかかった時点で、連中は詰んでしまうのだろうが。
──任しておいても、大丈夫そうだな。
背後の騒動が何とか収まりそうだと思った俺は、眼前の脅威へと視線を移す。
そこには、不愉快そうに眉を顰めた、『雷帝』の姿があった。
「……どいておれ、全く。
下らぬ手間を取らせおって」
「……まっ」
止める隙すらもなく、女帝の指が騒ぎの起こっている城壁の上へと突き出されたかと思うと……次の瞬間に光が走る。
慌てて振り返った俺が見たのは……城壁の上に立っていた二人の兵と、抱えられていた子供たち……
そして、近くにいた慈とその配下の兵までもが、そのまま崩れ落ちる姿だった。




