肆・第六章 第四話
「鎮左の砦、陥落しましたっ!」
「将である燕順は戦死っ!」
「今、逃げ出した兵たちはこちらへ向かっておりますが、追撃部隊により、数を減らしておりますっ!
ぜひ、救援をっ!」
砦で戦闘準備を整えている兵たちの間を抜けてくる伝令の声は、悲惨極まりないものだった。
管事である諸が、木の板に描かれた簡単な地図に次々と×を記している。
それは、この世界の文字を理解出来ない俺が見ても、完全に敗色濃厚で、今からでは何一つ打つ手がないことを示していた。
実のところ、この辺り一帯の兵を動かす権限を持つ征左将に命じられたとは言え、俺はまだ此処へ来て三日も経っていない。
周辺の兵の数や命令権どころか、地理すらも把握していない有様である。
正直、敵の強弱以前に……「自分に何が出来るのか」すら分からない、というのが実情だったのだ。
「馬鹿なっ!
まだ一日も経っていないぞっ!」
その報告を俺の隣で聞いていた、副官である慈が悲鳴を上げるものの……それに答えを返すものはいない。
とはいえ、次々と来る伝令の言葉が信じられない訳ではない。
「敵兵は、凡そ五千っ!」
「将である燕順は、果敢にも『雷帝』に一騎討ちを挑みましたが、一合も交わすことなく即死っ!」
「周辺の砦を落としつつ、『雷帝』は一直線にこちらへと向かっているとのことですっ!」
……どちらかと言うと、報告を聞いている自分の耳の方が信じられないのが近い。
そもそも、この世界の戦闘は俺が学んだ歴史と比べると基本的に小規模で……先の『燃鞭』戦でさえ、敵味方合わせて千を超えてはいないだろう。
それを……何をトチ狂ったのか、『雷帝』ってアホは五千も繰り出してきやがったのだ。
「恐らく、短期決戦を狙っていると思われます。
……小領であるこの『黒剣』を一気に陥とし、他の『四帝』に隙を見せることなく、国力を増強させたいのでないでしょうか?」
地図に記を入れつつも諸は、この状況をそう分析してみせた。
将どころか兵ですらない管事のその声に、反論する者は一人もいない。
……ただの推測でしかないと分かっていても、その言葉を否定する材料が見つからなかったのだ。
「つまり……持ちこたえれば、退いてくれる、と?」
「その可能性もある、というだけですが」
慈のすがるような声に、諸は表情一つ変えることなくそう答える。
──勝てない、な。
部下たちの話を聞きながらも、俺はあっさりとそう決断を下していた。
大体、うちの城にいる兵は約五百……これは、連れてきた部下三百に加え、元々城にいた前の何とかってヤツの部下二百を含めた数字である。
まだ編成も訓練も終わってない以上、この数がまともに機能するとは思えない。
……つまり、こちらの兵は四百程度だと思った方が良いだろう。
──十倍差、か。
俺は周辺にいる兵たちを……もういい加減顔見知りになった連中の顔を一瞥する。
そして、あの時……砦を出る時に見た、俺に忠誠を誓う部下たちの姿を思い出す。
ついでに、俺の正室とやらと、鈴たちの顔も。
──負けると、やっぱり……ろくなことにならないんだろうなぁ。
今まで旅してきた世界でも、敗残兵や負けた連中の末路は酷いものだった。
虐殺、略奪、凌辱。
……どれも基本的に俺が関わっていた上に、俺自身が命じたこともあるのだが……まぁ、それは置いておいて。
兎も角、この連中をそんな目に遭わせる訳にはいかない、だろう。
「……それしかない、か」
そこまで考えた俺は、一つの決断を下す。
と言うよりも……この状況では他に手がないのが正解だろう。
「皇帝様?
何か策が?」
俺の副官である慈がそう尋ねてくるものの……そう難しい話じゃない。
いつもの策を……破壊と殺戮の神ンディアナガルの権能を持つ俺だからこそ出来る、唯一無二の戦術を選ぶだけなのだから。
「……壮観、だな」
農地の向こう側から湧いてくる敵兵の群れを見る俺の口からは、そんな呑気な言葉が吐き出されていた。
その数、凡そ四千ほど……と言っても、日本野鳥の会じゃあるまいし、そんなのを数えることなんざ出来る訳がない。
兵站の維持と占領地の確保にある程度の兵を置いてくる筈なので、恐らく四千ほどの兵がこの砦へ迫ってくるだろうという、諸のヤツの予想に過ぎないが。
とは言え、あの地平線を覆い尽くすばかりの敵兵を前に、たった一人で立ち塞がる身になれば……その予想がちょっと違っていたところで、そう大差ないのが実情だったが。
……そう。
俺は以前、『燃鞭』戦と同じように、たった一人で砦を出、敵軍を迎え撃つという作戦に出たのだ。
決して英雄のような一騎駆けに憧れている訳ではなく……単に他に取れる策がない、というだけの理由だったが。
「こっちに武器は置いた。
なぁ……ほんとに、これで構わないのか?」
「ああ。
後は、全員が城壁の上で待機してくれ」
前と同じ戦術だった所為か、槍持ちである魯も手慣れた様子で俺の周囲に数々の武器を置いていく。
荷車に置いたままではあるが……大事なのは手元に武器があることなので、それでも問題ないだろう。
切羽詰ってきたら、荷車で直接ぶん殴れば多少は敵も怯むだろうし。
「なぁ……逃げても良いんだぜ?
相手は、あの『四帝』だ。
しかも、五千が相手……
誰だって勝てる訳がないんだ。
あんたを責めるヤツなんて、誰もいやしねぇって……」
「餓鬼連れて、今から逃げられる訳もないだろう?
とっとと上に上がってろ」
気遣うような魯の言葉が何となく居心地悪かった俺は、顎で槍持ちを下がらせる。
そんな俺の内心を知ってか知らずか……魯のヤツはため息を一つ吐くと、諦めたかのように城へと戻っていく。
「皇帝様っ!
配置に付きましたっ!
いつでもいけますっ!」
「ああ。
俺が倒れたら、とっとと逃げろよっ!」
城壁の上から、弓を手にした慈のヤツの叫びが聞こえてきたので、俺も矛を振りながら言葉を返す。
不幸中の幸いというヤツか、城内は籠城の準備をしっかりと整えていたらしく、投石器やら矢の備蓄やらが矢鱈と整っていた。
恐らく、『黒剣』は此処を防衛の要と位置付け、敵から攻め込まれた際、王が駆けつけるまでの時間稼ぎをさせるつもりだったのだろう。
──と言うか、基本的にこの世界の戦闘はそんな感じか。
此処では「王」という存在が逸脱し過ぎている所為で、同規模の国同士が戦う場合、王と王の一騎打ちで勝負が決まる……までに、如何に敵の王の体力を減らせるかに全てがかかっている、と諸のヤツが語っていた。
だからこそ、王に匹敵する部下の存在が勝敗を分かつことに……
──っと、そろそろか。
要らぬことを考えていた所為か、敵軍は俺の射程ギリギリのところへと迫ってきていた。
軍勢のあちこちに赤い下地に黄色の雷模様が描かれた旗が乱立していて……恐らくアレが『雷帝』の旗なのだろう。
しかも、敵軍は四千ほどもいるというのに、しっかりと陣形を保ったまま、行軍を続けているのが見て取れる。
何というか、数以前に練度が違い過ぎて話にならない。
敵軍を一瞥しただけで分かるが……これでは恐らく、この絶望的な数の差がなく同数で戦ったとしても、『黒剣』の軍勢は一方的に敗北するだろう。
そうしている内に、敵軍が止まり……使者らしき男が一人、こちらへと進み出てくる。
「こちらは『雷帝』陛下の第三将朱貴の軍である。
武装を放棄し、敗北を認めれば、奴隷として生かしてやろう。
だが、抵抗するならば、一人残らず皆殺しになると思えっ」
流石は大国の使者、というべきなのだろう。
大上段から言い放たれたその言葉に、俺は思わず笑みを零し……そして、使者に向け、大声で言い放つ。
「数を揃えねば強気に出れぬ臆病者が偉そうにっ!
俺はこうしてたった一人で立っているぞ?
俺に勝てる自信があるなら、一人で来い。
とっとと戻って、その何とかって臆病者に、そう伝えてやれっ!」
俺の挑発だか挑戦だか分からない声に、使者は静かに頷くと……そのまま静々と自軍へと戻っていく。
恐らくは……俺の言葉をそのまま、敵の将へと伝えに戻ったのだろう。
──怒らなかった、な。
むしろ使者を怒らせ、苛立った敵将が先陣を切って襲いかかってくる事態を期待していただけに、俺は少しばかり落胆してため息を一つ吐く。
尤も、使者が怒らなかったからと言って、敵将が怒らないとは限らない。
そうしている間にも、敵軍が真っ二つに割れ……凄まじく大きな敵の鳥車が一台、こちらへと走ってくる。
その鳥車から降りてきたのは……予想に反して、特に筋骨隆々でもない、背の高いただの優男だった。
「貴様か、我を臆病者と抜かしたのは。
我が名は朱貴。
小国の将が、偉そうに一騎打ちを望んだと聞いてな」
その優男は左手で髭を撫でつつも、右手に変な巻物一つを持ったまま、俺の方へとゆっくりと歩いてくる。
……そう。
手には武器一つ持つことなく、ただ巻物を一つ持っているばかりで、どう見ても戦う意思がなさそうにしか見えなかった。
「……どうやら臆病者ではなかったらしいな。
俺は……皇帝と呼ばれている。
一騎打ちを受けてくれると?」
「ああ。
身の程知らずには、思い知らせてやるのが、我が流儀なのでな。
いざ、尋常にっ!」
男の様子に戸惑いながらも、俺は適当に軽口を返してみた。
その所為か……あまり好きでない「この仇名」を自分から名乗るという失態まで演じる始末である。
だが、俺の戸惑いなど素知らぬ顔で、優男は酷く好戦的にそう叫んだかと思うと……その手に持っていた巻物を開く。
「なっ!」
その光景を見た俺の口からは、気付けば驚きの声が漏れていた。
何しろ、優男が開いた巻物に墨で描かれていた巨大なワニが突如膨らんだかと思うと、そのまま紙から飛び出し……俺の顔面へとその牙の尖った顎で食らいついてきたのだから。
「ぅぉおおおっ?
っぶねぇっ!」
俺はとっさに矛を手放すと……その上下から迫ってくる顎を両腕で何とか食い止める。
尖った牙が手に当たり、ちょっとばかり痛いものの……ちょっと持ち辛くはあるが、幸いにしてンディアナガルの権能を突き破るほどではない。
「……このっ!
うざってぇんだよっ!」
尤も……ワニなんて多少大きかろうが、所詮は動物である。
確かに、動物番組でもこれほどの……全長十メートル近くもあるワニなんて見たことはなかったが、それでもワニはワニでしかない。
俺は握力でその牙を握り潰すと、その顎をただ膂力に任せて、時計回りにくるっと捻る。
墨で描かれたワニの顎は、鈍い音を立てながら変な形に歪んでしまい……アレではもう二度と閉じることが出来ないだろう。
「……貴様、人間、か?」
何かが飛び出す異能でも武器による技量でもない、俺の「ただの腕力」によって、自らの渾身の異能が潰されたのを目の当たりにした所為だろう。
優男……朱貴とやらの口からは、そんな言葉が放たれる。
「……よく言われる」
俺はそう言葉を返すと……落とした矛を拾い、そのまま横一文字に薙ぎ払う。
朱貴とかいう名の将は、あのワニを呼び出す一芸……召喚っぽい異能だけで将となっていたのだろう。
そもそも武器一つ持っていなかった優男は、俺の横薙ぎの一撃を避けることも防ぐことも出来ず……そのまま首を刎ねられ、身体は真紅の液体を噴き出しながらも大地へと崩れ落ちる。
頭蓋の方は血をまき散らしながら数メートルほど飛んで行ったが、重力に引かれて地面にぶつかり、鈍い音を響かせていた。
「……さて、と」
俺は矛を振るうことで刃に付いた血を振り払いながら、顔を真正面に向ける。
眼前にはまだ四千近くの兵が大地を埋め尽くさんとばかりに並んでいて……アレを一匹一匹駆逐するなんて、考えただけでもうんざりしてくる。
──コレで諦めてくれれば楽なんだが……
俺は内心でそう呟きながらも、それが叶わないことはほぼ確信していた。
実際、俺がさっき刈ったのは敵将の中の一人でしかなく……あの四千の中の、百から三百くらいを指揮する、言わば中ボスに過ぎない。
しかも、ゲームじゃあるまいし、将を殺された部下たちが一瞬で全滅してくれる訳もなく……むしろ敵討ちに躍起になるのが現実だろう。
将を討った利点と言えば、敵の士気が僅かに落ちる、程度でしかなく……その事実に俺がため息を吐いた、その時だった。
止まったままの敵軍からまたしても一騎が現れ……俺の前で止まる。
「我が名は朱富。
兄が一騎討ちに敗れた以上……我らはこの戦場に留まることは出来ぬ。
よって……我が三軍はこれより戦線を離れる。
貴公が『雷帝』に討たれるのを楽しみにしているぞっ!」
その男は悔しさを隠そうともせずにそう叫ぶと、そのまま五百人ほどの兵を連れ、戦場から少し離れたところへと進み始めた。
──マジ、か。
その一糸乱れぬ行軍に、俺は思わず目を見開いてしまう。
勿論、連中もただの人形ではなく……その証拠に五百ほどの兵たちの中には、憎悪と殺意を込めた視線で俺を睨み付けてくる奴らがいる。
彼らにとってもこの戦線離脱は不本意で……それでも、将と将との一騎討ちというモノは、「仇討を我慢するほど重要な約束事」なのだろう。
それがこの世界の住人全てに相当するのか、それとも『雷帝』の軍の統率が取れているが故に守られるものなのかは分からなかったが。
──やべぇ。
──どうせ率いるなら、こんな軍が欲しい。
そして、その一糸乱れぬ軍の規律を見た俺の胸には……そんな欲求が湧きあがっていた。
とは言え、俺がそう望むのも無理はないだろう。
何しろ、今まで俺の率いていた連中は、命令もろくに守らない、陣形や作戦もないに等しい……言わば夜盗の群れ程度でしかなかったのだ。
「……このまま一騎討ちを続けられれば……」
良くも悪くも、この世界の連中は「力こそ全て」という唯一無比のルールに縛られている。
それは集団戦よりも個人戦……「一対一の力比べ」にこそ、強く働いてくるらしく。
──敵の『雷帝』とやらまで一騎討ちで潰せば、この連中も敵の国も得られる、ってこと……だよな。
その事実に思い当たった俺は、矛を振り払う動作を見せながら、前へと一歩を踏み出し……そして、大声で叫ぶ。
「どうしたどうしたどうしたっ!
世界最強の『四帝』と名高き『雷帝』の配下には、俺を討とうという気概のある者は一人もいないのかっ!
そんな臆病者は、さっさと家に帰って震えてやがれっ!」
半ば衝動に駆られただけの、その俺の叫びは……どうやらこの世界の住人にとっては一番効果的な挑発だったらしい。
敵軍の中から将らしき人物が次から次へと前へと進み出て……率いている兵たちを置いたまま、将だけが俺へと向かって来てくれるのだ。
「たかが、朱貴一人を討ったからと調子に乗りおってっ!
二軍を率いるこの項充が目にモノ見せてくれようぞっ!」
「いや、貴公が出る幕はないっ!
この五軍を率いる宋万様が潰してくれるわっ!」
「あそこまで言わせておいて、出ずにいられる訳もないだろう?
この宋清が出るしかあるまい」
「いや、この周通の槍を見せてくれるっ!」
……もう大混乱だった。
十名近くの将が出てきて、一斉に名乗りを上げるのだから、名前すら覚えきれない。
その大混乱に、敵将たちもこのままでは埒が明かないと分かったのだろう。
一番細見で貫録が全くない男……宋清とやらが懐からサイコロを出し、お互いがそれを振り始めたのだ。
──今狙えば、全滅させられるような……
その隙だらけの将たちの態度を見た俺は、内心ではそんなことを考えていたものの……流石に実行には移さなかった。
コイツらのルールはただ一つ……「強さ」である。
卑怯とか汚いという概念そのものはないだろうが、出来れば真正面から力を見せつけて叩き潰した方が、敵に負けを認めさせやすい。
そして、そうして正面から打ち負かさないと……この一糸乱れぬ軍隊は、俺のモノにはならないだろう。
「さて、では、一番手は私だな」
俺がそんなことを考えている間にも、サイコロ遊戯は終わったのだろう。
一人の槍を持った男がそう言って前へと進み出る。
確か、名前は……
「では、この周通が槍技、目にも見せてくれようぞ」
「……ああ。
いつでも来やがれ。
『黒剣』配下にして征左将……皇帝、いざ、参るっ!」
そうして、俺の物欲を満たす……もとい、俺の城を守るための一騎討ちが今、始まったのだった。




