肆・第五章 第六話
「うわっちゃっちゃっちゃぁああああっ!」
突如、肩から噴き上がった炎に慌てた俺は、同時に走り始めた焼き付くような痛みにそんな悲鳴を上げ……必死になってその炎を叩き消す。
幸いにして、炎はそう大したものではなかったらしく、すぐに消し去ることが出来たものの……その代償は大きかった。
──熱っ! 痛っ!
火傷した所為か、それとも火を消すために引っぱたきまくった所為か、肩辺りの皮膚が真っ赤になってしまっている。
服に至っては真っ黒焦げで……もうこの服は着れたものじゃないだろう。
元々返り血まみれで、多少洗ったところでどうしようもなかったとは言え……完全に使い物にならなくなったのを見ると、衣食住の世話をしてくれている鈴たちへの説明を考えるだけで、胃が痛くなりそうである。
「何なんだよ、コレは……」
いや、そんなことよりも……俺にとっては、さっきの不可思議な現象の方が心理的ダメージは大きかった。
何しろ、あの『燃鞭』の持つ鉄の鞭に打たれた途端、肩から炎が吹き上がったのだ。
……あの鞭が脂で出来ている筈なければ、俺の身体に油が塗られた訳でもないのに、である。
さっき炎を消し去る時に触った時に、塩の粒の感触があったものの……油が塗られていたような感触もなかったから、種も仕掛けもないことには確信がある。
「皇帝様っ!
気を付けて下さいっ!
その王はっ……『燃鞭』はっ、炎を操る異能を持っていますっ!」
自分の身に起こった摩訶不思議な現象に首を傾げているのに気付いたのだろう。
副官である慈がそんなアドバイスを俺に送ってくる。
──もうちょっと早く言えっ!
俺は、先ほど鉄鞭で引っぱたかれた肩を抑えつつ……副官に向けてそんな無言の突っ込みを放っていた。
事実、破壊と殺戮の神ンディアナガルの権能に守られている俺だからこそ肌が赤くなった程度で済んでいるものの……普通の兵だったら、一撃で重度の火傷を負って戦闘不能に陥っていてもおかしくはない。
と言うか、負けて帰ってきたうちの兵たちの数人が、凄まじい火傷を負っていたのは、コイツにやられた所為なのだろう。
「……ほぉ。
我が炎に抗ってみせるとは……
どうやら、ただの雑魚じゃなかったようだな」
俺が無事だったことに気が付いたらしく、うちの兵たちを騎鳥で追い散らしていた筈の『燃鞭』という名の王は、わざわざ引き返してきた挙句、俺に向かってそんな言葉を吐き捨てやがった。
それどころか、一撃を加えた俺が生きていることが……しかも無傷であることが、よほど気に喰わないのだろうか。
先ほどの通りすがりに適当に一発を叩きつけた、遊び半分の殺意とは打って変わって……矜持を傷つけられた所為か、本気の殺意が籠められた視線を俺に向けて来ている。
──ちぃっ。
──戻って来るなよ……
その王の視線を受け、俺は二歩ほど後ずさる。
正直な話、先ほどの炎の一撃を受けた……あの肩が燃え上がる激痛を思い出した俺は、もう完全に腰が引けていた。
──あんなの、二度と喰らいたくねぇぞ?
確かに、俺の持つンディアナガルの権能は無敵と言っても過言ではない。
ヤツの鉄鞭を喰らったところで、骨が砕けることもなければ、皮膚が破けることすらないのだから。
……だけど、怪我をしないことと、喰らって平気かどうかは別問題である。
火傷しないだけで、皮膚を焼かれれば熱いし、怪我をしないだけで皮膚を叩かれれば痛いのだから。
しかも、コイツの場合……引っぱたかれた皮膚が熱くなったところに、同じ場所を燃やされるのである。
言うならば、授業でやらされていたドッジボールが直撃した皮膚の上に、トウガラシを塗りたくられるような、そんな灼熱の激痛が走るのだ。
正直……たまったもんじゃない。
──くそったれ。
──上手く、やり過ごす方法は……
そんな訳で、一度あの熱さを味わった俺は、完全に戦意を喪失していて……この王を如何に『黒剣』のヤツにぶつけようかという一点に思考を巡らせていた。
実際問題……領土を拡大したくて戦争をしているのは我らが上司である『黒剣』の方だし、俺がこんな強いヤツと戦わなければならない筋合いはない。
『燃鞭』と戦う前に部下たちが騒いでいた通り、「王と戦うことが如何に無謀か?」というのは、先ほど嫌というほど思い知らされた訳で……だったら『王』には『王』をぶつけるのが正しいやり方だろう。
そう考えた俺は、さっさと踵を返そうとするものの……
「はっはっは。
『燃鞭』ともあろう御方も、意外と見る目がないらしいっ!」
背後から聞こえてきたそんな声が、俺をその場に留めてしまう。
その声は、まるで芝居の一シーンのように、快活でリズムよく、周囲に良く響き渡り……周囲の誰もが惹きつけられていた。
「貴公の副官であった、砦を攻めて来た呂方を一騎討ちで打ち取りっ!
弓の名手であった花栄を斧の一投で屠る腕の持ち主っ!
この皇帝様を、ただの雑魚と見紛うとはっ!
王の名も、地に落ちようと言うものっ!」
その声の持ち主……我が槍持ちである魯は、喋っている間に興が乗ってきたのか、徐々に言葉が過激になってくる。
もしかしたら、コイツ的には、雇い主である俺を雑魚扱いされたことが、よほど癇に障ったのかもしれない。
尤も……正直に言ってしまうと、今の俺にとってその口上は、ただの迷惑極まりない騒音に過ぎなかった訳だが。
「……ほぉ。
我が副官の仇は、取らねばならないよう、だなぁっ!」
「……ちぃっ!」
少なくとも、魯のヤツの声によって一番やる気を出したのが、燃鞭だったのは間違いないだろう。
手綱を操ると、俺に向かって一直線に突っ込んできやがったのだから。
「う、うわぁあああああああああああっ!」
「はははははっ!」
そして、破れかぶれで放った俺の矛と、高所から振り下ろした鞭とが交差し……
「ってぇえええっ!」
その直後、俺の右腕に灼熱と激痛が走る。
見れば、肘から先の服が見事に焼き焦げていて……状況から見ると、俺は腕に一撃を喰らってしまったらしい。
だが、先ほど放った俺の一撃も、破れかぶれながらも渾身の力を込めて振り下ろした筈であり……そう簡単に受け流したり、防いだり出来る代物ではない。
そう考えた俺は、右手の先に握っている矛へと視線を移し……
「一体、何が……
~~~っ、くそったれがぁっ!」
矛先を見て、ようやく先ほどの戦いの結果を理解した俺は、苛立ちに任せて叫びながら、矛を地面へと叩きつける。
俺の矛は半ばで見事に焼き切れていて……どうやら『燃鞭』のヤツは、あの交差した一瞬で俺の武器を破壊し、ついでに右腕に一撃を加える神業を見せたようだった。
──速さが、違う。
──技術が、違い過ぎる。
幸いにして怪我はしていないようだったが……それでも未だに熱さが抜けない気がする右腕を抑えつつも、彼我の戦力差を完全に理解した俺は、思い通りにならない苛立ちに歯を食いしばる。
……勝てる気が全くしないほどの実力差を実感した所為で、歯噛みすることくらいしか出来なかったとも言うが。
──相手が鳥に乗っている以上、逃げるのは無理。
──だけど、戦ったとしても……
今までの雑魚を相手にするように、一撃を喰らいながら反撃を加える戦い方は、コイツには通用しない。
何しろ……この王の一撃は、破壊と殺戮の神ンディアナガルの権能に護られている俺に対しても、強烈な痛打を加えてくるのだ。
しかもこれからは、鳥に乗って凄まじい勢いで襲い掛かってくる、凄まじい技量を持つあの王を、素手で迎え撃たなければならない。
ちょっと考えただけでも、明らかに分かる。
そんなこと……出来る訳がない、と。
──勝てねぇ。
彼我の戦力差を図り終えた俺が出したのは……そんな結論だった。
武器は燃やされて破壊されてしまう。
鉄鞭による凄まじいリーチと、それを容易く操る超人級の技量を持ち。
そして、鳥を乗りこなしてみせる、歩兵では逃げることすら叶わないほどの機動力。
──人間じゃ、こんなヤツ……勝てる訳が、ない。
幾つかの要素を比べてみるものの、何一つとして勝てる気がしない。
今、俺がこうして五体満足に立っていられるのも……破壊と殺戮の神の権能があるからこそ、「辛うじて無事だ」というだけ、なのだから。
幸いにして、先ほど喰らった右腕も「皮膚が赤く染まる程度」の軽い火傷で済んでいるものの……コレを何発、何十発も喰らった時、果たして俺が無事でいられるかどうか……
「なるほど。
あの一撃でもそう大した被害を喰らわぬとは……貴様もただの人間じゃないようだな。
もしかしたら、明日にでも『神果』を手にし……あの創造神に選ばれる存在だったのかもしれん」
俺の無事を……微かな火傷痕しかない俺の右腕を見たのだろう。
『燃鞭』はこちらへ馬首……正しく言うならば「鳥首」を向け、次の一撃を加えようとする体勢を整えつつ、そう告げる。
「だが……運がなかったな。
我が前に現れた神は、もう神樹は消え、これ以上の『神果』は採れず、次の王が現れることはないと告げた。
つまり貴様は、結局は人間の領域を超えられず、哀れに死にゆく定めなのだよ」
その言葉は、俺の希望を断つための……俺の抵抗を削ぎ、楽に勝利を収めるため、ヤツが使った策の一つだったのかもしれない。
だが、生憎と……俺はその言葉を聞いて、希望が断たれるどころか、一つの答えへと到達していた。
──ああ、そうか……
──神から力を得た、ってことは……
──王は……コイツらは、人間じゃないのか。
……そう。
俺が持つ……「人間が持つ」戦闘力では、コイツには全く勝てる気がしなかった。
だけど、相手が人間を辞めていて……しかも、こちらの命を奪おうと襲い掛かってきている以上、負けてやる訳にはいかない。
だったら……答えは一つ。
──『人間じゃない』戦い方をするしか、ない。
この世界では、何とか「人間の範疇」で頑張ろうと決意した俺だったが……此処は、人間の領域を踏み越える異能を持ち、化け物じみた速さと技術を持つ、これほどまでに強い連中がゴロゴロしている世界なのだ。
そもそも「人間の範疇を貫く」という目的が、この世界に来てから決めたものでしかない。
その程度のものを……こんなに痛い思いをしてまで貫く必要もないだろう。
──蟲で、喰らう、か?
──蚊で、疫病を喰らわせるか?
──爪で、完全に消し飛ばす、か?
幸いにしてンディアナガルの化身である俺には、選択肢が幾つもあって……どれを選んでも、この程度の敵を屠るのにそう大した苦労もない確信がある。
そして……そう決断してしまうと、後は簡単だった。
俺は右腕の痛みがあっさりと引いていくのを感じながら、まっすぐに立ち上がる。
……パラパラと皮膚の上をくすぐっていっているのは、塩の粒、だろう。
どうやらこの『燃鞭』の一撃は俺が思っているよりも遥かに強力だったらしく……いつぞやの高所からの落下ダメージを塩の結晶が防いだように、鉄鞭の一撃を防ぐため、塩の権能が自動的に働き、防御してくれていたようだ。
「まだ折れぬとは大した漢よっ!
だが、武器も持たずに何が出来るっ!」
絶望を告げられた俺が、まだ戦意を失わないのことに賞賛の言葉をかけつつも……『燃鞭』という名の王は、俺へと三度襲い掛かってくる。
……だけど。
──悪いが、もう、『人』の戦いじゃないんだよっ!
僅かな時間差をつけながら、二つ振るわれる敵の鉄鞭を、俺は両の腕で防ごうともせず……ただ仁王立ちしたまま待ち構える。
正直に言うと……防御など不要なのだ。
何しろ、俺にとっては速すぎて見ることも叶わないその鉄鞭であろうとも……神の目にとっては、欠伸が出るほど低速の攻撃に違いないのだから。
「……ば、馬鹿、なっ?
王の力、だとっ?」
俺の確信通り、鉄鞭は虚空に突如生まれた『塩の楯』によって阻まれ……俺の皮膚を傷つけるには至らない。
腕の振りから俺が予測していた鞭の軌道と、実際に鞭が防がれた位置が随分と違うのは、この王がフェイントや何やらを駆使して、腕の振りから鞭の軌道を読ませないように細工したから、だろう。
もしかしたら、俺が知覚出来なかっただけで……この王は、凄まじく高度な技術を使い、数多のフェイントを仕掛けていたのかもしれない。
とは言え、幾ら巧かろうが複雑だろうが、人が足掻いた程度の小細工など……所詮、神の前では児戯にも等しい。
それほど戦闘技量が高い訳でもない俺が何かをするまでもなく、俺と存在が重なっている破壊と殺戮の神ンディアナガルの塩の権能によって、その鉄鞭は塩で固められ……虚空で縫い止められていたのだから。
「ははっ!
ご愁傷様だなっ!
つーか……いい加減、上から鬱陶しいんだよぉおおおっ!」
後は簡単だった。
驚愕のためか、一瞬動きの鈍った王の、塩で固められたままの鉄鞭を掴むと……俺は渾身の力を込め、その鉄の武器ごと、男の身体を引っこ抜く。
まずは、武器を奪い……ついでに鳥から引きずり落とすことで、戦闘力と同時に機動力を奪おうとしたのだ。
……だけど。
「ぅぉおおおおおおおおおおおっ?」
一撃を放った直後に硬直していた所為、だろう。
もしくは、塩の塊から鉄鞭を引き抜こうとしたためか、『燃鞭』は武器を強く握りしめていて……それが仇となった。
……俺が渾身の力で引っこ抜いた鉄鞭を、強く握りしめていたのだから。
振り払った時に聞こえた、枯れ木が折れるような音は……王の、何処かの骨が砕けた音、だろうか。
もしくは、肩の関節が抜けたのか。
兎に角、『燃鞭』という名の王は「騎鳥から引きずり落としてやろう」という俺の思惑とは裏腹に、ただ引っ張っただけの腕力によって想像以上の速度で吹っ飛んでいき……二百メートルほど吹っ飛んだところで、大地に叩きつけられ、その勢いのままゴロゴロと転がっていく。
「流石は、皇帝様。
まさに、化け物じみた……」
「おい、見てみろよ。
すげぇぜ。
アレ喰らって、まだ動いてやがるっ!」
「……敵ながら、天晴。
流石は、王、って訳だな」
「つーか、どっちも人間じゃねぇ……」
魯と慈が隣でそんな会話を交わしていて……何となく聞こえてきた幾つかの不穏な単語は兎も角、俺の前から吹っ飛んで行った『燃鞭』はその一撃を喰らっても、まだ生きていた。
絶妙のタイミングで受け身を取ったのか、それとも王というヤツは身体そのものが頑丈なのかは分からないものの……あれだけの速度で吹っ飛ばされたにも関わらず、まだ立ち上がろうとしているのだから、大したものである。
……だが、あの王が幾ら超人じみた身体能力を持っていたとしても、飛んで行った先を選ぶほどの余裕はなかったのだろう。
「これはこれは、とんでもない歓迎だな。
感謝させて貰うとするか」
俺が何も考えず、ただ背後へと引っこ抜いた所為で『燃鞭』が転がった先は、ちょうど後続の軍勢の真ん前……我らが王である『黒剣』の真正面だったのだ。
「くっ、『黒剣』ぁあああああああっ!」
それでも立ち上がり、眼前の絶望に抗おうとした『燃鞭』は、まさに王だったのだろう。
だが、右腕はあらぬ方向に捻じ曲がり、転がったダメージで起き上がることが精いっぱい、しかも乗鳥は失い……その状況で、戦える筈もない。
そんな状態ながらもボロボロの身体を鞭打ち、必死の雄叫びを上げる『燃鞭』の鉄鞭からは、いつしか七つの炎の玉が生まれ……恐らく、この攻撃こそが、今のあの男が使える最大最高の攻撃なのだろう。
「七燃撃っ!」
「……甘い」
とは言え、その七つの炎すらも……『黒剣』の手にしていた黒き剣によって、あっさりと全てかき消されてしまう。
どうやら王の名を示すあの黒い剣は、炎などの異能をかき消してしまう異能で……ついでに言うと、我らが王も『燃鞭』と同等の……いや、それ以上の、人とは遥かに隔絶した技量の持ち主のようだった。
そして、己の最大の攻撃をあっさりとかき消された『燃鞭』という名の王は、一瞬だけ愕然とした表情を見せつつ……それでも鉄鞭を振りかぶり、眼前の敵を
討とうとする戦意を見せた。
……その瞬間だった。
「……その闘志、敵ながら見事」
祈るような呟きと同時に放たれた『黒剣』の横薙ぎの斬撃によって、『燃鞭』の頭が、虚空を舞い……残された胴体からは、噴水のように真紅の血が吹き上がり始め……
そしてその直後、重力に引かれて落ちた頭蓋が大地を叩いた鈍い音が、静まり返った周囲に、やけに大きく響き渡る。
「ぅ、ぉおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
「しゃぁああああああああああああっ!」
「俺たちの、勝ちだぁああああああああああああああっ!」
「黒剣っ! 黒剣っ! 黒剣っ!」
直後に周囲の兵たちが叫ぶ鬨の声が……この戦いが『黒剣』の勝利で終わったのだと、この『燃鞭』という名の島の住人全てに教えるかの如く、凄まじい大音量で周囲へと響き渡ったのだった。