肆・第五章 第一話
「燃鞭、近づいて来ますっ!
方角は砦の東側っ!」
「籠城戦の用意を整えろっ!」
「薪と油をっ!
あとは城門の修理を急げっ!」
敵が迫っている所為、だろう。
つい先ほどまで李逵とかいう筋肉の化け物が統治していたこの砦の空気は、一気に慌ただしいモノへと化していた。
「武器を、もっと出せっ!」
「今から城門を直すなんて無理だっ!
大工が百人単位で要るぞっ!」
そんな怒号の飛び交う中、俺はゆっくりと廊下を歩く。
正直な話……やることが何もなく、ただ歩くことしか出来ないのだが。
敵が来ると言っても、当然のことながら浮島の動きは酷くゆっくりしたものであり、目で見て近づいて来ているかどうか判断しづらいレベルでしかなく。
そして、この砦を奪った以上、俺はここの最高責任者であり……兵たちが連携して防衛線の準備を整えている間に、下手に口を突っ込んでも邪魔なだけ、だろう。
──さて、どうするか。
そういう訳で、俺は慌ただしく兵が走り回る中、のんびりと廊下を歩いていたのだったが……
「ああ。
皇帝様。
ようやく話が整いました」
そうして廊下を中ほどまで歩いた時のことだった。
不意に奥まったところにある部屋の扉が開いたかと思うと……中から俺の管事である諸が現れたのだった。
相変わらず古傷だらけの青年は、義足を器用に使いながら俺へと駆け寄ってくる。
その様子は何処となく上機嫌そうで……
「お聞きください、皇帝様。
商談は上手くまとまりましたっ!
戦奴は想定の二割増し、食料は予定価格の一割増っ!
武器に至っては、五割増しまで引き出すことに成功したのですっ!」
「……あ?」
俺は当初……この『出来る』筈の管事が一体何を言っているのか、全く理解が出来なかった。
そんな俺の怪訝そうな顔にすら、上機嫌っぽいこの青年は気付かなかったのだろう。
更に言葉を続けてみせる。
「兵たちへの賄も、僅か酒樽一つで合意しました。
これほど上手くいった取引、は……」
そこまで話したところで、ようやく俺の様子に気付いたのだろう。
諸は少しばかり不安そうな顔色をしつつ、口を噤む。
そんな管事に対し、俺はゆっくりと、若干気が進まないながらも、彼の努力が水泡に帰したことを教えるべく、口を開く。
流石に……こういうことを告げるのは、若干、胃が痛い。
「すまん。
この砦は、もう、落した」
「……は?」
流石にこの聡明な青年も、俺の言葉をすぐには理解出来なかったらしい。
目を見開いたまま身体を硬直させ……主の言葉を問い返すという、目上の相手に対してはものすごく失礼に当たるだろうことを素で返していた。
尤も……俺は礼儀作法なんざ詳しくないので、他人にそれを強要するつもりもないのだが。
「し、失礼を。
しかし、落した、とは……」
「……ああ。
城主の、何とかってデカいヤツ。
アレを殺したら、何か、俺が城主ってことに……」
俺がそう告げた、その瞬間だった。
諸は突如として大地に平伏すと……そのまま石畳の廊下へ額を擦り付けながら、大声で絶叫を始めたのだ。
「ご無礼を致しましたっ!
しかし、自分は、これから皇帝様と商の利益を続け、戦奴百人を束ね……そこから連長を目指し、徐々に勢力を拡大した上で、将へと成る計画を立てていたのですが……。
まさか僅か一日で連長を飛び越え、将の地位へと就かれるとはっ!
この諸、貴方様を見誤っておりましたっ!
誠に、申し訳ありませんっ!」
頭を下げる諸のヤツの後頭部を眺めつつも、俺は静かに……反応に困っていた。
何しろ、外で行われていた戦闘に気付くこともないほど、必死に頑張っていたコイツの交渉を全て水泡へと変えたのは俺自身である。
餓鬼を殺された以上、あの戦闘は避けようがなかったと思うし、それを悪いとは思わないものの……それでも、コイツの小一時間の努力を全てふいにしたのは、紛れもなく俺の所業なのだ。
幸いにしてコイツは自分の努力が水泡に帰したことよりも、俺が出世したことを喜んでくれている訳だが……
さて、俺は下手な慰めを口にするべきか、それとも鷹揚に頷いて全てを水に流すべきか。
「あ、え~」
ただ、幸いにして返答に困り果てた俺が適当な言葉を口に出そうとした、まさにその瞬間……一人の兵がこちらへと近づいて来て、俺の発言の機会を奪ってくれた。
「皇帝様っ!
各々の兵は準備完了っ!
配置に就きましたっ!
しかしながら、城門の補修はどうしても目途が立たずっ!」
絶好のタイミングで駆けつけてくれたその兵は、恐る恐るという態度で俺の足元に跪きながら……それでもしっかりと通る声で俺に語りかけてくる。
その行動はまさに兵士という感じで……何となく俺は、今さらながらに自分が将となったという意味を実感し始めていた。
「このままではっ、防衛にどうしても穴が開いてしまいますっ!
乾坤一擲、此処は打って出ることを進言致しますっ!」
兵は、震えた声でそう言葉を続け……どうやら、策を上申することで俺の不興を買ってしまい、無惨に殺されることを怯えているようだった。
ソイツの反応を見た俺は、俺の何処を見てそんな残虐非道で無慈悲なヤツだと判断したのかと、小一時間ほど問い詰めてやりかったものの……
生憎と……今は、それどころじゃない。
──城門がない、か。
──まぁ、ぶっ壊しちまったからなぁ。
そもそも俺が掴んで一度振るっただけで壊れるような城門である。
あっても敵軍の攻撃ですぐ破壊されていて、壊れていてもそう大勢に影響はないとは思うものの……
──しかし、打って出る、というのは……
そもそも、今まで劣勢で砦を落される寸前まで追いつめられていたのだ。
無理矢理打って出たところで、勝算があるとは思えない。
「……そもそも、彼我の戦略差は、如何ほどあるのですか?」
「え、あ、はい。
我が方は、戦える兵が五十七名。戦奴が百体ほど。
敵側は兵、戦奴合わせて四百、というところでありますっ!」
俺の思考を手助けするため、だろう。
管事である諸は兵へとそう問いかけ……兵は一瞬、傷だらけの青年に「商人付きの管事如き」という視線を向けたものの、俺の前だったのを思い出したのか、すぐさま答えを返す。
そうして彼我の戦力差を理解した俺は、大きなため息を吐き出していた。
──ボロ負けじゃねぇか。
よくよく考えてみれば、一国の国境を守るための砦の一つと、国を侵略しようとする敵の主力がぶつかり合おうとしているのだ。
向こうは一点集中、こっちは分散している状況なのだから……普通に考えて勝てる筈もない。
──打って出るのは愚策、か。
勿論、その差を覆す兵の質や士気、戦略など、他の要素は色々とあるのだろうが……数が負けているというのに、砦という利点を捨てて、野戦を仕掛けるのは愚の骨頂だろう。
──なら、どうするべきか?
俺は砦の構造を思い出し、正門の形状を思い出し……脳内で策を練ってみる。
平和な日本で生まれ育った俺は、戦略の知識なんてゲームでちょっとだけ齧った程度だったのだが……
不思議と、戦闘をどう運べば有利に進むかという戦術案は、あっさりと俺の脳内に舞い降りてきてくれた。
「打って出るのは却下だ。
それよりも、配置を少しだけ変更させて貰う」
俺は適当にその辺りの石壁に指を突き刺して、適当な砦の見取り図を描くと……さっき脳内に舞い降りてきた戦術案を、この脳筋共にでも分かるように、出来るだけ簡単に説明してみせたのだった。
「……来た、な」
俺が砦を落してから二時間ほどが経過した頃、だろうか。
ゆっくりとこちらへ進んでいた『燃鞭』の島は、気付けばこの砦と目と鼻の先まで近づいていて……
そして、島と島とを結ぶのだろう、巨大な跳ね橋がゆっくりと下がっていくのが見える。
と言っても、島の端はこの砦から三百メートル以上向こうのことであり、敵がこの砦へと攻撃を仕掛けるには、まだ数十分は軽く猶予がありそうだったが。
「皇帝様っ!
どうぞ、ご無事でっ!」
「皇っ!
死なないで下さいっ!」
「あ~、はいはい。
良いから、下がってろ。
……諸、餓鬼共の面倒、頼む」
背後からかけられる声に、俺は振り返ることもなく適当に手を振りかえす。
管事である諸のヤツと、鈴の声だった訳だが……もうすぐここは戦場になるのだ。
……相手をしている暇は、流石にない。
と言うより、俺が無駄話をして安心させるよりも、これ以上餓鬼共を減らさないよう、さっさと砦の中へ避難してもらう方が先決である。
ただでさえ残る餓鬼は五人……あの農村で拾った十二人の餓鬼共は、既に半数を切ってしまっているのだから。
「……さて、と」
餓鬼共の気配が遠ざかっているのを感じつつ、俺は自分の策が成功するのを祈りながら周囲を見渡した。
俺の周囲には、地面に突き刺さった槍や矛や大刀など、数えきれないほどの武器が突き刺さっていて……いつぞやの比武で使ったのと、同じような構図になっている。
俺の周囲に人影はなく……代わりに、城壁の上には数多の兵と戦奴たちが弓矢や石、脂などを手に待ち構えているのが見える。
──上手くいけば、良いんだが。
まぁ、正直な話……俺の策と言っても、そう難しいことじゃない。
壊してしまった正門の代わりに、『俺』が敵を食い止める。
当然だが、敵は開いた門に立ち塞がる俺に群がるのは確実で……俺は群がってくる雑魚共を片っ端から潰して見せる。
その惨劇を目の当たりにして恐怖に足の止まった敵を、兵たちが門の上から狙う……ただそれだけの話なのだから。
尤も、破壊と殺戮の神ンディアナガルの化身たるこの俺をどうにか出来る相手など存在しないのは明白で……そこさえクリアできれば、この策は成功したも同然だと思っているのだが……
「死ぬなよ?
お前が抜かれた時の対処くらいはするが……
もし、お前が殺されたら、俺はすぐさま逃げるからな?」
そんな俺の背後では、堅のヤツが矛を手に、そんなやる気のない言葉を発している。
相変わらず気合の入らない男ではあるものの……四百を超えるだろう敵兵を前にして、生身の人間のまま立ち塞がろうというのだがら、コイツの胆力も化け物じみているとしか思えない。
……幾ら、俺という前衛がいるにしても、だ。
よく言えば、信頼されているのかもしれないが。
「全員、構えっ!
合図次第で、いつでも撃てるようにしろよっ!」
城門の上からは、そんな声が響く。
それもその筈、既に敵さんたちは土煙を上げながら、こちらへと近づいてきていて……もう矢を放てば、届くだろう距離まで来ていた。
……だけど。
──礼儀ってのも、面倒なもんだ。
こういう場合、例え先制出来るにしても、軍団の長同士の挨拶が終わるまで、矢を射ってはならない……そんな暗黙の了解があるらしい。
現代日本で暮らしてきた俺にはよく分からないルールではあるが、それでもコイツら的には守るべきもの、なのだろう。
何しろ、弱者を殺すのは当然、敗者から全てを奪うのは正義という、頭のおかしいこの世界で……それでも兵たちは、先制攻撃を命じた俺の指示に従わなかったくらいなのだから。
そうして砦の眼前、百メートルほど離れた場所で止まった敵軍の中から、一人の男が進み出て来た。
──出来る、な。
槍の切っ先の根本に横向けの刃がついている、戟とかいう武器を手に悠然と歩いてくるソイツの身のこなしから、何となくそう読み取った俺は……近くに突き刺さしていた槍を手に取ると、ゆっくりと構える。
「……ほぉ。
見ない顔だな。
だが……何のつもりだ、ソレは。
若気の至りにしては、少し度が過ぎていると思うが?」
「この砦を奪った者だ。
若気の至りかどうか、てめぇの身体に教えてやるさ。
……死にたいヤツから、前に来い」
必死に考えた自分の策を完全に馬鹿にしたソイツの声に、俺は少しだけ苛立ち……その所為か、つい挑発めいた言葉を返していた。
尤も、こうして敵と相対しているのだ。
会話で穏便に、などという解決策などある訳もなく……どちらかの命が奪われて終わりという結末しかあり得ないのだが。
「良いだろう。
燃鞭が副官、呂方、参るっ!」
それが、合図だった。
呂方とかいう男は、その手にしていた戟を振るい……その鋭利な切っ先は頭上で大きく弧を描いたかと思うと、突如、軌道を歪め俺の方へと滑るように突き出てきた。
「~~っ、ちぃっ!」
直接攻撃とは関係ない、頭上でのパフォーマンスに一瞬だけ気を取られていた俺は、その攻撃への「溜め動作」を全く感じさせない不意の一撃を前に、反応が完全に遅れてしまう。
それでも慌てて振るった俺の槍は、男の振るう戟に何とか間に合い……ギリギリのところで弾き返すことに成功する。
「……ほぉ。
ただの馬鹿じゃないようだな」
その衝突で俺の力量を悟ったのだろう。
呂方とかいう男は、静かに腰を落し……まさに本気の構えという様相を見せ始めた。
事実、反応が遅れていた俺が、敵の初撃を何とか弾けたのは、槍の重さを感じないほどの膂力に恵まれているからに他ならない。
……先ほどの衝突で俺の膂力を悟ったのだろう。
呂方とかいうこの男は戟を柔らかく持っていて……どうやら力ずくの勝負をしてくれそうにはないらしい。
──くそっ。
──隙が、ねぇ。
相手が手強いと見た俺は、何度かフェイントを仕掛けてみるものの……素人如きの稚拙な技術じゃ、全く反応すらしてくれないのが現実だった。
それでも、俺が仕掛けたフェイントの継ぎ目にあった筈の隙に相手から切り込んで来ないのを見る限り、この呂方とかいうヤツが狙っているのは「カウンター」だろう。
「だったらっ!」
……それならそれで、策はある。
俺は相手が仕掛けて来る様子がないのを良いことに、体勢が崩れるのも覚悟の上で、足元の大地に向けて、かなり力を込めた蹴りを叩き込んだ。
俺のサッカーボールキックを受けた石畳の地面はあっさりと砕け散り……数えきれないほどに割れた石畳の欠片を、とてつもない速度で弾き飛ばす。
「な、なぁぁあああっ?」
流石の達人でも、一流のピッチャーが放つストレート並の速度で飛んでくる、数十の破片を避けるのは容易ではなかったらしい。
敵軍の副官を名乗ったその男は、そんな慌てた声を上げつつ……それでも、この程度の小細工でどうにかなる相手ではなかったのか、軽くバックステップをして距離を取りながらも、手にしていた戟を上手く扱い……
破片を弾き、逸らし、すかし……その男は、微小な欠片を無視しながらも、ダメージが大きくなりそうな拳を超えるサイズの欠片だけは、たった一発の被弾もせず、見事に防ぎ切ったのだ。
──だけどっ!
──今、コイツはその飛んできた石を防ぐだけで精いっぱいの筈っ!
破片を防ぎ切ることで体勢を崩したその男を前に、俺はそう読み……前に大きく踏み込むと同時に手にしていた槍を振り上げ、渾身の力で相手の頭蓋へと振り下ろす。
……切っ先で切り裂こうとするのではなく、むしろ、柄だろうと当たれば一撃で殴り殺せる勢いで。
だけど、俺のその読みも……敵の手のひらの上に過ぎなかったらしい。
「かかったっ!」
何しろこの呂方という男は、俺が槍を振り下ろそうとしたその瞬間、崩れていた筈の体勢をコンマ一秒で整え、手にしていた戟を俺の顔面目がけて突き出してきたのだから。
──しまっ?
──罠、だとぉっ?
完全に虚を突かれた俺は、歯を食いしばり……首の筋肉に力を込めることで、放たれた戟を『咽喉で』弾き返す。
「は?」
そして……
その『あり得ない光景』を前にして驚愕を隠せなかった呂方という達人は、直後に放たれた俺の振り下ろしを喰らい……
血と脳漿を大地にぶちまけながら、そのまま床へと倒れ、二度三度と痙攣をしたかと思うと……そのまま生命活動を永遠に停止することとなったのだった