肆・第四章 第五話
「きゃぁああああああああああああああああああああっ!」
「~~~っ!」
子供の悲鳴を聞きつけた俺は、慌てて石造りの廊下を走りだそうと身を乗り出す。
……そうして俺が、一歩を踏み出した、その時だった。
「待て。
ここから先は有料だ」
「ああ。
商人様なら、簡単に……」
突如、廊下の警護に立っていた兵士二人が前へと進み出て、手にしていた槍を俺の方へと突きつけながら……そんな寝言をほざいて来たのだ。
「~~~くっ!
退けぇぁあああああああっ!」
とは言え……慌てている俺としては、そんな無駄な問答をしている時間が惜しい。
眼前の槍を無視して突っ込み、身体で槍の切っ先をへし折りつつ……立ち塞がるように出て来た男の顔面に、右拳を叩き込む。
「……べぁっ?」
ただ焦るがままに渾身の力を込めた所為か、右拳を受けた男の顔面はまるで西瓜のように弾けて飛び散り……
形を保ったままの眼球と頭蓋骨半分、後は脳の一部以外は文字通り吹き飛んでいき……黄色と赤色の小さな塊となって廊下の壁を汚していた。
「な、なん、なん……」
折れた槍の切っ先を眺めながら、残った一人の兵士が驚いた声を上げていたものの……それを構う暇すら惜しい。
俺はソイツのいた辺りへと、バックハンドでただ力任せに左拳を叩き込む。
拳には何かにぶつかった感触があったものの……俺は振り返ることもなく、まっすぐ砦の外へと向かい、走る。
そうしている間にも、子供の悲鳴や男の怒号は正面……つまりが、俺が置いてきた馬車の方から聞こえ続けている。
──何が、あったってんだっ!
「き、貴様っ?
と、止まれっ!」
「うぜぇっ!
……とととっ?」
走る俺を邪魔しようとしたアホの腹部に蹴りを叩き込んだ結果、内臓破裂でもしたのだろうか……そのアホは吹っ飛んで行った先で、口から血を吐き出しながら痙攣を始めていた。
尤も、感情に任せて蹴りなんて出した代償として、俺は体勢を崩して転びかけてしまい……更に苛立ちが募る結果となったのだが。
そうして正門へとたどり着いた俺は、ようやく子供たちの乗る馬車擬きを視界に収めることに成功し……
「一体、何、が……」
……眼前に広がるその惨状に、絶句する羽目となる。
馬車周囲の地面は、赤く染まっていた。
その赤の原因はさっきの戦いで捕縛した強盗共で……十名くらいが切り捨てられ、地面に伏して動かなくなっていた。
そして、この砦を守っていた筈の兵士たち三十人ほどが、俺たちの馬車から武器や財宝などを強奪し続けている。
……いや、それだけなら別に構わない。
戦奴と成り下がった強盗共は殺されようと自業自得だとしか思わないし、馬車の中の財産すらも俺としては「餓鬼共を食わせるための道具」でしかなく……そう大事なモノではないのだから。
……だけど。
──小。
いつぞやで選手として戦場に出ていた少女の、その小さな頭が……血まみれの地面に転がっているのが目に入る。
……入って、しまう。
彼女は……たしか、まだ三歳くらいの、ただの無力な少女でしかなく……
こんなところで、殺されて良い存在じゃ、なかった筈だ。
──董。
そんな少女の隣で、その身に余る剣を抱えたまま倒れているのは、董……いつも俺の畑仕事に付き合っていた、男の中では最年長のヤツである。
恐らくは……その扱うことも出来ない剣を手にして、自分より幼い子供たちを守ろうとしたの、だろう。
いつぞやで「けんしになる」と口にしていた少年は……そうして、誰よりも剣士らしい生き方を終えたのだ。
──男、だったぞ、お前。
その幼い子供の……いや、一人前の漢の散り様に、俺は最大限の賞賛を送る。
もう一人倒れているのは……確か燕とかいう、董と同年代くらいの女の子だった筈だ。
「ぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
その惨状を前に……俺は魂の奥底から湧き出るがままの叫びを放っていた。
叫びに呼応したかのように、周囲の大気が動いて突風が起こり……兵士たちの動きが止まる。
「皇っ!
みんなをっ!
たすけてっ!」
そんな中、真っ先に俺に気付いたのだろう。
堅のヤツの愛人に抱きしめられたままの、鈴がそう叫んだ。
──母親と、会っていた、のか。
以前、「夫が変わると自分の子供を殺すのが普通」と聞いたこの世界の親子関係ってのがどうなっているのかは分からないが……それでもお互いに無事であれば、話くらいはする余地はあるらしい。
真っ先に子供たちを庇おうとする、あの最年長の少女が未だに刃の餌食になっていないのは、実の母親が必死に抱き留めていたお蔭、なのだろう。
尤も、その母親という『男の目を惹きつける戦利品』が目立つ所為で、兵士たちはそっちに群がり……戦力として期待していた筈の堅が、その防衛で動けなくなっているようだったが。
「はっ、商人様のお帰りだっ!」
「ああ、歓迎してやろうぜっ!」
そして……俺に気付いたのだろう。
略奪を続けていた兵士たちの内、五人がニヤニヤとイラつく笑みを浮かべながら、こちらへと歩いてくる。
弱者をいたぶろうとする時の、圧倒的強者の笑みを浮かべた男たちに……俺は怒りを隠しきれない。
「……ああ。
歓迎してくれ」
兵士の声に、俺は静かにそう答えつつ、近くにあった一番『使い易そうな武器』を右手一本で掴むと……ソレを力任せに引き千切り、片手で持ち上げる。
「……ぁ?」
「何の、手品、だ?」
高さ五メートル、幅三メートル、厚さ一メートルの、金属で補強した木製の『門扉』を持ち上げた俺を、男たちは呆然と見上げていた。
まぁ、普通ならあり得ない光景であるのは疑いようもなく……だからこそ、呆けてしまうのも無理はないかもしれない。
──だけど。
俺という脅威を前にしている以上、その隙は命取りでしかないのだ。
「死にやがれぇぁあああああああああああっ!」
そのまま俺は激情の赴くままに叫びながら、手に掴んだ門扉を右手一本で力ずくで薙ぎ払う。
「……ぇぺ?」
直後……ぐちゃりという、肉の潰れた音がした、ような気がした。
実際のところ、五人の兵士を圧倒的な質量で潰した音よりも、門扉が地面に叩きつけられ砕ける音の方が遥かに大きく……そんな音は耳に入らなかったのだが。
……そう。
俺が思っていた以上に門扉は重く、真横に薙ぎ払った筈の一撃は、斜め下へと落ちる軌道を描き……
地面に叩きつけられた門扉はあっさりとバラけ、砕け散ってしまったのだった。
「な、なんなんだ、アイツは……」
「王、級、だぞ、あれ」
「しょ、所詮は商人だっ!
力だけだろう。
全員でかかれっ!」
俺が一体どういう存在か、今さらながらに気付いたのだろう。
誰かが放った叫びに同調するかのように、兵士たちは一人残らず略奪を止め、武器を手に取りながらこちらへと向かい始めた。
……そういう命令に慣れている辺りは、真っ当な兵士であるらしい。
──くそっ。
──脆いっ!
そんな中……俺は舌打ちを隠せない。
門扉を武器にするという手段を思いついた時は、強靭な武器を手に入れたと思っていたものだが……たったの一撃を地面に叩きつけただけであっさりと壊れる代物だったらしい。
もしかしたら、ここ暫く劣勢だった戦いで破城槌とかいう、門を叩き壊す攻城兵器を叩きつけられた所為で脆くなっていたのかもしれないが。
「死にやがれぇえええええええええっ!」
「それはっ!
俺の台詞だぁあああああああああっ!」
矛を手に襲い掛かってきた兵士の一人に向けて、足元に転がっていた門扉の破片……一縦横メートル角で長さが二メートルくらいの角材を掴み、適当に薙ぎ払う。
ソイツは、先陣を切るくらいあって、かなり腕に自信があったのだろう。
俺の横薙ぎの一撃に反応し、矛で受け流そうとしたのだから。
……尤も。
俺が本気で膂力を込めて振るった一撃は、そう簡単に受け流せるものではない。
あっさりと矛は砕け散り、その兵士の上半身も見事に角材を汚す肉塊だけになってしまっていたが。
「ひ、怯むなっ!
殺せっ!」
「うわぁあああああああああああっ!」
仲間が一瞬で肉塊になったのを目の当たりにした兵士たちは、それでも雄叫びを上げながら俺へと一目散にかかってくる。
その勇敢さには敬意を表したいとは思うものの……生憎と無力な餓鬼共を殺したコイツらを許してやる理由など、欠片も存在しない。
「らぁあっ!」
先ほどの薙ぎ払っていた角材を、同じ軌道を描くように真逆に振り払う。
……その瞬間、だった。
「甘いっ!」
「~~っ?
誰がっ!」
盾を構える一人の男がその常人では抗うことも叶わない、俺の渾身の一撃を……見事に受け流しやがったのだ。
幸いにして受け流されることに慣れてしまっている俺は、その流された角材を膂力だけで無理矢理軌道修正すると、楯を構えたソイツの頭上へと叩きつける。
俺の強引な追撃を全く予想していなかったのだろう。
男は頭上から迫る角材に向け、楯を構えて防ごうとはしたようだった。
とは言え、俺の膂力を『防ぐ』ことなど、人間の身には叶わないのが現実である。
男はそのまま楯ごと潰され、原型を留めないただの肉塊へと変わり果てる。
……俺の持っていた角材を道連れにして。
「無手になったぞっ!」
「今だっ!
一斉にかかれっ!」
「……くっ」
今までにないレベルで、一匹一匹が手強い兵士たちを前に……俺は思わず動揺を隠せず後ずさる。
その強さを味わってみれば……理解が出来る。
……あれほど強かった堅が、自分の女を守るだけで手一杯になっていた訳だと。
事実、コイツらは……今まで戦ってきた雑魚とは、練度が雲泥の差なのだ。
「くそったれがぁあああああああああっ!」
それでも……
幾らコイツらが強力だとしても、幾ら潰すのが面倒だとしても……それでも、無力な餓鬼共を嬲り殺したコイツらを赦すという選択肢など、俺の中には存在しない。
俺は叫びを上げると、一切の躊躇いを捨てることにした。
「馬鹿が、隙だらけだっぐぎゃあああっ!」
「こ、コイツっぁあああああああああああああっ?」
躊躇いを捨てる……即ち、返り血と臓物に汚れることを、許容した戦い。
つまりが俺は……「肉弾戦」を選択したのだ。
兵士たちの振るう剣や矛を自身の身体で弾き返し、その腹に拳を叩きつけ、肘で胸骨を潰すという、返り血に汚れ、反吐の匂いを身に浴びる……泥臭く、汚く、醜い戦いを。
「舐めるなぁあああああっ!」
だが、徒手空拳でも、兵士たちは強かった。
そうして二人を屠ったところで、俺の動きは既に対応され……
「うぉおおおおおっ、ぐっ?」
「ぐがぁああああああああっ?
肩がっ、肩がぁあああああっ!」
あっさりと腕を取られ、そのまま背負われ、投げられる。
地面へと叩きつけられながらも俺は、それでも必死に抗い……俺を投げた男の、肩の肉を骨ごと捩じり取ってやったのだが……
──いてぇ。
ほぼ外部からの攻撃には無敵である破壊と殺戮の神ンディアナガルの権能ではるが……実のところ、地面に叩きつけられる衝撃ってのは、素のまま味わってしまうという重大な欠陥があった。
それは、無敵になった今でも、俺が「高いところから落ちる」ことを嫌がる理由でもある。
──怪我はしないんだが、な。
慌てて飛び起きながらも俺は、戦いが儘ならない……殺したいヤツらを思い通りに殺せない苛立ちに歯噛みする。
事実……敵共の練度が高すぎるのだ。
俺が本気を出して攻撃したとしても、その一撃を凌がれてしまう程度には。
雑魚を薙ぎ払うゲームで、敵が一発で死ななくなった感覚、が近いだろうか?
そのまま置き上がった俺は、近くで肩を毟り取られて激痛にもがく男の頭蓋を踏み砕き、楽にしてやる。
それと同時に、起き上がる時ついでに掴んでいた「石」を握りしめると、大きく振りかぶり……
「喰らい、やがれぇぁああああああっ!」
渾身の力を込めて、放り投げる。
「ぺぁっ?」
「ぐぼぉぁっ!」
「ぐっぁああああっ?
肩が、肩がぁああああああああっ?」
攻撃パターンを繰り返すと対応されると分かった以上、手を変え品を変え、色々な攻撃方法を続ける必要がある。
そう考えた俺は、いつぞやに使った覚えのある「投石」という攻撃手段を選んだのだ。
だが、それも殺せたのは二人が限度だった。
一人は何も言わずに頭蓋を砕かれ、二人目は避けようとしたものの腹に大穴を開けられて血と臓物を噴き出しながら崩れ落ちる。
だけど、三人目になれば、既に回避パターンを読まれたらしく、もう肩を砕くのが限度になり始めたのだ。
──手強い。
──だったら……
まだ二十近くも残る敵にイラついた俺が、ついに最終手段……蟲の権能を呼び出して一掃しようと考えた、その時、だった。
「はっ!
仲間の仇だっ!」
「俺たちだって、やられっぱなしはムカつくんでなっ!」
「散々、やってくれたな、こらぁああっ!」
こちらへと集中していた兵士たちの背後から、突如、襲い掛かる一団があったのだ。
それは、堅を始めとした俺の護衛たちと、一方的に殺されていた戦奴たちで……敵の注意が完全に俺へと向いたその瞬間を狙って、背後から強襲し始めたらしい。
──流石に、やるっ!
恐らくは相棒……堅の仕業だろうその絶妙のタイミングで仕掛けられた奇襲に、俺は思わず喝采を上げていた。
そんな俺とは真逆に……背後へも注意を向ける必要が生まれた兵士たちは、流石に動揺を隠せず、動きに乱れが見え始める。
「散々、梃子摺らせてくれたなぁ、おい」
それを見極めた俺は、統率の乱れ、恐怖の色を浮かべた兵士たちに向けて、静かにそう呟き……
「それも、此処までだ。
……さっさと死にやがれ、カス共」
これから始まるだろう凄惨な未来を前にした哀れなその生贄たちに向け、俺はそう吐き捨てるように呟くと……近くに転がっていた矛と剣を拾うと、その未来の肉塊へと踊りかかったのだった。