肆・第四章 第四話
「凄まじい戦果です、皇帝様。
金銀財貨だけで、今回の取引で得られる利益の十五倍を稼ぎました。
その上、戦奴として二十七人も得ています。
帰ってから比武を行うだけでも、更なる利益を得られるかと……」
「……ああ、そうか」
興奮したかのように言葉を続ける管事の声に、馬車の荷台に寝転がったままの俺は、適当に頷きを返す。
膨大な利益を目の当たりにしてテンションの高い諸に悪い気はするのだが……実際のところ、俺には、金なんてどうでも構わないのだ。
──金を使ったところで、なぁ。
服はゴワゴワで着心地の悪い代物が関の山……所詮、千円で買える安物のTシャツ以下でしかなく……。
高級品として絹……とンディアナガルの権能が翻訳してくれたが、恐らくは似た別物……があるらしいのだが、ソレにもこの道中、一度袖を通してみたのだが、いまいち肌に合わない。
それに……そんな高級品を着たところで、どうせ戦いによる返り血か刀傷でボロボロになるのがオチである。
デザインもゴテゴテしている上に装飾過剰で……何というか、コスプレしている気分にしかならず……
正直、こだわる意味すら見いだせないのが実情だった。
──食事も、なぁ。
今まで食べたものと言えば、粟とかいう鳥の餌、麺とは名ばかりの小麦の塊……しかも、味付けの塩すらケチっていて、不味いことこの上ない代物。
他には、塩辛い干し肉と、変な鹿擬きの肉と……
──ああ、あの肉は意外と美味かったが……
部位によって違うんだろうが……あの鹿擬きは、臓物の一部がそれなりに美味かった記憶がある。
とは言え、やはり俺は現代日本人である。
カレーやラーメン、牛丼とか……そういう文明的な食事がしたいのだ。
そして、あちらでは千円程度出せば気軽に手に入るそれらは……此処では幾ら金を積もうとも手に入らない、幻でしかない。
「……そうなんだよなぁ。
金なんざ稼いだところで……使い道がなぁ……」
「いえ、そんなことは、ありません。
手駒を増やして百人を束ね、連長として国に売り込むのです。
そうすれば……」
そう語る諸は、何やら将来の展望があるような口ぶりだったが……俺としては、出世なんぞにもそれほど興味を抱けない。
権力を使って女を……とは一瞬考えるものの、今でも腕力を使えば、女なんざ幾らでも手に入る。
とは言え、俺が欲しいのは、そういう……腕力づくや権力づくで、女性を強引に従えるとか、そういう強姦まがいのやり方じゃなくて、もっと、こう……
「そろそろ砦が見え始めます、皇帝様。
これから始める取引の仔細について、ここに書き連ねたものと凡その相場がありますが、如何いたしましょうか?」
「あ? ああ。
……任せる」
少しばかり妄想の世界に飛んでいた俺を引き戻した、その諸の言葉に……俺は慌てて頷いてみせる。
実のところ、話は半分ほど上の空だったのだが……まぁ、コイツに任せていれば、それほど大きな間違いもない、だろう。
──裏切れば、殺せばいいだけだから、な。
元々、金に困っている訳でもない。
とは言え、俺のその言葉の所為か……諸は何故か義足と荷台とを軋ませながら、変なクスリが決まったように、震え始めていたが。
「で、では、武器・食料は帰りの分以外は売り払い、戦奴については、半数を売り払う、という形に致します。
また都に着けば、比武を開きませんと……」
「って、あの殺し合い、か。
権力者って連中は、よほど血に飢えているんだな、ったく……」
……ボソッと。
あの下らない血祭りを思い浮かべながら、俺が適当に口にしたその言葉を聞いて、諸のヤツが何かを答えようと、口を開いた……その時だった。
「けっ。
あの乱痴気騒ぎを望んでんのは、お偉いさんたちじゃねぇよ。
一般の、善良なる連中、って奴らだ」
横合いから吐き捨てるように口を出してきたのは、馬車の横に並んで歩いていた……さっき捕まえた、戦奴の一人だった。
「お、おい。
確か魯とか、言ったな。
口を噤めっ!」
「……どういう、意味だ?」
諸が慌ててソイツを黙らせようとするものの……俺はそれを片手で制して続きを促す。
本来なら、身分差とか色々とあるのだろうが……この世界の住人ではない俺としては、そんな七面倒なことに気を配るつもりなど欠片もない。
むしろ、先を聞きたい欲求の方が強かったのだ。
「別に、変な話じゃねぇさ。
この国の住人は、大きく五つに分かれてる。
支配者である王と、武器を持って戦う兵たち。
武器や衣服や家を建てたりする、職人という名の、一般市民。
それらを運んで金に換える商人たち。
後は、農奴を始めとする奴隷たち……って構造だ」
この魯とかいう男は、意外と話好きだったらしく……俺が先を促した途端、本当に好き勝手に話し始めた。
手枷をはめられているというのに、手振りまで加えて。
しかも、話し好きが高じたのだと素直に感心できるほど、話の告げ方と言い、言葉の響きと言い……人に聞かせるのが上手かった。
「技術力を重んじる黒剣様は、職人たちを「自らの直属である」と公言されているからな。
連中相手に力ずくで無理を押し通すと、王が直々に黒い剣を手に殺しにかかってくる、という寸法だ。
だからこそ……連中は図に乗っちまったのさ」
魯の軽快な口ぶりを少しだけ不審に思った俺は、諸の方へと視線を向けてみる。
だが、諸のヤツは俺の視線を受けても、ただ一度、静かに頷くだけだった。
つまりが……コイツの長い説明には、特に間違っているところはない、ということだろう。
「職人共は、命の危険がなくなった所為で……ただ仕事をするのに飽きてきたんだとよ。
だから、たまに血を見ることで……憂さを晴らそうって寸法さ。
その所為で、戦奴って連中は意味もなく殺される羽目になっているのさ。
尤も……俺もこれから、その戦奴の仲間入りって訳だがな」
魯という男の話は、その自虐的な言葉で幕引きだったらしく、それっきり口上手な男は口を噤んでしまった。
そんな男を横目で眺めながら、俺は軽くため息を吐く。
──だったら、強盗なんざするなってんだ。
実際、百八という名の強盗団から接収した財産の中には、女奴隷……所謂、輪姦用の肉奴隷なんてエロ漫画顔負けのモノまであったという報告を受けている。
まぁ、俺としてはそんな他人が使った後のオナホールみたいなモノ、使うどころか触れたいとも思わない訳で、適当に持って行けと諸には伝えているものの……
そうやって弱者をゴミのように扱ったヤツが、自分が弱者に回った途端に己の境遇を嘆いたところで……同情なんて出来る訳もない。
──取りあえず、死んではいないんだ。
──奴隷として生きれるだけ、感謝して欲しいものだ。
俺は魯とかいう男の溜息を聞き流しながら、視線を真正面へと向け直した。
真正面には、そろそろ近づいて来ているのだろう、取引先の砦とやらが目に入ってくる。
……だけど。
「……何か、くたびれてないか?」
眼前にそびえ立つ、城というにはかなり素朴な造りの、石組の建物を見た俺は、近くにいた管事に向けて思わずそう尋ねていた。
事実、その砦とやらは火を放たれたのか、黒焦げになった後が各地にあり、それどころか、目につく場所だけでも何か所かは確実に崩落していて……ぶっちゃけて言えば、いつ落ちてもおかしくない有様だったのだ。
「……ええ。
確かに、あまり戦果は芳しくないようでして……だからこそ、手駒として戦奴と、新たな食料と武器が望まれているのです」
俺の問いに対する諸の答えは、実に分かり易いものだった。
とは言え……ある意味、博打とも言える。
何しろ、俺たちが来るのが少し遅くてこの砦が落されていたり、もしくは武器や戦奴を買う資金すらなくなっていたならば、利益を捨てて舞い戻る必要があったのだから。
──ま、その辺りは計算済み、だと思うがな。
そして、砦の少し離れたところ……切り立ったような崖を挟んだ向こう側に、似たような砦が見える。
あれが恐らく、こちらへ攻め込んで来ている敵の国、なんだろう。
切り立った崖のように見えるのは、こちら側も向こう側も浮島で……島同士が接触していない所為、だろうか。
「対岸に見えますのが、燃鞭の支配する島です。
小さな島でありながら、戦争を吹っかけてくる、という……最近、支配者の変わった国で、調子に乗っているのでしょう」
諸の説明を適当に聞き流しながら、俺はその小さいと言われる島へと視線を向ける。
小さな島、と言ってもこうして地上から見てサイズの差など、分かる筈もなく……まぁ、こちらと比べると、砦の造りが雑だなぁ、くらいの感想しか抱けなかったが。
「生憎と、我が国は血風併合のため、まだ軍備が整っておらず……勿論、熱鞭はその隙を狙ってきた訳ですが。
そして、反撃にはまだ十日ほど時間を要するかと」
「つまり、今が一番、高く売れる……って訳か」
管事の言葉を補う形で、俺は軽く呟いて見せる。
実際……タイミングとしてはベストだろう。
砦が劣勢ではあるが落されず、しかも援軍が届くまでにもう少し時間が必要というこのタイミングでの、戦奴と武器を売ろうというのだから。
──やっぱ、コイツはかなり出来るヤツだな。
俺は、傷だらけで義足をした諸の評価をもう一段階上げると、真正面の砦へと視線を向ける。
眼前に迫ったその砦と、敵の島との間はまだ数百メートル以上開いていて、動くような気配も見えず……今なら、少し長めの商談を行っても、戦闘に巻き込まれるということはない、だろう。
「ま、その時はその時、だけどな」
俺は小さくそう呟くと……これから始まる商談に向けて、少しばかり気合を入れ直したのだった。
尤も……商談に関して、俺自身が何かをする必要があるとは思えなかったが。
──化け物、かよ。
砦の入口に荷物と戦奴、子供たちを残し、案内されるがままに入った砦の中で。
その砦の主を見上げた俺は、内心で思わずそう呟いていた。
……身長二メートル八十ほど、だろうか?
ソイツは人類の限界を突破しているとしか思えない巨躯を、極限まで鍛え上げられたとしか思えない筋肉で飾り付けた……そうとしか表現出来ない、まさに人外と言える存在だったのだ。
身体のあちこちに包帯が巻かれてあるのは……恐らく、この砦が劣勢に追い込まれているというここ最近の戦闘で負った怪我、だろう。
──と言うか、この化け物を、誰がどうやって傷つけたんだか。
銃器のような腕力を使わない武器が存在していない、原始的な武器ばかりのこの世界で、これほど巨大な化け物を傷つけられるヤツが存在している……俺にとっては、その事実の方が驚くべきことだった。
……まぁ、コイツが幾ら凄まじい使い手でも、数に押されればどうしようもないだろうが。
雑魚共をけしかけるにしても、化け物に痛打を与えるまで、士気をどうやって保つのか、それが疑問で仕方ない。
と、俺がそんなことを考えている間にも、諸はその巨躯の化け物相手に一歩も引かず、真正面から言葉を交わす。
「……文で頼んだ商人とは違うようだが、まぁ良い。
こちらとしては、頼んだ品さえ持ってきたのなら、素性など問わぬ」
「では、取引額は、当初の予定通りで?」
「ああ、その手の些事は文官共に任せてある。
適当に持って行け」
「分かりました、李逵様。
では、そのように致します」
そして、その化け物はまさに化け物らしく……商取引などには一切興味がないようだった。
何しろ、ソイツは俺たちを一瞥しただけですぐさま意識を正面に戻し……その左右の手に握ったそれぞれの戦斧で空を薙ぎ始めたのだから。
要するにこの化け物は、金勘定や食料の数などよりも、純粋に『力』のみに関心が向いているらしい。
一応、顔を合わせただけの取引はあっさりと終わり、すぐさま俺たちは解放される。
──商売ってのがこれくらい楽なら、社長業なんてのを始めても……
──不況の中だとしても、それなりに、暮らしていけそうだな。
そして、化け物との面会を終えた俺たちは、案内の兵士が先導するままに、石造りの廊下をゆっくりと歩いていた。
その最中で、何やら兵士とは趣の違う恰好をした……あまり戦闘には向かない、丸々とした体型の男たちが俺たちを出迎える。
……どうやら彼らが、さっきの巨漢の言う「文官」とやら、だろう。
「では、私はこちらの文官と取引を詰めます。
出来るだけ有利な形で契約を結ぼうかと」
「ああ。
……任せる」
我が管事である諸の声に、俺は適当に手を振って答える。
俺自身としては、そこまで金勘定にこだわるつもりなんてないのだから、完全に放任していると言っても過言ではないのだが……どうやら我が管事はそうは考えなかったらしい。
妙に気合を入れた顔をしたまま、左手で右拳を覆うような、変な挨拶をし……砦側の文官とやらについて去っていく。
諸と自分とのあまりの温度差に、俺は少しだけ後ずさるものの……どっちにしろこの世界の財貨に関しては興味が持てないのだから、仕方ないだろう。
──そういう意味じゃ、あの化け物と似てる、のか?
先ほどの巨大な化け物を思い返した俺は、思わずげんなりして溜息を吐き出す。
尤も、俺としては……脳みそまで筋肉で出来ている、あんな化け物と同類だと思いたくはないのだが。
「しかし、マジで劣勢っぽいな、こりゃ」
そうして案内の兵士に導かれるがままに帰路を進みながら周囲を見渡す俺だったが……どう見ても、この砦はそろそろヤバそうだと判断せざるを得ない。
何しろ、兵士たちは誰もかもが怪我を負っていて……今、こうして案内してくれる兵士ですら腕に包帯を巻いているのだから、彼らの中には負傷していない兵士すらいないのではないだろうか?
──士気も、最悪っぽいんだよな。
何よりも気になったのは、彼らの瞳に浮かぶ色、である。
まっとうな戦場であれば、兵士たちの瞳には恐怖と憎悪と戦意……そういう感情が、それほど大差ない割合で浮かんでいるものなのだが。
──コイツらの瞳に浮かんでいるのは……
──恐怖と、疲労と、諦め、だな。
その目を見るだけで……兵士たち自身がもう負けを認めているのが分かる。
そんな状況で幾ら戦ったところで、無駄だろう。
あの巨漢が幾ら強かろうとも……軍隊ってのは数と装備と士気が全てであり、個人の蛮勇などで戦況が覆せる筈もない。
──破壊と殺戮の神、でもない限り、だが。
「こりゃ、さっさとトンズラした方がマシ、だな」
「何か、おっしゃいましたか?」
「……いや」
俺の独り言を聞き咎めたのだろう。
案内役の兵士が振り返って尋ねてくるものの……俺は首を横に振って男の問いを振り払う。
流石に此処に詰める兵士に向かって「この砦はもうすぐ落ちる」と言う訳にはいかないだろう。
「そうです、か。
まぁ、取引が終われば、さっさと帰った方が身のため、ですよ。
うちの兵士たちは今、少々苛立ちで気が短くなっておりまして、な」
「……忠告、感謝する」
それで案内役の兵士は納得してくれたのだろう。
何やら忠告めいた言葉を継げると、二度三度とこちらを振り返り……それから、何故か右手の親指を真下へと突き出すようなジェスチャーを軽くしたかと思うと、ゆっくりと石造りの廊下を歩き始めた。
「?」
その態度を不審に思った俺は、この男との会話を思い返すものの……今一つ、コイツが何を言いたいのかを理解出来ない。
元々、この世界の商取引なんて詳しい筈もなく、それは仕方のないことなのだが。
そうして、五分ほど石造りの廊下をゆっくりと歩いた頃、だろうか。
「きゃぁああああああああああああああああああああっ!」
突如、砦の外側から、そんな……この世の終わりのような「子供」の悲鳴が響いてきたのだった。