肆・第四章 第二話
「わぁ、すごい。
ぎょうれつだ、ぎょうれつ」
「これ、ぜんぶ、ごはんだって。
すごいしゅっせだね、皇」
馬車の旅は、相変わらず身体が痛くなるほどの揺れで、とても快適とは言えなかったものの……のんびり寝転がるだけで目的地へ着けるのだから、ある意味優雅極まりないのだろう。
空も雲一つない晴天で、空の彼方まで見通せそうなほど深い青色で輝いている。
周囲には馬もどきの四足の鳥が砂利道を踏みしめる足音と、馬車の車輪が転がる音に、人夫と護衛たちによる靴音と、護衛たちが着ている鎧が奏でる金属音が混じる。
そして……
「あの、皇帝様。
本当に、よろしかった、ので?」
寝転がったままの俺に放たれた諸の声に、俺は溜息を一つ吐き出すと、詩的な思考回路……つまりが現実逃避から戻ってくる。
我らが商隊の管理役である管事の言葉に言われるまでもない。
「どう考えても、無駄としか思えません。
いえ、むしろ邪魔……足手まといになるかと」
「……言うな」
諸の言葉を、俺は静かに遮る。
……そう。
この商隊は、前線にある砦へと物資を運んでいる最中で……しかも、その途中の街道には、『百八』という名の盗賊団が巣食っているという。
尤も、こちらでは盗賊団とは言わず、商人で通っているらしいのだが、まぁ、それは兎も角……この商隊は、まぎれもなく「敵地」に飛び込もうとしている最中なのだ。
そんな戦地で、餓鬼共が役に立つ筈もなく、かと言って護衛をつけるほどの重要物資と見做す訳にもいかず……アイツらは全員、適当に荷物を積んだ馬車の一台に「ただ載せているだけ」という状況だった。
──だからと言って、なぁ。
あの闘技場や、ましてや俺が強奪した劉玄の屋敷の一つに、餓鬼共だけで放置しておく訳にもいかないだろう。
何しろ、この世界では「弱者」は悪でしかなく、誰かに預けたところで、虐待の上にこき使われるか……売られて奴隷にされるくらいならまだマシ。
下手をすれば、誰かの勘気に触れてそのまま意味もなく殺されるか、もしくは食料にだってされかねない……そういう嫌な予感が付きまとうのだ。
──まぁ、流石に考え過ぎかもしれないが、な。
俺が力を見せつけてやれば、迂闊に餓鬼を殺す阿呆もいないだろうし、ついでに言えば、人肉を喰うような文化がある場所なんて、そうそう出会うことはないだろうが……それでも心配なものは心配なのだ。
もしかしたら昔、砂の世界で蟲皇を帰って来ると、残していた餓鬼共は一人残らず強盗によって殺されていた……あの心理的外傷が、まだ俺の心に残っているのかもしれない。
「そもそも、何故、余所の商人が、我々に付いて来ているのか……」
「細かいことは、気にするなって。
俺も相棒の儲け話に、ちょっと噛ませてもらうってだけだ」
諸の愚痴に俺が顔を横へと向けると……そこには堅のヤツが馬擬きの鳥へと乗っかかり、俺たちの馬車に追従していた。
ある程度信頼出来て、餓鬼共を預けられそうな、唯一の心当たりだったのだが……何故かコイツは、こうして俺たちについて来ている。
自分の持っている財産……あの日、曹孟から奪った財産の殆どを食料と武器に変えるという、無謀極まりない大博打を仕出かした挙句、俺と同行すると申し出て来たのだ。
正直、もう呆れ果てて文句すら出てこない。
ちなみにその荷物を積んだ馬車は商隊の後ろの方に走っていて……堅のヤツの愛人もそこに乗っている、らしい。
物見遊山気分というか……相変わらず緊張感の欠片もないヤツである。
「……全く。
役に立たない連中が群がって来て……非効率的な。
皇帝様の人望故と言えばそうでしょうが……足手まとい以外の何物でも……」
俺が遮った時点で、諸は誰も自分の言葉を聞いてくれないと悟ったのだろう。
義足の青年の声は誰に聞かせる訳でもない、ただの愚痴となってしまっていた。
尤も……
──まぁ、足手まといという意味では、他の連中全てがそうなんだが。
餓鬼共は言うに及ばず、義足で満足に逃げることも出来ない諸、十五人ほどついて来ている武器すら持たない人夫たち……そして俺の拳一撃であっさりと肉塊に変わるだろう、この商隊の護衛たち二十七名。
それら全てが俺にとっては脆弱で死にやすい、ただの足手まといに過ぎないのだ。
辛うじて堅だけが、俺と同等とは言わないものの、この世界の人間たちを気軽に屠れるほどの戦闘力を持っていて……それはつまり、百歩くらい譲れば相棒と言っても過言ではないのだろう。
「おおお、すいしゃだ、すいしゃ。
こっちにもあるっ!」
「なんだ、ありゃぁあああ。
いえが、たくさん、ならんでるっ!」
「こらっ!
あなたたちっ! もうちょっとしずかにっ!」
管事である諸のヤツの愚痴も耳に入ってないのだろう。
あの農村から出たこともなかったのだろう餓鬼たちは。見る物全てが珍しいのか口々に叫びを上げ……正直、耳障り寸前という有様だった。
その騒音公害がどういう結果を招くかを知っているらしい、最年長である鈴は必死に餓鬼共を戒め続けている。
普段から慣れているのだろう、彼女の叱咤によって、餓鬼共が馬車からはぐれることだけは阻止しているものの……それでも響き渡る甲高い声を減らすには、少しばかり効用が足りないらしい。
それでも……その耳障りな声に、気が短そうな護衛の連中が黙っているのは、諸か堅のどちらかが上手く説明したお蔭、なのだろう。
彼らは弱者である筈の、餓鬼共の騒ぎ声に眉を釣り上げつつも……それに対して怒鳴ったり殴りつけたりすることもなく、ただ黙々と馬車の隣を歩いている。
「……平和、だな」
がたがたと揺れる馬車の上で、俺は空を見上げてそう呟き、静かに目蓋を閉じた。
話に聞く「強盗が出るとかいう街道」までは、まだ丸一日はかかるらしく……この平和な旅はまだまだ先は長いのだ。
他にやることなどない以上……寝る他ない、だろう。
丸一日が経っても、何も変わることのない旅が続いていた。
「すげぇよな、あのおにくっ!」
「ああ、手くらいもあるんだぜ?
皇……しゅっせ、しすぎだろっ!」
「おっ!
あのむし、なんだっ!」
餓鬼共は相変わらず騒ぎ……保護者である鈴は彼らを戒めると言うか、文字通り首根っこを掴んで彼らの馬車へと連れ戻し続けていた。
物資を載せまくって重い馬車だからこその光景に、俺は大口を開け、一つ欠伸をする。
実際……この旅は平和なものだった。
馬車で行列を組めるほどの商人というだけで、「それなりの武力を持っている」と分かる所為、だろう。
道行く旅人は全員、道を譲ってくれたし……と言うか、商人らしき人たちは全員、土下座して顔を合わせないようにしていた。
恐らくはソレが、強力な商人によって力ずくで荷物を……もしくは命を、強奪されないようにと生きるための術、だと思われる。
──酷い世界だ、本当に。
尤も、そんな世の中のお蔭で、俺は餓鬼共にしっかりとした料理を食わせてやることが出来たのだから、何事も一長一短というものだろう。
未だに餓鬼共が思い出して叫んでいるくらいだから……豪勢極まりない、素晴らしい食事だった、らしい。
……彼らにとっては。
──ま、俺にとっては、所詮、異世界の料理でしかないんだが、な。
豪勢な食事と言っても……小麦粉の塊を練った麺に、少し大きくなったものの臭くて塩辛い肉の塊と、野菜の塩漬けが付いてくるくらいである。
その麺料理は、108円で買えるカップラーメンを思い出すだけで、量は兎も角としても、味を比べるのがカップ麺に失礼なほどに酷いのだから……現代日本の美味しい料理に囲まれた俺としては、もう「生理的に受け付けないレベル」と言っても過言ではない。
「しかし、何も起きませんな?
そろそろ『百八』の縄張りに入る頃ですが……」
「っとわっ!」
諸が周囲を見渡しながらそう呟いた、その瞬間だった。
俺の顔面に突然、矢が突き刺さる。
……いや、正確には「俺の顔面にぶち当たった矢の、矢尻がひん曲がった」が正しい表現ではあるが。
それと同時に、俺が率いる商隊の前後に、百人近いだろう手に武器を持った男たちが突如として現れ……俺たちの行く手を遮ってきた。
「敵襲だぁあああああああああああっ!」
「この手口っ!
『百八』に違いありませんっ!
しかし、こんな数は報告には……
って、皇帝様っ! 大丈夫なのですかっ!」
周囲の護衛たちの叫びと同時に、諸の報告ついでの悲鳴が届く。
そっちを振り向くと、馬車から売り物である木の楯を構え、一人だけさっさと防御体勢に入っている義足の青年の姿が目に入る。
まぁ、管事とは財産管理の人であり、戦う人ではないと分かっているから良いんだが……餓鬼共よりも早いその防御態勢は、ちょっとばかり情けないと思えてしまう。
一応、心配はしてくれたようなので、情けないってのはあんまりな言い方かもしれないが、まぁ、あの恰好を一目見たなら、誰でも同じ感想を抱くだろう。
そもそも、たかが矢が顔当たった程度では、俺の皮膚一枚すらも傷つけることさえ叶わないのだから……人様の心配をする前に、自分の身を優先的に考えろと言いたくなる。
「っと、そうだった。
餓鬼共は……」
「ほら、あなたたちっ!
もっとこっちにかくれてっ!」
慌てて背後を振り返ると……餓鬼共は鈴の指示で馬車の中に隠れ、布の中に隠れているのが目に入る。
その覆いは本当にただの厚い布きれで、防御力に不安は残るが……まぁ、的外れな流れ矢くらいは防いでくれる、だろう。
そうして周囲を見渡して戦況を確認すると、前方から六十人ほどの野盗たちが、後ろからは三十人ほどの野盗が襲い掛かってくるのが目に入った。
逃亡農奴っぽい、粗末な装備に勢いだけの連中が殆どだが……中には数人、少しは腕の立ちそうな戦奴っぽい連中も混ざっている。
──こっちの戦力は、護衛が二十七、のみ。
──十五人の人夫たちは、身を守る程度しか役に立たないだろうから……
彼我の戦力差を考え、すぐさま俺は命令を下す。
「堅っ!
背後を頼むっ!
護衛たちはっ、荷物を守れっ!」
命令が聞こえたのだろう。
堅のヤツは命令を聞いた確認のためか、手に持っていた矛を軽く頭上に掲げると……乗ったままの馬を駆り、後ろの方へと走り出した。
荷物を守る護衛もいるのだ。
……三十人程度の雑魚ならば、アイツ一人で大丈夫だろう。
「って、皇帝様は、どうなさるおつもりですかっ!」
その命令を聞き咎めたのだろう。
諸が馬車の中から、楯に身を隠しながらもそう尋ねてくる。
俺は馬車の中に積んであった武器……矛と槍を手に取りながらも、管事の青年への回答を口にする。
「あんな雑魚共。
俺一人で十分だっ!」
叫びながらも止まった馬車から飛び降りる。
ちょっと高かった所為か、着地が怪しかったが……まぁ、転ばなかったから恰好はついた、だろう、多分。
「舐めるなよ、小僧ぉおおおおおおおおおおっ!」
その俺の言葉が耳に入ったのか、野盗の一人が長刀を手にしたまま襲い掛かってきた。
だけど、ソイツはあからさまに素人……農奴が逃げ出して武装しただけの雑魚としか思えない身のこなしなのだ。
「舐めてるのは、どっちだぁあああああああああああっ!」
俺は雑魚の叫びを打ち消すような雄叫びを上げると、右手に握っていた矛を横一文字に薙ぎ払う。
ろくな技量もなく、まっとうな鎧すら着ていないその雑魚には、俺の一撃を防ぐことも避けることも叶わなかったらしい。
最近は強敵との戦いが続いていた所為か、半ば牽制のつもりで振るったその一撃は、あっさりとその農奴崩れの胴へと突き刺さり……下半身と泣き別れした上半身は、血と臓物を巻き散らしながら、街道の淵へと転がっていく。
一撃で即死した雑魚は……当然のことながら、悲鳴など上げる筈もない。
ただ砂利の上に胴体が転がった、重い音だけが周囲に響き渡る。
「……は?」
その一撃で……たったの一撃で、盗賊どもの動きは完全に止まっていた。
まぁ、実際のところ……俺みたいな、身長も体格も大したことない普通にしか見えない少年が、大の大人を一撃で屠ったのだから、驚くのも仕方ないのだろう。
尤も、例え仕方ないにしても……戦場でその硬直は、致命的でしかない。
「遅ぇっ!」
俺はそう叫ぶと、左手の槍を近くにいた他の雑魚に向け、適当に突き出す。
柄の尻に近い部分を軽く握っただけの、リーチを伸ばすことしか考えてない筈の俺の槍だったが……それでも武器を扱うのには十分すぎたらしい。
槍の切っ先はあっさりと硬直中の雑魚の胸のど真ん中を貫き……背中へと突き抜ける。
「ふ、ぐぅぅっ」
流石に今度は即死ではなかったらしい、その雑魚は奇妙な呻き声を漏らすと……胸の穴から血を零しつつ、そのまま身体中から力を抜く。
「邪魔だっと!」
それを見届けた俺は、槍を横へと振うことで、先端にくっついたその「重り」を振り払う。
「うわぁあああああっ!」
「いてぇっ!
腕が、腕がぁぁあああああっ!」
とは言え、その適当に振り払った死体だけで、人を倒すには十分過ぎるほどの破壊力があったらしい。
一人がそれを目の当たりにして腰が抜け、直撃した一人は死体ごと吹っ飛んで悲鳴を上げ始めている。
っと、そうしている間にも、一人の雑魚が俺の横をすり抜けて荷馬車へと駆け寄ろうとしていたので、足元の石……人間の頭ほどの石をソイツへと蹴飛ばしてやる。
「ひぎゃっ?」
……意外と俺は、サッカーの才能もあったのだろうか?
牽制くらいになるだろうと放ったその石は、男の頭蓋へと見事に吸い込まれ……血と脳漿を周囲にぶちまけながら、その辺りへと転がって行った。
脳を半ば失った男の死体は、びくんびくんと痙攣を続け、その動きに合わせ、頭から血と残りの脳漿がじわりと周囲に広がっていくのが見える。
──ちっ。
──思ったよりも面倒だな、こりゃ。
その死体から目を離した俺は、内心で舌打ちを隠せなかった。
何度か経験はしていたが……足手まといを守りつつの護衛任務ってのは、面倒なこと、この上ない。
──俺に向かってくる雑魚ならば、楽勝なんだが……
そう考えた俺は、この七面倒くさい事態を解決するために、一計を弄してみることにする。
と言っても、名高い軍師や智将が戦場を一変させるような、小難しくも効果的な、凄まじい策略などではなく……俺でも考え付くような、酷く簡単なものだったのだが。
「聞けぇえええええええええっ!
俺がっ!
この商隊を率いる商人だっ!
てめぇらっ!
積荷が欲しいなら……この俺を殺してみせろっ!」
その口上の効果は……俺が思っている以上に絶大だった。
前方にいた五十匹ほどの……今は既に四十数匹になった雑魚共が、一斉に目の色を変えて俺の方へと向かってきたのだから。