肆・第四章 第一話
さて、下剋上したことにより、戦奴から商人へと転職したのは良いんだが……
商人としてやっていくためには、俺の前に一つだけ……「とてつもなく大きな問題」が立ち塞がっていた。
その事実に気付いた俺は困り果てた結果……隣に立って血に濡れた矛先を拭っている『堅』に向けて尋ねてみた。
「……で、商人って何をすればいいんだ?」
「一介の兵士だった俺が知っている訳ないだろう?」
相棒から返ってきた答えは酷く単純なもので……それもそうかと俺は頷き、当然のようにそこで思考停止してしまう。
破壊と殺戮の神ンディアナガルの化身となる前には、アルバイトをしたことすらない俺である。
商人と呼ばれる職業の人たちが具体的に何をやっているかなんて、分かる訳もない。
それでも何とか虚空に視線を這わせながら、何とか答えらしいものを探し出す。
──要するに、安く買いたたき、高く売りつければ良いんだな。
大雑把に捻り出したその答えは、自分でも酷い偏見の塊という気はするが……そう大きく間違えてはいないだろう。
なら、自分が一体どれくらいの商品を持っているかをチェックしようと、俺が踵を返しかけた……その時だった。
「恐れながら、皇帝様。
管事を呼びつけ、助言を受けられては?」
劉玄の護衛だった男の一人が進み出て来て、跪いたまま俺にそう意見してくる。
「……管事、とは?」
「劉玄様より、帳簿管理と財産管理を一手に任されていた者に御座います。
名は諸と申し、劉玄様は、偏屈で扱い辛いが……なかなか便利な男である、と」
その後も男の話を聞く限り……どうやら日本で言うところの番頭と金庫番を兼ねた感じの、要するに実務担当者という位置付けらしい。
俺の知識になる『真っ当な商人のやる仕事』は全て、この諸という男が担っているようだった。
──そりゃそうだよなぁ。
正直、あり得ないとは思っていたのだ。
こんな「力こそ全て」が信念という脳筋ばっかりの世界で……経済が回っていく筈がない、と。
だからこそ、それを聞いた俺は、逆に納得してしまったのだ。
──要するに、力あるトップが形式上の支配者として降臨して。
──実務は別の出来る人間が行っている、と。
要するに、ヤクザが裏で経営している風俗店みたいなもの、だろう。
店の経営を管理するヤクザが暴力で支配し、店長はその下で経営を任されている、という感じの。
……裏表がちょっと逆ではあるが、俺の頭脳では他に好例が浮かばなかった。
「会おう。
案内してくれ」
「はっ。
こちらで御座います」
結局、俺はその護衛の男の言葉を取り入れ、そう頷いてみせた。
そう言った瞬間に、筆頭株主が代表取締役に会って今後の経営方針を立てるみたいなものだなぁとか浮かんだが……
──最初に浮かんだのがヤクザって、どうなんだ?
その辺りに何となく……この世界のルールに自分が毒されている、という実感があるが。
まぁ、形はどうあれ、顔を繋いでおくに越したことはないだろう。
「なら、俺は俺でその管事ってのを探してくるわ。
油断して寝首をかかれるなよ?」
「それはこっちの台詞だ、死ぬなよ」
俺の方が一段落したのを見届けたのだろう。
堅のヤツはこちらへ軽くそう告げると、さっさと立ち去って行く。
返礼にとかけた、全く心のこもってない俺の言葉にも振り返らず、ただ右手を軽く上げるだけで……
その立ち去る姿が、映画の主演男優の一シーンのようにかなり決まっていて……何と言うか、イライラしてくる。
「……さぁ、行くぞ。
さっさと案内しろ」
「は、はっ!」
突然不機嫌になった俺の声に、護衛の男は一瞬で背筋を伸ばすと、さっさと歩き始めた。
何やら勘違いしている気はしないでもないが……まぁ、下っ端の意見など、意に介す必要もないだろう。
幸いにして、コイツらには俺の強さは十分に理解出来ているらしく、寝首を掻こうとか刃向おうとかいう気概は感じられない。
──さて、と。
──どんなヤツかね。
護衛対象に怯えて震えている護衛という、訳の分からない集団に案内されつつ、俺は石造りの廊下をゆっくりと歩いて行ったのだった。
「……ああ、そうですか。
分かりました」
諸とかいう細身の身体をした、何処か投げやりな雰囲気を持つ二十代半ばくらいのその青年が、俺を見た時の台詞は……ただそれだけだった。
投げやり、という表現が本当に正しいのか、どうか。
その額と頬に刀傷があり、左手には親指しかなく、右足は義足という、傷だらけのその青年は、やる気というか、覇気というか……新しい雇い主に対する関心が全く感じられず、何もかもをもう諦めてしまったような、そんな様子の漂う青年だったのだ。
……その所為、だろうか?
大量の木の束……木簡とかいうヤツを前に机に座ったまま、ただ顔を上げて俺を一瞥するだけで、その一言だけを残し、すぐに事務処理へと戻って行ってしまう。
「す、すみません。皇帝様。
こういう……偏屈な、ヤツで。
劉玄様の勘気に触れることもしばしば……」
「……いや、構わんさ。
使えるなら、それ以上は問わない」
紹介してくれた護衛の一人が、必死に土下座するのを手で制しながら、俺は鷹揚に頷いて見せる。
現実問題、こうして成り行きでちょっと膂力を振るい、うっかり商人になったものの……商売のノウハウなんて、俺が持っている訳もない。
むしろ、この手の「任せられる人」がいるのなら、任せてしまった方がマシ、なのである。
……俺の目的はあくまでも「子供たちを助けたい」のであって、商売して利益を稼ぎたい訳じゃないのだから。
加えて言えば……
──あんな書類の束に埋もれるなんざ、御免だからな。
俺の中に、そういう算段があったのも事実である。
何しろ俺は……勉強というヤツが得意な方じゃない。
流石に万年赤点で補習ばかり、とは言わないものの、たまにヤマを外して赤点を取ってしまうことがあるという……そういう低空飛行の成績を維持し続けている人間だ。
本を読むのは専ら漫画ばかりで、文字の多い本や参考書なんて眠気を誘うための睡眠誘導装置に過ぎない。
──算数くらいは出来るんだがな。
数学となると、ちょっと心もとない……それが俺の学力スペックである。
残念ながら破壊と殺戮に特化しているらしい俺の権能では……数学を解き明かすことは出来ないのだ。
──教科書を破り捨てるのなら、楽に出来るんだがな。
いや、辞書だろうと軽々と破り捨てることは可能だろうが……生憎と権能による言語チート以外、学力系の技能は持ち合わせていない。
そういう訳で……俺はこの諸とかいう男が有能ならば、このまま任せてやろうと考えていたのだ。
「え、いや、あの……
無礼討ちに、なさらない、ので?
劉玄様は、何度も剣を抜かれ、彼を切り刻むのを趣味と……」
「それでも、その、管事ってのを任されるってことは……それなりに有能なんだろう?
だったら……使わなきゃ損だろうが」
何故か、「殺して当然」「切り刻んで当たり前」という様子で語りかけてきた護衛の男に、俺は軽く肩を竦めて見せた。
実際問題、俺は「使える人間なら、殺してしまうのは惜しい」と考えるタイプである。
……無駄に命を奪うなんて、人材の損失以外の何物でもない。
そして……他人を必要以上に傷つけるなんて趣味もないのだ。
──ま、武器を持って命を奪おうとして来たなら、話は別だがな。
──あと、他人を傷つけて楽しむ馬鹿には、報いをくれてやる時もあるが。
そんな俺の態度がよほど意外だったのだろうか?
傷だらけのその諸という名の青年は、さっきまでの無関心という仮面を脱ぎ捨て、顔を上げたかと思うと……俺の方をマジマジと見つめてきた。
「それで、本当によろしいのですか?
……皇、帝様?」
「ああ。
使える人材を無闇に殺すのは惜しいから、な。
適材適所って言葉があるだろう?
俺は腕力を、お前は知力を使えば……って、おい?」
俺が持論を……書類仕事をしたくない言い訳を適当につらつらと、出来るだけ格好良くを心がけながら、何とかそれっぽく聞こえるように、必死に並べ立てている時だった。
その傷だらけの青年は、いきなり立ち上がったかと思うと……俺の前に、片膝を突いて跪いたのである。
「まさか、この力ばかりの世界で、頭脳……この手の些事を片付ける能力を、そこまで認めてくれる相手に出会えるとはっ!
この諸、皇帝様に身命を賭して仕えさせていただきますっ!」
「あ……ああ。
うん、よろしく……」
突然、ハイテンションになって震える声で叫び始めた年上の青年を見て……俺はただそんな間抜けな声で頷くことしか出来なかった。
実際のところ、俺は数多の世界を旅してきたが……こうして忠誠を突然誓い始める変な人と出会ったことなど、今までに覚えがない。
腕力で黙らせるとか、恐怖と膂力で従えるってことは経験あるのだが……コレは、流石に初体験である。
──まぁ、この脳筋ばっかの世界だし……
──苦労して来たんだろうなぁ。
ただ、まぁ……この男を始めとする、頭脳特化の人間にとって、この空に浮かぶ脳筋世界ってのは、酷く生き難いんだろうなぁとは推測出来るのだが。
それでも、こう、第一印象だった投げやりで厭世的なキャラをいきなり崩壊させられると……こっちがついていけなくなってしまう。
「では、まず、現状の説明をさせて頂きます。
商品の状況と、この黒剣各地の状況を……」
「……あ、ああ」
そうして、義足を鳴らしながら、諸という青年は説明のため、口を開き始めたのだった。
諸という管事の長ったらしい説明を終え、俺は脳内でその情報を整理してみる。
──現在、在庫には七十人の戦奴と、数百を超える武器。
──それから、千人を一か月ほど養える粟や麦などの食料。
──衣類や金銀などに至っては、よく単位が分からなかったが、かなり蓄えている、らしい。
どうやらあの商人……俺が殴ってミンチにしてやった劉玄は、かなり財を溜め込んでいたようだ。
あの様子だと、かなりエゲつないこともしていたのだろうな、と容易に想像出来てしまうのだが……まぁ、その商売の善悪すらも腕力でひっくり返すことが出来るのがこの世界だ。
結果として俺が引導を渡してやったのだから、ある意味、アレがミンチになったのは自業自得とも言えるだろう。
──で、この国は、血風を併合して一気に大きくなった。
──この勝利に勢いづいた黒剣の王は、これからますます勢力を拡大しようと動き出す、だろう。
それが、劉玄……いや、この眼前に立つ義足の男の読みである。
だからこそ、かなり先行投資する形で戦奴や武器、食料を買い占めている、らしいのだが……
「ですが、問題が一つありまして…」
「聞こう」
長々と説明を続けていた諸だったが……ようやく本題に入った、そんな気配があった。
適当に聞き流すモードに入っていた俺は、少しだけ姿勢を改め、身体をわずかに乗り出させる。
「次の戦は恐らく、西側で始まるのですが……
その途中の街道を縄張りとする商人がいるのです。
ただ、『百八』という名のその商人は、商売に訪れた何人もの商人を屠り、その荷を奪う形で軍相手の商売をしておりまして……」
「……そ、ぁあ、なるほど」
一瞬「それって強盗って言うんじゃね?」と突っ込みかかった俺ではあるが……すぐにこの世界の常識を思い出し、ただ頷くだけにとどめて見せた。
……そう。
この世界の唯一のルールは「力こそ全て」である。
例え品物を持ってくる他の商人から強奪する形で「仕入れ」たとしても、この世界ではそれも『商売』の範疇に入ってしまうのだろう。
──難儀な世界だ。
それでもしっかりと戦争は出来ているらしいので……流通は一応、形にはなっている、のだと思われる。
──普通、こういう場合って軍が盗賊を潰すところなんだが……
──そっちの方が安いなら、軍のお偉い手ってヤツらは、盗賊相手でも取引するのかもなぁ。
もしかしたら、軍の連中もその武力を背景に盗賊を脅すことで、奪った物資を安価で提供させているのかもしれない。
何にしろ、この異世界も今までの例に漏れず、「ろくでもないところである」ってことに違いはなさそうである。
──まぁ、そのお蔭と言えば、そのお蔭か。
とは言え、この世界がそんな場所だからこそ、こうして餓鬼共を生かすために、『力』を使って働くことが出来るのだから……むしろ此処がろくでもない世界であることを、俺は幸運だと思うべきなのだろう。
逆に現代日本みたいな膂力で金を稼ぐと警察がすぐに湧いてくるような、ガチガチの社会だった場合……餓鬼共を育てていくのは、今以上に至難の業、だった筈なのだから。
「じゃ、まずはそこへ行くとするか」
「……ははっ。
準備は既に整っておりますっ!」
俺の頷きに、諸は大きく平伏してそう声を上げる。
その余りにも先を読み切った行動に、俺は僅かに眉を上げる。
──確かに、コイツ、有能なんだろうが……
──良いように動かされているようで、ちょっとムカつく、な。
恐らくその辺りが前の主……劉玄の勘気に触れたのだろうな、なんて考えつつ。
俺は義足が床を踏み鳴らす音に案内されながら、用意されているだろう馬車や物資のところへと足を運ぶことになったのだった。