肆・第三章 第八話
「よくやったぞ、皇帝っ!
期待以上だっ!」
試合会場から帰ってきた俺を待っていたのは、酷くテンションの高いおっさん……我が雇い主である曹孟だった。
こっちの挨拶なのか、それともただ感極まっているだけなのか、いきなり抱きついてくる始末で……言っちゃ悪いが、汗臭い・蒸し暑い・加齢臭が漂うという、筋肉質のおっさん独特の刺激臭が漂っていて、思いっきり気持ち悪い。
その不快感に俺は、スポンサーを慌てて引きはがす。
「まさか、あの漢が、あそこで自刃するとは思わなかったが……まぁ、どんな形であれ、勝ちは勝ちだ。
お蔭で、俺の借金は消えてなくなったっ!」
……その言葉を聞いた俺は、何故このおっさんのテンションが異様に高いのかを、ようやく悟っていた。
──そういえば、元々はこのおっさんのための賭け試合してたんだったか。
あの五人組……まぁ、最後の爺さんは除いても、四人があまりにも手強かったのと、観客共の有り金スッた悲鳴が印象強い所為もあるのだが……
俺は、自分が何のために戦っていたのかすら、忘れてしまっていた。
──長い戦いの中、戦いの目的すら忘れ去り、ってヤツか……
よく漫画とかで見かけるシチュエーションに、まさか自分が遭遇してしまうとは……世の中、何が起こるか分からないものである。
まぁ、ただ餓鬼共を救うために餌代を稼いでいる俺としては、戦いの目的だとかおっさんの懐具合とか、そんなことは「どうでも良いこと」でしかなく……
──うぜぇ。
そうして他人のハイテンションを目の当たりにさせられた俺は、こういう場合、よくあるように……逆にテンションが萎えてしまう。
結果、勝利の余韻すらも冷え切った俺は、これ以上曹孟のおっさんには付き合ってられないと判断を下し……さっさと自らのスポンサーを無視して廊下を進むことにした。
だが……おっさんはよほど嬉しいのか、踵を返した俺にわざわざ追いついてきた挙句、肩をバシバシと叩きながら唾を散らしつつ、耳障りな大声を上げ続ける。
「兎に角、これで後顧の憂いも絶ったっ!
明日から、思いっきり……」
「思いっきり、何だ?」
喜色を滲ませたおっさんが、大声で叫びを上げた、その時だった。
廊下の向こう側に、五人の護衛を連れた中肉中背の、中年を少しばかり行き過ぎた感じの男が立っていた。
まるで……俺たちを待ち構えているかのように。
「こ、これは劉玄様。
な、何か御用、ですかな?」
「ふん。
謙る必要などないぞ、曹孟。
……今度の比武は貴様の勝ちじゃからな。
あの程度の端金は兎も角……手駒を失ったのは少しばかり痛い。
新人の商人かと思っていたが……なかなかやるではないか」
よほど目上の相手なのだろうか?
我らがスポンサーは、その男に向かって頭を下げ、恐縮した様子を見せる。
いや、恐縮どころか……明らかにビビりまくって、今すぐ逃げ出しても不思議じゃないような有様である。
──だが、確かに……
その様子を一歩下がったところで眺めながらも、俺は何となく両者の構図を理解していた。
と言うよりも、考えるまでもなく、少し眺めるだけで両者の力量は読める。
筋骨隆々で力自慢という様子の曹孟……相変わらず商人というよりは野盗の親分としか思えないが、そんな我らがスポンサーと。
中肉中背ながらも、鍛え上げられた身体に、明らかに業物と思える使い込まれた双剣を腰に差し、さっきまで俺が相対していた達人たちを遥かに超える威圧感を放つ、この劉玄という男と。
その二人の「どちらが強い」かなんて……俺の目にすら、明らかだったのだから。
──本当に、この世界は「力こそ全て」って感じだよなぁ。
両者の関係を目の当たりにしてそんな感想を抱きつつも、俺が呑気に商人同士の会話を聞き流している内に……どうやら話題は俺のことへと飛んできたらしい。
「どこで見つけて来たかは知らぬが……良い駒ではないか。
コヤツは、これからも良い稼ぎになりそうだ。
尤も……貴様がコヤツを使いこなせれば、だがな?
貴様程度では、いつ寝首をかかれることやら……」
「ははは。
これは手厳しい。
しかしながら、これでも、腕に覚えは……」
「果たして、それはどうかな?
力こそ全てが我らの掟。
ならばこそ……全てを奪われる前に、手を打つべきではないか?」
「いえいえ、しかしながら、これでも自分は……」
どうやら曹孟のおっさんは、この商人に圧迫されているらしい。
むしろ……この大金持ちっぽい中年が、おっさんを威圧した挙句、「俺」という駒を横取りしようとしているようにも見える。
いつぞやに見かけた……異世界から帰ってすぐの俺が解決してみせた、「カツアゲの現場」と似たような雰囲気なのだから、恐らく間違いないだろう。
ついでに言えば、背後に立っている劉玄とやらの護衛たちも、その様子をニヤニヤと眺めているだけで、口を出す気はないらしい。
「何だったら、儂が力ずくで奪っていっても構わんぞ?
我らが商人の掟は知っているのじゃろう?」
「そんなっ!
幾ら劉玄様とは言え、そのような無体な……」
そして、会話は少しずつ不穏当になってきた。
劉玄のおっさんは双剣に手をかけているし……曹孟のおっさんは完全に腰が引けた状態で、その剣が抜かれまいと、必死に話を誤魔化している。
どうやら……力こそ全てという論理は、商人同士の間でも通用するらしい。
──それで経済とか、回るのか?
あまりにも原始的なその理論に、俺は唖然に取られつつも、そんな心配をしてみる。
尤も……この世界は戦乱っぽい様相を見せつつも、それでもちゃんと人々は生きているのだ。
多少荒っぽく見えていても……それなりの秩序を保っているに違いない。
むしろ、強盗とか野盗とか普通に存在してる、力こそ全ての社会だからこそ、中途半端に弱い餓鬼が群れて暴走族とかになってやりたい放題するとか、平和を訴える人権団体が暴言を吐いて周囲を威圧するとかの「訳の分からない事態」が起こることなく……上手く社会が回ったりするのかもしれない。
──って、待てよ?
……と、そこまで考えた時、だった。
俺の頭に、突然、この状況を打開するための策が舞い降りてくる。
「……ん?
なら、こういうことか?」
この世界は力こそ全て。
その論理は、商人同士でも通用する。
ついでに言えば、寝首をかかれるという言葉がある通り……下剋上もこの世界では普通に許されるのではないだろうか?
──この世界での金なんざ、別に欲しいとは思わないが……
──それでも……餓鬼共を養うなら、金がある方が楽、だよなぁ。
俺の葛藤は一瞬だった。
未だに下剋上やら力こそ全てという倫理を完全に受け入れることは出来ないものの……このおっさん一匹を殺せば、餓鬼共の生活が楽になるってんなら、ソレを選ばないなんて選択肢はないだろう。
「さて、ならコヤツは……ん?」
俺が心を決めている間にも、商人同士の間では何やらの合意があったらしい。
曹孟のおっさんは俯いたままで、劉玄のおっさんは勝ち誇ったような顔をしている。
……が、今さらそんなことはどうでも構わない。
俺は前へと一歩踏み出すと……劉玄のおっさんの胸ぐらを掴む。
その瞬間、だった。
「阿呆がっ!」
流石は達人級、ということだろう。
俺の叛意に気付いた瞬間、劉玄のおっさんはそんな叫びを上げつつ、その手にあった双剣……少し反りの入った、二本の剣を瞬時に抜き去ると、俺の首筋と脇腹へと突き刺していたのだ。
速い、なんてものじゃなく、いつの間に抜いたのかすら見ることさえ叶わない……まさに達人の技、だった。
……だけど、正直、それだけである。
幾ら凄まじい切れ味を誇る宝剣であろうと、百人を切り捨てた業物であろうと……創造神の力が込められていない以上、破壊と殺戮の神ンディアナガルの権能を持つ俺にとっては、ただの鉄くずと大差ない。
二本の剣の切っ先は、俺にぶつかった衝撃で欠けてしまったようだった。
「ば、かな……」
よほど自信があったのだろう。
と言うよりも、斬撃を防ぐ俺の身体を、武術的な技だと思っていたのかもしれない。
だからこそ、認識されるよりも早く斬撃を加え、そして左右同時に攻撃を加えたならば、「如何なる防御をしても間に合わない」と画策していた可能性もある。
尤も……コイツが何を考えていたにしろ、これから辿る『結末』は何も変わらないのだが。
「阿呆は、お前の方だったなっ!」
「ぐがぁぁああああっ?」
俺はそう叫ぶと……おっさんの胸ぐらを掴んだままの右腕に力を込めて、左側にある石造りの壁へと叩きつける。
ズドンという凄まじい音と共に、俺の右腕は石壁の中へとめり込み……劉玄のおっさんは身体の半分ほどが石の中に突っ込まれた状態となっていた。
「……き、きさ、ま……」
それでもこのおっさんが生きていたのは、身体を鍛え上げた故の頑健さか……それとも、何やら武術的な技術で、衝撃を和らげる手法でも使ったのだろうか?
尤も、こうして身体の半分が石壁へとめり込んだ状態では、もう俺の前から逃げることは叶わない。
それどころか……俺が次に放とうとしている右拳の一撃を避けることも防ぐことも出来やしないのだが。
「ま、まてぇぴぅっ!」
劉玄という名の商人は、最期の最期に何かを言おうとしていたようだったが……俺はその言葉を意に介すこともなく、右拳をおっさんの身体へと叩きつける。
先ほどの壁を貫いた時と同様の、鈍い音と振動が周囲に響き渡った後には、劉玄だった存在はただ石壁を構成している石の隙間から染み出す黒ずんだ赤い液体と、細切れのミンチっぽい肉の塊と……あと脂肪らしき白いぶよぶよしたモノくらいしか残されていなかった。
恐らくは……内部で潰されたのだろう。
具体的にどうなったのかなんてのは、正直、考えたくもないし、想像しようとも思わなかったが。
──ま、形はどうあれ……
──あの商人を、俺がぶっ殺したのには違いないだろう。
兎も角、これで下剋上は成立し……俺は劉玄かいう名前の、商人としての地位を分捕ったことになる、のだろう。
尤も、いまいち俺自身にその実感は薄いのだが……
それでも、その一幕を目の当たりにした劉玄の護衛だった五人ほどの男たちは、手にしていた剣……恐らく、雇い主を守ろうと、俺に切りかかろうとしていた剣を、あっさりと放棄し、俺の前に跪いたのを見る限り、俺が商人としての地位を得たのは、ほぼ間違いないと思われる。
「お、お前……」
一瞬で自分よりも格上だったヤツをミンチにしてみせた俺に、驚いてモノも言えなくなったのか……我らが雇い主である曹孟のおっさんは、そんな単語とは言えない単語を呟くだけの置物と化していた。
だけど、そんなおっさんでもただ一つだけ……俺の存在が「常識の埒外にある」ことだけは、流石に理解出来たのだろう。
二歩三歩と、俺という脅威から逃れようと、背後へとゆっくり歩き始めた。
っと、その時だった。
「何だ、皇帝……あっさり商人になっちまったのか。
なら……俺も付き合うか」
曹孟のおっさんの背後から、突如そんな声が聞こえたかと思うと……突如、おっさんの胸から、矛の切っ先が『生えた』。
「な、き、きさ……」
「まぁ、飯付き屋根付き、女付きの生活は、そう悪くなかったがな。
……商人如きに良いように使われるってのも、そろそろ飽きたんで、ね」
おっさんの背後に矛を手に立っていたのは、あの『血風』の城からの腐れ縁が続いていた、堅のヤツだった。
堅のヤツは、驚愕のためか苦痛のためか、目を見開く雇い主に向けて、冷酷にそう告げると……そのまま矛を『捻る』。
その動作によって、傷口が開いた所為だろう。
曹孟のおっさんの胸から、血液が凄まじい勢いで噴き出し始める。
「く、くそぉっ!」
それでも、商人になる前は兵をやっていたという曹孟のおっさんは、そのまま斃れるのを由とはしなかったらしい。
ふらつく身体を強引に動かして矛から逃れると、背後に立つ堅に向けて懐剣を抜き放ち、襲い掛かる。
……だけど。
「甘いな。
……それくらい、読めてるんだよ」
その必死の反撃を予期していたらしい堅は、静かにそう告げると……静かに矛をおっさんの首へと突き立てた。
流石に酸素が吸えなくなってはどうしようもなかったのだろう。
曹孟のおっさんは、首から血をまき散らしつつ、あっさりと地に伏し……床に血だまりを広げながらも、それっきり動かなくなってしまう。
「お、お前……」
「ははっ。
そう怖い顔をするなよ、相棒。
これからは、商人仲間じゃねぇか」
裏切りの挙句、不意打ちでスポンサーを殺した、その行動を咎めようとした俺の呟きは……堅のそんな笑い声によってあっさりと封じられる。
「……ああ、そうか。
これじゃあの餓鬼共が俺の財産になっちまうってんだろ……分かってるさ。
俺とお前の仲だ。
ちゃんとくれてやるよ。
その代わり、良い女がいれば、一人二人見繕ってくれ、な?」
それどころか、下剋上によって奪った「財産」について俺が目くじらを立てていると勘違いしたのか、そんな提案を持ちかけてくる始末である。
そこには罪悪感の欠片すらもなく……奴隷を財産としてやり取りし、好き放題に使うなど、当たり前の行動でしかないと思っている、らしい。
──これが、この世界の、常識、か。
そんな堅の様子に……俺はただそう納得せざるを得ない。
要するに、この世界の常識で考えると……不意を打った堅が悪いのではなく、不意を打たれた曹孟のおっさんが弱いから悪いとなるのだろう。
──ろくでもねぇ。
俺は内心でそう告げつつも……眼前の裏切り者に向けては、ただ静かに一つ頷きを返すだけだった。
正直……曹孟のおっさんが生きようが死のうが、どうでも良かったのだ。
餓鬼共を助けられるならば……俺は、その手段を問うつもりなどない。
むしろ、手段を選ぼうなんて余計なことを考えていれば……あんなに弱い餓鬼共なんざ、すぐに全滅してしまうだろう。
現代日本とは違い「異世界」というところは、俺がどう頑張っても誰も彼もが助からない……そういう過酷な場所ばかりなのだから。
「ま、これからもよろしく頼むぜ、相棒。
二人で商人の真似事して、遊ぼうぜ?」
「……ああ。
そうだ、な」
そう呑気に呟く堅のヤツに、俺は静かに頷いて見せる。
何はともあれ……こうして俺は、今日から商人として生きていくことになったのだった。