肆・第三章 第五話
「……話は、分かった」
俺の説明を聞いた曹孟のおっさんは、そう一つ呟くと……大きなため息を吐き出した。
そうして、木製の椅子に体重を預けたおっさんは、もう一つ大きなため息を吐き出すと……前かがみになり、頭を抱え始めた。
「どうすれば良いんだ、こんなの。
……明日の試合を延期。
いや、通じる相手じゃない」
どうやら、明日にも試合があるらしい。
俺は、昨日殺し合いをさせられたばかりだってのに……ハイペースにも程がある。
──幾らなんでもこき使い過ぎじゃね?
命のやり取りでないスポーツの一つ……ボクシングの試合だって、数か月に一度やるくらい、だった記憶がある。
なのに、たった一日の休養日を挟むだけで、また殺し合いをさせられるのだから……
現代スポーツ医学の観点からすると、無茶苦茶にも程があると思われる。
とは言え正直なところ……現代スポーツ医学なんて、漫画で見ただけで、詳しい筈もないのだが。
──まぁ、怪我なんてしてないんだけどな。
──ダメージも疲れも溜まってないし。
兎も角、今は眼前のスポンサーに注意を払うべきだろう。
俺が視線を向けると……
曹孟のおっさんも俺の方をじっと睨み付けていた。
「貴様と、堅、あと達を投下すれば……
いや、そうすると次の戦闘がキツい。
怪我された場合の、予備が足りない」
いや、どうやら我らがスポンサーは俺を睨み付けていた訳じゃなく、俺の向こう側……恐らくはこのおっさんにだけ見える予定表を睨み付けているのだろう。
「すると……どうする?
この場で落とす損害を、どう補填すれば……。
いや、しかしこのままだと、借金を返す目途すらも……
俺が出られれば何とでもなるんだが、そうすると向こうも出て来るだろうし……」
そうして曹孟のおっさんの口から延々と零れ続ける独り言を何となく聞いている内に……我らがスポンサーの懐具合が何となく分かって来た。
──要は、『黒剣』領内で最近商いを始めた奴隷商人で……
──だからこそ、危ない橋を渡り続けている感じ、か。
このおっさんは元々はそれなりに腕の立つ兵で、戦争中に敵地から略奪した資産で奴隷商人を始める。
数度の取引で得た資産を増やそうと、借金をしてまで戦獣を購入し、一気に資産を増やそうとした。
だけど、金がなくなったので餌代をケチるために農奴の村を襲ったところ……その戦獣はあっけなく殺されてしまう。
せめてもの意趣返しとして……と言うか、借金を返すために、占領地である『血風』領土へと無断で押し入り、農奴を攫い、売り払おうとした。
──そこで手に入れたのが、俺と堅って訳か。
偶然攫ってきた農奴が思っていた以上に「使えそうな手駒」だったからこそ……このおっさんは期限の迫った借金を一気に清算すべく、ここで金貸しに賭けを吹っかけた訳らしい。
──大損する博打打ちの行動じゃねぇか。
尤も、このおっさんが損をすることになった原因の何割かに、「俺」が関わっているのだが。
まぁ、俺の立場としては正当防衛をしただけなので、別に俺に責任があるとは思っていない。
とは言え、昨日、あの熊のような巨漢と傷面の男を叩き殺した所為で、明日の賭け試合でボロ負けがほぼ確定……このままだと破産しそうだというのには、流石に少しばかり罪悪感が湧いてくる。
「なぁ、おっさん。
……勝ち抜き戦に、出来ないか、それ?」
だから、だろう。
……知らず知らずの内に、俺の口からそんな言葉が発せられたのは。
「まさか、叶うとは思わなかったけどな」
翌日。
試合場に立った俺は、小さくそう呟いていた。
会場は満席で相変わらず罵声が飛び交い、騒々しいことこの上ない。
……まぁ、その殆どがこの突如決まった「勝ち抜き戦」というシステムに関する声と、そして曹孟が提示した布陣に対する罵声だったが。
──ま、仕方ない、わな。
そう考えた俺は、観客席に飾られてある対戦表へと視線を向ける。
相変わらず字は読めないものの……こちら側の選手名だけは分かる。
──先鋒:皇帝
──次鋒:董
──中堅:慎
──副将:鈴
──大将:小
……そう。
先鋒の俺を除くと、後は餓鬼共を寄せ集めているのだ。
次鋒の董でまだ八歳、鈴は十一歳は良いとしても……中堅の慎は四歳、大将の小に至っては何故この場に連れ出された分からない、文字通りの三歳児という有様である。
曹孟としては、俺が負ければ在庫を処分するつもりでこの布陣にしたのだろう。
年齢も性別もバラバラの、まさに「適当に選んだだけ」なのが良く分かる、俺が負ければもう敗北確定というその布陣は……まさに文字通り、あのおっさんにとって一世一代の「賭け」である。
──ま、俺には負ける気なんてないけどな。
正直、時間制限がありポイント制で勝負の決まるボクシングの試合や、背中から投げられたらそこで終わってしまう柔道の試合などだと……格闘技能のない俺では、勝てるかどうかは微妙なところだろう。
だけど、ここで行われるのは……デスマッチだ。
相手を殺せば終わりで、殺されるまで負けない……ギブアップや戦闘不能もあるとは言え、この状況で俺が負ける筈がない。
──オッズ差は凄いことになっているだろうな。
とは言え、周囲の観客としては、この俺が破壊と殺戮の神ンディアナガルの化身である、なんて前情報などない訳で……
曹孟のおっさんがとち狂って勝負を捨てにかかっている。
……そうとしか思えないのだろうけれど。
「皇、だいじょうぶ、ですか?」
「ああ。
……武器も、大量に持ち込んだからな」
俺を気遣うような鈴の言葉に、俺は頷きを返す。
そんな俺の周囲には、地面に突き立てられた数多の武器が並んでいた。
剣、長剣、長刀、槍、矛、戟、錘……変わったところでは半月杖や熊手みたいなヤツ、六角鉄棍なども揃ってある。
さっき、この試合場へ来るまでの通路を歩く途中、何かの役には立つだろうと思い立ち、近くにある武器を手当たり次第、適当に掴んで来たのだ。
「うわぁ、うわぁ。
すっげぇ、すっげぇええええ」
「お、おれたちも、たたかう、のか?」
曹孟のおっさんとどんなやり取りをしたのかは知らないが……董と慎は男の子らしく、戦いの空気に興奮している様子だった。
「ひぃぃぃ。
ひっ、ひぃ」
逆に三歳児でしかない小は、自分がここにいる理由すら理解できず、ただ周囲の空気に呑まれ、保護者である鈴の裾を握りしめているばかりだったが。
「さて、と」
そうして周囲を眺めている内に、対面側の格子戸が開き……対戦相手が現れる。
長身の男、中肉中背の男、巨漢、筋肉質の男、かなりの爺という、見事にバラバラではあるが……
──コイツ、ら。
武器を手に歩く雰囲気を見るだけで……全員が全員、どことなく「出来る」雰囲気を備えているのが分かる。
正直、俺が叩き殺したあの熊男や傷面では、瞬殺されていた気がしてならない。
「ぉおおおおおおおおっ!
相変わらず立ち居姿が様になっているな、龍っ!」
「よしよしよしっ!
いつもの如く、勝ってくれよ、起っ!」
「殺せぇえええっ!
今日もその技量を見せてくれよ、長っ!」
「しゃぁああああああああああっ!
今日も血の海を作ってくれぇええ、翼っ!」
「さぁさぁさぁさぁっ!
いつもの達人ってのを見せてくれ、漢っ!」
観客の叫びを聞いて……何となく理解する。
コイツらはどうやら全員がかなり腕の立つ連中で……この試合を組んだヤツは、どうやら曹孟のおっさんを完全に「潰し」にかかっているらしい。
事実……仕切に覆われた貴賓席っぽいところに座る曹孟のおっさんへと視線を向けると、自分の未来に絶望したような、悲壮そのものの表情を浮かべていた。。
──無茶をし過ぎた、って訳か。
まぁ、その辺りの事情なんてどうでも良いだろう。
俺は俺の仕事をするだけ……だと思っていたら、突然、曹孟のおっさんが立ち上がったかと思うと、ふわりと観客席から飛び降りやがった。
──すっげ。
観客席と戦奴が戦う場所とは垂直に二メートルほど隔てられている。
筋肉質で、どう見ても商人とは思えないあのおっさんは……その高さを平然と飛び降りた挙句、着地に音すら立てていないのだ。
──もしかして……
──あのおっさん、かなり強い、のか?
まぁ、あのおっさんの愚痴が正しければ、戦争で功績を挙げ……もとい、敵地で略奪した財産で奴隷商人になったらしいので、それなりに強いかも、とは思っていたのだが。
その身のこなしを見て、俺が勝手に判断した感じでは……下手すれば、堅と同等かそれ以上の使い手に思える。
尤も……武術家でもない俺の見立てなんて、かなり適当な代物なのだが。
「おいっ、皇っ!
本当に、勝てるんだろうなっ!」
そうしている内にも、曹孟のおっさんは俺の元へと駆け寄ってきて……どうやら激励に来たらしい。
「心配するな。
絶対に負ける訳がない」
スポンサーを安心させるために俺は、自信を込めてそう言葉を返していた。
現実問題、一対一の殺し合いという条件で、破壊と殺戮の神ンディアナガルの権能を持つこの俺が負ける事態なんて、一億回戦いを繰り返したところであり得ないので……俺の自信は別に空元気という訳でもないのだが。
とは言え、自分の財産がかかっている以上は、安心など出来ないのだろう。
「良いか?
貴様が殺されれば、俺はこの餓鬼共を殺す」
曹孟のおっさんは、小さな、だけど硬い声で、俺をそう脅しにかかったのだ。
「殺して、堅や達を代わりにねじ込む。
……覚悟はしておけよ?」
どうやらおっさんが俺のところへ来たのは、激励ではなく……脅迫だったらしい。
──ちっ。
──まぁ、正論は正論、か。
尤も、スポンサーとしての立場も分かる俺は、反論するつもりもなく、ただゆっくりと頷きを返す。
少しだけ首輪がキツくしまった気がした俺は、首元に指を這わして、首輪の位置をわずかにずらす。
「分かったな!
絶対に勝てよっ!」
そう言い残したかと思うと、さっさと二メートルを超える絶壁を軽く飛び越え、自分の席に戻って行ったおっさんの背中から、俺はさっさと目を離すと……ゆっくりと正面に視線を戻す。
そこには、何やら輪になって話し合っていた敵の集団から、一人目らしい長身の男が長剣を手に持ったまま進み出て来た。
それを見た俺は、適当に近くに突き刺していた武器……槍を手に取ると、軽くそれを振るって感覚を確かめつつ、前に踏み出す。
「さぁ、始まりましたっ!
曹孟と劉玄による戦奴比武、第一戦っ!
今までの比武と違い、勝ち抜き戦という珍しい方式になっておりますので、札を買われる方はご注意くださいっ!」
そんな俺を待っていたのは、声が相変わらず凄まじい、あの変な司会者だった。
……何と言うか煽りまくるスタンスの、その声が耳に入ってくるだけで、何となくやる気が削がれていく。
「劉玄の繰り出す先鋒は、何と何と何と……『斬爪』と名高い、龍の出現ですっ!
普通ならば、大将を務めることの多い彼が、第一戦から出て来るとはっ!
やはり、勝ち抜き戦という方式の所為かっ!
それとも……曹孟を腹に据えかねたのかっ!」
その司会の紹介に応えるかのように、龍という名の長身の男は、手にしていた長剣をすらりと抜き……長剣を右手に構えたまま、ゆっくりと両の手を左右に広げた。
「さて、対しますのは曹孟の秘密兵器っ!
先日、あり得ない虐殺劇を見せました『皇帝』という名の少年ですっ!
あの、あり得ない膂力っ!
刃すらも通さぬ化け物じみた耐久力っ!
果たして彼は人なのかっ!」
……司会者は、それが仕事なのか煽る煽る。
その声に周囲の観客もブーイングを飛ばして来て……まぁ、相変わらずのアウェイっぷりである。
尤も、眼前の龍とかいう男は、すらりとした身体つきの美形で、動作も優雅であり……正直、俺が人気で勝てるとは思えなかった。
──まぁ、戦いは別、だがな。
顔で戦闘力が決まるなら、あの砂の世界で、アルベルトが死ぬことはなかっただろう。
そんなことを思いつつも俺は、先手必勝とばかりに槍を鋭く真正面へと突き出す。
「はっ!」
とは言え、所詮は素人槍術……あっさりと俺の槍の切っ先は弾かれてしまい、虚空を斬る。
「甘いっ!」
次の瞬間には、視界の縁が光ったかと思うと……長剣が弧を描いて俺へと襲い掛かって来ていた。
「~~~っ?」
慌てた俺はただ腕力だけで、その鋼鉄が描く弧の軌道上へと槍を強引に引き戻す。
ガツッという軽い手応えに俺が目を見開くとほぼ同時に、鋼鉄の刃は俺の腹からわずか数センチ手前にあった。
「ぉおおおっ!」
慌てて俺はその場から飛び退くものの……まぁ、間に合う訳もなく。
その龍とかいう長身の男が放った長剣は、俺の腹を見事に捉えていた。
尤も……そんな鉄くずでは、破壊と殺戮の神ンディアナガルの権能を持つ俺に、傷一つ与えることなど叶わない訳だが。
「……おかしい、な?」
血の一滴も流さない俺に龍という男が首を傾げるが……今は、それどころじゃない。
──不味い、な。
──コイツ……達人並だ。
今まで、いくつかの世界で出会い、何度も何度も刃を交え、酷く苦戦をさせられた『達人』という名の強敵の存在に……俺は額に汗が滲むのを止められなかったのだった。