第三章 第八話
「……あ?」
……まず感じたのは、熱さだった。
肩から腹にかけて、急に焼け付くような熱が走ったかと思うと、背筋をヒヤッとした感覚が通り抜ける。
そこまで経ってようやく……
──俺は自分が斬られたことに気が付いた。
「いってぇえええええええええええっ?」
無敵モード中なのに傷つけられたことを信じられず、だけどこの痛みを無視することも出来ず、俺は思わず悲鳴を上げる。
「てぇんだよ、畜生っ!」
咄嗟に渾身の力で戦斧を振るってセレスを後退させ、何とか距離を取った俺は恐る恐る傷口に触れてみる。
傷口からは掌を染めるほどの量の、真っ赤な血が流れていた。
(……い、いや、浅い)
触ってみて分かったが、どうやら斬られたと言っても、皮一枚程度だったらしい。
骨や筋肉にはダメージもなく、血も流れ出ている程度でしかない。
……つまりがカッターで斬られた程度であり、致命傷には程遠いその傷に俺は少しだけ安堵する。
──だけど。
「神剣でもその程度とは……しかし、この剣なら、斬れるようですね!
破壊神ンディアナガル、覚悟致しませっ!」
──眼前の戦巫女がこのまま俺を放っておいてくれる訳もないっ!
「うわっとっ!」
みっともなく身体を地に投げ出すことで、俺は彼女の斬撃を回避する。
──このままじゃ……殺されてしまう!。
……もはや体裁も糞もない。
無敵だと分かっていたから無双出来ていたのだ。
無敵だと分かっていたから好き勝手に殺戮して笑っていたのだ。
無敵だと分かっていたから戦巫女を殺さずにハーレムに入れてやろうと遊んでいたのだ。
──怪我をすると分かったら……こんなアホなこと、やってられない!
「おっ!
おわっ!
たっ!」
「~~~~っっ!
戦え! 臆したかっ!」
必死に逃げる俺を、セレスは斬撃で追いかける。
……だが、斬られると分かって斬り合いをするバカはいない。
「へっ! あの餓鬼、逃げ回っているぜっ!」
そうこうしている内に、べリア族の方から野次が飛んできた。
髭面の四十代で、如何にも下衆そうな面をしている雑魚に必死の逃亡劇を笑われた俺は、思わずカッとなる。
(───っ!)
頭に血が回ったのが良かったのか。
その瞬間、俺はこの状況を打破する術を閃いていた。
「喰らやっ!」
「───っ?
一体、何をっ?」
俺は手に持っていた唯一の武器である戦斧を放り投げることで、セレスを一瞬だけ怯ませる。
「よしっ! てめぇ、そこ、動くなっ」
「な、何をっ?」
その隙にセレスに背を向けて逃げ出すと、外野で俺へと野次を飛ばしたヤツの方へと一気に走り込み。
「うりゃあああああああああああ!」
その髭面の胸ぐらを掴み、全力でセレス目がけてソレを放り投げる。
「っ!」
流石の戦巫女のセレスは投擲された人間ミサイルを必死に避けた……が、長いスカートが足にもつれたのか、体勢が崩れる。
飛んで行った髭面は地面に突き刺さって動かなくなった。
……が、まぁ、知ったことではない。
「今だっ!」
その隙に俺は、近くにいた人間を左右の手で一人ずつ掴むと、まずは右のソレでセレス目がけて殴りかかる!
「喰らい、やがれぇえええええええええええっ!」
「ぎゃああああああああああああああっ!」
俺の雄たけびと、武器にされたべリア族の戦士の悲鳴が上がる、が、セレスは冷静だった。
冷静に俺の振った武器を神剣で受け止め。
──グチャッ。
武器にされた男の血と臓物を身体中に浴びる。
「きさままあああああああああああああああああああっっ!」
「くかかかかかかかかかかかかかかっ!」
仲間を殺された所為か、それとも血と臓物を全身にぶちまけられた所為か。
セレスが激昂して吠えるが、俺はその怒鳴り声に構うことなく、動揺して隙だらけの彼女目がけて上段から左の武器……まだ生きている人間を叩き付ける。
「っ!」
「ぎゃあああああああ……ひでぶっ!」
血まみれの戦巫女は必死に体勢を立て直し、俺の一撃を回避した。
しかし、顔面から地面に叩きつけられたべリア族の男は耳触りな音を立てながら顔面を潰し息絶えてしまう。
「貴方はっ!」
「ちぃっ!」
薙ぎ払われたセレスの神剣を、俺はその頭蓋の潰れた遺体で受け止める。
……が、流石は神剣。
まるで豆腐でも斬るかのように、俺の肉の盾を真っ二つにしてしまう。
返り血と臓物が俺の身体にも飛び散るが……今はその不快感に構っていられる余裕なんてありゃしない。
「おわっ! 何て切れ味だっ?」
「死者を冒涜するなどっ!」
真っ二つになった遺体を見ながらの俺の言葉に、戦巫女はますます激昂する。
「正々堂々戦いなさい! それでも神々の一柱ですか!」
「やなこったっ!」
追いかけてくるセレスから必死に逃げ回る俺。
彼女の神剣を、肉の壁で受け止め、肉の剣や槍で迎撃。
それを十回以上繰り返した所為で、周囲が血と臓物と死体で真っ赤に染まった頃。
「う、う、うぁああああああああああ!」
「逃げろ逃げろ逃げろっ!
巻き込まれるぞ~~っっ!」
俺やセレスの体力よりも、先にべリア族の戦士たちの忍耐力の方が尽きたらしい。
武器をその場に捨て、戦巫女をも見捨てて必死に逃げはじめる。
──やべぇ。
同時に俺は追い詰められたことを悟っていた。
……雑魚兵士がいなくなれば、もう俺には盾も武器もない。
冷や汗を流しながら、俺はこの状況を打破することを必死に考え必死に考え……徐々に距離を詰めて来る戦巫女のプレッシャーと戦いながら、何とか策を思いつく。
「ほら、どうする?
こうなってしまえばサーズ族を追撃することなんか、もう無理じゃねぇの?」
「~~~っっ!
これが狙いだった訳ですか!」
俺が何とか思いついたその言葉に、血まみれの戦巫女は歯噛みしながら叫んでいた。
(……上手く誤魔化せたか)
当然ながら俺には何の狙いも計算もなかった訳だが……上手く良い方へ誤解してくれたセレスの声に、俺は内心でホッと溜息を吐く。
が、それでも俺は安堵を顔には出さず、必死に胸を張り、余裕の姿勢を崩さない。
それもこれも……こんな綺麗な少女の前くらいは恰好をつけたいなんて、ただの虚勢に過ぎなかった訳だが。
「ふん。俺を討つことに目が眩み、戦いの目的を見失ったお前の負けだ、セレス=ミシディア」
「……くぅっ」
セレスは俺の格好つけをどう思ったのか、俺とサーズ族の集落と敗走していくべリア族の軍団とに目を走らせる。
サーズ族の集落ではようやく略奪品の運搬が終わったのか、数十名の兵士たちがこちらに向かっているところだった。
その状況は流石に不利と悟ったのだろう。
「今度は……べリア族全ての戦力で、貴方を討ちます。
破壊と殺戮の神ンディアナガル!」
「ふん。その時はその貞操帯も引き千切って、群衆の前で犯してやるさ」
神剣を向けてそう放たれたセレスの捨て台詞に、俺は笑って返す。
……彼女の白い乳房に視線を向けながら。
そこでようやく自分の恰好に気付いたのか、セレスはずっと出しっぱなしだった胸を慌てて隠すと……
「覚えてなさい!」
そう捨て台詞を放つと凄まじい勢いで敗走していくべリア族を追いかけ始める。
「……っててて」
そこでようやく俺は地に腰を落とすと、まだ少し痛む刀傷に手をあてる。
皮一枚しか斬られていなかったその傷は、もう塞がりかかっていた。
……怪我をするのに慣れていなかったから、酷い傷に見えた、だけらしい。
だけど。
──俺はもう、無敵ではいられないらしい。
その刀傷が、その痛みが……俺にその事実を嫌というほど教えてくれる。
今までは無敵でいられた。
つまり俺は、自分が安全な場所にいられるからこそ、サーズ族を助けようと思ったのだ。
自分が怪我しないと分かっていたからこそ、英雄気取りで最前線に立っていたのだ。
自分が死なないとと分かっていたからこそ、欲しいモノを手に入れるために暴れ回っていたのだ。
ただ、もう……
──これからはそうはいかないらしい。
「勝つには勝ったが……。
さて、これからどうしたもんかなぁ」
俺はこれからの戦いに思いを馳せ……大きくため息を吐きながら、そう呟いたのだった。