肆・第三章 第三話
対面の入口から現れたソイツは……とてつもなく背の高い男だった。
横幅はそれほど広くなく、ひょろっとした雰囲気が拭えないものの……狼か何かの毛皮を被り、矛を軽々と扱うその姿は、なかなかの手練れだと思われる。
少なくとも、何の訓練も受けていない俺が、コイツと矛の技量を競ったところで……歯牙にも掛けられないだろう。
「さて、戌の方角~~っ!
何と、大将であると言うのに、これが初試合っ!
曹孟が農村で見出したと言われる、四凶檮杌の血を引く狂戦士っ!
村に現れた戦獣を、たった一人で狩ったとのことっ!
将来に期待したのか、その名も、何と皇帝~~~っ!」
「何だ、その名前は~~っ!」
「どうせ、兎でも狩っただけだろうがぁっ!」
「馬鹿にしてるのか、この餓鬼~~~~っ!」
「さっさと殺されちまえぇえええええっ!」
何やら大きく語ってくれたのは……司会者、だろうか?
この闘技場全体に響き渡るようなものすごい声で、聴いたこともないような煽り文句を連発してくれる。
この手の宣伝が過大になることは、時たまテレビの合間にやっている、ジャパネットなんとかって名前の通販番組のお蔭で分かるのだが……タオなんとかの血とか、全く身に覚えのない煽り文句で語られた上に、その所為で心象をさらに悪くしたらしく、周囲からは罵声が浴びせられ続ける始末である。
──何か、ムカついてきた、な。
そもそも……堅のヤツが悪いのだ。
こんな場所に来てまで、経産婦で元人妻で、自分よりも10歳以上は年上で、俺にとっては完全に射程外とは言え……女と好き勝手やっているのだから。
──アイツよりも強い俺は、そんな嬉しいご褒美に、欠片もありつけないというのに。
そう考えると、さっさとこの戦いを終えて、鈴の尻でも撫でて遊ぶ方がまだ建設的な気がしてきた。
尤も……生憎と俺には、明らかに小学生高学年程度の発育もしていない、どう言い繕っても『女児』でしかない相手に、セクハラをして喜ぶような趣味など欠片もないのだが。
「続いては、辰の方角っ!
その長身から繰り出される矛に沈む者多数っ!
二十人を血祭りに上げた、凶悪な巨人っ!
この比武を開始して、未だに敗北を知らぬ、無敵の男っ!
『襲鷹』、角~~っ!」
俺が勤労意欲を完全に失っている間にも、対面側にいる相手……恐らくは敵の大将だろう男の紹介が叫ばれる。
「いつもの通り、勝ってくれよ、角っ!」
「あんな生意気な餓鬼なんざ、血祭りにあげろ~~っ!」
観客席からは、大きな歓声が上がり……その声に気分を良くしたのだろう。
角という名の巨人が矛を……もはや戦斧と言っても過言ではないほど巨大な矛を軽々と振るい、その風切音に観客が湧く。
──出来る、な。
何気なく放たれたその一撃の鋭さに、俺は思わず内心でそう呟いていた。
──あれほどの重量武器を手にしながら、あれだけの斬撃を放てる。
──そんな相手と相対したのは……。
「……えっと」
何となく、周囲の雰囲気に呑まれていつぞやに読んだ格闘漫画っぽく内心で呟いてみたのだが……まぁ、所詮は恰好だけの付け焼刃。
アレと同等の使い手なんて、咄嗟に思い浮かぶ訳がない。
だけど、記憶の中にある使い手を一人一人思い浮かべてみれば……多分、それっぽい相手くらいは出てきても不思議じゃ……
「では、始めっ!」
「ぇっ?」
気付けば、俺が脳内にある記憶の小箱を夢中でひっくり返している間に、戦闘は開始されていたらしい。
司会者の叫びに顔を上げてみれば……
「ぬぅうんっ!」
巨大な矛を思いっきり振りかぶった、巨人の姿が眼前にあった。
「ぅぉおおおおおおおっ?」
完全に不意を突かれた俺は、慌てて手にしていた大刀を眼前に抱え上げ……
──つぁっ?
ギィィンという、耳に突く甲高い金属音と共に、眼前に火花が散った。
止めたのは良いものの、タイミングは本当にギリギリだったらしく……まさに紙一重のところに、尖った金属の鈍い輝きがあった。
「おおっとっ?
止めたぁあああああっ!
この『襲鷹』という二つ名を表す、角の大上段っ!
その必殺の一撃を、皇帝、見事、紙一重で止めましたぁああああああっ!」
「ぉおおおおおおおおおおおおおっ!」
司会者の煽りに、観客たちは呑気にも凄まじい盛り上がりを見せている。
まぁ、実際、命のかかってない外野は気楽なものなのだろう。
正直、刃物が眼前にあるというこの状況は……破壊と殺戮の神ンディアナガルの権能によって傷一つつかないと分かっていても、あまり気分の良いモノではない。
「やるな、貴様。
俺の力に、対抗するとはっ!」
その上、何を勘違いしているのか……角とかいう対戦相手は、俺に向かってその巨大な矛に体重をかけ、力いっぱい押し込んでくる。
まぁ、俺にとっては幾ら力を込められたところで、力負けする訳もないのだが……今、俺の眼前では、刃物がキーキーと摩擦音を立てながらふらふらと揺れていて……
言ってしまえば……鬱陶しくて、気分が悪い。
「~~~っ!
ああ、もうっ!」
目の前を刃物がちらつくことの、あまりの鬱陶しさにキレた俺は、渾身の力を込めて大刀を弾き上げる。
俺の膂力を込めたその一撃は、角とかいう巨人の矛を軽く跳ね上げ……
「ぬぉっ?
き、貴様はっ?」
上から体重を込めて、押し切る。
その必勝パターンを崩された所為だろう。
角とかいう大男は、目を驚愕に見開いたまま、俺と矛とを見比べていた。
「おおぉっとっ!
まさか、まさか、まさかっ!
この状況からっ、『襲鷹』と恐れられた、あの角の一撃をっ!
跳ね返す人間がいるとはっ!」
司会者は司会者で、何やら盛り上げるような絶叫を放ち。
周囲の観客もそれに釣られたのか、自分勝手な叫びを口にして……周囲に満ちる空気の振動が、腹の奥まで響いてくる。
──あ~、うるせぇ。
その身体の奥まで無駄に振るわせてくる、鬱陶しい振動に、俺は思わず眉を顰めたのだが……
──けど、コレが、俺の仕事、か。
今の俺は、この連中を盛り上げる……まぁ、プロレスラーとかプロボクサーとか、そういう類の仕事なのだ。
つまり、こうして叫んでいる連中をそうそう無碍には出来ない訳で……
「……面倒だ」
自分の導き出した結論の、あまりにしんどさに……俺は思わず肩を竦め、右手の大刀を握り直していた。
「隙ありぁああああああああっ!」
俺の、その仕草を一体どう勘違いしたのか。
……角とかいう巨人がそんな叫びを上げなら、またしても矛を大上段に振りかぶり、襲い掛かってきやがった。
「うるせぇえええっ!」
とは言え……その攻撃を、俺は既に一度、見た。
実際のところ、コイツはあの巨大な矛を、振りかぶった勢いのまま、ただ「上から振り下ろしてくる」だけなのだ。
勿論、斬撃速度はかなりのものだが……それでも見えないほど速くはない。
である以上、手にしている大刀をその矛の軌道に叩きつけるくらいのこと、剣術の心得なんてない俺にだって出来る。
「うぉおっ?
馬鹿、なっ?」
斬撃の速度では負けていただろう。
体重でも、遥かに俺が負けていただろう。
しかも、敵が放った上段からの打ち下ろしに対し、俺が放ったのは下段からの切り上げである。
……物理法則を考えると、俺が勝てる訳がない。
だけど……その条件下であったとしても、破壊と殺戮の神ンディアナガルの化身である俺が放った一撃を、そこら辺の雑魚如きが破れる訳もなく。
角の放った斬撃は、俺の切り上げによってあっさりと弾かれ……それどころか、巨人は身体ごと真後ろへと数メートルほど吹っ飛んでいた。
「な、なななな、何だコイツはぁあああああああああっ!
あり得ないっ!
あり得ない一撃っ!
まさに人間離れしたっ!
もしや、本当に化け物だと……」
司会のそんな叫びを、もう俺は聞いてやる気すらなかった。
後ろへ吹っ飛び、尻餅を突いたままの巨人のところへと、俺は一直線に走り寄ると……さっきの意趣返しとばかりに、手にしていた大刀を、ただ渾身の力を込めて直下へと振り下ろす。
「トドメっ!」
「ぉおおおおおおっ!
……ひぃぃっ?」
俺の放った一撃に反応し、尻餅を突いた耐性のまま、咄嗟に巨大な矛を持ち上げて防いでみせたところは……まさに敵の大将というところなのだろう。
尤も、俺の放った斬撃を、人の力で受け止めらえる訳もなく……と言うか、そもそも衝突した武器が耐えられなかったらしい。
あっさりとこの巨人……角の持つ矛は砕け散っていた。
そして、渾身の力を込めた俺の一撃がその程度で止まる筈もなく……そのまま直下の角とかいう男の頭蓋を叩き割り……
「……あれ?」
だけど……どうやら巨人の頭蓋を叩き割る筈だった俺の持っていた大刀は、所謂「安物」というヤツだったらしい。
相手の矛を見事に砕いたのは良いのだが、その所為で軌道が変わってしまったらしく、巨人の頭蓋から大きく外れ、そのまま床に切りつける羽目になり……刃筋を違えた状態で床へと力任せに切り込んだ所為か、俺の持っていた大刀はあっさりとひん曲がってしまう。
「あっちゃ~」
思わず俺の口からはそんな悲鳴が上がったが、それもまぁ、仕方ないだろう。
武器なんて使い捨ての筈で……だから、コレに関する請求を喰らったりはしない、筈だ、多分。
──いや、そもそも……
──武器として、コレはどうなんだ?
使い物にならなくなった手元の大刀を見つめた俺は、頭に浮かんだ「賠償」の二文字を振り払うと……これからどうやって戦おうかと少し考える。
正直、先日に臓物臭を嗅いだばかりなので、素手では戦おうとすら思わない。
ついでに言えば、こうして見世物として戦っているのだから、決着がつかずに引き分けなんて終わりが許される訳もないだろう。
……だから、かもしれない。
俺が、曲がったままのその大刀を、膂力と握力に任せてまっすぐに直してやろうなんて行動を、つい思いついたのは。
「よっ……と」
……だけど。
まぁ、当たり前の話だが……一度捻じ曲がった金属を無理やり元通りに戻せる訳もない。
ついでに言うと、ちょうど良い具合に自分の膂力を手加減できるほど、俺は器用な方でもなかった。
「ぉっ?」
俺の腕力が込められた大刀は、よほど悪い金属で作られていたのか、見事にペキンとへし折れてしまう。
そして……そんな俺の行動は、周囲に群れている物見高い連中にとっても「かなり非常識というカテゴリに類される行為」だったらしい。
周囲は静まり返り……あのやかましかった司会者すら、鬱陶しい叫びを上げなくなっていた。
──あれ?
その事実に気付いた俺は、何となく周囲の視線が気になり……ゆっくりと辺りを見渡す。
そして、眼前の敵から視線を外すその行為は……今まさにトドメを待つばかりだった角という男にとっては、絶好の『隙』だったようだ。
「隙ありゃぁああああああぎぃっ!」
「ぶへっ?」
いきなり横面を殴られる衝撃に、俺の口からはそんな……豚の泣き声みたいな悲鳴が上がっていた。
まぁ、口の中にあった空気が、衝撃によって無理やり口から吐き出さされたのだから、仕方ないのだが……
それでも、顔面をいきなり殴られるという行為が……痛くなくても、これほどまでにムカつくとは思わなかった。
俺は怒りのままに手にしていた大刀の破片を放り捨てると、自分の顔面にぶち当たったままの……恐らくは俺の横面に叩きつけた行為によって砕けてしまっただろう、角という巨人のその拳を掴み……
「やり、やがったなぁ、おいっ!」
「ひぃぃぎゃああああああああっ?」
そのまま、ある程度は力を加減したままで、横薙ぎに振るってみた。
確か、プロレスで言うところの、ハンマースルーとかって名前の……ロープに向かって放り投げる技、だった筈である。
……クラスメイトが教室でふざけているのを、聞いたような、覚えがあった、確か。
ただ、ちょっとばかり力が入り過ぎたらしく、握りしめた拳は見事に砕け、横へと振り回す時にその右肘の関節があり得ない方向に曲がり、ちょびっとばかり変な方向へ捩じったのか、骨が肘辺りから飛び出していたが……
兎に角、コレで壁へと叩きつけられた相手が、その衝撃で跳ね返ってきたところを……タイミングよく放った俺のラリアットでダウンを奪う。
プロレスでよくある1シーンを、何となく記憶のままに再現しようと、俺は拳を握りしめ、腕を伸ばして迎撃態勢を整えたのだが……
「めぎょ」
そんな変な声を上げた角という名の男は、俺が放り投げた勢いのまま、壁へと叩きつけられ……あまりの速度で壁と激突した所為で、情けなくも頭蓋をかち割ってしまったらしい。
そのまま、壁から直下に崩れ落ちやがった。
鼻血か脳天から噴き出した血かは分からないが、壁が真っ赤に染まっている。
と言うか……頭がぶつかった時、壁そのものに響くような鈍い音がしたので……どうやらいつもの如く、ちょっとばかり力が入り過ぎてしまったらしい。
何となく居心地悪い気分で、ラリアットに失敗した右腕を下ろす。
──まぁ、結果オーライ、か。
少なくとも……意図した形とは少し違うとは言え、俺の一撃によって角という名の巨人は沈み、もう動かなくなっている。
正確には頭蓋から血を流し、未だにぴくぴくと痙攣しているのだが……まぁ、生き死には兎も角、もう戦闘不能には違いないだろう。
俺は何となく静まった周囲を見つめ……これから何をしたら良いかを問うように、騒音公害である司会者の方へと視線を送る。
幸いにして、そのやかましい司会者はすぐに自分の職務を思い出したらしい。
「決っっっちゃぁあああああああああああくっ!
圧倒的っ!
まさに圧倒的ぃぃいいいいっ!
この結末をっ!
誰がっ予想っ、出来たでしょうかっ!」
……絶叫、という言葉以外に、表現のしようがない。
そういう喉の奥から……いや、魂そのものを吐き出す勢いで、その司会者は叫びを上げ続ける。
「決着はっ、まさかのっ、投げ技っ!
技ではないっ! ただの腕力っ!
しかしっ、その威力はご覧のとおりぃぃいっ!」
その辺りまで司会者が言葉にしたことで、静まり返っていた観客も、ようやく現状を理解したようだった。
建物全体を響かせるような、凄まじい空気の波が俺の身体を叩く。
「よって、この比武は4対1で決っ、着っ!
曹孟の、勝利ぃぃいいいいっ!
配当の支払いはっ、札とのっ、交換と、なりますっ!」
そんな轟の中でも、司会者は周囲に響き渡るほどの大声を上げ……
……その叫びが耳に入ったのだろう。
俺たちが戦っていた砂の戦場に向かって、頭上からお札ほどの大きさの木切れ……何やら文字が書かれている板が投げ込まれる。
──ああ。
──スッたんだな。
何かの動画で見た……競馬場で馬券が飛び交うのと同じ光景、なのだろう。
見境なく飛び交う木切れは、ぺちぺちと俺の身体にも当たるが……普段なら鬱陶しがるソレも、今の俺としてはむしろ心地良い代物である。
──アホ共が。
──俺に賭けなかった罰だよ。
そして、どうやら俺の仕事はコレで終わりらしい。
格子で塞がれていた入口がゆっくりと開き……曹孟のおっさんが手を振っているのが見える。
相変わらずの筋肉質で凶悪な面構えではあるが……まぁ、その笑みは機嫌が良さそうではあった。
……あの様子を見る限り、随分と儲けたらしい。
──ま、いいか。
俺はそう軽く肩を竦めると……勝利者らしく堂々と胸を張って出口へと歩く。
……軽く右手を突き上げ、周囲からの歓声と罵声に応えるように。
ちょっとばかりこの空気に呑まれている気がしないでもないが……今の俺は何となく格好つけたい気分だったのだ。
そして……
この勝ち名乗りを上げて堂々と歩くのって、思っていた以上に楽しくて仕方ない。
コレが人間の本能的なモノなのか、俺の性質なのかは分からないものの……
──この手の仕事、意外と、俺には向いているのかもな。
心地良い高揚感に浸ったままの俺は、「元の世界に帰って就職する年齢になった暁には、プロレスラーとかどうだろう?」なんて考えつつ……
俺はゆっくりと賭け札を浴びつつ、仕事場を後にしたのだった。