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【完結済】ンディアナガル殲記  作者: 馬頭鬼
肆・第三章 ~最強無敵の戦奴~
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肆・第三章 第二話

「……中は、それほどでもないな」


 俺が『黒剣(ヘイチェン)』の治める都市を見た感想は……現実的にはそんなものだった。

 確かに外壁の立派さは目を見張るものがあったのだが……内部の都市はそれほど大差はない。


「うぉぉおおお。

 すげぇっ!」


「さすがは、とかいだっ!

 ほんと、すげぇっ!」


 ……いや。

 俺と同じ馬車擬きに載せられている子供たちは口々にそう騒いでいるのだから、もしかしたら農村と同じように、文明レベルに大きな差があるのかもしれない。

 まぁ、子供たちにとっては都会そのものが珍しいのかもしれないが。


 ──判断材料がないんだよな。


 現実問題、コンクリート製の高層ビルが立ち並ぶ景色を見たことのある俺としては、『血風(ツェフォン)』の都市も『黒剣』の都市も「古めかしくて雑多なボロい田舎」という感想しか湧かず、あまり大差なく感じられてしまう。

 レベル80から見ると、レベル20も15もそう違わない、という感覚だろうか?

 さっきまでの農村は、俺にとっては馴染のない代物だったお蔭で、餓鬼共のと同じレベルの驚きを感じられたのだが……

 それは兎も角……この大都市にただ一つだけ大きな問題があるとしたら……


 ──くせぇ。


 ……周囲に漂う悪臭が耐え難いレベルという点、だった。

 早い話が、人口の密集具合に比べて、下水というか汚水処理が追いついていないのだろう。

 昔のフランスとかでは、糞尿を溜めていた壺を窓から放り捨てていたので、都市全体が凄まじい悪臭を放っていたらしい。

 それが香水の始まりだと……数学教師が授業を脱線した時に聞いた記憶がある。

 アレは確か……お見合いパーティが香水臭くて逃げ出してきた、という愚痴の延長上だったような。

 肝心の授業どころか公式の一つすらろくに覚えていない癖に、こういう雑談だけは記憶するのは、一体何故だろう?

 っと、そうして俺が昔受けた授業を思い出しながら、馬車擬きの酷い揺れから意識を逸らしていた時のことだった。


「っ!

 運が悪いっ!

 全員、息を止めろっ!」


 突然、俺たちを載せた馬車擬きを先導していた商人……(サォ)(ムン)のおっさんが大きな叫びをあげる。


「……は?」


 当然のことながら、いきなりそんなことを言われても、反応が追いつく訳もない。

 と言うより、そんなことを言われると、つい何だろうと匂いを嗅いでしまうのが人の習性である。


「ぬ、ぐぉぉおおおおっ?

 くせぇええええええええっ!」


 そして……匂いを嗅いで確かめた俺は、顔面を押さえながら後悔の叫びをあげる羽目になった。

 ……当然だろう。

 だって、前から来てこの馬車擬きとすれ違った大きな桶を積んだ牛車は……ほぼ間違いなく、その大きな桶の中に糞尿を溜め込んでいたのだから。

 幾ら大桶にも蓋をしていたとは言え……そんなモノがすれ違ったのだから、周囲に臭気が満ちるのは当然だった。

 しかも牛が曳いている間、桶の中は揺すられてシェイクされていたらしく……いや、想像すると気持ち悪くなるから、これ以上は止めよう。

 兎に角、とんでもない……鼻から入って脳髄まで突き抜ける類の悪臭を、思いっきり吸い込んでしまったのだ。


「……ぐ、おぉおお」


 あまりの刺激に、俺は吐き気を堪えるのが精いっぱいで……完全に身動きが取れなくなってしまっていた。

 あの腐り果てた世界で、臭気に対する耐性がついたと思っていたのだが……悪臭ってのはどうしてこう、趣がちょっと変わるだけで、全く別物になるのか。

 そして……俺には耐えられた悪臭でも、餓鬼共にはちょっとばかりキツかったらしい。


「うげぇええええええっ!」


「おわっ?

 (イェン)がはいたっ!」


「おぇええええええええええっ!」


(シン)もつられたぁああっ!」


 後ろの方では、大惨事が発生していた。

 幸いにして俺は餓鬼共には避けられていたため……二次災害を被ることは避けられたのだが。


「あ~、もう。

 ふく、よごしてないっ?」


 この地獄のような悪臭の中でも、自分の庇護している子供たちが騒ぐのを見過ごせなかったのだろう。

 俺の裾を掴んでいた(リァン)はそう叫ぶと、子供たちの方へと駆け寄っていく。


 ──まぁ、任せた。


 俺が行っても餓鬼共を怖がらせるだけだろう。

 ……そんな免罪符を手に、俺は子供たちを介抱する鈴の、小さな尻が揺れるのを何となく見ていた。

 まぁ、当然のことながら……欲情の欠片もしない訳だが、甲斐甲斐しい嫁ってのもありだよなぁ程度の感覚で。

 そうして、半時間ほど馬車擬きに揺られ、鈴が子供たちの世話を終えた頃のことだった。


「さぁ、着いたぞ。

 ここが、今日からお前たちの家だ」


 そんな曹孟の声に俺が顔を上げると……そこには、石と木で造られた大きな建物があった。

 円形をしているだろうその建物は、歴史の教科書にあった闘技場のような……何処となく違う雰囲気を放っているような。

 取りあえず、今日から此処で俺は働かされるらしい。


「……さて、と」


 俺は小さくそう呟くと、これから始まる労働の日々に、静かに気合を入れなおしていたのだった。




「……何とか寝れるものだなぁ」


 翌日。

 俺は雇い主から与えられた部屋……地下牢としか思えない、日当たりの悪くてジメジメした狭苦しい部屋で目覚め、思わずそう呟いていた。

 とは言え、流石に快適な眠りでもなければ、快適な目覚めという訳にもいかなかったが。


「こらっ!

 (トン)っ!

 わたしのあしをふむなっ!」


「うるせぇっ!

 (アン)っ!

 けってくんなよっ!」


 俺が快適に目覚めなかった原因……餓鬼共の騒ぎが耳に障る。

 本来ならば怒鳴りつけてやるところだが……生憎とあの(サォ)(ムン)という名のおっさんに与えられた部屋が、餓鬼共が騒ぐ通り、シャレにならないほど狭苦しいのは事実である。

 そんな部屋に俺を含めて10人も押し込められているのだから……多少、踏んだり蹴ったりがあるのも当然だった。

 まぁ、こんな都会のど真ん中では土地も余ってないだろうし、部屋が狭いのも仕方ないのだろうが……

 ただ、餓鬼共としても環境が変わったばかりの所為か、どうも神経がささくれ立っているらしい。


「やるかぁっ!

 このがきっ!」


「やらいでかっ!」


「こらぁあああっ!

 ツボのちかくでケンカするなぁっ!」


 董と杏が取っ組み合いをし始めたところを、餓鬼共の中で最年長である鈴が大声を張り上げて引きはがす。

 ちなみに壺とは肥壺のことで……要は、便所である。

 蹴飛ばされたらとんでもないことになるので、鈴の怒りは当然と言える。


 ──しかし、文化が違い過ぎる。


 俺は部屋の片隅にぽつんと置いてある、肥壺に視線を向け、大きなため息を吐いていた。

 幸いにして、壺口は木の蓋で塞がれていて、匂いが充満するのを防ぎはしてくれるものの……正直、するところが丸見えなので、せめて別室に置いてほしい。

 その上……手を洗う水もなければ、ケツを吹くボロ布が一枚置かれているだけなのだ。

 ……不衛生にも程がある。

 まぁ、餓鬼共は文字通りまだ餓鬼なのか、あまり気にしていないようだったが……生憎と、現代日本に暮らしていた俺は、その便所を平然と使えるようになるには、まだまだ精神習練が必要な代物である。

 いや、そんな日が訪れる時なんて来て欲しくない。


 ──さっさと広い部屋を要求しないとな。


 せめて、便所が別室にある部屋か……餓鬼共から離れて個室を頂けるくらいには早急に出世する必要があった。

 そんなことを考えていたお蔭だろうか?


「おい、小僧。

 早々で悪いが、出番だ。

 行けるか?」


 不意に開いたドアから、俺の雇い主……曹孟が顔を覗かせたかと思うと、そう問いかけて来た。

 相変わらず筋肉質の巨漢で、正直な話、コイツが戦っても随分と稼げそうだとは思うのだが……まぁ、俺としてはスポンサーに楯突くつもりもない。


「ああ。

 幾らでも戦ってやる。

 だから……せめて、もうちょっと広い部屋を寄越してくれ」


 俺は、部屋の雇い主にそう頷くと、寝起きでまだ固まったままの身体を伸ばし……部屋から出るべく、足元を気にかけつつゆっくりと歩き始める。

 何しろ、部屋は餓鬼共でいっぱいで、文字通り足の踏み場に気を使うほどなのだ。

 そんな俺の訴えが分かったのだろう。


「……あ~、そうだな。

 なら、次回からは、ちょっときつくなるぞ?」


「大歓迎だ」


 少し考えた後のおっさんの言葉に、俺は間髪入れずに頷く。

 正直……俺としては「足の踏み場もなく」「ゆっくり一人で寝ることも出来ず」「便所すら満足に出来ない」という三重苦の今の状況よりキツい戦闘なんてある訳がないという確信があった。

 そのまま、本来はあるべきだろう、戦闘前の高揚感も恐怖すらもなく……いつも通りの足取りで廊下を歩く。

 灯りすらケチっているのか、それとも奴隷風情に灯りなんて不要だという経営的判断か、薄暗い廊下が少しばかり鬱陶しかったが……


 ──しかし、ひでぇ環境だ。


 廊下の周囲には木張りのドアが並び……恐らくはそれぞれに囚人、もとい戦奴が詰め込まれているのだろう。

 そして恐らく、ここに詰め込まれている連中の誰か一人が、今日、俺にとって殺される運命を迎える訳だが……


「ま、考えても仕方ないよな」


 そう呟いた俺は、あっさりとその思考を放棄する。

 これから殺される相手とて、武器を手にして俺を殺しに来るのだ。

 ……殺されても文句は言えないだろう。

 今までもそうやって戦場を渡り歩いてきたことだし、今さら人を殺すことを躊躇ったりする訳もない。

 そんなことをつらつらと考えながら歩くと……木で出来た格子の向こうに明かりが見え、そちら側から歓声が響く。

 どうやら仕事場についたらしい。


「周囲の武器は好きなのを取って構わない。

 勝ちさえすれば、それで構わん。

 ……では、見せてもらうぞ?」


 曹孟のおっさんはそう告げると……さっさと背を向けて去って行った。


 ──暇、なのか?

 ──いや、ケチなのか。


 去っていくスポンサーの背中を眺めながら、案内役くらい幾らでもいるだろうに……なんてことを考えつつ……

 俺は廊下に立てかけられている武器を眺める。

 剣、大刀、鉈、槍、棍、錘、矛に戟……様々な武器がところ狭しと並べられている。

 これだけ沢山並べられると、どれを選んで良いものか、逆に悩んでしまう。


 ──何を選んでも同じか。


 とは言え、破壊と殺戮の神ンディアナガルの権能を持つ俺にとって、武器の良し悪しなんてあまり意味を持たないという現実がある。

 正直、返り血と臓物臭辺りが気にならなければ、素手でも構わないくらいなのだ。

 結局、僅かに考え込んだ俺は、適当に手を伸ばすと……目についた大刀を掴んで持ち上げると、肩に担ぐ。


「……っと、出番か」


 そうして待っていると、目の前の道を塞いでいた格子が上がっていく。

 普通はこの手のには見張りがついていそうなものだが……


 ──俺の場合……餓鬼共が、人質だからなぁ。

 

 あの曹孟って商人も、その辺りは心得ているのだろう。

 実際のところは、俺を止められる見張り役なんざいないのだから……見張りがいようがいまいが、そう大差ないのだが。

 そうして前の格子が上がり切ると、前から身体を赤く染めた(チェン)のヤツが現れた。

 ……どうやら、俺の前に試合をしていたらしい。


「よぉ。

 次はお前か。

 ……調子はどうだ?」


 手にした血まみれの矛を担ぎながら、堅はそう軽く問いかけて来た。

 いつも通りのその顔は、どう見ても怪我をしている様子はなく……赤く染まったソレは、どうやら返り血に染まっているだけらしい。


「お前は、勝った、んだな?」


「当たり前だろうが。

 ま、向こうも様子見ってことで、雑魚相手だったからな。

 楽勝だ楽勝。

 さぁ、運動の続きをするとするか~」


 堅のヤツはそう告げると……矛を近くに放り捨て、そのまま背を向けて去って行った。


 ──運動?


 さっきまで戦っていた筈の堅が、一体これから何の運動をするんだろう?

 ……そう考えた俺は、次の瞬間には首を左右に振って、その思考を放棄する。

 どうせ、アイツのことだ。

 あの農村から連れてきた女と、肉体言語を交わし合うに違いないのだ。


 ──畜生。

 ──うらやま……いや、むかつく。

 

 俺は拳を握りしめると……職場へと向かう。

 そこは二十メートルくらいの円形をした、砂が敷き詰められた広場だった。

 砂のところどころに血が混じって固まっている辺りが、さっきまでここで繰り広げられていた試合が、文字通り「殺し合い」であるという事実を俺に教えてくれる。


 ──逃亡防止は完璧、か。


 広場の周囲は二メートルを超す石造りの絶壁があり、その上に観客席が用意されていて……何と言うか、ローマのコロセウムに似ているような、独自のアレンジが加えられているような、そんな感じの場所である。

 観客席の周囲には、弩弓を手にした用心棒が突っ立っていて……逃げる戦奴や戦意喪失したヤツを狙い撃つつもりなのだろう。


「何だぁ、あの餓鬼はっ!」


「消化試合かよっ!

 既に三勝しているからってあの曹孟ってヤツ……捨て駒を用意しやがったっ!」


「殺しちまえっ!

 そんな餓鬼じゃ、賭けすら成立しねぇぞっ!」


 そうして何となく広場の真ん中へと歩いた俺に向けて、観客席からは容赦のない罵声が浴びせられる。

 正直、聞くに堪えないような罵声が上がる中、対戦相手が出てくるまで立ち尽くしていた俺だったが……その罵声のお蔭で、何となく状況を理解出来た。


 ──要は、賭け試合なんだな。


 周囲を眺めれば掲示板っぽい板に横五列縦二段の、合計十の名前らしき文字が書いてあり……上の名前が三つ、下の名前が一つ、赤い×で消されている。

 アレがどうやら対戦表で一対一の戦いが五回繰り返され……どうやら下段が俺たちのチームらしい。

 そして……


 ──読めない、な。


 昨日危惧した通り……やはりこの世界の文字は、俺には読めないらしい。

 まぁ、文字なんて読めなくても、何が書かれてあるかという雰囲気くらいは分かるのだが……


 ──昨日、堅のヤツに対抗して「読める」と言い張らなくて良かった。


 そうして俺がそんなことを考えつつ周囲を眺めている間にも、真正面にあった木の格子がゆっくりと上り……

 そこから、俺の対戦相手が堂々とこの場所へと現れたのだった。


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