肆・第二章 第六話
畑を耕し、水を汲み、作物を刈り取る。
そんなのんびりと過ごす日々の終わりは、唐突に訪れた。
それは、一人目の餓鬼が死んで……それから二日くらいの間、収穫と塩の採取を繰り返していた、その翌日の朝、だった。
「皇っ!
おきてっ!
おきてくださいっ!」
その日の朝も、前日に行った農作業という名の重労働の影響で……もとい、現代日本の生活習慣が抜け切らない俺は、いつもの通りの惰眠を貪っていた。
そんな俺の至福の時間を潰したのは、俺の妻を自称する鈴の声と手だった。
身体を揺さぶられ、意識を無理やり覚醒させられる不快感に、俺はゆっくりと身体を起こすと……その元凶を睨み付ける。
「……なんなんだ、一体……」
「は、はやくっ!
ぶきを、はやくっ!」
……寝ぼけていた所為だろう。
朝の惰眠を愛する俺を叩き起こしたのが、常日頃から俺の気分に配慮をする「出来た」子供である鈴だったことも……
少女の叫びがあまりにも必死だったことにも、俺は気付けなかった。
ただ、至福の時間を潰された不快感を隠そうともせず、身体を起こすと……殺意を込めた視線で周囲を見渡す。
「そ、そとっ!
そとにっ!」
「て、てきっ!
はやくっ!
にげないとっ!」
だけど、餓鬼共はよほど慌てているのか、怒気を放つ俺を意に介すこともなく、俺の身体を四方八方へと引っ張りまわす。
勿論、餓鬼共の腕力でどうにかなる俺ではないが……いい加減、鬱陶しい。
──何なんだよ、畜生。
俺はゆっくりと起き上がると、肩を回すことで寝起きで固まったままの関節をほぐしながら、玄関口へと足を運ぶ。
「だ、だめっ!
皇っ!」
「に、にげないとっ!」
……俺の身体にまとわりつく餓鬼共を引きずったまま。
周囲にまとわりつく餓鬼共は何やら悲鳴を上げているようだが、何があったのか確認もせず闇雲に逃げる訳にもいかないだろう。
一応、念のためということで、先日へし折れた矛を補修した……と言っても適当に木の棒と折れた先端部を結んだだけの、適当な矛もどきを手に握る。
──正直、武器なんざあってもなくても変わらないんだが……
……まぁ、武器を持っていれば、普通人の偽装くらいにはなるだろう。
そうして矛もどきを手に、外へと出た俺が目にしたものは……
「なんっ、だ……これ、はっ」
真っ先に目についたは、『赤』、だった。
もういい加減見慣れた、人間が惨殺された時に垂れ流す、血液の色。
……それが、村のあちこちに散らばっている。
原因はあからさまで……手に弓矢や矛、槍、剣を持った屈強な男たちが三十人ほど、この村を囲んでいるのが目に入る。
そいつらが持っている近接武器……矛先や剣先などが真紅の染まっていることからも、この連中が惨状を作り出したと考えて間違いはないだろう。
そして……俺は、見てしまう。
周囲に散らばった真紅の液体を垂れ流す死体……俺と共にこの村へと来た兵士たちや、ソイツらの妻とされた女たちに混じり、その中に、身体を矢で貫かれた子供の死体が二つ、混じっていることに。
「……あれ、は」
「弘と允です。
……にげ、おくれて……」
「……そう、か」
名前を言われたところでピンと来なかったが……確か、あの餓鬼共は、俺が農作業をしている内に、適当にくっついてきていた中にいた二人だろう。
鈴が告げた、「あの餓鬼共が逃げ遅れたところを背から射抜かれた」という事実は、矢が「背中側から」突き刺さっているのを見れば一目で分かる。
しかも、見せしめのためか、もしくは別の理由か……餓鬼の小さな身体に、必要もないのに「数本もの」矢が刺さっているのが見える。
この状況が示す、見せしめ以外の理由なんて……少し考えるだけで、この俺にでもすぐに分かる。
──遊び半分で、的に、しやがった、な。
その事実に気付いた瞬間、俺の手に握られていた矛が、ミシリと鈍い音を立てる。
恐らく、即席で取り付けた柄……の代用品である木の棒が、俺の握力によって耐久限界ギリギリのところまで追い込まれているのだろう。
「皇っ!
むりっ、あんなっ!」
二つ転がっている餓鬼の死体を見た俺が、一体何をしようと考えたのか、瞬時に理解したのだろう。
鈴が俺の裾を引っ張るものの……そんなことで、俺の怒りが収まる訳もない。
その声で、俺たちを囲んでいたクズ共が俺に向かって弓を引き始めるが……そんな棒切れが幾つ刺さろうが、俺にとっては痛痒すら感じない。
……そう。
この程度の雑魚の群れなど、一瞬で肉片に変えて……
「待て、皇帝。
……今は、落ち着け」
そんな俺の激昂を押し留めたのは、俺たちのリーダー……堅のヤツだった。
「だま、れっ!
これが、落ち着いて、いられるかっ!」
「……餓鬼共を、巻き込むつもりか」
言葉一つでは怒りの収まらぬ俺に向けて、我らがリーダーが放ったのは痛烈なその一言だった。
怒りに我を失いかけていた俺は、背後で震える餓鬼共の怯えを感じ取り……その怒りを鎮火させてしまう。
事実、俺が戦えば敵を皆殺しにすることは出来ても……餓鬼共を守り切るなんて、とても無理だろう。
こちらの手駒……兵士たちの中で、重症を負わずに生きているのは、この堅を除けばあと三人ぽっちしかいない。
その程度では、弾除けにすらならないだろう。
「だったら、どうするんだ?
このままだと、皆殺しにされるだけだろうがっ!」
「大丈夫だ。
アイツらは商人の手先で……恐らくは奴狩りだろう。
俺たちが「使える」と分かれば、殺されないさ」
そういう堅は、武器一つすら手に持たず、しかも矢を自分に対して向けられているにも関わらず、堂々とした態度を崩さなかった。
──コイツ……
──俺が思っていた以上に……
あの程度の矢なら、避けきる自信があるのだろう。
今まで数多の世界で見てきた「英雄」に相当するその態度に、俺はリーダーに対する評価を一段階引き上げる。
「はっ。
どうやら小賢しいのが混じっているようだな」
そんな堂々とした堅の態度に、何か感じるものがあったのだろうか?
敵の集団の中から、筋骨隆々としたひげ面の大男が前へと進み出てきて、堅に向かってそう語りかけ始めた。
その大男は他の連中と比べて、明らかに裕福そうな身なりをしていて、どうやらコイツが敵集団のボス……「商人」とやららしい。
──まぁ、どう見ても山賊の頭って感じで……
──商人には見えないんだがな。
とは言え、嘲りを隠そうともしないその態度は、明らかに俺たちを見下していて……堅の言うように「俺たちを使える」と判断したから出てきたとは思えなかった。
どちらかと言うと、小生意気な虫けらが分不相応に牙を剥いたのを、嘲りながら叩き潰す……そんな愉悦を待ち侘びているような態度である。
「はっ。
ちょっと考えれば分かるさ。
貴様があの戦獣を放ったんだろう?
餌代をケチる代わりに農奴の村を襲わせる……そういう商人がいるってのを、耳に挟んだことがあってな」
「……コイツ、がっ!」
正直な話、ヘラジカが現れたのを、俺はただの「偶然」だと思っていた。
あの生き物は、ただはぐれて彷徨い出てきた野生生物で……腹が減って俺たちを襲った、言わば天災に近い、ただの偶然だったのだと。
……だけど。
それが人災だったと言うのなら……餓鬼が撥ね殺されたのが、コイツが「エサ代をケチった」所為で起こったと言うのなら……
──その、てめぇがケチった餌代が、どれだけ高くついたかを……
──思い知らせてやるっ!
リーダーから聞かされたその事実に、俺は矛を握りしめ、その大男に圧倒的な力を見せつけてやり、餌代をケチったことどころか、生まれてきたことを後悔するくらいの絶望を思い知らせてやろうと前へと踏み出す。
「落ち着けっ!」
「……くっ」
そんな俺を止めたのは、その怒りを炊きつけた堅の、静かに背後に向かって突き出された右手のひら、だった。
恐らくは「まだ我慢しろ」というのだろう。
その指示に俺が歯噛みしている間にも、我らがリーダーの言葉は続く。
「で、その大事な大事な戦獣が殺されたことで、此処に「使える戦奴」がいると判断し……こうして村を囲って手下を探しに来たって訳だ。
どう見ても奴狩りにしちゃ、大げさ過ぎるからな。
どうせ……戦奴を潰し合わせる、大きな『賭け』が近い内にあるんで、駒を探しにきた、ってところだろう?
だからこそ、俺たちをコイツは「殺せない」訳さ」
「……ほぉ。
どうやら、本物らしいな、貴様」
そんな堅の態度を見て、「使える」と判断したのだろう。
さっきまでゴミを見下すような、無機質な視線を向けていたその商人という地位にあるらしい大男は、その態度を改め……俺たちを値踏みするような視線を向けてくるようになった。
「だが、どうやってソレを証明する?
儂が手を振り下ろすだけで……貴様らは矢に射抜かれ、惨めな躯を晒すことになるんだがな?」
「やれる、ものならっ!」
──やってみろよ、糞がっ!
完全に優位に立ったことを確信している、大男のそんな態度に……いや、このクズが口にした「矢に射抜かれ、惨めな躯」という言葉に激昂した俺は、今度こそ手に握ったままの矛を叩きつけようと前へ踏み出す。
……そう。
俺自身への侮辱なら、多少は耐えられた。
だけど……一方的に、何の罪もなく、何の慈悲も与えられることなく死んでいった、餓鬼共を馬鹿にすることだけは、許せる訳がない。
俺が膂力を全開で振るいながら、敵の囲いに強引に突っ込めば、それだけで相手は混乱するだろう。
内臓を抉り出し、脳漿をぶちまければ……上手くやれば、餓鬼共を巻き添えにする暇すらなく、この程度の雑魚共なんざ肉塊へと変えられる。
実際……俺は、もう、我慢の限界だったのだ。
……なのに。
「……良いから、任せておけ。
餓鬼共含めて、悪いようにはしない」
限界寸前だった筈の俺の怒りは、俺たちのリーダーが放ったその言葉によって、やはり無理やり鎮火させられてしまう。
……何故だろう?
この堅という男は、脱走兵で女を無理やり自分の妻にするようなクズで、罪のない村人どころか、餓鬼すらも平然と殺すような……俺たちを囲み、餓鬼共を殺した下衆共とそう大差ないヤツなのに……
何故か俺は、コイツの言葉は「信頼できる」と感じてしまったのだ。
──っ、いや、理には、適っている。
正直な話、このまま俺が暴れても……下手を打てば、流れ矢によって餓鬼共の二~三人くらいはくたばってしまう、かもしれない。
それならば……自信満々に告げる堅の作戦にのっかかってやるのも、そう悪くはないだろう。
俺がただ……この腹の底から湧き上がるような怒りを、少しの間、堪えれば良いだけなのだから。
……何故だろう?
俺がそうして怒りを鎮めれば鎮めるほど……何故か、この世界に来て以来、外れることなく繋がれたままの首輪が、気に障る。
「……任せた」
俺は左手で首輪の位置を正しながらも、そう告げると……矛を大地に突き刺し、握りしめていた右手から力を抜いて、ゆっくりと矛を手放す。
「で、どうするつもりなのだ?
農奴如きの知恵で、この状況をどう打破する?」
この筋骨隆々とした商人とやらにとっては、俺たちのそんなやり取りも楽しい喜劇の前座に過ぎないのだろう。
あからさまに楽しそうな声で、その大男は俺たちに問いかけてくる。
「簡単さ。
力比べをしよう。
貴様の代理人より俺たちが強ければ、ソイツよりも俺たちの方が「使える」証拠になるからな」
そんな商人に対し、堅が自信満々に提示した作戦とは……実に分かりやすい「力の論理」だった。
正直……俺が考えるのと同レベル、もしくはそれ以下というレベルの、策とも呼べないような稚拙な代物である。
「くっくっく。
なるほど、間違いじゃないな」
とは言え、そんな策でも、この脳みそまで筋肉が回ってそうな、大男には効果があったらしい。
いまだに商人とは思えないその大男は、愉快そうに笑うと……周囲を軽く見渡し、数人の兵へと指示を出す。
「貴様らの中で戦えそうなのは……五人だな。
なら……数を合わせてやる。
均、良、淵、惇、達。
一騎討ちで格の違いを思い知らせてやれ」
その声と共に前へ歩み出てきたのは、いずれもこの大男に負けず劣らずの身体と、強者特有の威圧感を放つ、巨漢共で。
ソイツらがどれだけ強いのか等は、生憎と俺の稚拙な観察眼では見抜くことは出来なかったが……ただ一つだけ。
この筋骨隆々の商人とやらが、俺たち相手に一切の手心を加える気がないのだけは、この俺にも簡単に理解出来た。
……そして。
「ほら、雑魚共……貴様らの稚拙な挑発に敢えて乗ってやったんだ。
……精々、抵抗してみせるんだな」
敵の親玉が放つ、そんな嘲りの言葉と共に……
俺たちと、子供たちの命運を賭けた、一騎討ちが始まったのだった。