肆・第二章 第五話
……『子供たちを救う』
俺がそんな柄にもないことを考えてしまうのは、間違いなくあの砂の世界の……テテと暮らした数日間が原因だろう。
もしかしたら、救えなかった彼女が……そして彼女の今際の際に託された、「子供たちを頼む」という最期の願いを果たせなかった自分が、心の何処かで棘のように突き刺さっている所為かもしれない。
「どうか、しましたか?」
夕飯の最中だというのに、自分の考えに没頭したままの俺を不審に思ったのだろう。
鈴が俺の顔を覗き込みながらそう尋ねてくる。
その顔が不安そうな表情を浮かべているのは、俺が眼前の料理を気に入らなかったのだと……彼女たち子供を養う立場になってしまった、彼女たちの生殺与奪の権利を握っている俺の機嫌を損ねたのかと、心配しているからに違いない。
まぁ、料理と言っても、ヘラジカの巨体を適当なブロックへと切り分け、串で突き刺して火で炙っただけの、野性味溢れる代物でしかないのだが。
「いや。
……塩辛いなと、思ってな」
「そうです、ね。
しおは、もうのこり少ないので、味つけなんて、してないんですけど……
どうして、でしょう?」
仕方なく話題を変えた俺の意図を理解しているのかいないのか……鈴は食事の話題に乗っかって来てくれた。
とは言え、実際……俺にも不思議だったのだ。
──「俺が殺した」ヘラジカが、何故塩にならずに肉が残ったのだろう?
という「殺した相手を塩に変えてしまう」破壊と殺戮の神ンディアナガルの権能を持つ故の疑問が。
まぁ、実際のところ……俺がゆっくりと嬲り殺したヘラジカの肉を、子供たちがその手で切り分けた所為で、塩の権能がその巨大な死体を侵食する前に、死体から肉が切り離された所為だろう、とは推測できるのだが。
──それでも、塩辛さからは逃れられない、か。
とは言え、この肉も途中までは『塩』の権能の影響を受けたらしく……ろくに味付けもしていない筈の肉が、異様に塩辛くなってしまっていたのだが。
そもそも、畑で生活するだけの農奴にとって、塩を始めとする調味料は結構値が張るらしく、好き勝手使える代物じゃない。
価格的に言うと、うちで育てている粟の十倍くらいの値段がするそうだ。
ちなみに麦を育てると、粟の数倍の価格で引き取ってくれるのだが……この辺りの畑では、麦を育てるのは難しいらしい。
粟が如何に安い穀物で……うちが如何に貧乏な農村か、という話でしかないのだが。
「あの、でも、コレ……
ほんとうに、いい、んでしょうか?」
「ああ。
食いたいだけ、食え」
そんな中、塩辛いヘラジカの肉を口へ運んでいる俺に、おずおずと問いかけた鈴が手にしていたのは……肝臓と心臓、そして小腸などである。
どうやらこの世界では、その辺りの臓物……栄養価に富んでいるものの、腐敗が進みやすい部位は非常に高価であるらしく、家長しか口に出来ないのだとか。
特に肝臓や心臓は、滋養強壮の薬として非常に高く売れるらしい。
尤も、塩の備蓄すらろくにない我が家では塩漬けにして保存することも、天日に干して保存する技術もないので、食べるしかないのだが。
──俺が塩を創り出せば良いんだろうけど、な。
とは言え、俺は「この世界では普通にやっていこう」と決めているのだ。
さっきはついカッとなって権能を振るってしまったものの……やらかしたのは周囲から見えない畑の中である。
ヘラジカの残骸を見た堅からは、「すげぇ怪力だな、お前」との言葉を頂いていて、恐らく、そこまで不審がられてはいない。
……多分。
──アイツが来たのが、解体している途中でよかった。
堅のヤツに見られたのは角と首と足がへし折れた死体で……それだけなら、鍛え上げた人間でも何とか可能レベルの損傷、なのだろう。
勿論、その辺りがギリギリ「常人にも可能なレベル」であり、堅のヤツは何か言いたげな表情を浮かべていたのも事実ではあるが……
──適当に誤魔化して追い返したから、後で何か言われるかもな。
そんな訳で、鱗の生えた皮を引き千切るとか、肋骨をもぎ取るとかは、流石にちょっと「見つかったらヤバい」レベルの証拠になりそうだった訳だが……幸いにして、今日は誤魔化せたらしく、まだ一般人としての日々を過ごすことが出来そうである。
それもこれも……
「日頃の行い、だな」
「……あ、ありがとう、ございますっ!」
俺の自問自答に、何故か鈴が涙ながらに頭を下げる。
その訳の分からない反応に俺は首を傾げるものの……どう見ても生臭くて不味そうな肝臓やら臓物やらを子供たちが喜んで食っているのだから、結果オーライだろう。
実際、現代日本の食事に慣れ切った俺としては、胡椒やタレや薬味すらなく、臓物を食べるというその神経自体が信じられないのだが……
──そりゃ、蟲たちは喜んで食うんだろうけど。
生憎と俺は人間であり、蟲の仲間入りをするつもりはない。
そう考えた俺は、さっさと自分の分の肉を喰い終えようと、残された最後の一本である串に刺さっている……若干小さ目の肉へと手を伸ばす。
──っ!
口に運んだ瞬間……その味わいに、俺は思わず息を呑んでいた。
もし口の中にその肉が入っていなければ、何か叫んでいたかもしれない……それほどまでに、その肉は美味かったのだ。
ヘラジカの他の部位と違い、肉質は柔らかく……この部位まで塩の権能は到達していなかったのか、塩辛さは全く感じられなかった。
惜しむらくは、その部位にはろくに脂が乗っていなかったこと、だろう。
あのヘラジカが戦闘用の生物だった所為なのだろう。
──最後の一本が、当たりだったな。
──本当に、日頃の行いというヤツだろう。
そう結論付けた俺は、肉の最後の一口までゆっくりと味わうと……木の杯に入った水を飲み干すと、さっさと立ち上がり寝床へと向かう。
「あ、あのっ?」
「……戦ったから、眠い。
寝るぞ」
「……あ、ぁ。
は、はい」
餓鬼共の相手をするのも面倒だと考えた俺の、堂々としたその宣言に、鈴は何故か顔を俯かせてどもりながらそう呟いた。
「……?」
その反応に一体どういう意図があったのかと、俺は一瞬首を傾げたものの……腹が張れば眠くなるのは当然であり、ましてや此処はテレビもゲームも漫画もない異世界だ。
俺はとっとと寝床に入り込み、そのまま目を閉じることにした。
相変わらず微かに小便臭い寝床ではあったものの……それでも綿の保温効果は凄まじく、俺の意識は一瞬にして闇の中へと転がり落ちることになったのだった。
……そして。
そんな俺の安眠を叩き壊したのは、翌日の……子供のあげた悲鳴、だった。
「なんだ、こりゃぁああああああああっ!」
「皇~~っ!
ふぁ~~~んっ!」
戦闘の疲れで……いや、戦闘の疲れという名目で、惰眠を貪っていた俺を、そんな子供たちの悲鳴が現実に叩き起す。
──何なんだよ、畜生。
とは言え、俺の感覚で言えば、今はまだそれほど早い段階でもない。
朝の六時か七時……時計がないので正確な時間は分からないが、感覚的にはその辺りの筈……でしかないのだから。
それでも、日が暮れると眠りに落ち、朝焼けが始まった頃に起き出すこの世界の生活からしてみれば、やはり惰眠を貪っていると言えるのだろうけれど。
そんな異世界の朝事情は兎も角、俺はその叫び声に身体を起こすと、ゆっくりと声のした辺り……我が家の土間へと足を運ぶ。
そこには、畑に生っていただろう茶色に色づいた大量の穂と……そして、泣きそうな顔をした子供たちの姿があった。
「……何だってんだ、おい」
「コレ、みて」
寝ぼけ眼のまま、そう尋ねた俺に、子供たちはそれぞれ穂を差し出してくる。
──もう収穫できたのか。
考えてみれば、昨日、あのヘラジカと戦っていた最中に穂が色づいていた覚えがある。
とすると、餓鬼共は俺が惰眠を貪っている間……朝の内に収穫作業を終えていたのだろう。
……勤勉なことである。
朝、学校へ行くだけでも駄々をこねていた自分の小学生時代とは比べ物にもならない。
──で、収穫出来たから、献上品、ってか?
数人の餓鬼共が一斉に穂を差し出して来ているとは言え、全部受け取らなければならない筈もない。
俺は適当に一番近くの穂を手に取り……どういう反応を期待されているか分からなかったので、何となくその穂に視線を落としてみる。
別に、その粟だと思しき穂は、地球のそれとそう大して変わった様子もなく……地球では粟なんて、鳥の餌として加工されたヤツしか見たことなかったので、適当ではあるが。
と、そうして穂を適当に眺めた俺は「コレについて何か言わなければならないのか」と、餓鬼共を適当に誤魔化すための言葉を探し始め……
不意に、ソレに、気付く。
「……へ?」
地球産の粟にも絶対についていないだろうと思われる、ソレは……穂にびっしりと生っている実の皮からはみ出すように、突き出ていた。
一つを引きちぎって小さな皮を剥いでみると……『ソレ』は、白い結晶の形をしていた。
だけど……『ソレ』の正体など、じっくりと調べるまでもない。
舐めてみれば、塩辛いのが分かるだろう。
『ソレ』は、破壊と殺戮の神ンディアナガルの化身となって以降、何度も何度も見てきた物質……即ち、『塩』なのだから。
「……うちのはたけ、どうなったの?」
「ごはん、あしたから、どうしよう?」
子供たちが次々と泣き言を口にしているが……それも無理はないだろう。
何しろ、彼らにとっては、日々の糧が、突如として塩へと変わってしまったのだから。
まぁ、実際のところ、塩の値段は粟の十倍くらいだから……この塩を集めて売るだけで、畑をやっていた頃の十倍の利益が出る計算になるのだが。
勿論、単純計算ではあるが。
──しかし、どうしてこうなった?
俺は内心で自問自答するが……答えなんて、考えるまでもない。
何しろ、誰かの悪戯や悪意のある嫌がらせという説がそもそも「あり得ない」のだ。
……一つの穂に数百近くも実の生る粟の、直径一ミリもない実一つの一つの皮の中に、チマチマと塩を詰める「嫌がらせ」を、「たったの一晩で」出来るヤツなんて、存在する筈もない。
つまりが……
──俺の権能の所為、なんだろうなぁ。
……そう。
考えるまでもないのだ。
一般常識という理から大きく外れた、どう考えてもあり得ない出来事は、超常の領域……即ち、神の権能で説明がつくのだから。
──やっぱ、『豊穣』の権能、か。
創造神ラーフェリリィの権能は『豊穣』である。
普通の木を聖樹という常識外れなレベルにまで育て上げる、常識外れな代物だ。
……しかも、無意識下で垂れ流した権能だけで。
──そこに、ンディアナガルの権能が混ざった、んだろうなぁ。
俺の持つ権能の一つに、『槍』の権能がある。
思い返してみると、あの砂の世界で創造神ランウェリーゼラルミアが使っていた『槍』の権能は、紅石の槍だった。
なのに、俺が使うとピンクがかった岩塩で出来た槍だった覚えがある。
「……いや、待てよ?」
だけど、蟲の権能は色々と多種の機能……分裂したり擬態したりと多少のバージョンアップはしていたものの、塩が混ざっていた様子はない。
恐らくは、俺の持つメインの権能が、破壊と殺戮の神ンディアナガルのソレであるため、プラス側の創造神の権能と、マイナス側の破壊の権能で、差が生まれてくるのだろう。
つまり……
──俺の持つ創造神関係の権能は、『塩』が、混ざってしまう、のか。
その結論に、俺は思わず頭を抱えてしまう。
三つもの世界を旅してきて初めて、ようやく「使える」権能が手に入り、やっと世界を救えるのだと意気込んでみれば……突き付けられたのは、悲しいまでの現実だったのだ。
俺が頭を抱えるのも仕方ないだろう。
「あの、皇、これ、どうしましょう?」
頭を抱え込んだ俺を見て、流石に不安になったのだろうか?
穂を抱いたままの鈴が、おずおずとそう尋ねてくるものの……今の俺は思考回路を自分の権能にばかり費やしていて、少女の相手をする気分ではなかった。
さっき適当に思いついていたことを呟いて、適当にあしらうことにする。
「塩を取り出して売ればいいだろう?
確か、粟より塩の方が高かったんだから」
「そ、そうですねっ!
おにくは、まだまだありますしっ!」
とは言え、俺の言葉にはそれなりの説得力があったらしい。
子供たちは全員で粟の穂をちまちまと剥き始めてしまい……その真剣さに俺は思わず怯んでしまう。
──朝飯、食いたかったんだが……
だが、流石の俺も、これほど真剣に作業に没頭している子供たちに向かって「俺の飯を作れ」とは言いづらい。
大体、子供たちに食事の準備を完全に依存している俺という存在は、そもそも大人として……いや、大人にはまだなってないにしても、この集団の中の最年長者としてどうなのだろう?
──水でも、汲んで飲むか。
俺はそう内心で結論を出すと、さっさと家を出ることにした。
よほど熱中しているのだろう。
子供たちは、こちらを振り向きもせず、ちまちまと粟の皮を剥いて塩を取り出す作業に没頭したままだった。