肆・第二章 第三話
その翌日も、やることは同じだった。
太陽が出た頃に朝起きて、鳥の餌と大差ないレベルの、糞不味い粟の粥を口に流し込み、適当に水汲みを行って、餓鬼共に水やりを丸投げする。
その景色は昨日と全く変わることなく……
「……ん?」
昨日、飽きて途中で投げ出した開墾作業を再開しようと思った俺は、不意に「昨日と違う箇所」を見つけてしまい、首を傾げる。
──コレ……何か、育ってないか?
……そう。
しっかりと覚えている訳ではないにしろ、確か昨日は成りかけだった筈の穂が……今日はちゃんと「形になっている」のだ。
明日か、最低でも明後日には収穫できそうなほどに、大きくなっていて……
──ちょっと、待て。
よくよく思い出してみれば、三日前……俺たちがこの農村を乗っ取ったあの日、この植物は、まだ実なんて影も形もなかった。
けど、昨日は穂がちらほらと見え始め、今日には穂が形を成している。
当然のことながら、俺は農業に詳しい訳じゃない。
詳しい訳じゃないが……それでも常識的に考えて、明らかに植物の成長速度が速過ぎる気がしてならない。
──幾らなんでも、早すぎるよなぁ。
こちらの世界の穀物の成長速度なんて知っている訳もないのだが、米に関しては二期作とか何とかって名前を何かの授業で習った記憶から逆算するに……年に二回、冬は省くにしても、米が成長するのに四か月くらいはかかるんじゃないだろうか?
それを考えると、この……餓鬼共に聞けば「いつも食っている穀物」……つまりが粟だと思われる植物の成長速度は、速過ぎる気がしてならない。
──俺の権能……の、訳もない、か。
俺が手にしている権能は、今のところ三つ……『塩』・『蟲』・『槍』だ。
あと、試したことがないので確証は持てないのだが、今までの経験上、腐神ンヴェルトゥーサの蚊の権能と、創造神ラーフェリリィの権能も手に入れていると思われる。
……だけど。
──そんな都合の良い権能なんざ、手に入る訳ないんだよなぁ。
今までの経験則から、俺はもうとっくにそう悟ってしまっている。
事実……『塩』の権能と言えば、殺した存在を塩に変えてしまうばかりで、全く使えた試しがないし、『蟲』の権能に至っては、何故か蟲共が自我を持ってしまって、この俺に反逆する始末である。
唯一、『槍』の権能は意外と使い勝手が良さそうではあるが、肝心の俺自身が槍を使いこなせない以上、宝の持ち腐れ以外の何物でもない。
腐泥を消し飛ばしたように「広範囲をぶっ放す」という選択肢もあるのだろうが……残念ながらアレは、手加減して使える気が全くしない。
使ったら最後、敵も味方も、守るべき餓鬼共もまとめ、「何もかもを串刺しにして薙ぎ払う未来」が訪れてしまう確信がある。
「そう言えば……新しいのはどんな権能なんだろうな?」
ふと俺はそんなことを思い立つものの……何故かは分からないが、どちらの権能も使った瞬間、「俺にとっての破滅」が訪れるような、そんな『確信』が浮かんで来たのだ。
どうやらあの腐りきった世界で手に入れた権能は……ろくでもない代物らしい。
──どうせ、蚊が湧くとか、だろ。
──あと、ホモ展開になるとか。
腐神ンヴェルトゥーサや創造神ラーフェリリィの存在を思い出した俺は、そう内心で結論を出すと、大きくため息を吐き出す。
実際……目に浮かぶようだったのだ。
この浮き島が腐った世界へと一変する未来や……出会う相手が全て汗臭いおっさん共になって、見目麗しい美少女との出会いがなくなってしまう未来が。
正直、そこまで変な権能ではなかったにしろ……『槍』の権能と同じように、手加減すら出来ずに敵味方まとめて吹き飛ばすのが関の山だろう。
──どっちも使用禁止、だな。
俺は新たな二つの権能について、あっさりと「不可」の評価を下すと……周囲の畑の成長具合については深く考えないことにする。
そもそもラーフェリリィが「自分の姉はこの世界で創造神の力を好き勝手に使っている」とか言っていたのだ。
である以上、この植物の成長の早さも、創造神の権能によるものだろう。
どうせ何処からともなく延々と流れてきているこの水も、創造神の権能によるものに違いない。
何と言うか、この島が浮かんでいる件と言い……自分の理解力を超える出来事の全てを、創造神の権能だと押し付けている感があるが……
──まぁ、どうでも良いか。
実際問題、俺は科学者でもなければ物理学者でもない。
ただの一介の学生に過ぎないのだ。
つまりが、深く考えたところで「分からないことは分からない」というだけである。
あるものを使えれば……それで生きていけるなら、それで十分だろう。
──さて、そろそろ働くとするか。
そう結論付けた……いや、要らぬことを考えることで、面倒で気が進まなかった開墾作業から逃避していた俺が、そろそろ現実に戻ってこようと自分に喝を入れた。
……その時だった。
「がぁぁぁぁぁ……っ!」
突如として平和だった農村に悲鳴があがる。
その声に慌てて立ち上がった俺は耳を澄まし、悲鳴の聞こえてきた方向……村の反対側へと走り始める。
「皇っ?
ど、どうするっ?」
「に、にげなきゃっ!」
「うるさいっ!
良いから、お前らは家の中に隠れてろっ!」
流石に慣れていないのだろう。
餓鬼共は突如響き渡った悲鳴……突然の緊急事態に慌てふためくばかりで、全く動こうとしていなかった。
そんな餓鬼共とは対照的に、何度も戦闘を経験している俺は特に慌てることもなく餓鬼どもを怒鳴りつけると、急いで家の中へと飛び込む。
「あ、あなたっ!
い、いったい、なにがっ?」
「知らんっ!
見てくるっ!
餓鬼共を頼むっ!」
家に駆けこんだ俺を待っていたのは、そんな鈴の悲鳴だった。
だが、今はそんなのに構っていられる暇もない。
俺は自称「妻」の悲鳴を適当にあしらいながら、家の中に放っておいた、いつぞやに蟲に食われた犠牲者から奪った矛を手に取り……そのままの勢いで家の外へと飛び出す。
と、ちょうどそのタイミングで、俺と同じように矛を手にした堅が家の前へと駆けつけてきた。
甲冑をまとうでもなく、着崩れた服を申し訳程度に身につけているのは……まぁ、そういうことをしている最中だったのだろう。
相変わらずと言うか、何と言うか……まぁ、他に楽しみもないような世界なのだから、猿の如くってのも仕方ないのだろう。
その恰好は兎も角……堅という名の、俺たちのリーダーは、俺を見つけるや否や、大声で叫び声をあげる。
「お、いいところにっ、皇帝っ!
丁がやられたっ!
早く来てくれっ!」
そうして堅の駆け寄る方向へ進むこと、約三十歩ほど。
……俺の目に、ソレが入ってくる。
もう見慣れたと言っても過言ではない、真紅の液体をぶちまけたその上に……『ソレ』は、立っていた。
ソレをひどく簡単に言い表すならば……漆黒のヘラジカ、だろう。
俺の記憶が正しければ、巨大なヘラジカってのが、このくらい……俺の伸長の5割増しほどの巨躯を誇って云々ってのを、テレビか何かで見た覚えがある。
尤も……俺の記憶にあったヘラジカってのは、こんな風に鱗が生えていないだろうし、こんな風に角の先端が磨き抜かれて鈍く光ってはいなかったが。
そして、その角の先っぽには、全裸の男女が仲よく磔にされて……ヘラジカが首を振る度に、周囲の大地に血をばらまいている。
「こっちだっ、堅っ!
俺たちじゃ手に負えねぇっ!」
「早くっ、手を貸してくれぇえええっ!」
その生き物の周りを囲いつつ武器を手にしているのは、俺と同じタイミングでこの農村を乗っ取った『兵』の連中である。
とは言え、人間程度が手にした武器なんざ、あの巨体からしてみると棒切れ程度にしか思えない。
事実……その凶悪なヘラジカも、足元の雑魚共をそこまで脅威とは思っていないらしく、悠々と歩を進めているようだった。
「くそっ!
『黒剣』の飼っていた戦獣かっ!
しかも、槍鹿なんて大物が、何んでこんな場所にいやがるっ!」
眼前のヘラジカは、どうやら槍鹿という名の存在らしい。
そして、堅が叫んだその言葉から察するに……どうやらコレは、血風の島に攻め込んできた敵である黒剣とやらが放った、戦闘用の動物らしい。
確か、話し相手もいない休み時間に、図書館で読んだ三国志の漫画では、戦象部隊ってのを見た覚えがある。
ならば、異世界には鹿を戦いに使うのも、そう珍しくはない、だろう。
その鹿の規格が少しばかり常識外れではあるが……地球の常識で物事を図ると痛い目を見てしまうのが、異世界という場所である。
「俺がひきつけるっ!
お前らは、援護しろぉおおおおっ!」
堅という名の俺たちのリーダーは、そう叫ぶや否や矛を手に、自身の伸長を軽く超える巨大な生き物へと真正面から突っ込んで行きやがった。
──おいおい。
──一般人じゃあ、流石にソレは無茶……っ?
あの堅という男は、強姦魔で殺人者で強盗犯であるとは言え……行きがかり上、俺の上司になったヤツである。
それに、部下を庇うために、こうして敵わないだろう強敵を相手に突っ込む男気を見せるという、意外にちゃんと上司らしいところを見せるヤツでもある。
幾らなんでも獣相手に無惨に殺されるのを見ているのは忍びないと、俺が前へと踏み出し……すぐに俺はその歩みを止めていた。
「はははっ!
甘ぇんだよっ!」
何とリーダーは、この凄まじく巨大なヘラジカへと真正面から切り込み……ヘラジカの巨大な角を二度三度とあっさり躱すと、矛をその黒い巨体へと叩きつけたのだ。
「すげぇ」
……そう。
ただ女色に溺れているだけの馬鹿としか思えなかった、この堅という男は……実は、この巨大な獣と正面から立ち向かえるほどの技量を持っていたのだ。
……だけど。
「……硬ぇっ!
畜生っ、なまくらがっ!」
生憎と、技量はあっても膂力は足りないらしく……手にしていた矛では、この巨大なヘラジカの、身体を覆っているらしき鱗を貫くことは叶わなかったらしい。
それでも、鱗に傷は入っているのだし、ヘラジカの反撃を危なげなく回避して次の攻撃の機会を伺っているのを見ると、ただヘラジカの耐久力が高い所為で戦いが長引くだけで……勝敗はもう決していると思われる。
そうしてヘラジカが暴れる最中に、その角に突き刺さっていた死体が吹っ飛んでどこぞの家に突っ込むが、それでも堅の動きは全く乱れることなく、一方的に斬撃を加え続けていく。
──こりゃ、勝負あったな。
加勢のタイミングを完全に失った俺は、握りっぱなしだった矛を地面に突き刺し、自由になった両手をぶらぶらと動かしてほぐし……後は、適当に戦いの行方を見守ることにする。
実際の話、ここまで流れが一方的になった以上……もう何処かに腰を下ろして、観戦モードに入っても良いくらいだろう。
……と、俺が気を抜いたのが悪かったのだろうか?
「おいっ!
皇帝っ!」
「~~~~~~っ!」
その叫びに意識を戻してみれば、堅と戦っていた筈の巨大なヘラジカは、いきなり方向転換をしたかと思うと、俺の方へとその鈍く輝く角を向け、突っ込んできやがったのだ。
だけど……俺も今まで、伊達に数多の戦場を駆け抜けてきた訳じゃない。
「舐める、なぁああっ!」
俺はほぼ無意識の内に、近くに突き刺してあった矛を手に掴むと、力任せにその矛を振り回す。
こうして不意を突かれたとしても、武器を振り回して反撃するくらいの心構えは、俺の中で常に出来ているのだ。
「常在戦場」って言うんだったか、そういう類の覚悟が俺にも多少は芽生えてきているらしい。
……戦場で油断する辺り、まだまだ「多少」でしかないんだろうけれど、それでもフルスイングで振り回した矛の威力は凄まじかった。
堅が傷を入れるだけしか出来なかったヘラジカの鱗を一気に突き破ると、その下の皮下脂肪どころか分厚い筋肉にまで、その刃は突き進み……
「あ、れ?」
分厚い筋肉に挟まれた刃をまだ強引に突き立てようと力を込めたのが悪かったのだろう。
俺が振るった矛は、そこで柄が限界を迎えたのか……あっさりと半ばからへし折れてしまったのだ。
「ばっ!」
……当然のことながら。
血を流して興奮しているヘラジカという生き物は、フルスイングをした矛がへし折れたことで上体が泳ぎ、見事にバランスを崩している俺を見逃してくれるほど優しい訳もない。
俺の矛がへし折れ、それを見た堅の叫びが音にならない一瞬の間にも、ヘラジカはその鈍重にも見える巨躯を走らせ、鋭利で凶悪なその角を俺の脇腹へと突き立てて来る。
「……ぐっ」
とは言え……俺の身体を守る破壊と殺戮の神ンディアナガルの権能は、獣の角、獣の力如きで貫かれるほどヤワじゃない。
幸いにして、巨大な動物が全体重を込めたその一撃を喰らっても、俺の腹筋どころか腹の皮にすら傷一つつかず……ただ喰らった衝撃によって、ちょっと息が詰まった程度のダメージを被っただけである。
……だけど。
「……ぅぉおおおおおおおおおあああああああああっ?」
彼我の体重差だけは……流石にどうしようもない。
体勢さえまともであれば、膂力任せにこのヘラジカの突進を食い止めることも出来ただろうけれど……生憎とこの時の俺の体勢は、フルスイングをヘボった直後で、見事にバランスを崩している最中である。
俺の身体はあっさりとヘラジカの角に持ち上げられ……そのまま先ほど歩いてきた道を逆行する羽目に陥ってしまったのだった。