第三章 第七話
「……っ。
……来ましたっ!」
ロトがそう告げたのは、村から出て七時間ほど経った頃だろうか。
物資を略奪し終えた俺たちが帰路を急ぎ、ようやくサーズ族の居住区が見え始めてこのまま逃げ切れるかと思えた頃。
背後に塩の砂塵を上げつつ、丘の向こう側からべリア族の兵士たちが向かってきているのが目に入ったのだ。
「ありゃ、三〇〇ほどはいますな。
……思ったよりも早い」
ゲオルグがそう舌打ちするが、俺はそんなことはどうだって良かった。
──雑兵など、幾らいようが気にもならない。
そもそも逃げ切ったところで、サーズ族の居住区はあまり守りに適した構造になっていないため……どの道、追っ手をどこかで迎え撃つ必要がある訳だし。
それよりも……
「いたっ!」
その先頭に、俺の目当てが存在していた。
──金髪の、戦巫女。
──白馬に乗った、セレスという名の、美少女戦士。
「くくくっ」
思わず俺の口から笑みが零れる。
──ああ、この瞬間を待っていたんだ!
──あの綺麗な少女を、力ずくで屈服させ、俺のハーレムに入れる、この瞬間をっ!
「破壊神さまっ! 如何致しましたかっ!」
不意に俺が立ち止まったことを訝しんだのだろう。
俺の隣に立っていたロトが声をかけてくる。
「良いからっ! てめぇらはさっさと運べっ!」
下心を見透かされたような気になった俺は、思わずロトを怒鳴りつける。
「は、ははっ。ご武運をっ! 破壊神さまっ!」
それの何を勘違いしたのか、ロトは涙ぐみながら俺に敬礼を一つすると、慌てて略奪品を運ぶ連中に声をかけ始めた。
……だが、そんなことはもうどうでも構わない。
──俺は、彼らと同じく……俺の欲しい物を略奪するだけなのだから。
そのまま待つこと二〇分余り。
べリア族の軍団は、一騎駆けとも言うべき俺の存在を危ぶみ、俺から一〇〇メートルほど離れた位置に足止めを余儀なくされていた。
(……三〇〇対一、か)
その絶望的な状況に思わず笑う俺。
まるで物語の主人公になったと言わんばかりのシチュエーションじゃないか。
……いや、主人公というよりは、追っ手を食い止めて散る名脇役の感動シーンか。
(尤も、俺は死ぬつもりなんて欠片もないんだが)
そうして睨み合うこと数十秒。
俺の予想通り、白馬の上に乗った銀髪の戦巫女が前に出て声を上げる。
「破壊神ンディアナガルとお見受けする!
あの忌まわしきサーズ族に加担するなら、幾ら貴方様でも打ち滅ぼさなければならないっ!
さぁ、如何なさいますかっ!」
その声は、凛として聞くだけで心地よく。
……俺の下でその声がどんな悲鳴になるのかと思うと、正直、今すぐ押し倒したい気持ちで一杯になってくる。
(……おっと、まだ気が早い)
俺は逸る気を押さえ、必死に神々らしい威厳を保とうと胸を張り、叫んだ。
「貴様の名はっ?」
「セレス=ミシディアと申します。破壊の神よっ!」
戦口上というのだろうか?
×と〇の飾りを指で弄びながら、セレスはその凛とした声でまるで三国志の口上のように名乗る。
その姿は如何にも様になっていて。
「ならばセレスよっ! 貴様、俺の女になれ!」
彼女を自分のものとしたい衝動に駆られた俺は、気付けばそう叫んでいた。
「は、はっ、はぁぁああああ?」
俺の叫びに応えるセレスの声は……そんな素っ頓狂なものだった。
「な、何を馬鹿なこと、言うてんね。うちはそないな……」
(……何故方言?)
まぁ、多分、俺にかかっているらしき翻訳の魔法が、彼女の混乱を適当な形で意訳しているのだろう。
ただ少女が真っ赤になって狼狽える様は、実に見応えがあり……その反応はべリア族たちにも予想外だったらしい。
しばしの間、戦場に困惑のざわめきが満ちる。
「……お、お断り、致します!」
「断っても無駄だっ!」
ようやく声を出したセレスに、俺は大声を返す。
「断っても攫うっ!
抵抗しても力ずくでひん剥くっ!
剣を持つなら腕を斬り落としてでも連れて行くっっ!
逃げるなら足をへし折ってでも我がモノとするっっ!
だから、安心して俺のものになるが良いっっっ!」
「な……う、あ」
俺の情熱的な叫びにセレスは返す言葉もないようで、まるで酸欠の金魚のように口をパクパクと開けては閉じるばかりだった。
正直、自分でもこの場……三〇〇を超える敵の兵士が見守る中だからこそ、ちょっと調子に乗っている感が否めない。
……劇場型の犯罪者が色々と芝居がかる気持ちが分からないでもない。
実際の話、最近はこの『破壊と殺戮の神』という役に馴染んできた気もするし。
「ふざけるなっ!」
……だけど、生憎とこの場は二人きりではなく。
俺と少女の問答に痺れを切らしたのは、物資を奪われ無辜の民を殺された当のべリア族の兵士たちだった。
「このような時間稼ぎに付き合う必要はないっ!」
将らしき巨大な牛を模した兜をした大男が、そんな叫びを上げたかと思うと、その右手に持っていた投げ槍を俺目がけて放つ。
それは凄まじい速度と重さを誇っており……まっとうな人間ならば一撃で反応も出来ないまま、もし反応出来ても防ぐことも儘ならず、ただ串刺しになってしまっただろう。
……だけど。
──俺は、まっとうな人間ではないのだ、これが。
「っと」
その槍は狙い違わず、俺のラメラーアーマーの胸部を易々と貫く。
……が、大の大人を串刺しにするほどの重量と速度を備えたその切っ先は、残念ながら俺の胸の皮膚で止まってしまう。
「ば、馬鹿なっ!」
大男がこの世の終わりのように叫ぶが、俺はただ肩を竦めつつ槍を引き抜くと。
「うるさい。邪魔をするな」
その槍を、大男目がけて放り投げた。
適当に放り投げただけのその一撃は、かなりの剛の者らしきその大男が放ったよりも遥かに凄まじい風切り音を上げながらまっすぐに飛んで行く。
「……あ?」
その牛兜の大男は、自分の胸に空いた大穴を見て、そんな間抜けな声を上げ……
自分の身に何が訪れたのか理解できないままに、背後へと倒れ込みこと切れていた。
……そう。
俺が放った槍は……大男の胸板をあっさりと貫いたばかりか、背後に控えていた兵士の身体を二人ほど貫き、三人目の胴に半ばまで突き刺さったところでようやく止まっていたのである。
自分で放っておきながら驚くのもなんだが……その一投は自分でも信じがたい威力だった。
「……何と、いう」
セレスが呆然とそう呟くのも無理はないだろう。
事実、俺の一投で戦場はあっさりと恐怖によって完全に凍りついていたのだ。
見回す限り三〇〇近くも雁首揃えているハズのべリア族の兵士たちは、俺のただの一撃によって、呟きの一つすら上げられないほど脅えきっていた。
その隙に、俺は背後をチラッと見る。
(ちっ。
……何をもたもたしてやがるんだ)
背後のまださほど離れていない辺りでは、物資を運ぶサーズ族の連中が集落に向かっていた。
……略奪した荷が増えた所為か、行きよりも速度が遅い。
その様子を見たのは俺だけではなかった。
このままでは追いつけないと見たのか、セレスは腰から銀の剣を引き抜くと。
「先ほどの件、お断りさせて頂きます。
……この神剣で」
俺を見据えてそう言い放った。
「これは時間稼ぎだっ!
コヤツは私が食い止める!
お前たちはサーズ族を追えっ!」
同時にべリア族の兵士たちにそう檄を飛ばす。
……その効果は間違いなく抜群だった。
少女の一喝で我を取り戻した三〇〇人ほどの兵士たちが一斉に動き出したのだから。
「ちっ。行かせるかよっ!」
動き出したべリア族を見た俺は一つ舌打ちしつつも、こちらへと走ってきた先頭の兵士へと思いっきり踏み込み、そのまま渾身の力を込めて戦斧を叩き付ける。
俺の戦斧は狙い違わず、未だに幼さの残るその兵士の身体を『二つの物言わぬ肉塊』へと変えていた。
血と共に臓物と半身が宙を舞うその非現実な光景を目の当たりにして、またしても三〇〇の兵士が歩みを止める。
「これ以上はやらせませんっ!」
「はははっ! 来るか!」
俺を放置すれば三〇〇の兵士すらただの案山子に成り下がると分かったのだろう。
セレスは凄まじい勢いで斬りかかってきた。
だが、その手に持つのは神剣……先日のような長槍ではなく、ただの剣でしかない。
──例え馬上にいたところで、柄の長い戦斧を持つ俺の方が、遥かに有利!
「コイツを、どう受ける!」
「はっ。その程度っ!」
死なない程度にと軽く叩き付けた俺の戦斧は、何をどうされたか分からないままに、神剣とやらの上を滑ってしまう。
「……あ?」
何しろ叩きつけたハズの戦斧には感触がまるでないのだ。
それどころかまるで戦斧に力が吸い取られるように、俺の上体は戦斧に引っ張られてしまい、あっさりと軸を狂わされて傾いでいた。
……受け流しとかいう技術だろう。
「おおおっ?」
そして、その隙を彼女が逃す訳もなく。
「喰らえっ!」
「がぁっ!」
セレスの操る馬に全力で蹴られてしまう。
一馬力というのは意外と凄まじいらしく、俺の身体はあっさりと宙を舞い、近くのべリア族の兵士を巻き込んでようやく止まる。
「ってぇ。あんな攻撃もあるのかよ」
人馬一体の妙技……とでも言うのだろうか。
勿論、無敵モードの俺に深刻なダメージはないものの……体重差で思いっきり吹っ飛ばされてしまったらしい。
(……剣が届かないと思って油断した。
恰好悪いな、クソ)
「く、喰らえっ!」
「うるさい、雑魚がっ!」
不明を恥じる俺の背中が隙だらけなのを見て欲を出したのだろう。
べリア族の兵士が俺の背中から斬りかかろうとして、俺の戦斧の餌食となり果てる。
俺としてはそんなことよりも、先ほど吹っ飛ばされた方が恥ずかしく……
「覚悟~~っ!」
──っと。
俺に反省する暇を与えることもなく、セレスが馬を駆けて突っ込んでくる。
そのあまりの勢いに、周囲のべリア族たちは慌てて距離を置こうとする。
……が。
「っと。これなら、どうだっ!」
「うわぁああああああああああああっ?」
ふと思いついた俺は、近くのべリア族の首根っこを掴むと、全力でセレス目がけて放り投げた。
兵士の悲鳴が上がるが、雑魚の叫びなんざ知ったことではない。
「ちぃっ」
慌てて避けるセレスだったが、その体勢は落馬しないのが不思議なほどに崩れている。
「覚悟っ!」
俺はその隙だらけのセレスに戦斧を叩き付ける!
「ちぃぃぃぃっ!」
「おおおぉぉぉおっっ?」
……だけど。
その体勢を保ったまま、セレスは俺の戦斧の横腹に蹴りを入れることで、戦斧の軌道を逸らしてしまう。
神業、としか言いようのないその体さばきに、俺は思わず見とれてしまった。
──いや、彼女の長いスカートの隙間から覗く鉄の下着……恐らくは貞操帯とか言われるアレに目を奪われたのも事実だけど。
「隙ありっ!」
そんな俺の硬直を戦巫女が見逃すハズもなく。
またしても俺は馬の踏みつけを喰らってしまう。
「甘いっ!」
──だが、俺はその攻撃を予想していた。
予想さえしていたならば、俺の膂力は馬のソレとは比べ物にならない。
両肩で馬の蹴りを受け止めた俺は、そのまま右拳を馬の顔面へと叩き付ける!
俺の拳はただの一撃で馬の頭蓋を叩き潰し……脳を周辺にまき散らせていた。
その一撃によって馬は嘶きすら上げることもなく、そのまま地に倒れ込んで動かなくなってしまう。
「馬鹿なっ?」
一撃で馬を屠った俺の膂力が信じられないのか、それとも愛馬が死んだことそのものが信じられないのか。
セレスが呆然と呟く。
「くかかかっ」
それは大きな隙で、俺がその隙を見逃すハズもない。
戦斧に頼ることもなく、俺は彼女の胸元に指を伸ばし……甲冑に覆われたドレスを引き千切るっ!
「っっっっっっっ!」
「……おおおぉぉぉっ」
そのお蔭で、彼女の白い胸元が見えた。
左胸に至っては、その先にある薄桃色の頂きさえも。
(おっぱいおっぱいおっぱいおっぱい!)
生まれて初めて……ではないか、兎に角、物心ついて以来初めて見る、しかも同年代の少女の胸に、俺は内心で喝采を上げ。
もっと良く見ようとセレスに近づいた……。
──その瞬間、だった。
……隙だらけの俺に、セレスの神剣が袈裟懸けに叩き込まれていたのは。




