肆・第二章 第二話
「さて、今日も働くか」
「はたらくか~」
「はたらくぞ~」
この村で農奴として暮らし始めてから、三日が経過していた。
相変わらず糞不味い粟の粥を流し込んだ俺は、巨大な桶を掴んでそう呟くと……年長組らしき餓鬼共を連れて畑へと歩く。
「はい。
いってらっしゃいませ」
妻……を、自称している鈴の声が俺の背中へとかけられる。
──流石に、サボれないよなぁ。
その声を聴いた俺は、思わずため息と共にそう内心で呟き、畑へと向かう足を少しだけ早めた。
事実……彼女は彼女で、食事の支度と掃除洗濯、ついでに薪拾いなど、細々した仕事と、ついでに年少組の餓鬼共の世話を担ってくれているのだ。
役割分担は、別に話し合った訳じゃない。
お互いが出来ることを……出来そうなことを自発的にし始めた結果、こういう形へと落ち着いただけである。
だが、少女が進んで担っている仕事量は……冗談抜きで過労死しかねない分量だった。
この世界には……スイッチ一つで動く洗濯機もなければ、水を入れてボタン一つで勝手にご飯を炊いてくれる炊飯器がある訳もないのだ。
食事は拾ってきた薪に火打石で火をつけ、釜で粟を煮込む。
洗濯は俺が汲んできた水を使って、棍棒で叩いて汚れを落とす。
食料の備蓄に限りがあるから、子供たちが餓えないように、食べ過ぎないように調整して食事を作り。
所構わずまき散らし垂れ流す餓鬼共の世話もしなければならない。
年長組らしき女の子の手を借りて、それらの家事をしているとは言え……ボタン一つで何もかもが可能な現代日本人からしてみれば、重労働以外の何物でもない。
現代日本で、家事が忙しいから……なんて言っている主婦は、あっさりと過労死してしまうんじゃないだろうか?
「さて、水を汲んで、と」
「おぉおおお~~」
「やっぱすげぇ」
川についた俺は、餓鬼共が川に流されないように見張りつつ、手にしていた大桶を掴み、川の水を一気に掬い上げる。
これに小魚でも入れば少しは食卓の足しになるかと期待しているのだが……生憎と魚の影はあれど、俺の桶に入ってくれるほど間抜けな魚は存在していないらしい。
──しかし、この水……
──どっから湧いてるんだ?
この世界に召喚されたあの日、俺が見たのは……雲海の上に浮かぶ巨大な島だった。
だと言うのに、川の水は透き通るように綺麗なまま、山の方からなみなみと流れ続けている。
この世界が雲の上にある以上、雨も降らないように思うのだが……まぁ、山から水が流れてくる以上、「そういうもの」なのだろう。
ついでに言えば、下流へと流れた水は島から落ちていくばかりなのだから、いずれ島が干上がってしまうと思うのだが……
──ま、どうでも良いか。
何となく真面目に水の流れを考えていた俺だったが、すぐにその思考に飽き、あっさりとそう結論を下す。
事実……足元には飲んでも問題ない綺麗な水があるのだから、深く考えるだけ無駄だろう。
「よし、じゃ行くか」
「りょーかい」
「しごとだ、しごとだ」
そうして思考を断ち切った俺は、水の入った大桶を担ぐと周囲の餓鬼どもにそう声をかけ……自分たちのモノとなった畑へと足を運ぶ。
周りは、稲のような実が見え始めた、緑色の畑が広がるばかりの「平和そのもの」の光景で……この世界へ来たばかりの血なまぐさい戦闘が、夢だったような気分に陥ってくる。
そんな景色の中を歩き、自分の畑へとたどり着いた俺は、大桶を近くへと置き、後ろをついてきた餓鬼共へと声をかける。
「じゃ、お前ら。
働いてろよ」
「りょーかい、ふぁん」
「おれ、がんばる」
俺の声に、餓鬼共は手に持った小さな桶と柄杓を見せつけながら、そんな了解の言葉を発していた。
──適材適所、ってヤツだな。
俺は腕力がある。
だから、畑の近くまで水を一気に運ぶ。
餓鬼共は腕力がないが、頭数だけは揃っている。
だから、こうして水をちまちま畑へ撒く、という寸法だ。
「俺はあっちで開墾の続き、だな」
俺はそう呟くと、畑の外側へ……岩がごろごろしている荒地へと足を運ぶ。
以前、この畑を世話していたおっさんたち……今はもうどっかの畑の肥料と化しているだろうおっさんたちの中の誰かが、開墾をしている最中だったのだろう。
そこには、成人男性の頭蓋くらいの大きさから、大型バスを二台ほど重ね合わせたようなサイズの岩が転がっていた。
もしくは、此処を開墾しようとした誰かは、あまりの岩の多さに断念したのかもしれないが……
──ま、俺には関係ないわな。
俺は、近くに転がっていた成人女性が丸まったくらいの大きさの岩を片手で軽く掴み、持ち上げると……荒地の向こう側にある森の方へと放り投げる。
ドスンという凄まじい音が響き渡るものの……周囲には畑と森しかなく、ついでに言えば堅を始めとした兵士たちは、家の中で姦淫を行うことばかりに熱を入れ、全く畑で働こうとしていないのだ。
そのお蔭で……多少派手に膂力を振るおうとも、誰かの迷惑になる訳もない。
「っと、コイツはデカいなぁ、っとぉおお?」
次の石は、中型バスくらいの大きさで、持ち上げるのにちょっと気合が必要だった。
と言うか、大きさの割に岩質は脆かったらしく、膂力に任せて持ち上げただけで、その岩は自重に負けてへし折れてしまったのだが。
ズシンと周囲に凄まじい音が響き渡り……俺は自分の失敗に思わず首を竦めてしまう。
「な、なんのおとっ?」
「うわ、すげぇ」
その音を聞きつけたらしき餓鬼共は一斉に湧いてきたものの……幸いにして家屋の中で色々と励んでいる他の大人たちの耳には入らなかったらしい。
この場に駆けつけてくる兵士たちはいなかった。
「……セーフ」
俺はそう小さく呟くと、目を輝かせている餓鬼共を誤魔化そうと口を開くことにした。
……これからは、少しばかり膂力も控え目に使わなければならないと、肝に免じながら。
その日の晩飯は、麺だった。
……尤もソレは、麺という名がついただけの、小麦粉の塊を汁にぶち込んだだけの代物ではあったが。
──まぁ、粟の粥よりはまし、か。
恐らくは、畑仕事をしている俺たちを気遣って、鈴が奮発してくれたのだろう。
それは、小麦を固めて湯がいた親指くらいの小麦粉の塊に、湯がいただけの名前も知らない緑黄色野菜が混じっているという……お世辞にも美味いとは言えそうにない代物だったが……
それでも、一応は食料に分類できるのだから、今までの「鳥の餌と大差ない粟粥」と比べると雲泥の差と言える。
「うぉおおお。
きょうは、ごうかだっ!」
「やったぁっ!
皇がはたらいてくれたおかげだっ!」
当然ソレを口に入れたところで、小麦粉の塊以上の感想など出る筈もなく……
正直、現代日本の食生活に慣れ切った俺にとっては糞不味い、『餌』に毛が生えた程度の代物でしかなかったのだが……それでも子供たちには大好評だった。
本気で彼らの普段の食生活が気になってくる。
──そう言えば……
食生活でふと思ったが……コイツらの親はどうなっているんだろう?
そりゃ男共はあっさりと堅たちの手によって惨殺されてしまっていたが……母親だろう女性たちは、まだ生きているのだ。
尤も、彼らの慰み者として、ではあるが……
「そう言えば、鈴。
お前って、親はどうなってるんだ?」
「……あの、堅とかいうおとこのものになりました」
俺の問いに返ってきた鈴の言葉は、そんな平坦な……何の感情も伺わせないものだった。
あまりにも静かな少女の答えに、俺は目を丸くすることしか出来ない。
「……会いたくは、ないのか?」
何かを言おうとして失敗し、慰めを口にしようとして失敗し……その繰り返しの結果、俺の口から出たのは、そんな陳腐な一言だった。
……だけど。
「まさか。
あのまま、皇がひきとってくれなかったら……わたしたちは、母に、ころされてましたし」
「……へ?」
鈴の口から放たれた最悪の回答に、俺はそんな間抜けな言葉しか返せなかった。
そんな俺の反応を見た少女は常識知らずの相手を目の当たりにした時に浮かべる、どう説明したら相手に分かって貰えるかが分からないような、困った笑みを少し浮かべ……そのまま言葉を続ける。
「ああ、皇は兵でした、ね。
わたしたち、農奴は、そういうものなのです」
そう告げる少女は……どこか諦めたような笑みを浮かべていた。
「父おやがかわったら、今までの子は、ころされます。
よくても人かいに、うられちゃいます」
「そんな……」
「ねえさんはどっかにうられましたし、となりの関は……おばさんの手でころされました」
少女の口から告げられた、そのあまりにも過酷な境遇を聞いた俺は、思わず否定しようとしたものの……そんな俺の言葉を否定したのは、少女自身の『実体験』だった。
「……ライオンか」
それを聞いた俺の口からは、自然とそんな呻き声が零れ落ちていた。
……そう。
何かのテレビか漫画で見た覚えがあるのだが……ライオンという生き物は、縄張りを支配する雄が変わると、今までの子供を全て殺してしまうとか。
要は、優秀な遺伝子を後世に残すための、本能的な行動なのだろうが……
──いや、そう考えると不思議じゃない、のか。
この世界は、何と言うか……世紀末である。
とは言え、百年ごとの周期の終わりという本来の意味ではなくて、床屋で読んだ核兵器で文明が滅んだ後の世界の物語……七つの傷を持つ男が砂漠を旅して、野盗たちを惨殺していく感じの、あの作品的なイメージではあるが。
兎も角、今まで数日間を旅してきた俺の感覚では……この世界は「力があるものが何もかもを支配する」という雰囲気が漂っている。
である以上、この世界に暮らす人たちの間にも「力こそ全て」という発想が広っていて、女性の生き方は自ずと「強い子供を産む」ことが最優先とされている……のかもしれない。
──まぁ、所詮、適当な推測なんだけどな。
とは言え……殺されそうになった子供たちからしてみれば、そんな世界の法則なんざ知ったことじゃない訳で。
──道理で、懐いてくる訳だ。
親に捨てられたのを知りつつも泣こうともしない……どことなく不自然な餓鬼共の顔を眺めながら、俺は小さく嘆息する。
その背景を考えれば……餓鬼共が俺に懐いてくるのは、当然と言えば当然なのだろう。
まぁ、コイツらは先日の騒ぎの最中、堅たちの横暴の所為とは言え、親に見捨てられた形となっているのだ。
実際、実体験から親元へ逃げれば殺されても仕方ないと分かっているのだろう。
もしかしたら、俺が知らないだけで、昨日の内に母親のところへと向かい……追い出された餓鬼がいるのかもしれない。
そんな中、俺はコイツらを殺さないどころか、寝床をやり、餌をやり、特に虐待もせず……まぁ、普通に飼う姿勢を見せている。
そこまですれば……猫でも懐く。
だからこそ、この餓鬼共は俺を庇護者として認識し、俺に気に入られようとしているのだろう。
──しかし、何と言うか……
──やっぱりこういう……糞みたいな世界なんだな、畜生。
俺は不味い麺をかき込みながら、内心でそう呟く。
実際、今まで俺が見てきた四つの異世界の中で、一番暮らしやすい世界の筈のこの世界は……今までで一番、胸糞悪い世界のような気がしていた。
「……な、なんでしょう?」
そんな俺の視線に気付いたのだろう。
鈴が何かを悟ったような、少しだけ怯んだ様子を見せた後……少し喉を鳴らし、覚悟を決めたような顔で、俺にそう尋ねてくる。
彼女のそんな態度も……こうして彼女たちから見れば「ご馳走」とも言える食事が並ぶ理由も、事情を知ってしまえば、そう不思議とは思えない。
要は、俺が庇護してくれるという『保障』が欲しいのだろう。
鈴はどうも妻役……つまりが愛人としての役割を果たすことで、自分や他の子供たちを殺されないようにと、必死になっているらしい。
とは言え、俺はその行動を浅ましいとは思わない。
……生きるために、飼い主に媚びる。
犬猫でもやることを、子供たちが当然のようにやっているだけなのだから。
──そう考えると、愛着も湧いてくる、な。
俺は性格的なものなのか、それとも遺伝的なものなのか……金魚の世話ですら満足に出来ない類の人間である。
当然のことながら、そんな俺に、金魚より手間のかかる生き物……つまり、犬や猫を飼った経験などある訳がない。
だが、まぁ、こうして懐いてくれるのだから……この十人くらいの餓鬼共を世話するくらい、ペットを飼う感覚で何とかなるんじゃないだろうか?
「……いや。
さっさと食え。
明日も早いんだ」
とは言え、変に優しくすると、今以上にべたべたくっついて来て鬱陶しいかもしれない。
その妥協が俺に、少しだけ素っ気ない態度を取らせるものの……昨日とそう変わった訳でもなく、問題はないだろう。
大体、創造神ラーウェアの呪いがかかっている俺は、鈴を愛人にしようとしたところで、手を出すことは叶わないのだ。
……ちょっと試してみたい気もするが、十歳ちょっとの餓鬼が相手では、流石に気が引ける。
──ったく、くそったれな呪いだな、畜生。
俺はそう内心で呟くと……眼前の食事を全て胃の中に流し込むと、布団という名の綿にくるまって寝ることにした。
何しろ、この世界には娯楽も何もなく……焚き火以外には照明すらもろくにないらしく、暗くなってしまえば何一つとして、活動が出来ないのだ。
だから、寝た。
……鈴が洗ったのだろう、何となく小便臭さが残っている気がする、妙に不快な綿の寝床に眉を顰めながら。