肆・第二章 第一話
「……最悪だ」
召喚された世界で、王を殺して一般兵に紛れ込んだ俺が、成り行きで餓鬼どもを従え農奴へと転職した翌日。
俺は、自分の身に起きた惨劇に……思わずそう呟いていた。
──くせぇ。
俺はその異臭……アンモニア臭の原因を見つめ、眉を顰める。
ぶっちゃけて言うと、餓鬼が五人くらい人様の布団に入り込んで来て……その中の一匹が、『やらかして』いた、という話なんだが。
「人様の布団に……よくも、まぁ」
俺はそう呟くものの……正直、ソレを布団と呼んでよいのか、かなり疑問が残る。
何しろ、俺が寝ていた場所は、ただのボロい木の机に藁を編んだ「ござ」を敷き、その上に綿を詰めただけの……ハムスターの巣に等しい寝床なのだから。
とは言え、その「ござ」も綿の布団も……今は小便臭い、ただのゴミと化してしまっていて、もう使い物にならないのだろうが……
──そもそも……何故、コイツらは懐いて来たんだ?
俺はいつの間にか寝床に侵入してきていた、よだれを垂らしたまま平和そうに眠る五匹の餓鬼共の面を眺め、内心で自問自答する。
尤も……答えなんて出る訳もないが。
「あ、おきたんですね、皇。
子供たちのめんどうをみていただいて、ありがとうございます」
「……ああ」
そうして自問自答している俺に、背後から声がかけられる。
……子供たちの中の、最も年長だった少女……鈴、だ。
餓鬼共がやらかした「粗相」を目の当たりにした筈の少女の口から「面倒を見て頂いて」という言葉が放たれた時点で……俺はもう怒るタイミングを逸してしまっていた。
──畜生が。
これで餓鬼共の悪気すらない寝小便に激怒していたら……この俺は狭量で情けない、クズレベルの男だと思われてしまうだろう。
そんなのは……男として、格好悪すぎる。
そんな器の小さい、カスみたいな男と思われるなんて……とても許容できるモノではない。
もともと友人すらおらず、凄まじい権能を手に入れてからも失敗続きで、矜持すら持てない俺ではあるが……
それでも、女の子から「よく見られたい」と思うくらいの、最低限のプライドくらいは持ち合わせているつもりである。
「あ、それとも「あなた」とおよびするべき、ですか?」
「……皇で頼む、畜生」
どことなく楽しそうな声の少女に、俺はそう吐き捨てる。
……そう。
たった一晩だけで何故か……俺はコイツらに懐かれてしまったのだ。
──別に何かをした訳でもなく……
──ただ、「飯を食うぞ」と言っただけ、なんだが。
面倒なので、餓鬼どもと同じ食い物を食べた。
あまりにも痩せこけて哀れだったので、俺と同じ分量をくれてやった。
あと、下手に殴ると殺してしまうので……騒ごうが泣こうが、手をあげることは避けた。
俺がやったことと言えば、「ただそれだけ」でしかない。
だけど……「ただそれだけ」で、餓鬼どもは俺のことを「殺戮を行う大人というモンスターの一種」から「頼れる大人」へと認識を改めたらしい。
鈴という名の少女も、俺を信頼したのか、ただおままごとがしたい年頃なのか、それとも自分が身体を張って子供たちを守ろうとしているのか……人様を何故か「夫」扱いしてくる始末である。
──一体、今までどんな扱いを受けていたのやら。
その餓鬼どもの懐きように、俺は思わずそう嘆息する。
実際、ぼろ布の下にあった餓鬼共の身体は、あちこちに青痣や切り傷などが無数にあって……この力こそ全てみたいな世界では、「無駄飯喰らい」でしかない餓鬼という存在が如何に酷い扱いをされているかを雄弁に語っていた。
「国が敵国を虐げ、敗残兵が農奴を虐げ、農奴が餓鬼を虐げる、か。
……嫌な連鎖だな、ったく」
「……はい?
なにか?」
思わずこぼれ出た俺の呟きは、生憎と鈴という名の少女には理解できなかったらしい。
少女は意味を尋ねたいのか、俺を上目使いに見つめながら小首を傾げるが……こんな内容をいちいち説明をする気にもなれない。
「いや、何でもない。
それよりも、飯、食うぞ」
「……はい」
話を誤魔化すように俺はそう告げ、少女はその言葉に頷く。
まぁ、飯と言ってもどうせ不味い……昨夜と同じ、粟とかいう名の「鳥の餌」を水で煮込んだだけの代物なのだろうが。
正直、味も鳥の餌とそう大差なく、正直、腹を膨らます以外を期待出来ない……そういう類の食い物である。
──ま、適当に、塩味でも足すか。
こういう時、破壊と殺戮の神ンディアナガルの権能というのは役に立つ。
俺は木の床に転がっていた親指ほどの石を拾うと、それを権能で塩へと変え……机すらない、床上での食卓へと歩くのだった。
異世界で暮らすのは、現代日本と違い、生活するだけで色々と大変である。
今まで三つの異世界を渡り歩いてきた俺は、その事実をよく理解していた。
だからこそ、こうして『水汲み』という大仕事を自分から進んで買って出たのだが……
「うぉおお、すげぇ。
おとなってすげぇ」
「おれも、おとなになって、それくらいやってやるっ!」
……餓鬼どもが群れて来るのだ。
蹴飛ばさないかどうか、非常に怖い。
三人の餓鬼どもの内で、妙に威勢の良いことを言っているのは、確か男の餓鬼の中で一番年上の……董とかって名前の餓鬼だろう。
正直、ヤることも出来ない餓鬼共なんざ、名前すら憶えてないから、何となくなんだが。
「でも、おとななのに、いいのかよ?」
「水くみは、おれたちのしごと、だったんだぜ?」
俺を水場まで案内してくれた餓鬼共は水を入れた桶を持った俺の足元をうろつきながら、俺の機嫌を伺うように、そう尋ねてくる。
……水汲みが、「餓鬼でも出来る仕事だから」だろうか?
とは言え、家の中にあった、恐らく野菜を洗う用途だろう、1.2メートル直径の、深さが50センチくらいある一番でかい桶に、150リットルくらいを一気に入れてこうして運べば、そう疲れる仕事でもないんだし……非効率的な餓鬼にやらせる必要もない。
──ま、砂漠よりゃマシだし、な。
以前、暮らしていたあの砂漠の、巨島の外の集落では……水を汲みに行くだけでものすごい時間がかかっていた覚えがある。
それに比べれば、たった二十分程度歩いた位置に川があるこの村は、非常に住みやすい環境と言えるだろう。
ついでに言えば、畑が塩でやられることもなく、食べ物になるだろう食物は十分に育っているし、腐泥の悪臭が漂ってくることも、ヤバい病気を持った蚊が飛び回ることもない。
「皇、おれは、けんしになるだ。
それで、だれよりも、つよくなる!」
「おれもだ、董!
ふたりで、しゅっせ、するんだ!」
案内役の餓鬼共は手に持っている柄杓を剣に見立てて振り回しながら、そんなことを叫んでいる。
子供たちが普通に飯を食えて、夢を語れる。
──住みやすい世界だな、うん。
今まで滅ぼしてきた三つの世界を思い出した俺は、思わずそう頷いていた。
そうしてふと顔をあげると……そこには戦いによる炎によって完全に焼け焦げ、真っ黒の柱しか残っていない城跡があった。
そのまま焼け焦げた城跡が修復もされずに放置されているのを見ると……どうやらあの時攻めてきた『黒剣』とかいう連中は、あの城を再利用するつもりはないらしい。
──つーか、どうなってるんだ?
昨日、俺が窓から見た限りでは、雲の上に浮かんでいる島が、こちらの島とくっつき、敵の……『黒剣』とかって連中が攻め込んできたようだった。
そうして、こちらの城は落とされてしまった訳だが。
だけど、先日くっついてきた筈の敵側の島は、一日が経過した今も離れる様子を見せず……未だにこの島とくっついたままなのだ。
──だけど、何度も戦っていると、『血風』とかは言っていた。
つまり、何度も何度も島同士をくっつけて……その度に戦争していたのだろう。
どう見てもこの世界の連中は、日本史で言うところの戦国時代以下の文明しか持ち合わせていないようで……飛行機とかヘリコプターとかが存在しているようには見えないのだから。
だけど今回は……戦いが終わっても、島同士が離れる気配がない。
──頭が落されたら、くっ付くシステムだろうか?
大きな桶を抱えて歩いている間、とてつもなく暇な所為、だろう。
俺がそんな下らない思索に没頭し続けていた……そんな時だった。
「う、うわっ?」
「ひ、ひっ?」
不意に餓鬼どもがそんな悲鳴を上げ、俺の足元へとしがみついて来たのだ。
その感触で我に返った俺が意識を戻すと、そこには俺たちのリーダーが……『堅』という名の青年がこちらへ向かって歩いて来ているところだった。
「よぉ、皇帝。
……働き者なんだな、お前」
「……堅、か。
眠そうだな、おい?」
川へと顔でも洗いに来たのだろう。
堅という名のその男は、ボロ布の服をだらしなく着崩し……鍛え上げられた筋肉質な身体を見せつけている。
その身体を見る限り……どうやらコイツは、伊達や酔狂でリーダーを務めている訳ではないらしい。
尤も、男は夜更かしでもしたのか酷く眠そうで……まぁ、昨夜、お楽しみが長引いた所為、なのだろうけれど。
そんなコンディションであっても矛を背負っている辺り……コイツは間抜けそうな雰囲気の割に、なかなか抜け目ないヤツなのだと推測出来る。
「へへっ。
なかなか情熱的な女でな。
お前の方は……懐かれてるな、おい。
不能かよ、お前?」
半眼のまま放った俺の嫌味に帰ってきたのは……堅という男の、惚気というかエロ話だった。
それだけではなく……俺の中で他人に知られてはならない最上位の情報に位置する、「第一種特定機密事項」まで零しやがったのだ。
恐らくは、俺が無理やり餓鬼共を押し倒して『突っ込んで』いたならば、こうも懐かれることがないのを承知の上で……つまりが、力ずくで犯された子供がどういう反応を見せるのかを知っているからこそ、昨夜、俺が『何もしなかった』のを悟ったらしい。
──くそっ。
──下手に、勘が働きやがるっ!
図星を突かれた俺は、緊張のあまり喉を鳴らし……奥歯を噛みしめることで、何とか動揺を顔に出さないようにしつつ、冷静さを保ちながら口を開く。
「阿呆か。
寝床に小便まき散らされたんだ。
……萎えるぞ、ったく」
「はははっ!
それが楽しいって言ってるヤツがいたが……まぁ、それぞれか」
慌てつつも何とか平静を保ったまま放った俺の呟きを聞き、堅は大きな笑い声をあげ……どうやら上手く誤魔化せたらしい。
それでもまだ機密漏えいの不安が拭えなかった俺は、畳み掛けるようにリーダーへと質問を叩きつける。
「で、これからどうするんだ?
此処で、生きていくんだろう?
畑はどうする?」
「……あぁ?
いや、何もする必要なんてないさ。
どうせこの「島」は『黒剣』の連中に併合されて、逃げる場所なんてありゃしないんだ。
なのに無理に逃げ出して、下手に目立つこともないだろう」
適当に放った俺の問いに返ってきたのは、そんないい加減な言葉だった。
とは言え、その回答はいい加減と言い切るには、それなりに理に適っていて……まぁ、この村を移動する必要は、今のところないのだろうと納得出来る。
……だけど。
「あと、畑は……まぁ、適当に分けりゃ良いだろ?
あの残廃共でも、暮らせてたんだ。
それなりに……何とかなるさ」
さっきの回答に付け加える形で放たれた、あまりにもいい加減過ぎるその声に……俺は呆れて何も言えなくなってしまった。
兵士を辞めて、農奴として生きていくという、強盗紛いのやり口は兎も角……その行動は間違いなく、先を見据えた上での計画的な行動だった筈である。
だけど今、眼前の男から放たれた声は、将来の計画も展望も何もない……行き当たりばったりの、どうしようもなくいい加減な言葉だったのだ。
──そんなに簡単に行く訳ないだろう?
実際……農業というのは、そんなに適当なものじゃない筈だ。
──畑を耕して……
──種を植えて、水をやって、雑草を引いて、害虫を駆除して……
一介の学生でしかなかった俺が知っているだけでも、そうやって身体全身を使う力仕事の連続であり……
「……あれ?」
そうして作業の一つ一つを頭の中で思い浮かべてみながら、ふと思う。
──俺が農業をやるんだったら……あんまり難しくないんじゃね?
……そう。
何しろ、この俺には破壊と殺戮の神ンディアナガルの権能がある。
こうして俺の膂力があれば水だって一気に運べるし……畑を耕す作業なんて、指で蟻の巣を穿る程度の、僅かな力を込めてやれば問題ないだろう。
種を植えるのは、餓鬼どもを総動員すれば簡単に終わるし、収穫だって植物を力ずくで引っこ抜けば良いんだから、そう難しくもない。
──俺、将来、農家になろうかな?
あまりにも苦労がなさそうな農奴の業務内容に、そんな未来予想図まで浮かんでくる始末である。
っと、今はそれどころじゃなかった。
「じゃあ、俺は……あの家の周囲の畑を貰う。
それで、構わないな?」
「ま、良いだろうよ。
しかし……お前、働き者だなぁ。
どうせ他の連中なんて、飽きるまでは女と遊んでばかりになってると思うぜ?」
俺の確認に対して、男は呆れたような声でそう言葉を返す。
そして、男が放ったその言葉に嘘はないのだろう。
何しろ……未だに周囲には人影一つ見えず、堅というこの男以外、誰一人として起きて来ていないのだから。
「……食い扶持を稼がなきゃならないからな。
うちはただでさえ、数が多いんだ」
「流石は『皇帝』だな。
ま、頑張れや。
俺はこれから七回戦目に突入させて貰うからな」
さり気なく「将来を考えた方が良いぞ?」という忠告を暗に含めた俺の返事を聞いても、堅という名の兵士たちのリーダーはそう笑うばかりで……全く相手にしようとすらしない。
と言うよりも、連中の行動を見る限り……俺がさり気なく送った忠告の意味すら理解してないように思われる。
──ダメだ、こりゃ。
堅の言葉と、他の兵士たちの行状に俺は思わず呆れた溜息を吐き出していた。
何と言うか……将来性が欠片も見当たらないのだ。
俺だって正直なところ、一介の学生であって、夏休みの宿題ですら計画的に出来ず、最後の方に慌てて仕上げていたタイプである。
そんな俺でも「これからどうやって飯を喰っていこう?」程度は考える。
……だけど。
──コイツら……マジで、ただの獣じゃねぇか。
この村を占拠した兵士たちは……それすらも考えないのだ。
ただ暴力で女を奪い、性欲を発散させて満足している、という……まさに、獣の所業である。
「こりゃ……長くはないかもなぁ」
周囲に散らばっている家々を眺めながら、俺はそう呟くと……担いでいた大桶の位置を少しだけ調整し、俺たちの寝泊りしていた家へと足を運ぶのだった。




