肆・第一章 第四話
「何なんだよ、この世界はっ?」
廊下を少し早足で歩きながら、俺はそう叫んでいた。
動揺した俺がそんな声を上げてしまうのも、無理もない、と思う。
俺の眼前に広がっていたのは、一面の……何処までも広がっていくような雲の海で。
そんな中、まるで純白の雲の海を汚すかのように浮かんでいたのは黒い城……いや、黒い城壁に覆われた巨大な島だった。
──何だ、コレ、は……
城が雲の上に浮かんでいる、という事実に俺は驚きを隠せない。
いや、それ以上に俺を驚かせたのは……
その島がこちらへと『近づいて来て』……俺の立っているこの城へと橋を渡したことだった。
窓から見える範囲で左右を見渡しても、見えるのは一面の雲海ばかりで……この城周辺の大地以外、雲から突き出ている物体は存在していない。
──まさか、な。
俺は、自分の脳裏に不意に浮かんできた一つの仮説を、首を振って追い払う。
そうして俺が自分の正気と戦っている間にも、その橋を伝い、黒の城壁から黒衣の兵士たちがわらわらと群がってきて、こちらの島の兵士たちと戦いになっていたが……今の問題はそこじゃない。
──雲に浮いた島があって。
──それが近づいて来て、こちらとくっついた。
そして……周囲を見渡した限り、俺が立っているこの城周辺も、また雲の上から突き出ている。
その事実が俺を一つの……先ほど頭から追いやった、あり得ないとしか思えない『結論』へと導いてしまう。
そうして脳裏に浮かんだ『あり得ない結論』を、俺はもう一度首を振って脳裏から追い出そうとしてみる。
だって……そうだろう?
──この、今立っている城が、空中に浮いている、なんて。
認められない、というより、認めたくない、のが正解だろう。
正直、俺も現代っ子である。
あの有名な、某天空の城のアニメは何度か目を通しているし、大地が浮かぶような、常識を完全に踏み外した、阿呆な世界が存在しているってのも……脳みそでは理解出来る、つもりである。
……だけど。
──理解できるのと、納得できるのは別だっ!
足元のしっかりした石張の廊下。
そんな石張の廊下を支える、多少古めかしいとは言え、しっかりと造られた城。
その上、城の周囲には、道や川や畑や街並みなどの人の暮らしている様々な区画があり……向こう側には山まであるのだ。
そして、それらを囲う石造りの城壁と、その全てを支えているだろう、大地。
そんなのが全て空中に浮かんでいるという『事実』を……素直に納得できる訳がない。
──無茶苦茶にもほどがあるだろうっ!
今まで四つの世界を渡り歩いて来て、色々と常識外れのことには耐性が出来ていた筈の俺だったが……この世界を創り上げた創造神に対しては、内心でそんな抗議の叫びをあげていた。
確かに思い返してみれば、あの腐泥の世界の創造神ラーフェリリィはこの世界のことを「創造神の力溢れる、楽しい場所」と表現していた。
つまり、これらの浮いている島は……そういうこと、なのだろう。
とは言え、幾らなんでもコレは無茶が過ぎる。
──いや、そうでもない、のか?
確か、蟲たちが全滅させてしまった、砂漠に刺さっていたあの巨島は……昔、天空に浮かんでいたとか聞いている。
それはつまり……創造神の力をもってすれば、大陸を天に浮かすことも可能という証拠、なのだろう。
──だからと言って、納得できる筈もないが……
とは言え、事実から目を逸らしていても、意味はないだろう。
一つ目の世界に塩が溢れかえっていたように、二つ目の世界が砂に埋もれていたように、三つ目の世界が腐泥に沈んでいたように……
この世界も『空に浮かんでいる』という、そんな事実があるだけと納得すれば良いだけなのだ。
……正直に言うと、世界中が塩で埋もれて枯れかけていたり、ありえないサイズの巨大な蟲や機甲鎧なんてロボットがあったり、世界中が腐るなんて訳分からない事態になっている、今までの世界も色々と納得できないんだが……
まぁ、それを言い出すと自分の正気を疑いたくなるので、取りあえず置いておいて。
「……っと、んなことを考えている場合じゃない。
早くこの場所を離れないと、な」
思索に没頭していた俺は、我に返るとすぐにその結論を導き出す。
何しろ、ここは王の居城……しかも、玉座のすぐ近くである。
近くにあった窓からもう一度下を眺めてみると、下に見える城壁付近では、乗り込んできた黒衣の兵士たちと、こちら側の兵士たちとの間で戦闘が繰り広げられていた。
しかも、こちら側の兵士たちは指揮系統に問題でも生じているのか、どう見ても動きが悪く……あからさまに劣勢である。
その上、黒衣の兵士たちが一目散に目指しているのは、明らかに王の居城……つまりが『ここ』なのだ。
──巻き込まれたら、意味がないんだよな。
折角、この世界では「普通にやっていこう」と一念発起し、死体から服を剥いでまで、一般兵士へと変装をしたのだ。
なのに玉座の間近くに居座り続けたら、王殺しの犯人とバレることはないにしても、戦闘に巻き込まれて……仕方なくとは言え、また大量虐殺をしてしまうに決まっている。
──蟲たちもいるんだ。
──上手く反対側に回れば、何とかなるだろう。
俺はそう決断すると……徐々にこちらへと近づいて来ている戦場に背を向けて逃げ始める。
「くそっ!
こんなのっ!
勝てる訳がねぇっ!」
「大体、『血風』陛下がいないんだっ!
王がいない以上、負けは決まってるっ!」
「馬鹿野郎っ!
何処へ逃げろってんだっ!
折角の、『兵』の地位を捨てて、『農奴』に紛れるってのかっ!」
「地位も糞も……命あっての物種だろうがっ!」
そうして城から出ようとするところで、こちら側の城門を守っていた兵士だろう男たちの、そんな悲鳴が聞こえてくる。
……どうやら、『血風』とやらが治めていたこの国は、思っていたよりも遥かに士気が高くないらしい。
──もうちょっと、戦闘命って感じだと思ったんだが……
正直、状況をしっかりと把握している訳ではないが……どうやら彼らは自分の任務地を放棄して、どっかへ逃亡しようとしているようだった。
──このままじゃ、目立つ、な。
そう判断した俺は、即座に自分の着ていた貫頭衣の裾を少し破ると……その布きれを首に巻くことで首輪を隠す。
幸いにして裾は血で少し汚れていて……遠目に見ると、即席の包帯に見えないこともない、だろう。
「だからって、畑を耕して農耕牛のように生きろってのかっ!」
「死ねば、それまでだろうがっ!
生き延びても、敗残兵なんざ戦奴として使い捨ての駒にされるんだっ!
やってられるかよっ!」
物陰から会話を聞く限りでは兵士にも色々といるらしく、逃げようとする連中とこの場に留まろうとする連中と、二手に分かれて言い争っている。
ただ、何というか……どっちも忠誠心はゼロのようなのが気になったが……
──っと。
──これなら、紛れ込んでも問題なさそうだ、な。
そう判断した俺は、兵士たちの近くへとゆっくりと近づくと、大声で言い争いをしつつも城の外へと……つまりが戦場を逃げ出している連中の背後へと、こそっと紛れ込んでみた。
「取りあえず、逃げるにしても何処へ逃げるつもりだ、堅?」
「……どうせ負けるんだ。
どの農地もあの忌々しい『黒剣』の奴らに接収されるだろうよ」
「だったら、どこでも構いやしないだろう。
……さっさと行こうぜ。
負け戦で死ぬなんざ、アホらしい」
幸いにして連中はこれからの進退について言い争いを続けるばかりで、突然一人増えた俺に……と言うか、俺が近づいてきたことにすら注意を払おうともしていない。
それに今の俺の格好は完璧に兵士そのものだし……そうそうバレることもないだろう。
ついでに言えば、戦場から逃げ出そうとしている兵士は二十人弱の集団なのだから、一人くらい増えてもすぐにバレることはない。
……と信じたい。
──ま、バレりゃ皆殺しにすれば良いだけだしな。
実際のところ、ここにいる連中はたったの二十人くらいである。
手にしていた矛を振り回すだけで、五人くらいなら一振りで叩き潰せるし……自分の手を汚そうとしなくても、蟲を一匹呼び出すだけで、この程度の連中ならばあっさりと皆殺しにできるだろう。
どうせこのあたりも近い内に戦場になるのだから、目撃者さえ皆殺しにしてしまえば、例え二十ばかりの死体が血まみれで転がっていたとしても……戦闘に巻き込まれた哀れな兵士と見做され、誰も不思議とは思わないに違いない。
──そう言えば、さっきのアレ……何だったんだろうな?
そうして連中の背後につき従って歩きながら、俺はふと考える。
さっき『血風』とかいう巨漢を殴り殺そうと思った時に湧き上がってきた、「王の命令に従うのが最上」という、変な『確信』のことを。
まぁ、それも「食事を自由にさせて貰える」という許可を貰った直後、蟲を放って食事になって貰うという殺り方だと、「殺してはいけない」という『確信』は、何故か全く浮かんでこなかったのだが。
ついでに言うと、眼前を歩く兵士たちの首筋に手にした矛を叩きつけようと考えても、全くソレを忌避するような『確信』は浮かんでこない。
どうやらアレは、『血風』とかいう王に対する、『特定の行動を禁止する』類の代物だったのだと推測出来る。
──ってことは、やっぱり……この、首輪の所為、か。
これでも俺は現代日本のサブカルチャーに触れて暮らした、現代っ子である。
空想上とは言え、アニメや漫画を見て育った以上、「絶対服従」させられる魔法の道具とやらが自分にどう作用するかってのは……何となく想像出来てしまう。
ただ、それでも……この『礼忠』の首輪とやらを壊そうとは思えないのだが……
──もしかして、コレ……意外と強力なマジックアイテムなのか?
俺がそうして慣れない首輪と、その上に巻いた布の具合を気にしつつも、色々と考えながら歩いている間に……どうやら兵士たちは目的地に着いたらしい。
そこは戦場の反対側の、山へと続く地道の左右に、何やら狭い段々畑が広がっている……そんな田舎で見られるような光景だった。
「お、やっと見てきたな」
「……はぁ。
やっと飯にありつけるぜ」
兵士たちが向かう目的地らしい場所には……川の周囲に藁葺の粗末な家が幾つも並んでいるのが見える。
どうやらあの家々が俺たちの目的地、らしい。
俺は少し遠出して疲れた足を労わるように、足首を軽く回すと……少し大きく息を吐き出して、残る道のりに気合を入れる。
……その時だった。
「おい、堅。
後ろ見てみろよ」
兵士の一人が突如、後ろを振り返り……そう告げたのが耳に入ってしまう。
──バレた、かっ!
とっさのことに、背筋が凍る感覚を覚えた俺は、思わず手にしていた矛を握りしめ、この連中を屠ろうと前へ一歩踏み出そうとしたのだが……
「あちゃ~。
そろそろ城も落とされたみたいだな」
「逃げてきて正解だぜ、ったく。
あのまま残っていたら、どうなったことやら」
どうやらソイツの視線は俺に向けられておらず……その視線を辿ってみると、背後に見えるさっきまで俺たちがいた石造りの城が、黒煙を吐き出しているのが目に入ってきた。
城の最上階に掲げられていたのだろう、赤い旗も燃え始めていて……どうやら、敵兵はもうあの城の最上階まで攻め入ったに違いない。
──となると……あの中で行われているのは略奪と殺戮か。
これでも俺は、あの塩だらけの世界で何度も戦いを続けた身だ。
講和すら許されなかった……戦う力を失った敗者の末路がどうなるかなんて、知り尽くしている。
そしてそれは……恐らく俺が蟲を呼び出して、あの『血風』とかって王を殺してしまった所為なのだろうが……
「……ま、知ったことじゃないな」
俺は軽く肩を竦めると、そう小さく呟いてあの城の最上階で行われているだろう惨劇の想像を打ち切る。
実際……あの筋肉達磨は俺を召喚することで戦局を覆すための切り札にしようとした。
そして、力及ばず俺に殺されてしまった。
それら一連の要因はあの『血風』とかって王の判断ミスであり……俺は単に奴隷にされ、使い潰されそうだったから、抵抗しただけ。
つまりが、正当防衛というヤツであり……俺は悪くない。
──無能な王を持つと、部下も大変だなぁ。
燃え盛る城の最上階から、何やら人影らしきものが落ちたのを見た俺は、もう一度肩を竦めると……少し足早に歩き出した兵士たちの背後を追いかける。
そうして進んでいくと……俺たちの接近を察知していたのだろう。
眼前に見えていた家々に住んでいたのだろう、三十名弱の村人たちが揃いも揃って俺たちを出迎えてくれているのが目に入ってきた。
「かかかっ。
引っ張り出す手間が省けたな」
その村人たちは……粗末な服に身を包んだ、四肢の何処かしらが欠けているおっさんたちと、今にも枯れ果てそうな爺を足して、七名。
男女の区別もつきそうにない、半裸とそう変わらない粗末な衣装を着た餓鬼が十二名。
奥さんや女性や少女が……まぁ、ざっと合わせて十人ほど、ってところだった。
──意外に男が少ないんだな?
周囲を見渡した俺は、何となくそんな感想を抱く。
まぁ、周囲の兵士たちや、城にいた連中を見る限りでは、どうも腕力至上主義みたいなところがあるらしいし……
男手は戦争に取られてしまう世の中なのかもしれない。
そして、こうして農村に暮らしているようなのは、傷病して使い物にならなくなった奴らだけで……
村人たちの姿を見る限り、この村はそんな「使い物にならなくなった」人たちの暮らす……評価をつけるなら下の下でしかない村、という気がしてならない。
「こ、これは兵の皆様。
この邑へ、どのような御用で?」
その村人たちの中でも、最も高齢の……恐らくは長老とか村長とか呼ばれていそうな爺さんが、俺たちに向けてそう尋ねてきた。
正直、突然武装した男たちが無遠慮に近づいてきたのだから……ソレは抱いて当然な疑問だと思う。
そんな不安に怯えるような村人たちへ、一人の男……俺たち兵士の代表として、確か堅とか呼ばれていた男が、ゆっくりと前へと進み出て答える。
「なぁに、俺たちはそろそろ田舎で落ち着こうと思ってな。
だったら、ほら……嫁と家がいるだろう?」
「……は?」
その男の口にした言葉が、こちらでどれだけ非常識な発言だったのか……生憎と俺にはソレを確かめる術は存在しなかった。
そして……堅という男の告げた言葉を聞いて、唖然とそう呟いた爺さんに、その言葉の何処が非常識だったのかを問い質す機会も、俺には訪れなかった。
何故ならば……
「きゃああああああああああああああっ!」
「うわぁあああああああっ!
首っ!
首ぃいいいいいいっ?」
「ひぃいいいいいいいいっ?
な、何、何をっ?」
長老っぽい爺さんの首は、堅という男が振るった剣によって、あっさりと宙を舞っていたのだから。