~ 肆 ~ 間章
「警部っ、栗鼠警部っ!」
「……あぁ?」
勤務時間もそろそろ終えようという午後の終わり頃。
部下の呼び声を聞いて我に返った俺は、小一時間ほど凝視し続けていたビデオからようやく顔を上げる。
霞む目を擦り、視力を取り戻した俺の前には、部下である赤城藍巡査が缶コーヒーを手に立っていた。
温厚な筈の彼女の眉は少し上がり気味で……どうやら俺は随分と長い間、彼女を放置したまま眼前のビデオを凝視していたようだった。
「お疲れ様です。
いい加減、少し休みを取りませんか?
って、また……その映像ですか」
「……ああ。
あの事件の、唯一の手がかりだからな」
さっきまで俺が繰り返し眺めていたビデオ……それは、この署の管内で起こった大量失踪及び、少女傷害事件の参考資料だった。
大量失踪……と、片付けて良いかどうかは分からない。
何しろこの映像には、たった一人の少年の手によって、失踪されたと言われている男たちが次から次へと殺傷されていく様子が、はっきりと映っているのだから。
「……やはり、『上』は事件とは認めない、と?」
「ああ。
よく出来た合成映像を作って来たな、だとさ」
……そう。
何故この事件が大量殺人事件ではなく、ただの失踪事件として扱われているのか。
そして、確実に事件に関わっていると目される、この映像に映された加害者……いや、少年法的に言うところの『少年A』か。
……その重要参考人となっている筈の『少年A』を何故、任意同行でしょっ引けないかの答えこそ、『ソレ』だった。
──現場には血痕と塩しか残されておらず、死体の一つも見つけられず。
──武器すら手にしていないただの少年が、銃器を手にする構成員を、ここまで一方的に殺せる訳がない。
逮捕……いや、最低でも任意同行を求めた俺に対し、現場を知らない上層部の連中が下した結論はそんないい加減なものだった。
この映像を世間に公表した時の反応を想像した彼らは、下手に地位がある所為か……この一件を「ただの失踪事件」とすることに決めたのである。
──いや、そう思っても不思議はないんだが、な。
実際、俺も四十を超えるまで警察に勤めて来た人間だ。
剣道や柔道などの格闘技はそれなりに心得ている。
そんな俺だからこそ、この映像を見てはっきりと分かるのだが……
──人間の力では、こんな殺し方なんて、不可能だ。
当たり前と言えば当たり前の話なのだが……どれほど鍛えようとも人間の握力で、大人の頭蓋骨を握り潰すなんて真似、出来る訳がない。
掴むだけで腹の皮膚を引き千切り、平手で人間の頭蓋を吹き飛ばし、蹴り一撃で人間をミンチにするような真似なんて……出来る筈もないのだ。
だからこそ、俺の『上』はこの証拠映像を「良くできたCG」と見做し、失踪者は暴力団同士の抗争の所為……つまり、死体は「別の連中が処理した」という判断を下したのだ。
──だけど。
だけど、十年以上警察に勤めて来た俺の勘は、この映像は合成など一切行われていない、現実に起こったことだと訴えて来ていた。
実際問題として、事件が発生したその日の内に押収したこの監視ビデオに……どうやってここまでしっかりとした合成映像を組み込めるというのだろう?
結局のところ、上役の勝手な判断で「これ以上ない殺人の証拠品」であるこのビデオは……「何の証拠にも使えない、ただの陳腐なB級スプラッター映像」として死蔵される定めにあったのだ。
とは言え、まだこのビデオが全く使い物にならないと確定した訳じゃない。
幸いにも……この事件を目の当たりにした生き証人は存在しているのだ。
「生き残った双子の証言も……使えそうにありませんか?」
「……ああ。
この惨劇を見て、気が触れたのだろう」
だが、事件の生き残りである双子の少女は、この事件に対する証言の一切を拒否したのだ。
それどころか、何をトチ狂ったのか……
「あの日、私たちは神の制裁を受けました。
悪行の報いを受けたのです」
「神の怒りを買わないように、祈りを捧げ、静かに暮らしましょう。
そうすれば、神は私たちを殺さずにいてくれるでしょう」
……そんな言葉を告げたかと思うと、親の遺産を使って宗教団体を立ち上げてしまったのだ。
しかも閉塞し切った現代日本にその末世思想が受けたのか、信者を次から次へと増やし、急成長し続ける始末である。
「……で、その塩が?」
俺の机の上にある、意味不明な品が目に入ったのだろう。
赤城巡査は、変な模様が描かれた白い紙に乗っている塩を見つめながら、不意にそう尋ねて来る。
「ああ。
神の御業の証だと、さ。
……現場の遺留品で唯一訳が分からない代物だから、あの娘たちが執着するのも、分からなくはない、がな」
俺は呟くと、その塩を手に取ってみる。
指先で転がしてもその辺りで売っている市販の塩とそう大差はなく思える。
だが、まぁ、近くの仏閣でも清めの塩とかって配っているくらいだから、宗教のお題目としてはそう間違っていないのかもしれない。
……生憎と俺自身は実家の関係で仏教を信仰している形をしているだけの無神論者であり、訳の分からない神を崇め始めた少女たちや、その宗教団体とやらを有難がる連中の思考回路など、理解出来そうにもなかったが。
「あ、そう言えば。
警部に言われた通り調べてきましたが……少年課も交通課も、この『少年A』に関係していると思われる案件が幾つかあると」
「……だろうな。
この惨状を引き起こせるヤツが、真っ当な学生生活を送れる筈もない」
赤城巡査の言葉に、俺は当然だと頷く。
あの映像を見る限り、この『少年A』は欠片の躊躇もなく人間を殺害して回っていて……つまり、コイツはそういう類の、頭の回線がぶっ壊れた人種であるのが伺える。
そんな猟奇殺人犯と同レベルの思考回路をした人間が、一般人と交わってまともに生きていける筈もない。
確実に何らかの事件を起こしていると確信していた。
「ですが、これらも立件が難しい案件ばかりです。
事件の目撃者を元にした資料なのですが……」
「良いから、貸せっ!」
赤城巡査の躊躇に苛立った俺は、その手にしていた書類を強引にもぎ取る。
だけど……それを目にすれば、彼女が躊躇っていた理由を容易に推測出来た。
──去年までの俺なら、馬鹿馬鹿しい、と一笑に付すところ、だな。
……このビデオを目の当たりにするまでの俺だったならば。
何しろ、そこに書かれてある証言は、荒唐無稽以外の何者でもない、証人が薬物でも使用していたのかと疑いたくなるような証言ばかりである。
曰く、少年が蹴り一つでタンクローリーを吹っ飛ばした。
曰く、少年が電信柱を素手でへし折って振り回した。
曰く、少年をリンチしようとしたら、素手で骨をへし折られた。
曰く、曰く、曰く……
──間違いない。
──『少年A』の仕業、だな。
それらの、発言者の正気を疑うような証言を一目見るだけで、俺はあっさりとその結論を下す。
……と言うか。
──ここら一体で起こった原因不明の大惨事や大量失踪、それに重傷者が出た不可解な傷害事件。
──その全てに、コイツが関わってないか?
何となくではあるが……俺にはその確信があった。
尤も、俺の勘だけで警察は動けない。
いや、俺一人だけで動くなら何とでもなるだろうが……この数十人を素手で殺傷している凶悪犯を相手には、自分一人で突っ込む気にもならない。
「よし、赤城。
明日からは、多少強引にでも、コイツの身の回りを洗うように……」
だからこそ、俺は大量失踪事件や大事故など、この一連の案件を有耶無耶にせず、俺たち警察の手で確実にケリをつけようと、立ち上がる。
……その時、だった。
「……仮にも一国の都市一つが完全に消滅するという、前代未聞の大惨事が、ほんの数十分前に起こったのですっ!
信じられるでしょうかっ!
これが、今現在、リアルタイムの……」
「……何だ、コレ、は?」
突然映し出されたテレビの画像……恐らくは同僚の誰かがスイッチを入れた、その映像を見た俺は、さっきまで頭を悩ましていた「大量失踪事件」の存在など、完全に頭から吹っ飛んでいた。
何しろ、そこには『何も、なかった』のだ。
テレビに映し出された景色は、その周辺一帯がただの瓦礫の山と化し、高層ビルだったのだろう、骨組みが幾つか立ち並ぶだけという……悲惨極まりない光景を映し出していた。
仮にも其処に一国の首都……国際的な認識はどうあれ、一国が首都と主張していた大都市がほんの少し前まで存在していたとは思えない。
そういう悲惨を通り越して、現実味が全く感じられない光景が広がっていたのだ。
……だけど。
「赤城……さっさと行くぞ。
例の件の準備を進めるんだっ!」
俺はニュースの虜になっている赤城巡査にそう告げると、将来数百年後の歴史に残りそうなその事件への興味をあっさりと断ち切る。
──今は、遠くのテロ事件より、身近な犯罪検挙だ。
……そう。
この『少年A』を放っておくと、絶対に凄まじい大惨事が襲い掛かってくると……俺の勘が叫ぶのだ。
だからこそ、俺は動かなければならない。
──この『少年A』がこれ以上の暴走を引き起こす前に。
「あ、はいっ!
済みません、失礼しますっ!」
俺の声が聞こえたのだろう。
赤城巡査が慌てたような声を上げつつ、こちらへと走ってくるのが見えた。
──そんなに慌てる必要は、ないんだが、な。
その様子を見た俺は、内心でそう呟く。
と言うよりも……この案件についてはむしろ、彼女に「来て欲しくない」気持ちの方が強い。
二回り以上年齢の違うこの赤城巡査は、もし生まれて来なかった自分の娘が生きていれば……などと考えてしまう分、こういう確実に危険が待ち受けているだろう仕事に伴いたくなかった。
だけど、一人で仕事をする訳にもいかない以上……そして、これから相対する相手があの『少年A』である以上、用心に用心を重ねる必要がある。
少なくとも自分一人で出向き、何の意味もなくあの暴力団構成員のように肉塊に変えられてしまうのは御免だった。
──だが、俺以外の誰かがいるならば……
警察二人で、住所地まで押しかけるのだ。
蠅を叩き殺す程度の気軽さで人を殺すあの化け物……『少年A』も、易々と手出しは出来ないだろう。
「済みませんっ!
お待たせしましたっ!」
その勝算を胸に、俺は背後に部下である赤城巡査を控え、署を後にする。
ふと妙な予感に従い、自分の職場へと視線を向けると……電話機を手にしている課長と目があった気がした。
だが……まぁ、定時に帰ろうとしている俺の方へと視線を向けただけ、だろう。
「で、栗鼠警部。
あの『少年A』をどうするつもりですか?」
「まぁ、取りあえずは任意同行、だな。
立件が出来なかったとしても、抑止力くらいにはなれる、だろう」
署の近くにある『少年A』の自宅への道すがら。
死地を前にしたような赤城巡査の問いに、俺はそう答える。
……そう。
俺自身が、このまま『少年A』をどうこう出来るとは思っていない。
何しろ証拠である監視カメラの映像は証拠品としては荒唐無稽として却下されてもおかしくない上に、証言の全ても妄言と断じられても文句一つ言えないのが実情なのだ。
──それでも……放置は、出来ない。
とは言え、一応俺も市民の生命と財産を守る警察の端くれ。
このまま『少年A』によって人々が虐殺されていくのを手をこまねいて見ている訳にはいかないのだ。
「じゃあ……行くか。
もし、この案件が無事に片付いたら、っと……その、なんだ……」
「……はい?」
「……いや、行くぞ」
もしかすると、俺自身も死地が迫っているという予感があるのだろうか?
その予感があるからこそ俺は、彼女を何とか死地から遠ざけようと考えたのかもしれない。
不意に自分の口から零れかけた……実の娘を幻視している眼前の部下と、この因果な商売とを決別させる言葉を呑みこむと、俺は眼前へと視線を向ける。
変に言葉を濁した俺の隣で、赤城巡査がどんな表情をしているのだろうか?
俺はそれを確かめようとすらせず、少しだけ急ぎ足で前へと足を踏み出す。
……次の瞬間だった。
「……あ?」
不意に背後に気配を感じたと思った瞬間、俺の視界が急にブレたかと思うと……身体中の感覚が全て吹っ飛んだ。
自分の身体が、車によって撥ね飛ばされた……そう理解したのは、三秒ほど空白の時間が過ぎ去ってから、だろうか?
霞む視界で周囲を見渡すと、ボンネットが変形している車が見える。
アレが、この人身事故……いや、傷害に使われた凶器なのだろう。
どうやらハイブリッドカーのEVモードという、ガソリンを使わない静かな走行状態を利用して、背後から俺たちに向けて突っ込ませたらしい。
エンジン音が全くしない分、気付くのが遅れ……俺は、その凶器を躱すどころか受け身の一つすら取ることも叶わなかった。
「あ、赤城……っ!」
衝撃から思考力が回復し、現状を理解するや否や……俺は慌てて身体を起こし、近くに倒れたままピクリとも動かない部下の安否を確認しようとする。
少なくとも彼女は、形はどうあれ……自分の身よりも大事に思っている部下なのだから。
「ぐ、くっ、ぁっ」
だけど……俺の身体は動かない。
車に撥ねられるという衝撃は、俺が思っているよりも深刻なダメージを身体に刻み込んでくれたらしい。
それでも必死に上体を起こすべく、俺は這いつくばりながら、必死にもがく。
……そのお蔭と言うべきか。
俺は自分を轢き殺そうとした犯人の顔を見ることが出来た。
──アイツは、確か……
──元暴走族ので……『少年A』の被害者だと思われる……
顔を見るだけで、その犯人の身元はすぐさま特定できた。
何しろ、顔面の皮膚を握力によって引き千切られた痕なんて代物……そう滅多に見えるものじゃないのだから。
尤も、俺がこの犯人のことを覚えていたのは、それだけが理由ではない。
しかも彼は、顔面の皮膚を剥がされた直後……その傷口に塩を塗り込まれた痕跡があったのだ。
俺が追っている『少年A』が如何に人間性が欠落している存在かを知らしめてくれた……言わばあの『少年A』という存在が行ってきた非道の、数少ない生きた証拠の一つなのだから。
「どう、いう、つもり、だ……」
俺は必死に声を出しその男に問いかけるものの……その皮膚を剥がされ、無惨としか言いようのない顔をした男は、俺に視線を向けようともしなかった。
ただ、懐から取り出したウィスキー瓶を掴むと、それを一気に胃の中へ流し込み始める。
……これから始まる事故調査に不利になるにも関わらず。
──馬鹿、な。
その行動に、俺は思わず眉をひそめていた。
男が取った行動は、この事故が飲酒運転として処理されてしまう……危険運転致死傷に該当し、ただの人身事故よりも遥かに重い刑罰が科せられてしまう、言わば自滅へと走るような行動なのだ。
少なくとも事故を起こした加害者が取る行動じゃない。
その逆……そのまま逃げて、アルコールが検知されなくなった翌日に出頭するというのは耳にすることはあるのだが……
そこまで考えた俺が、ようやく取れた全身の痺れの代わりに付きつけられた激痛を必死に堪えながら、身体を起こし終えた、その時だった。
「……そう、それで良いのです」
「冒涜者には、その報いを……」
「「あの御方を探ろうとする存在は、この世に在ってはならないのですから」」
……不意に。
何処から現れたのか、少女特有の甲高い声が、ステレオになって聞こえてきた。
そちらに視線を向けると、十代前半としか思えない、殆ど違いの分からない顔をした二人の少女が、変なゴシックロリータ風の衣装に身を包み、立っているのが見えた。
──アレは、確か、少年Aの被害に遭って、変な宗教団体を興した……
満足に動けない俺がそう考えている間にも、右側に立つ双子の少女の片割れはそのまま倒れている赤城巡査の方へと歩み寄り……
「き、さ、ま……
赤城、に、何を、する、つもり、だ……」
その歩みに不穏当な何かを感じ取った俺は、思わずそう問いかけていた。
俺の問いに答えたのは、部下に歩み寄っている少女ではなく……もう一人の少女の方だった。
「……別に、「私自身」は「彼女」には、何も致しません」
「と言うより、もう何をしても同じでしょう?」
「「死体をどう扱ったところで、死者は何も感じることなど、ないのですから」」
「なん……だと……?」
俺は、少女の答えを、理解出来なかった。
いや、理解出来なかったのかもしれない。
だって、ほんの一秒前まで隣を歩き、お互いに声を交わし合っていた彼女が、もう二度と動かない、なんて。
……幾らこの稼業が死に近いとは言え、そんな理不尽、認められる訳が……
呆然としたまま動かない俺の前で、少女は赤城巡査の身体を抱き起し……
「なっ?」
そのまま少女は動かない彼女の唇へ、その小さな唇を重ね合わせる。
ただでさえ現状を理解出来ないというのに、更に理解出来ない光景を見せつけられた俺は、固まったまま動けない。
そのまま、少女は数秒間の間、唇を重ね合わせ……いや、頬の動きから見て、舌を入れているような……そんな状態のまま、動かなかった。
そうして、その幼い少女の気が済んだのだろう。
少女が離れて、数秒後……赤城巡査は突如、むくりとその上体を起こす。
「良かった。
生きて、いた、のか……」
一度は死を疑った部下が動いてくれたことに安堵した俺は……気付けない。
動き出した赤城巡査の身体は、何というか酷くぎこちなく……まるで、糸で人形を動かしているような、そんな奇妙な動きをしていた、ということに。
そのまま俺の部下はぎこちなく立ち上がると、俺の安否を気遣ったのか、こちらへとゆっくり歩き始めた。
「……貴方は、そのまま、刑務所での活動を命じます」
「やり方は、言わずとも分かるでしょう」
「「信者を増やせば増やすほど、あの御方もお喜びになることでしょう」」
そうして、俺の視界が涙で滲み始める中、双子の少女はウィスキー瓶を一本飲み干した元暴走族の犯人にそう告げる。
「必要であれば、『同志』の製造も許可します」
「その辺りは、貴方の判断に委ねますので」
「「必要なのは、あの御方の意思に沿うこと、なのですから」」
尤も、警察相手の事故を引き起こした犯人は、少女二人の言葉が分かっているのかいないのか、微動だにせず、立ち尽くしたままだったが。
──何か、おかしく、ない、か?
霞む視界でその微かな違和感を覚えた、その時だった。
未だに身体の自由が利かない俺の前に、赤城巡査が座り込み……こちらをじっと見つめてくる。
「あ、か……ぎ?」
……不意に。
彼女の瞳が、全く意思を浮かべていない、ビー玉のような光を放っていることに、俺は気付いてしまう。
まるで……彼女の死体を、何者かが無理やり動かしているような、そんな非現実的で冒涜的な妄想が脳裏に浮んでくるほど……彼女の動きと表情は、生きた人間のソレとは大きく異なっていたのだ。
「……ああ、良いでしょう」
「警察内部の『同志』というのも……あの書類仕事以外、何の役に立たない課長以外にも必要でしょうからね」
そうして、赤城巡査を「こんな存在」にした双子の少女は、何らかの許可を出す。
それがどういうことかを俺が理解する前に、赤城巡査は突然、俺へと顔を寄せ……いきなり俺へと唇を合わせてきたのだ。
「ん?
ん、んんっ?」
流石に二回りも年齢の違う赤城巡査の唇の感触に慌てた俺は、若い女性の唇から身体を引き離そうとするものの……自動車に撥ねられたばかりの身体は、生憎と言うことを利いてくれない。
──なっ?
俺が細やかではあるが、それでも抵抗を重ねていることに苛立ったのだろうか?
突然、赤城巡査の舌が、俺の抵抗……唇と歯を割ってねじ込まれてくる。
そのまま、彼女の舌は俺の口内を這い回り、その奥へと……
「~~~~~~~っ?」
──いや、違うっ!
──コレは、舌じゃないっ!
俺が、ソレに気付いたのは、口内にねじ込んできたソレが、突如咽喉の奥の、真上へと突き刺さった瞬間、だった。
「あっ、あぐっ、あがっ?」
咽喉の奥を生きた何かが切り分けてくる感触……激痛を通り越し、赤熱した金属の杭を突き立てられる衝撃に、俺は声を出すことも叶わず、ただ身体を痙攣させることしか出来なかった。
目からは涙、鼻からは血が、口からは涎……あまりの衝撃に小便すらもまき散らしているにも関わらず、そのことが気にならない。
それほどの衝撃が、俺の脳天から足先まで響き続け、俺は何一つ抵抗の手段を思いつくことさえ出来なかった。
幸いだったのは……激痛に耐えかねた俺が、意識をあっさりと手放すことになったこと、だろう。
そうして俺は、人生で最後になる光景を目にする。
二回り以上年齢が離れ、実の娘のように思っていた赤城巡査と……その唇から生えているのは大きな牙を持った奇妙な蟲という、現実感の全くない光景を……
「あの御方が、中東の紛争の元凶だった、罪深き穢れた都市を一つ、滅ぼしたようです」
「……流石は、我らが破壊と殺戮の神」
「「次にあの御方が戻られるまでに、この世をあの御方の望みの姿へと近づけましょう」」
そして、薄れゆく意識の中……俺は最期にそんな声を耳にしたような気がしたのだった。