~ 肆 ~ プロローグ4
陸路も空路も何の問題もなかった。
出入国の事務手続きとか、飛行機の乗り継ぎとかに非常に苦労したものの、俺は特に腕力を使うこともなく『目的地』へと到着する。
勿論、『目的地』での入国手続きも色々とややこしかったものの、現代の……所謂「生活レベルが違い過ぎる苦労」をすることない旅行に俺が浮かれていたこともあり、癇癪を起して空港の事務員を叩き潰すことはしなかった。
ついでに言えば、空港前で拾ったタクシーの運転手もかなり親切だった。
『おお、学生さん。
若いってのに観光かい?』
『うちの子供にも見習わせたいもんだ。
いや、口先ばっかりで、ろくなもんじゃねぇんだよ』
『ああ、あっちに曲がれば有名な観光地が……そっちもどうだい?』
『残念だなぁ。
人生には寄り道も必要だと思うぜ?』
破壊と殺戮の神ンディアナガルの権能によって意味は通じるものの、何語か分からない言葉で矢継早にそう語りかけてくるタクシーのおっさんの声を俺は適当に聞き流しつつ……寄り道をしないように言い含める。
実際、このおっさんに任せておくと、俺はほぼ間違いなく、次の世界へ向かうまでにハーレムどころか、女の子の知り合い一人すら出来ないだろう。
──ま、寄り道ってのにも興味はあるんだけどな。
おっさんの口から語られる観光地はどっかで聞いたようなことのある名前ばかりで……ちょっとだけ好奇心をそそられている自分がいるのは間違いないだろう。
特におっさんの語る『塩がいっぱいの海』とやらは、本能的に惹かれる気がする。
これは恐らく、この俺が塩の権能を持つンディアナガルの化身となっている所為、だろう。
まぁ、俺の『目的地』は観光地ではなく、その少し手前の……日本で言うところの国会議事堂に当たる場所であるんだが。
『しかし、流石は学生さんだなぁ。
観光地にこんな面白みのない場所を選ぶなんざ……』
俺を『目的地』まで運んでくれた運転手のおっさんは、そんな呟きを残して去って行ったが……生憎と、俺の求める場所は此処にしかない。
この「くりむと」だか「くせもの」だかって国会議事堂で認められて初めて、俺は国家規模のハーレムを入手できるってものだ。
それに……周囲に多少の観光客っぽい人たちもいるし、観光として巡るのも、そうおかしくはないだろう。
俺は深呼吸を一つすると、ゆっくりとそのフェンスに覆われた巨大な建物……この国では政治の中心地となっている場所へと進み、門番の人をまっすぐに見据える。
──さぁ、始めるか。
──俺の、ハーレムを手に入れるために。
俺はそう心を決めると、少し気合を入れながら、まっすぐに門番の人のところへと進む。
ただの学生……しかも、どう見ても外国人である俺が、決意を秘めて進み出て来たのを微笑ましく思っているのだろうか?
門番の人は、何処となく弛緩した笑みを浮かべて、俺の一挙一動を待っていた。
その何となく広がった穏やかな空気に背中を押されるように、俺は色欲に浸かった楽しくも爛れた生活が送れるのを期待しつつ、ゆっくりと口を開く。
『アッラー・アクバル』
……と。
……そして。
『いてぇぇ……腕がぁぁああああ』
『ば、化け物だ……』
──どうして、こうなった?
その結果が、コレである。
俺の足元では、現代アートと化した腕を抱え込んだ門番さんたちが、激痛に悶えながら、呻き声を上げている。
そうしたのは俺で……だけど、勿論、正当防衛だ。
俺が口を開いた途端に、ちょっと前まで友好的だった筈の門番さんは、いきなり激昂して叫び声を上げ、腰に差していた警棒で殴りかかって来たのだから。
いきなり攻撃された俺は、慌ててその腕を掴んだだけで……まぁ、それだけで腕が砕けたコイツらにも問題があるのではないだろうか?
『く、くそ、この、テロリストがぁああっ!』
『応援を、呼んだっ!
もう少しだけ持ちこたえろっ!』
そう首を傾げる俺に考える時間を与えるつもりもないのか、門番二人の惨状を見た門番さんが次々と建物から現れて……しかも、手に拳銃なんて物騒なモノを持っている始末である。
──何故、この俺がテロリスト呼ばわりされるんだろう?
意味不明の事態に俺は首を傾げるものの……こうなってしまった以上、破壊と殺戮の神ンディアナガルの権能をもってしても、それを覆すことは出来る筈もない。
『て、てめぇっ!
この、ムスリムのテロリストがっ!
両手を上げて、その場で寝そべりやがれっ!』
『従わなければ、撃つぞっ!
三つ、数えてやるっ!』
「……はいはい。
ったく。どうしてこうなるのやら」
怒声を上げる二人の門番が構える拳銃を一切意に介さず、俺はゆっくりと近づくと……その腕を強引に捻る。
とは言え、ちょっと力を入れ過ぎたらしい。
『腕がぁああああ、腕がぁあああああああああっ!』
『おいぃぃいいいいいいっ!
ヨシュアっ!
おい、大丈夫かぁああああっ?』
ボキッとへし折るだけのつもりが、ブチブチッと血管や腱・筋肉どころか皮膚までも引き千切ってしまったらしい。
お蔭で俺までもが返り血を浴び、真っ赤になってしまう。
「あ~、汚ねぇったら」
尤も、返り血を浴びるなんざ俺にとっても日常茶飯事である。
腕に塩の権能を軽く込めると、パッパッと自分の服を叩く。
ただのそれだけで、真っ赤にまとわりついていた真紅の液体は薄ピンク色の塩へと化し、身体からあっさりと零れ落ちる。
洗剤要らずで油汚れまですっきり、いつ使っても素晴らしい権能である。
ついでに、そのままでは失血死しそうだった腕を失った門番さんにも、俺は権能を向けてやり……引き千切れた水道管のように血を噴き出しているその腕を塩に変える。
これで、取りあえず死ぬことはないだろう。
だと言うのに、その門番さんは塩の塊と化した自分の右腕をじっくりと見つめたかと思うと……
『……主よ、このムスリムの悪魔から、私を救い賜え……』
何故か、酷く絶望的な声でそんな言葉を吐いたのだ。
物理法則を超越し、人智の及ばない俺の権能を……いや、奇跡を目の当たりにした所為だろうか?
腕を塩へと変えることで助かった筈のその門番は、何故かその呟きを残した直後、自分の頭に拳銃を突きつけ……
「あ」
いきなり自分の脳天を撃ち抜きやがった。
せっかく人様が死なないように気を使っているというのに……俺の努力を嘲笑うかのように、無駄にしてくれるヤツである。
最近、世間を賑やかせている「死にたがる若者」とかいうヤツだろう。
『畜生ぉおおおおおっ!
ヨシュアの仇ぃいいいいいいっ!』
『良いヤツだったのにっ!
この、テロリストがぁあああああああっ!』
『くそったれのムスリムがぁあああああっ!』
その自殺シーンを目の当たりにした門番さんたちは、何故か恨みの矛先を俺に向けて叫び散らしてくる。
尤も、聖なる力すら籠められていない鉛玉如きが、破壊と殺戮の神ンディアナガルの権能を貫ける筈もなく……
ただプスプスと俺の来ていたTシャツに穴を開けるだけに過ぎなかったが。
それでも……彼らの叫び声を聞いた俺は、服に穴を開け続ける銃弾を意に介すこともなく、一つの疑問を抱いたまま首を傾げる。
──何か、間違ってないか?
……そう。
俺はアッラーの使いを詐称すべく、このイスラム国とやらへ足を運んだ筈である。
地図で調べてもイスラム国って国はなかったから、イスラム教を信仰しているだろう『イスラムに名前が非常に良く似た国』を選んだから、恐らく間違いはない。
だと言うのに……現実はこうだ。
何故か俺の方がテロリスト扱いされて、門番たちは跪くどころか一人残らず俺に銃を向けてくる始末である。
「ま、良いか。
結果を同じにすれば良いんだし」
だが、俺は希望を捨てる訳にはいかない。
頑張って旅費を稼いで……何とか組の人たちの寄付によって、俺は今、此処に立っているのだ。
……そう。
みんなの努力によって、俺は今、此処へたどり着いたのだ。
ちょっとやそっと拒否されたくらいで、諦める訳にはいかないだろう。
──幸い、此処は国の中心部。
──なら、関係者全員に『力』を見せつけて、納得させる。
俺という存在を焼きつけさせ、国中の美女・美少女を貢がせればよいのだ。
国家権力万歳。
古代中国かどっかの皇帝も、国中の美女を集めて後宮を作り、楽しい子づくり生活をしていたのだ。
人でしかない皇帝にそんな生活が出来たのだから、破壊と殺戮の神ンディアナガルの権能を持つ俺に出来ない筈もない。
「……お?」
そうして考え込んでいる内に、何やら周囲が喧しくなってきた。
顔を上げてみれば……俺が通ってきた門の辺りからは警察車両に装甲車みたいな車が入って来ていて、その上、空にはヘリが三機ほど飛んでいる始末である。
どうやら応援を聞きつけて、集まって来たらしい。
「あたっ?」
そうして周囲を見渡し終わった次の瞬間に、俺の側頭部に何かが当たる。
それは輪ゴムによって髪を弾かれたような感覚で……痛いと言うより、思わぬところに感触があったから、つい声が出てしまっただけなのだが……
その感触に手を当ててみれば、側頭部にぺたっと、ペットボトルのキャップくらいの大きさの変な金属がへばりついている。
どうやら狙撃銃で撃たれたらしい……とは頭の何処かに降りて来た『確信』が導き出した答えであり、ついでに言えば空を舞うヘリ共が撃ってきたのだろう。
「ったく、空から人様を一方的に撃つとは……
卑怯極まりない連中だな、くそったれ」
そう舌打ちした俺は、次々と撃ちこまれる銃弾を全く意に介すことなく、近くに建てられていた鉄柱……何かのおまじないでもするつもりなのか、変な魔法陣が描かれた旗がかけられていた鉄柱へと近づくと、ソレを腕の力だけで引っこ抜き……
「鬱陶しいんだよっ!」
そのままその鉄柱を、上空に飛んでいたヘリへと放り投げる。
「……お?」
とは言え、要らぬ旗があった分、思った通りの場所へと飛んで行かず……狙っていなかったヘリのローターへと突き当たっていた。
ローターを失ったヘリは、もう飛ぶことなど出来る筈もなく、そのまま重力に引かれて落下し……あっさりと炎上してしまう。
次の瞬間、燃え盛る機体から乗組員らしき一人の人影が飛び出て来て、身体中から炎を上げながら、必死に火を消そうと暴れ回り、まるで踊りを披露するかのような奇妙な動きを続けていたものの……
そのまますぐに倒れ、動かなくなってしまった。
生存は……絶望的だろう。
「あ~あ」
その惨状に、俺は軽くため息を吐く。
折角、この俺が「命を大事に」をコンセプトに頑張っているというのに……たかがあの程度の高さから墜ちて、機体が炎上したくらいで死んでしまうとは。
某ゲームの王様の気持ちが分からなくもない。
ああ、勇者よ。死んでしまうとは情けない、ってヤツだ。
「ま、良いか。
はい、次々」
取りあえず、勝手に堕ちて燃えて死んだヤツのことは放っておいて……俺は上空へと視線を向ける。
先ほど一機を叩き落としたことで気付いたのだろう。
飛んでいた残り二機のヘリは俺の射程圏内から必死に逃げ始めていた。
……が、遅い。
「今さら、逃がすかっ!」
俺は足元にあった岩塊……さっき鉄柱を引っこ抜いた時に抉れ出て来た舗装の一部を掴むと、大きく振りかぶって放り投げる。
渾身の力で放り投げたソレは、逃げようとしていたヘリに見事に命中はしたものの、ちょっと遠すぎたのか、それとも狙いが甘かったのか……一機はただ尾翼をへし折る程度のダメージしか与えられなかったし、もう一機に至っては装甲版に弾き返される始末である。
尤も、相手に打撃を与えなかったかと言えばそうではなく……尾翼を失った一機はくるくるくると変な挙動で遠くへと降りて行ったし、もう一機の方は狙撃手らしき人影が直下へと振り落されたのが見えた。
──まぁ、死にはしないだろう。
その人影を見た俺は、一瞬だけ「命を大事に」という作戦失敗を思い出しギクッとしたものの……すぐに内心でそう思い直す。
何しろ、ヘリの高さは……ほんの十メートルちょっとである。
あの程度の高さから落ちて死ぬほど、人間様はヤワじゃないだろう。
この俺自身も数百メートルから落ちて死ななかったことがあるんだから……恐らくさっきの人影は鍛え上げられた軍人なのだし、その程度の高さなら大丈夫に違いない。
「……しかし、うようよと集まってきやがる」
ヘリを追い払った俺は周囲を見つめ……少しだけ辟易としたため息を吐き出していた。
耳を劈くヘリのローター音に気を取られた上に、上空ばかりを注視して気付かなかったのだが……
いつも何やら周囲には、警察車両と装甲車に囲まれ……その挙句、正門の辺りからはどう見ても戦車っぽい車両が、ゆっくりとこちらへ走って来ているのが見えたのである。