~ 肆 ~ プロローグ1
あの腐れ果てた世界から帰還して早くも一か月が経過しようという本日。
俺は……退屈の極みにあった。
──畜生。
──やることがねぇ。
……そう。
当たり前の話ではあるが……戦いという刺激だらけだった異世界と違い、この現代日本という国には刺激が少ない。
と言うよりは、俺が求める刺激が少ない、のが正解なのだろう。
殺人モノのドラマを見ても、「何でこの鬱陶しい雑魚を殺さないっ?」と考えるばかりでストレスが溜まるし、ゲームをやっても「たかが刃物で切られたくらいで何故ダメージを受けるんだよ、この雑魚?」としか思えないし、人が斬られた程度で白い光線が入って誤魔化されるアニメもやはり集中して見るほどのものとは思えないのだ。
そうしてやることのない俺は、自室で転がって数日前に学校の不良共が勝手に献上してきた「暗殺者と女子高生が心温まる交流を続ける四コマ漫画」をダラダラと見ていたのだが……何というか、嫌いじゃないが長くは読み続けられないという謎の衝動に駆られ、不意に思いついてテレビのリモコンに手を伸ばす。
「南アメリカで猛威を振るい続けるマラリアの一種と思われる新型の感染症が、ここ最近、大流行を……」
「北アメリカでは、急激に加速して行く塩害にどう対処をしているのか。政府の対策が急がれるところですが……」
「このゴビ砂漠では、次々に寄せられるモンゴリアン・デスワームの目撃情報から、ついに長年議論されてきたUMAの実在が証明されるとの期待から……」
「見て下さい。この新型空気清浄機の効果をっ! 月々の電気代が今までと比べましても、30%もカットされ……」
「……イスラム国のテロ行為は徐々に過激化の一途を辿っておりまして、先日占拠されました世界遺産である……」
「……など、時代劇で活躍を続けていた彼女が突然、「真なる神との出会い、人生を見直すことにした」というコメントを残して引退したことで、芸能界には衝撃が……」
「……くだらねぇ」
適当に各局を見回った俺だったが、暇潰しにもならないそのニュース一覧に、ただ溜め息混じりにそう呟くことしか出来なかった。
新型の病気にテロを報道するのはまだ構わないにしろ……あの腐れ果てた世界から帰ってきた俺にとって、この現代日本という場所は、空気清浄機なんざ必要性も感じない黄金郷と言っても過言でない世界である。
だからこそ、空気清浄機なんざを売りつけようとする番組なんざ、目を通そうとすら思えない。
ついでに言えば、訳の分からないUMA特集を見るくらいなら、近くに転がっている四コマ漫画を読んでいる方がマシである。
──蟲なら、間に合っているしなぁ。
俺が蟲皇ンガルドゥームの権能を使うだけで、翌日には自衛隊VSモンゴリアンデスワームをライブで見られるのだ。
UMA特集なんかで時間を潰す方が勿体ない。
家の中で転がっているくらいなら、出歩いて創造神ラーウェアの呪いを突破できそうな良い女を探した方がマシである。
そろそろ周囲も真っ暗になってきているものの、このままベッドに寝転がったところで、明日の学校が鬱陶し過ぎて寝ることすら嫌になりそうな……俺はそんな、最悪の精神状態に陥っていた。
「……そうだな。
また女でも探しに行くとするか」
俺はそう呟くと、身体を起こして着替えることにする。
尤も、女を探しに行くと言っても、友達の一人もいない俺に軟派なんて出来る訳もなく。
本当に「ただ探しに行く」だけになるのだが……それでも、まぁ、家に籠っているよりはマシだろう。
……そう、思ってはいたのだが、どうやらあまり意味はなかったようだ。
「て、てめぇっ!
親父の情婦を、どうするつもりだっ!」
「くっ、このっ!
離しなさいっ! この餓鬼っ!」
何しろ俺は、見事に刃物を手にしたヤクザに四方を囲まれていて……ついでに言えば、俺の腕の中に抱かれてる三十代後半くらいのおばはんが半裸で震えながらも、俺に向けて耳を劈くような奇声をあげているという、突然説明されてもさっぱり訳の分からない状況に陥っているのだ。
挙句、そんな面倒くさい状況になってしまっていると言うのに、得るものは何もないという……寝ころんで漫画を読むのとそう変わらない状況でしかないのだから、今夜の外出は全く意味のない行動だったと結論付けざるを得ないだろう。
むしろ、この場所まで歩いてきた労力分、損をしているとも言える。
「てめぇっ!
今さら怯えたところで、許されると思ってるのかよっ!」
「楽には殺さねぇからなっ!
殺して下さいと懇願させてやるぜっ!」
──やっぱダメだったか。
俺は自分に付きつけられている刃と殺意を意にも介さず、内心でそうため息を吐いていた。
こうなったそもそもの原因は俺自身にあって……夜の街を彷徨っていた俺が、黒塗りの車から美女を伴って出てくる、金持ち風のおっさんを発見したことのがきっかけだった。
──ラーウェアの呪いがかかっているとは言え……
──最近流行りの、寝取られとか寝取りとかいけるんじゃね?
その唐突な思い付き……まぁ、彼女どころか友達も姉も妹もいない俺には寝取られは無理なので、人の女を寝取る行為に挑戦してみることで、ラーウェアの呪いを超えられるか挑戦してみた訳である。
寝取りとやらを実行すべく、適当に金持ちっぽいおっさんの女を強奪してみれば……そのおっさんは暴力団関係者だったのか何らかの有力者だったのか、ボディガードらしきチンピラがわらわらと湧いてきたのがこの現状、という訳だった。
ちなみに寝取りとやらをしてみた結果は……人の女を強奪することに微かな優越感があるのは事実だったものの、その強奪した女が近くで見ると小皺もあるような三十路のおばはんでは、何の意味もない、という情けない結末である。
頑張って乳を揉んでみたものの、興奮すらしない有様で……もう情けないやら腹が立つやら、ただ無駄に手間がかかっただけ、という状況なのだ。
「……うざい。
邪魔」
「ぎゃぁあああああああああああああっ!」
興奮しない女なんざに、何の価値もない。
俺は手元のおばはんを適当に放り捨てたのだが……乳を掴んで放り投げた所為か、乳房が抉り取れてしまったらしい。
「……汚ねっ」
俺はその脂肪の塊を、そう吐き捨てて近くへと放り捨てる。
事実、何やら脂肪ばかりではなく、ちょっと変わった色をした別のぐにゃぐにゃした物質もあったみたいだが……まぁ、あまり直視したい代物じゃない。
「き、貴様ぁあああっ!
そこまで殺され、たいのかぁっ!
堅気に手を出せないと、思ってんじゃねぇだろうなっ!」
そして……俺のその行動は、周囲のヤクザたちの逆鱗に触れる行為だったらしい。
あの女を殺した訳じゃないのに不思議だったが……降りかかって来た火の粉は払わなければならない。
「おらぁっ!
刺し、刺し、刺してやったぁあああああああああああああっ?」
「はい、邪魔」
まず一匹目……俺に向けて長ドスを突き立ててくれた十代後半のチンピラの右腕を、肘を中心にして適当に360度ほどひっくり返す。
この世の終わりかと思えるような悲鳴を上げ始めたチンピラの右腕は、骨が皮膚を突き出して血を噴き出し、原型すら留めない有様ではあるが……
まぁ、あの右腕はどうリハビリしても元に戻らないと思うものの……これだけ周囲に人手があるのだ。
上手く止血さえすれば、死にはしないだろう。
「く、このやらぁあああぁぁぁぎゃあああああああああっ?」
「はいはい」
次に俺は、ナイフを横薙ぎに振るって来た馬鹿の顔面を掴むと、その皮膚を引き千切る。
以前にもやったことのある攻撃だが、上手く引き千切るのは難しいようで、顎から手を回した所為か、顎まで一緒に取れてきた。
……まぁ、コレも死にはしないだろう。
剥がし方が悪かったのか、手にへばりついてしまったその皮を塩へと化して、振り払った俺は、周囲をゆっくり見回す。
「こ、これがっ!
目に、入らねぇってのかっ!」
次に俺に向かってきたのは、法律で禁止されている筈の拳銃を構えた四十代くらいのおっさんだった。
「……そんな物騒なもの、しまえよ、ほら」
警察に捕まっては可哀想だと、俺は親切にもその拳銃を手から強引にもぎ取り……人の目に触れないように、ソイツの腹の中へと突っ込んでやる。
途中、三発ほど撃たれてしまったが……拳銃如きでは破壊と殺戮の神ンディアナガルの権能を突き破れないのは以前に証明済みだ。
「ぐ、あぁあ?
……ぃぎゃああああああああああああああああああああああっ?」
腹の中に焼けた鋼鉄の塊を入れられた男は見事にのたうち回ってはいたが……出血は控え目だし、重要な臓器を潰す真似はしていない。
……やはり命に別状はないだろう。
「て、てめぇ。
このまま無事に帰れると……」
「はいはい。
追いかけて来られたら面倒だから、足、潰すぞ」
残っていた二人ほどの護衛……どう見ても堅気ではない、刃物を手に持った連中の膝を、軽く蹴ることで砕く。
「ひぃぎゃああああああああああああああっ?」
「足がぁっ、足がぁあああああああああっ!」
一人のはちょっと力を入れ過ぎた所為か、膝から下が千切れてしまったが……多分、死ぬことはないだろう。
あの腐れ果てた世界から帰ってきて以来、こうして俺は、色々と頑張って敵を殺さないようにしているのだ。
……命は、大事なのだから。
「貴様……一体、何者だ?
この儂を誰だと思って……」
「……ただの、女連れの金持ちだろう。
って、口にするとムカつくな、畜生っ!」
偉そうな金持ちのおっさんの問いに答えていた俺は、何となくムカついて……ソイツの股間へと軽く蹴りを入れてやる。
「~~~~ぉぉぉぁぁぁっ?」
手加減した割には、ダメージが大きかったのか、おっさんは白目を剥いて口から泡をぶくぶくと吹き出し、痙攣し始めてしまった。
……その股間からは血まみれの尿が周囲に広がっていくのが見える。
どうやらちょっと力を入れ過ぎて、うっかりアレを潰してしまったらしい。
恐らくは……二つとも。
「あちゃ~。
……ちょっとやり過ぎた、な」
金持ちの挙句、情婦とやらを連れて見せびらかしていたのだ。
破壊と殺戮の神ンディアナガルの権能を持つ俺がろくに小遣いさえ貰えず、女にもてることすらないってのに……
そう考えてしまった所為か、ちょっと力が入り過ぎたのかもしれない。
──ま、良いか。
死にさえしないなら、別にこのおっさんがどうなろうと構わない。
むしろ金も持って情婦を連れまわして……今までソレを使い続けたのだから、もう使えなくなっても構わないだろう。
と言うか、これ以上使われては不公平というものだ。
「いてぇ、いてぇいてぇいてぇいてぇいてぇよぉぉぉ」
「足がぁぁぁぁ、俺の足がぁああああああっ!」
「ぉぁぁぁぁぁぁぁっ……腹がぁああああああああ」
「……さ、撤収撤収っと」
そうして血と悲鳴が上がり続ける現場を俺は去っていく。
取りあえず、何の収穫も得られなかったことに、幽かな落胆をしつつ……
っと、そうして現場を離れて一キロほど……パトカーのサイレンが周囲に響き渡り始めた頃だった。
「また、入りました速報ですっ!
バクダッドの市街地でまたしてもテロがありました。
死者は百人を超える模様っ!
現地メディアにはIS……イスラム国による声明が届いているようで……」
家電売り場の隣を歩いていた所為だろう。
そんなニュースが俺の耳へと飛びこんできたのだ。
「……百人も死ぬなんざ、ホント、あっちは物騒だなぁ」
爆弾の所為だろう黒煙と粉じんが立ち上る現場が映されたテレビを眺めながら、俺は軽くそう呟く。
っと、その時だった。
俺の脳裏に……天啓が舞い降りてきたのだ。
「そうだ。
中東に行こう」
……という。