参・第八章 第七話
「……そうかも知れないけどさぁ。
でも、キミ自身が、正義なんて求めてないじゃないか」
「……は?」
俺は数多の世界で得た経験を元に、この世界ではせめて誰かを救おうと……今まで必死に頑張ってきた。
そのつもり、だった。
……だけど。
創造神ラーフェリリィはそんな俺の決意を……この世界を訪れた俺の初心をあっさりと一蹴してしまう。
「だって、そうでしょ?
キミは本気で誰かを助けようとはしてないじゃないか」
「そんなっ!
そんな、ことはっ!」
パジャマ姿の少女……の身体を借りた、この世界の創造神の言葉に、俺は首を横に振る。
だけど、幾ら首を振ったところで、放たれた言葉を耳に入らないようには出来なかった。
そして……一度脳が認識してしまった言葉を、振り払うことも叶わない。
「だってさ。
最初……『聖樹』にいた頃、キミは『泥人』たちの侵略を、真面目に食い止めようとしてないでしょ?
数十匹ほど蟲を放てば、勝手に『泥人』たちは全滅してた筈なのに」
そんな俺に創造神は言葉を続ける。
「いや、それはっ!」
「うん、分かる。
蟲を召喚するのは痛かったんだよね。
速い話が……『聖樹の民』を救うつもりはあっても、「そのために痛い思いをするつもりはなかった」ってことでしょ?」
それは……正直、耳が痛い言葉だった。
まさしにその通りで、言い返すことさえ叶わない。
この俺の……破壊と殺戮の神ンディアナガルの権能をもってすれば、『聖樹』程度を守るくらい、痛い思いなんてする必要がないと。
有り体に言って、「『泥人』如きは大したことない」と、俺が舐めてかかっていたのは紛れもない事実なのだから。
「次に、『泥人』と共に戦った時も同じでしょ?
最初からやる気になっていたら、『聖樹』なんて一人で落とせただろうに……痛いから、面倒くさいからって理由で、二の足を踏んでいたじゃないか」
「……っ」
創造神の指摘は続く。
そして、俺は彼女に対して言葉を返せない。
これも……紛れもない事実だった。
痛いとか面倒だとか、そういう苦労を嫌ったからこそ、弾除けを欲しがり、『泥人』たちを巻き込んで『聖樹』へと戦争を仕掛けたのだ。
「いや、それ以前にさ。
……腐泥が世界を覆うと知っていながら、何故腐泥の原因を突き止め、世界の腐敗を食い止めようと思わなかったのかな?
その理由は、自分自身が知っているよね?」
「……っ、くっ」
これに対しても返す言葉など存在しなかった。
……一言で言ってしまえば『面倒』だったのだ。
あの臭い腐泥へと突っ込むのが、あの汚らしい泥をかき分けて進むのが……。
何処にいるか分からない腐神という元凶の存在を知りつつも……俺は、自分の手を汚してまで、それを何とかしようとは考えなかった。
いや……考えもしなかった。
「とは言え、キミが腐神を……この世界における破壊の化身を滅ぼそうと考えなかったのは仕方ないことかもしれないけどね。
だって、前の世界では、キミが『蟲皇』を殺した所為で、世界が崩壊したんだから」
「……っ」
訳知り顔でそう語るパジャマ姿の少女を、俺はただ睨みつけるしか出来ない。
アレは……俺の中でも痛恨の失敗だと、今でも痛烈に思い出せる。
諸悪の根源を滅ぼして、何もかもが上手く行くと信じた矢先の……何もかもの崩壊だったのだから。
「だから、キミは無意識の内に、「腐神を倒す」という選択肢を頭から放棄していた。
腐神の気配にも気付こうとせず、腐泥を探ろうともしなかった。
……ソレが自分と同質の存在だと、心の何処かで分かっていたんだろう?」
「……ちが、う」
創造神ラーフェリリィの指摘に、俺は首を左右に振るが……その動きが精彩を欠くものだと、自分でも分かる。
……分かってしまう。
事実、あれだけ何度も腐神の名前を耳にし、この世界が崩壊している原因が『腐泥』だと聞かされていながら……俺はその元凶を見逃すばかりだったのだから。
臭い、汚い、面倒だと、心の何処かで言い訳を続けていた……俺自身にそのつもりはなかったにしろ、そう言われても否定など出来やしない。
そんな俺を見て、パジャマ姿の創造神は肩を軽く竦めると……俺をまっすぐに見つめ、次の問いを投げかけて来た。
「そもそも、さ。
キミが求めていた正義って何さ?
生きようとする意思なら、『聖樹の民』にも『泥人』たちにも……キミがあっさりと処断した蟲たちにもあった訳でしょ?
……人だから助けて、蟲だから殺す?
でも……敵対した人たちを、キミはあっさりと殺したよね?
彼らには彼らなりの、事情も意思も願望もあったというのに」
「そ、それは……」
返事を絞り出すことも出来ず、ただ呻くだけの俺に向け、創造神の言葉は続く。
「もしくは、何かを貫こうとする意思?
それなら、キミが殺したあの少年にもあったよね?
腐神の化身にも命を賭けるほどの信念があった。
どちらも、キミが容赦なく叩き潰した訳だけど」
そんな少女の声に……やはり俺に返す言葉などある訳がない。
数多の命をこの手にかけて来た俺には、数多の信念を叩き潰してきた俺には……彼らの生存本能や何かを為そうとする意思を、今さら正義だなんて認められなかったのだ。
……俺の知識は「それも一つの正義だ」と断定しているにも関わらず。
「ま、この世界には幾つもの正義があったんだよ。
自分たちの生活圏を、命を守ろうとする『聖樹の民』の正義。
自分たちの未来を勝ち取ろうとする『泥人』たちの正義。
この世界に生み出された以上、何が何でも生きようとする『蟲』たちの正義。
何もかもを賭けて仇を討とうとした、腐神の正義。
そのどれも……キミは否定したんだ。
つまり自分自身の正義を押し通したんだ」
「……っ」
俺はもう反論する言葉どころか、声すら放てない。
眼前の少女が告げる言葉に……何一つ言い返すことが、出来ない。
「それは悪いことじゃない。
他のみんなと同じことだから。
だけど……キミはその自分の正義さえも中途半端に追いかけるだけで、必死に貫こうとはしなかった」
そんな俺に向けて、少女は更に言葉を続ける。
……まるで俺に言葉という刃を突きつけるように。
「痛い思いはしたくない。
汚い思いはしたくない。
嫌な思いはしたくない。
でも……自分の理想は相手に押し通したい」
ベッドに座ったままの少女は、俺に向けて微笑みながらそう告げる。
「要するに……キミの正義は薄っぺらいのさ。
人の何かに共感しても、そのために自分が苦労するのは嫌だ。
自分の中に理想があっても、そのために自分が痛い思いをするのは嫌だ。
どんな理由があろうとも……そのために自分が『泥』を被るのは、嫌なんだろう?」
「それ、は……
そんな、こと、は……」
俺は否定の言葉を発しようと口を開き……
だけど、俺の口から零れ出た言葉は、あまりにも力のない呟きでしかなかった。
速い話が……俺自身、知っていたのだ。
彼女が告げた言葉が……紛れもない事実だったと。
……そう。
俺は、『手を抜いた』。
世界の全てを壊し尽くし、殺し尽くせるほどの能力を……破壊と殺戮の神ンディアナガルの権能を持ちながら、それを全て使わなかった。
──痛いから。
──面倒くさいから。
──疲れるから。
──臭いから。
──汚いから。
そういう適当な……命がかかってない俺だからこそ天秤にかかるのだろう、命に直結しない『いい加減な理由』で。
だからこそ俺は、少女の言葉に反論出来ない。
ただこの腐った世界を創り出したという、創造神の言葉を黙って聞いていることしか出来ない。
……だけど。
「ま、それもしょうがないよ。
それが、人間だもの」
「……は?」
俺を糾弾していた筈の創造神ラーフェリリィは、あっさりと手のひらを返すように、どうでも良さそうな、適当な口調でそう告げる。
「だって、誰だって痛い思いなんてしたくないじゃん?
誰だって苦労なんてしたくないじゃん?
誰だって、無意味に『泥』なんて被りたくないじゃん?
……汚いんだもの」
その口調は、本当にいい加減だった。
俺のことを理解しているというよりも……滅んでしまった自分の世界に、何の興味も持っていなかったからこそ出せる、いい加減な言葉。
だからこそ俺は……この世界での俺の行動を全肯定してくれている創造神の言葉に、全く喜べない。
「出来るだけ楽をしよう。
出来るだけ痛みから逃れよう。
出来るだけ汚れないようにしよう。
それが人間という生き物の本質なんだ。
キミは人間なんだから、それで良いじゃないか」
「……う、あ」
俺は、少女の言葉に……頷くことすら、出来やしない。
ただ戸惑った声を、咽喉の奥から放つことしか出来なかった。
「だから、もう何もかもを放り捨てて……此処でボクと暮らさないかい?」
そんな中……創造神ラーフェリリィが放ったのは、そんな甘い囁きだった。
「な、何、を……」
「正直、ボクとしては、誰かと暮らすなんて面倒なんだけどさ。
衣食住と、漫画とアニメとゲームは保障するよ。
年老いて死ぬまで、ここでのんびりと遊んで暮らそう。
幸いにして、キミの世界に溢れ返っているゲームや漫画、ラノベなんかは幾らでも拾ってこられるからね」
俺が戸惑っている間にも、創造神の放つ甘い言葉は続く。
「そりゃ、父神様から「世界の因果律に支障の出る行動は控えろ」って厳命されているけどさ。
だから妹たちは、世界が滅びた後にしか出て来なかったんだろうね。
……ま、ボクはそんなのどうでも良いんだけど。
大体、ゲームや漫画、ラノベくらいなら、複製してこの世界で再現したところで、あっちの世界には全く支障なんて出ない訳だし」
あまりにも俺にとって都合の良い言葉に、狼狽えながらも少女相手に真意を問い正す俺。
実際、彼女の言葉は「俺にとって」あまりにも好都合過ぎた。
少なくとも、学校にも通わず、ゲームとアニメと漫画とラノベを主食に暮らせる場所なんて……俺にとってはまさに「天上の楽園」と言うべき場所なのだから。
「な、何の、目的が、あって、そんな……」
尤も……だからこそ、あまりにも「俺にとって都合が良過ぎる」のが気になってしまう。
俺を堕落させることで……創造神ラーフェリリィに発生するメリットを確認しないと、素直に堕落すら出来ないほどに。
「だって、面倒なんだもの。
キミを追い出すのも、キミを納得させるのも」
「……あ?」
俺の問いに返ってきた創造神の言葉は……やはりあまりにもいい加減な代物だった。
創造神としての威厳も矜持もないその言葉に、俺はやはり絶句してしまう。
……どうやら、この腐った世界の創造神は、俺と相性が悪いらしい。
「まぁ実際のところ、ボクよりキミの方が強いから、勝てないんだよね。
だから、さ。
……此処で何もかも放り捨てて、死ぬまで遊ぼうよ。
ああ、エッチなことがしたいなら、この身体を使うかい?
一応、若くして死んだ身体だし、誰の手も触れてない、真っ新な身体だよ、コレ?」
絶句したままの俺を誘惑するように、少女は……いや、少女の身体に乗り移っている創造神ラーフェリリィは笑う。
……パジャマのズボンをずりおろしながら。
生憎とその身体は数えで十二……つまりが「ただの小学生」でしかなく、胸は欠片も膨らんでおらず、俺のストライクゾーン的に言うと「アウトコース低目に外れ」って感じでしかなかったが。
ちなみに下着は白で……飾り気の欠片もない、それこそ小学生が穿くような木綿の、色気のないパンツだった。
「まぁ、性交渉なんて面倒なだけ……なんだけどね。
それでも、キミと戦うよりはマシだろうし。
勿論、キミにとっても悪い話じゃないと思うけど?
……そもそも、妹の呪いで、キミはボクの神々たちとしかエッチ出来ない身体になってるんだからさ」
ペラペラと……ラーフェリリィは口早に話す。
俺を誘惑したいと言いつつも、あまり乗り気ではないような……そんな気合の入らない口調で話す少女の言葉を耳にした俺は……
不意に、聞き捨てならない一言に気が付いた。
「……待て。
呪い、だと?」
「……あれ?
気付いていなかった?
キミの身体には、因果律に作用するタイプの呪いが、四つもかかっている」
慌てて口を挟んだ俺の問いに、話を遮られた形となった創造神は、それでも嫌な顔一つすることなく答えをくれる。
ただ……その答えが俺の望むモノではなかったのだが。
「……よっつ、もか?」
全く知らなかった「呪い」という単語に、内心で焦りながらも……俺は縋るようにして創造神ラーフェリリィに問いかける。
幸いにして少女の姿を借りた創造神は、勿体ぶるつもりはなかったらしい。
あっさりと「呪い」についての回答を口にし始めた。
「まず一つは、ラーウェアの呪い。
創造神級の相手以外とは、性交渉が出来なくなる呪いだよ。
……何の目的があって、こんな面倒なことをしているのやら」
「……あ~」
ラーフェリリィの回答を聞いた俺は、そんな微妙な声を出すことしか出来なかった。
事実、あの創造神は、俺に「新しい世界の父親役」を求めていたと言っていた。
つまりそれは……そういうこと、なのだろう。
その代わりに、他の誰とも相手出来ないような呪いを……
──ふざけてんじゃねぇっ!
要するに、だ。
今まで俺が何度も何度も何度も何度も、そういうことが出来そうな気配があったというのに叶わなかったのは……
あの砂の世界の創造神が呪いをかけていた所為、という訳だ。
因果律に作用する、ということは……偶然が重なって失敗する、ということだろう。
つい気後れしてしまったり、何やら用事が入ったり、ちょっと力加減を誤って真っ二つに引き裂いてしまったり、内通者と疑われて相手が殺されたり、相手の成長具合の所為でやる気にならなかったり、色々と他の経験が気になってしまったり、妙に相手の美貌が醜く思えてしまったり。
そういう類の失敗が続くのは、恐らく呪いの所為に違いない。
……多分。
「二つ目は、蟲皇ンガルドゥムの呪いだね。
キミが蟲の権能を使う度、『キミの複製した自意識を蟲自身に持たせる』という意味が分からないものさ。
ああ、似たようなので、さっき加わった腐神ンヴェルトゥーサの呪いもあるね。
使徒である蚊を呼び出すと、被害が最大限となるよう、自分で勝手に判断して行動する、というものさ。
……一体、何を考えてこんな呪いを残したのやら」
「知るか、くそったれ共がっ!」
小首を傾げながらのパジャマ姿の少女の問いかけに、俺は吐き捨てるように叫んで答える。
実際、「呪い」なんぞをかけられた被害者としては、そう毒づくことしか出来なかった。
──死ぬなら死ぬで、綺麗さっぱり死にやがれってんだ。
──人様に要らぬ呪いなんざを残していきやがって。
言葉には出さないまま、俺は「呪い」の加害者たちを思い浮かべ……内心でそう吐き捨てる。
大体、蟲皇にしても腐神にしても、数多の犠牲者を出しながら、世界を滅ぼそうとしていた『討つべき巨悪』なのだ。
その悪に対して正義の制裁を下したこの俺に、一体何の恨みがあるってんだか。
「んで、最後の一つ。
弟である……まぁ、妹とか弟とか、創造神的には関係なくて、勝手に自分で決めているだけなんだけどさ、そのランウェリーゼラルミアの呪いは……
……って、何なんだい、こりゃ?」
「……あ?」
……不意に。
ベッドに座り込んだまま、上半身を乗り出して俺を見つめていた創造神が、突然、そんな変な声を上げる。
まるで医者の診察を受けている時に、不意に驚いた声を出されたような……そんな不安な気分に陥った俺は、思わず低い声で問い質していた。
尤も……常人にはそれなりに通用するだろう俺の脅しも、創造神相手だとあまり意味がないような気はするが。
「いや、さっぱり分からないんだよね、あの子のコレは。
新たな世界へと移動する度に、キミの持つ権能の一部を僅かながらに置き去りにする?
……これに、何の意味があるんだろう?」
と言われても、創造神に分からないものが、この俺に分かる訳がない。
そもそも「呪い」という存在自体すら、今初めて聞いた内容なのだから。
「まぁ、そういう訳で、キミは呪われてる。
解呪しようにも……ボクと同等クラスの存在が、絶命する寸前に仕掛けた「呪い」だからなぁ。
ボクじゃ数千年単位かかるね、これ。
……ま、此処で生活する上では、そう問題ないよ、うん」
やる気なさそうな声で、俺にとって絶望的な言葉を吐きながら、創造神ラーフェリリィはそう笑う。
とは言え、「呪い」をかけられている俺自身は、このままここで腐って行くつもりなどない。
首を振って……少女の誘惑を断ち切るべく、口を開く。
「いや、俺は、正義を……人助けを……」
「そうは言ってもさぁ。
そもそも……キミ自身が『壊れて』いるんだからさ。
正義を為そうにも、人助けをしようにも、上手く行く筈がないんだって」
だけど、その俺の決意すら……少女の姿をした創造神は、あっさりと打ち砕いてしまう。
しかも……俺自身すら知らない新たな情報を叩きつけて。