第三章 第五話
思い立ったら即行動とばかりに、神殿を飛び出した俺は、まっすぐにバベルのところへと向かっていた。
そもそもあの巨漢がサーズ族戦士たちの頭である以上、戦争をしたければ彼に言うしかない。
……だけど。
「くそ、暑苦しいな、これ」
俺は神殿を出て三歩も歩まぬ内に、身体を覆うラメラーアーマーに不平をこぼしていた。
無敵の防御力がこの鎧ではなく、俺自身に備わっていると聞いた以上、もうコレを着る必要もなかったのだが。
(一晩中かけて直したって言われたからな~)
……何となく、着ざるを得ない空気が流れていたと言うか。
しかも、あのチェルダーの息子の形見らしいし、どうも断り辛い。
錆に浮き、あちこちに矢傷や刀傷でボロボロだったそのラメラーアーマーは、彼らが徹夜で直したお蔭か、錆は取れ鉄板は継ぎ直され……しかもンディアナガルのイメージカラーなのか、漆黒の塗装まで施されていた。
尤もその所為で……こうして炎天下、真っ黒な鎧を着込んで歩く羽目になっているのだが。
「まぁ、日本と違って湿気が少ない分、温度の割にはキツくないけどな~」
尤も、日差しは日本とは比べ物にならないのがこの世界で、暑いというより焼けるレベルで照りつけてくる。
黒色中心の鎧はその凄まじい日差しを吸収してしまい、鎧の中の熱気は既にサウナに勝るとも劣らない有様である。
それでも……この鎧を脱がないのは、戦場を共に駆け抜けた戦友とも言うべき存在であるのと同時に。
──いつ襲われるか分かったもんじゃねぇし。
……前にフォックスとかいう男に、この安心できるハズの「サーズ族の集落内で」突然襲われたのが、俺の中で少しトラウマになっている所為だろう。
「まぁ、刺されても平気ってのは分かっているんだけどな」
それでも……生身の身体に刃物を向けられるというのは……本能的に怖い。
だからこそ、鎧を着ているということは……身体を覆う金属があるというのはやはり落ち着くのだ。
「ま、気休めってヤツ、だな」
俺は漆黒の鎧に触れながらそんな風に独り言を呟きつつ……サーズ族の居住区をまっすぐに歩く。
……と、その時。
「……ん?」
ふと、家々に住む人たちに少しだけ違和感を覚える。
(……何か、増えてないか、コイツら)
サーズ族たちが召喚されたばかりの集落より増えているような気がしてならないのだ。
「そう言えば、チェルダーのヤツが何か言っていたような……」
脳内であのセレスという名の美少女を如何に辱めるかばかりを考えて食事をしていた俺は、あの神官の言葉を適当に聞き流していたのだが。
(確か、逃げる時にはぐれた連中と合流できたとか言っていた、ような)
とは言え、劇的にサーズ族の頭数が変化した訳ではなく……やはりバベルやチェルダーがいたあの集団が本流だったのだろう。
そんな彼らは相変わらず俺に向けて手を合わせ拝んでくるが、正直、もう無視出来るようになってきた。
……いちいち気にしていては、真面目に精神を病みそうだし。
「こっちこっち!」
「違う、そうじゃないって!」
甲高い叫びに興味を引かれそちらに視線を向けると、子供たちが十名ほど玩具の剣を手に戦争ごっこをして遊んでいた。
よくよく見てみれば、初陣の時に見た少年も、その先頭で一番大きな声を上げて暴れている。
──子供ってのは平和だよな。
彼らの顔色が明るいのは……恐らく、親の顔色が明るくなったからだろう。
あの廃墟で絶望し切っていたハズの彼らサーズ族は、未来に希望を見出せるようになったらしい。
「っと。この辺りで間違いなかった、よな」
そうして俺がバベルの家らしき場所についた、その時だった。
「ふざけたことを抜かすなっ!」
バベルの怒声が家の中から響いたかと思うと、突如として家の中から机が扉ごと吹き飛ばす勢いで飛び出てきた。
「貴様っ! 逃げ出したばかりか、自分たちの水と食糧を使い尽くし舞い戻ってきておいて、それでもなお水と食糧をまだ寄こせとっ?」
「へっ。そうさ。
俺たち戦士が命を張らにゃ女子供は死んじまうんだ。
俺たちが水と食糧を多めに頂くのは当然じゃねぇか?」
「貴様らが逃げ出した所為で、我々の敗戦が決定したんだぞ!」
「逃げ出したとは失敬な。
俺たちは氏族の女子供を守っただけさ。
そのお蔭で俺たちは生きてこられたんだからな」
「貴様らはただ勝手な振る舞いをしただけだろうがっ!」
バベルと怒鳴り合っているのは、彼よりも肩幅の広い、眼帯をした巨漢だった。
……ただし背はバベルの方が高く、その巨漢は少しだけ太っているような印象がある。
未だに怒鳴り声が響く家の中に恐る恐る俺が顔を覗かせると、俺に気付いたロトがすぐに近づいてきた。
「ああ。これは破壊神さま。
先日はどうもすみませんでした」
「そんなことより……誰だ、ありゃ」
「ああ。彼はゲオルグ。
サーズ族の戦士でも一・二を争う使い手でして」
……なるほど。
ロトの言葉に俺は頷く。
──確かにあの太い腕ならば、バベル並の働きはしそうである。
そんなヤツが突然逃げ出したなら、サーズ族も総崩れになる訳だ。
……バベルが怒鳴り散らすのも当然と言える。
しかも彼の後ろには、ロトとほぼ同じくらいの腕の太さの戦士たちが十名、彼に突き従うように控えていた。
──強欲。しかも信用出来ない。
──だけど戦力は一人でも欲しい、って感じか。
俺は言い争う二人の様子を一瞥して何となく推測してみる。
事実……現在のべリア族に対して未だ圧倒的に不利な状況では、そんなヤツでも大事な戦力と言える。
である以上……追い詰められているサーズ族の戦士たちには、彼らを追放することも処刑することも出来やしない。
そして同じ理由から……バベルは怒鳴り散らし腰の蛮刀に手を添えていても、怒りに任せてこの巨漢を叩き斬ることが出来ずにいるのだろう。
「ったく、みみっちいヤツだな。
ほんの少しばかり多めに食糧を寄こせって言っているだけだろう?」
そしてこの巨漢はそれを理解しているからこそ、欲の皮の突っ張った厭らしい笑みを隠そうともしていないのだ。
「だから、そんな余裕はもうないと言っているだろうがっ!」
「ただ、あのように……ちょっとばかり自分勝手なヤツでして」
二人の怒鳴り合いに、ロトがそうぼやくのも分からなくはない。
事実、あの様子から見ると俺とはあまり親しく出来そうにない人種のようである。
……っと。
俺はこんな……醜い大男の怒鳴り合いを見に来た訳じゃない。
「まぁ、待て。二人とも」
このままだといつ刃傷沙汰に発展するか分からないほど殺気立った二人の睨み合いに、俺は顔を突っ込むことにした。
「ああ、何だこの餓鬼はっ!」
いきなり割り込まれた所為だろう。
ゲオルグという名の巨漢は、突然俺の胸ぐらを……板金で出来たラメラーアーマーを器用に掴むと、そう怒鳴りつけてきた。
──この剣幕、前の俺なら脅えていただろう。
だけど……今の俺は無敵モードである。
大男だろうと怒鳴り声だろうと……もう何も怖くない。
「良いから、黙ってろ」
俺は、俺の太腿よりも遥かに太いその筋肉質の腕を掴むと、そのまま力を込めて握り、捻る。
「ぎゃああああああああああああああああああああああっ!」
たったのそれだけで俺の指は皮膚と筋肉を貫いて食い込み、俺よりも遥かに硬そうな巨漢の骨をへし折っていた。
その一瞬で、俺に集まる視線が……恐怖の一色に染まる。
特に、新参者らしき顔を見たことのない連中の顔は、斧を叩き付ける寸前のべリア族の連中と同じような顔色で……
「ふふっ」
俺の脳裏には絶対強者という言葉がよぎり、自然と笑みが浮かんでいた。
ゲオルグとかいう大男も、腕を折られたというのに俺にもう敵意すら向けてこない。
ただ激痛に歪んだ顔と、脅え切った瞳で俺にもう意見しようとすらしない。
──それが、愉しかった。
誰もが自分を認め、口を挟むこともない。
……『自分の意志を力ずくで押し通す』ということが、こんなに楽しかったとは。
「一体、どうしたというのだ、破壊神どの」
唯一、バベルだけは俺の前でも通常の態度を崩さない。
それが人の上に立つが故の虚勢によるものなのか、それとも単に俺を恐れていないのかはよく分からないが、まぁ、そんな些細な言葉遣いを気にするほど、俺も狭量ではない。
「食糧が足りないらしいな?」
「ああ。確かにこのままでは冬を越すのが難しいだろう」
俺の言葉にバベルは苦しそうな表情で頷く。
まぁ、あの小娘……そう言えば名前も知らないが、アレを潰して肉にしなければならないなんて言葉が出てくるくらいである。
よほど逼迫しているのだろう。
「それで、何か案があるのか?」
「いや、なければ奪えばいいじゃねぇの?」
「「「っ!」」」
気軽な俺の言葉は、この家中の戦士たちを一瞬で凍り付かせていた。
「あ、あの。そうは言いますが、べリア族の住処ってのは……その、石の防壁を作っておりまして、ちょっとやそっとでは……」
俺に向かって恐る恐るロトが諫言してくる。
(……なるほど)
あの鉄鎧を始めとした装備など……ある程度は予想がついていたけれど、どうやらべリア族の連中ってのはコイツらサーズ族よりは少しばかり文明が発達しているらしい。
「そんなに手ごわいのか?」
「ああ。城壁の上から矢を射かけられるだけで我々には手立てがない。
登ろうにも多大な犠牲を被るだろう。
正直、塩の砂漠が広がって人が住める場所が減っているとは言え……連中にはまだ余裕があるからな」
そう言いながら、バベルは地図を広げて見せてくれた。
周囲の何もないのが塩の砂漠で、この丸で囲ったのが今の俺たちのようだった。
他にも地図上には幾つかの山々の他に五つほどの×印と、四角で覆われた大きな×印があって……この×印がどうやらべリア族の住処らしい。
「そうだな。
……なら、本拠地じゃなくて、ここら辺の村はどうだ?
食い物くらい、置いてあるだろう?」
「……そう、だな。奴らは城塞以外にも集落を幾つか作っているが」
「ヤツらも黙ってはいないでしょう。必ず追撃をしかけてきます。
そうなると、こちらも少なくない被害が出るのは間違いありません」
ロトの言葉に俺は一つ頷くと。
「だから、それを俺が狩る。それで問題ないだろう?」
そう。
何の問題もない。
──俺はセレスという戦巫女を手に入れる。
──サーズ族は食料が手に入る。
お互いが求めるモノこそ違えど、それを手に入れる手段だけは一致しているのだ。
反対する意見なんて、出るハズもないだろう。
「……なるほど、な」
事実、俺の言葉を聞いたバベルが納得したかのような声を上げる。
……いや、納得はしていないのだろう。
顰められた眉が彼の苦悩を物語っている。
──だけど。
……彼らサーズ族にはもう食糧がない。
今の季節がいつごろかは良く分からないが、それでも先ほどの言葉が真実ならば、次の冬を越せないほどに困窮しているのだ。
以前、バベルが話していた通り……身内が餓死するか、敵を殺すかの二択しか彼らにはあり得ないのだ。
──もし戦いで彼らに犠牲が出ても……そいつの食い扶持はそれ以降に不要となり、身内が餓死する可能性は減るだろう。
……それだけで十分戦う価値はあるのだから。
(しかし、ひでぇな、こりゃ)
悩み始めたサーズ族の戦士たちを横目に見ながら、俺は地図を眺め、内心でそう呟いていた。
この世界の四方八方は既に塩の砂漠に覆われているらしく、幾重も描かれた周囲の線は、人の住める居住区が狭まってきている証であろう。
川らしき線が擦り消されているのは、干上がってしまったから、か。
まるで世界が悪意に呑まれていくように、彼らは滅びの寸前にあるのが地図一つを見るだけで読み取れてしまう。
(……そこを、奪い合っている、か)
殺し合っている二つの部族を考えると、俺はもう溜息しか出ない。
彼らにとってはそれが普通なのかもしれないが、平和で豊かな日本から来た俺には、彼らが恐ろしく滑稽に思えてならないのだ。
(……っと。んなこと考えても仕方ないわな)
別に俺はここに長居する訳じゃない。
──七日間。
──そう、たったの一週間、遊ぶだけなのだ。
……その後に、彼らが死のうがどうなろうが知ったことか。
──水は臭いし、飯は不味い。
はっきり言って、その二つはもう諦めた。
だからその分、美少女を侍らせて楽しくやれれば、それで構わない。
俺がそう結論付けたところで、彼らも話が終わったようだった。
「では、破壊神殿。力を貸してくれ」
「……ああ。俺はそのつもりで此処へ来たんだ」
早くも戦意の漲るバベルのその言葉に、俺は二つ返事で頷いたのだった。