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【完結済】ンディアナガル殲記  作者: 馬頭鬼
参・第七章 ~『聖樹』攻略戦~
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参・第七章 第八話


「くっ・畜生っ!

 矢が・途切れないっ!」


「アルスが・やられたっ!

 替わりを・早くっ!」


 第二次『聖樹の都』攻略戦は……順調と言えば順調であり、困難を極めたと言えば困難を極めているとも言えるだろう。

 何が順調かと言うと……俺には傷一つなく、足を止めることなく、静かに『聖樹の都』へと進み続けているから、だ。

 当たり前と言えば当たり前の話で、本気で殺意に身を任せた……破壊と殺戮の神ンディアナガルの化身として権能を思う存分に振るうこの俺を傷つけられる武器など、この世界には存在しない。

 矢は俺の皮膚で弾け、丸太のトラップは俺にぶつかって砕け、足元を掬う罠はちょっと力を込めるだけで引き千切れる。

 そうして『聖樹の民』たちが次々と仕掛けてくる妨害にもならない妨害の中を、俺は別に急ぐでもなく、ただ静かに歩き続ける。


「く・くそっ!

 堕修羅様に・遅れを・取るなっ!」


「腕・にぃいいいいっ?

 矢が・ぁああああっ!」


 とは言え、俺が平然と歩いていると言っても……俺に追従している『泥人』たちも同じとはいかない。

 そもそもが、前回のように種族別に編成し、役割の分担すらしていないのだ。

 矢を防ぐ術を持たない『槍』の一族は矢に射られる度に『聖樹』から堕ちて消えて行ったし、『盾』の一族は丸太などの罠によってやはり命を落としていく。

 数が一番多い『仮面』の一族も、それらの攻撃によって次々と命を奪われていく。

 ……まぁ、正直なところ、今となってはコイツらがどうなっても別に構わないのだが。


「……ったく、鬱陶しい」


 俺は周囲の悲鳴に舌打ちしつつも、転がって来た丸太を、左拳一つで迎え撃つ。

 身体を鍛えた戦士が十人がかりでも受け止められないソレを……俺は左手首に少し力を込めるだけの裏拳で、あっさりと砕き、弾き飛ばしていた。

 正直、身体で受け止めても構わなかったのだが……顔面にぶち当たると顔は兎も角、仮面が割れてしまう。

 ……コレは、あの少女の……べリス=ベルグスの形見とも言える品なのだ。

 実用品である以上、寿命からは逃れられないだろうが……意味もなく粗末な扱いをするつもりはない。

 だからこそ、俺は降り注ぐ矢や飛んでくる丸太からこの仮面を庇いつつも、『聖樹の都』へと突き進む。

 

「す・すげぇ。

 流石・は……」


「……人間・じゃねぇ」


 俺のちょっとした動作一つがそんなに凄かったのか、背後に付き従う『泥人』からはそんな呟きが聞こえてくるが……それすらも俺にしては些事でしかない。

 背後で激痛に呻く奴らや、賞賛の視線を向けるヤツ、忠誠を誓うアホに殺気を向ける雑魚等……全ての『泥人』を無視して俺は歩く。

 階段を上り、バリケードを砕き、罠を突破し、仕掛けを砕き……

 結局、それらの妨害に足一つ止めることなく、俺は『聖樹の都』入り口にあった広場まで到着していた。

 そこには……複雑怪奇に張り巡らされた、俺の身長を超す高さのバリケードと、その裏に弓を構える五〇名を超えるだろう『聖樹の民』と。

 そして、彼らを指揮しているらしき、その正面に立つデルズ=デリアムの姿がある。

 相変わらず頭頂部の毛髪が死滅した少年は、右手を挙げて構え……恐らくは一斉射を放つタイミングを計っているのだろう。


 ──ったく、てめぇもかよ。


 その光景を見た俺は、小さくため息を吐き出していた。

 何故ならば、俺に弓矢を向けている『聖樹の民』たちは、非戦闘員……つまりが女子供老人までもが含まれていたのだ。

 彼らは恐怖と絶望に表情を歪め……慣れないだろう弓を必死に操っているのが見て取れる。

 ……だけど。


 ──無駄なことを。


 彼らの必死の覚悟は認めてやっても構わないが……それでも、所詮雑魚は雑魚。

 非戦闘員を戦場で無理やり使ったとしても、周囲に恐怖を伝染させるだけで何の役にも立たないどころか、却って害悪だということは、今までの戦闘経験から俺は悟っている。

 だが、あの頭でっかちのアホは、頭数を揃えるのに必死で……そんな簡単なことすら、分からなかったのだろう。


 ──所詮は、餓鬼、だな。


 こんな薄っぺらいバリケード如きで、俺の進撃を食い止められると思っているのも馬鹿馬鹿しい。


 ──とっとと俺に降伏して詫びを入れれば良いものを……


 俺は必要とされるだろう意味もない労働にため息を吐きつつ……足を前へと運び始める。


「い・射れぇええ・ええええええええええっ!」


 俺が一歩前へと踏み出すのと、デルズ=デリアムがそう叫ぶのはほぼ同時だったのだろう。

 そして……俺に目がけて、雨のような矢が降り注ぐ。


「ったく、鬱陶しいったら」


 とは言え……殺意に満ちた今の俺にとってはその程度の矢など、雨が降り注ぐ程度のダメージしか受けない。

 ちょっと身体にポツポツ当たって鬱陶しい……それくらいのものなのだ。

 その降り注ぐ矢の何本かは泥で出来た仮面に当たったが、一応は『仮面』の一族という名の由来となった品である。

 ……その程度で壊れるほど脆くはないらしい。


「ぎゃぁああああああ・あああああっ?

 目が・目がぁあああああ・ああああぁっ!」


「ぐ・ぐぅうううっ!

 お・遅れる・なぁあああっ!」


「無理・ですよっ!

 こん・なっ?」


 尤も、俺にとっては「何の意味を持たない『聖樹の民』の悪あがき」に過ぎなくとも……この総攻撃は、常人にとっては凄まじいもの、なのだろう。

 俺の周囲からは、矢の餌食になったらしき『泥人』たちの悲鳴と、仲間を鼓舞する激励と、それをかき消すような泣き言が響いてくる。


 ──ああ、やかましい、な。


 勿論、そんなことなど俺にとっては知ったことではなく……俺は悲鳴を上げて足を止める『泥人』たちに視線を向けることもなく、ただ静かに前へと歩くと、左拳を叩き落とし、バリケードを砕く。

 次のバリケードは裏拳で砕き飛ばす。

 次のバリケードは掴んで引き千切る。

 迷路のようになっていようが、正解などなかろうが、所詮は丸太組みの小細工に過ぎない。

 この俺の……破壊と殺戮の神ンディアナガルの膂力からしてみれな、そんなものなど、枯れた茂み程度の足止めでしかないのだ。

 一歩一歩と、デルズ=デリアムの築き上げた小細工をぶち壊し……俺は前へと進む。


「……やはり、規格外ですね、貴方は」


 結局、十五程度のバリケードを俺が難なく砕いた時点で……小賢しい餓鬼の下らない足止めは終わりを告げていた。

 飛び散った破片が運悪く「致命的な箇所」にでも突き刺さったのか、この世の終わりを思わせるほどの『聖樹の民』たちの絶叫が響き渡る中、俺は静かに小賢しいだけの餓鬼……デルズ=デリアムの真正面へと立つ。

 あと一足刀でその小賢しい頭蓋を叩き割れると確信できる距離まで近づき……俺は以前は仲間だった少年と相対する。


「これで詰み、だ」


「……ええ。

 分かっています。

 貴方が、敵に回った時点で……いや、此処から落ちても生きていた時点で、僕たちの、負け、ということくらい」


 諭すような俺の声に、デルズ=デリアムは抵抗を諦めたような口調でそう頷いていた。


「それが分かるのなら……なら何故、俺を裏切った?」


「仕方がないん、ですよ。

 ……長老や年輩には、僕の意見は通らなかった」


 右手の痛みを幻視しながらの俺の問いに……かつては仲間だった少年はそう答える。

 少しばかり自嘲気味なその笑みは、いつぞやと同じように……自分の意見が通らなかった所為で、『聖樹の民』にこうして破滅が訪れている事実に対するもの、なのだろう。


 ──阿呆、が。


 結局、デルズ=デリアムはその類稀な頭脳を持ちながらも、周囲の馬鹿共の意見に踊らされ……破滅へと転がり落ちてしまった、らしい。

 だからと言ってその程度の事情など、俺がコイツに手心を加える理由にはならないが。


「それに、僕にも同胞を殺した貴方を許せないという気持ちもあったので。

 ……こうして逆らえるだけ逆らってみました。

 とは言え……僕の頭脳じゃ、出来てもこの程度でしたが。

 やはりあの日、トドメを刺しておくべきでした、ね」


 自分の最期を悟っているのだろう。

 デルズ=デリアムは怯える様子もなく、そう肩を竦める。

 全力で俺に敵対したと言い切る少年のその態度があまりにも堂々としていた所為で……俺は怒るタイミングすらも失ってしまう。

 尤も、いつぞやのように、本気の怒りに我を忘れて暴れる訳でもなく……あくまでも、怒った気になってちょっと暴れてやろう、程度に考えていた訳だが。

 どうも昨日の戦いであの兄妹の死を見届けた辺りから、俺は激しい怒りを保てなくなっている気がする。


「馬鹿、野郎が。

 ……だからって、蟲と手を、組むのかよ」


 少年の覚悟を見せつけられた俺は、それ以上敗者を貶める気にも、裏切りを責める気にもならず……残されたその疑問を尋ねることしか出来なかった。

 俺のその問いは意外と効果があったらしく、デルズ少年は一瞬だけ言葉を詰まらせると……すぐに言い訳がましく言葉を吐き出した。


「っ……気付いた時には、もう遅かったんですよ。

 あの状態でミゲル隊長を……蟲を駆逐しても、貴方たち『泥人』を食い止める手段はない。

 僅かな犠牲で、貴方が行う殺戮から逃れられるならと……黙認していたんですよ。

 結局、無意味だったみたいですがね」


 そして……言い訳はそれで終わったらしい。

 デルズ=デリアムは最期の抵抗とばかりに弓と矢を手に取り……ゆっくりと構える。


「こ・この、餓鬼っ!」


「コイツら・なんざっ、皆殺しに・してしまえっ!」


 それが引き金になったのか、俺の背後にいた『泥人』たちは激昂し……『聖樹の民』へと牙を剥こうと吠え始める。


「来るなら来やがれっ!

 薄汚い『泥人』如きがっ!」


「せめて、一矢を報いてやるっ!」


 そんな『泥人』たちの威勢に触発されたのだろう。

 周囲に見える『弓』の一族は、その名の通り、弓に一族の命運を託すことにしたらしい。

 ……例えそれが全滅という運命だとしても。


「……そうか。

 なら……」


 覚悟を決めているのであれば……もう俺がこれ以上何かを言う必要はないだろう。

 俺は左手をゆっくりと挙げ、総攻撃の合図のために、その手を振り下ろそうとした、その瞬間だった。


 ──待て、よ?


 不意に浮かんだのは、あの塩だらけの世界の、最期の宴。

 あの日、べリア族を皆殺しにした俺を待っていたのは……仲間だった筈のサーズ族の裏切り、だった。

 そして……ラーウェアという名の、創造神に告げられた言葉が脳裏を過ぎる。


 ──本当に自分の正義を信じ抜けるなら、絶対的な力で二つの種族を和平に導けたかもしれない。

 ──本当に知性的ならば、戦争を途中で止め両者が生き続ける未来を必死に模索し続けたに違いない。

 ──本当に欲深く生きたのなら、べリア族とサーズ族双方を分け隔てなく奴隷にした帝国を築き上げていたことだろう。

 ──本当に理想主義者なら、お互いが分かり合える何らかの道を探っていたハズだろう。

 ──本当の夢想家なら、共に戦ったサーズ族が裏切った心情を理解し、語り合って友愛を貫いていたのじゃないのかな?


 あの時は、短絡的に戦場で敵を殺し、怒りに任せて滅ぼし尽くし、裏切り者を許そうとも思わず……結果的に全てを殺し尽くしてしまった。


 ──だけど、今ならば……


 あの結末を体験した今の俺ならば……


 ──少しは違う未来が、築けるんじゃないだろうか?


 殆ど直感的に浮かんできたそんな選択肢だったが……あの結末を知る俺には、それが最善の道だとしか思えない。

 それに……これこそが唯一の道だと思えたのだ。

 ……いつかの夜にべリス=ベルグスという名の少女が告げた夢物語である、「誰も争わない」世界のために。

 そしてあの少女の願いを叶えることは……俺がこの世界で貫こうと決めていた「正義」に違いないのだから。

 そう決断した俺は、下ろしかけた左手を止めると……正面のデルズ=デリアムへと視線を向ける。


「降伏しろ。

 命までは、取らない」


 静かに告げた俺の言葉に……周囲の音が全て消え失せていた。

 誰もが、俺の言葉を理解出来ず……息を呑んで固まってしまったらしい。


「……どういう、風の吹き回し、ですか?

 ですが、この『聖樹』を失った時点で、僕たちにはもう生きる術なんて……」


「聖樹の半分を明け渡せ。

 食い物と水の利用権も、な。

 それで……手を打ってやる」


 ……そう。

 以前、眼前の少年に案内された時に告げられていたのだ。

 此処で採れる『聖樹の実』は、『聖樹の民』全員が食べてもまだ有り余るほどの……『聖樹の民』と『泥人』全員を養っても飢えないほど収穫できる、ということを。

 もう一つの生活必需品である水も、聖樹の根から次々と湧き出し……枯れるどころか、たったの一晩で戦いの痕跡すら洗い流すほど豊潤なのだ。

 ……だからこそ。

 だからこそ、『聖樹の民』と『泥人』は共存が可能だった。

 水も食料もなく、口減らしのために相争い続け……結局は滅ぶしかなかったサーズ族とべリア族とは違う道を辿れる、筈である。


「ふざける・なっ!」


 ……だけど。

 そんな俺の提案を一蹴する馬鹿がいた。

 『盾』の一族の代表であるタウル=タワウである。


「俺の・二人の・兄はっ!

 コイツらに・殺されたんだっ!

 許せる・ものかっ!」


 まだ若い少年は、激情に任せたままそう叫び……左手に盾を、右手に石槍を持って、俺の横を抜け、眼前のデルズ=デリアムへと襲い掛かろうとした。

 だが……そこには、俺がいる。


「そうか。

 ……なら、死ね」


 俺は静かにそう告げると、『盾』の一族の代表者に向けて左拳を叩きつける。


「が・ぐぁっ?」


 一族の誇りである『盾』であっても……俺の一撃を受け止めるには至らなかったらしい。

 その身を守る盾を砕き、なお速度を落とさなかった俺の拳に、タウル=タワウという少年の頭蓋は砕かれ、聖樹の幹を血と脳漿と頭皮が汚すこととなった。

 ついでにタウル=タワウという少年の、飛び散らなかった残りの部位は、重心である腹部辺りを軸に回転しつつ、『聖樹』から直下へと落ちて行った。

 恐らく……根元まで落ちるより早く、ただの塩へと変わっていることだろう。


「……他に、逆らう者は?」


 正直な話、既に弾除けが不要となった俺にとって、『泥人』だろうと『聖樹の民』だろうと平等に価値はない。

 それが分かったのだろう。

 俺の提案に不服そうな叫びを漏らしていた筈の『泥人』たちは、一瞬で静まり返ってしまう。


「……お前たちは、どうする?」


「……我々としては、異存など、ありません。

 降伏を、受け入れ……」


 俺の問いに、デルズ=デリアムは静かにそう俯く。

 そんな少年の姿と同様……『聖樹の民』たちも俯いて異論を唱えない。

 彼らも、分かっているのだろう。

 このまま俺に立ち向かったところで……ただ皆殺しに遭うだけだということを。

 とは言え、全員が全員、この状況に諾々と従うつもりはないらしい。


「ふざけるなっ!

 我らは絶対に降伏などせんっ!」


 静まり返った周囲に激を入れるような叫び声を上げたのは、後ろの方で弓を手にしていた、身体中が枯れ果てたような一人の老人だった。

 全身の水分を全て絞り尽くているとしか思えないその身体の何処に、それほどの大声を出す活力があったのだろう?

 ソイツはそう疑いたくなるほどの凄まじい声を張り上げ……その余りの声量に俺は思わず顔を顰めていた。


「……長老」


 デルズ=デリアムのその呟きを聞いて、その騒音公害を発する干物みたいな爺さんが一体何者かを俺は悟る。

 どうやらコイツが、俺が『聖樹の都』を追い出されることとなった……と言うより、デルズを俺に向かってけしかけた、元凶の一人らしい。


「貴様らっ、『聖樹の民』の誇りを忘れたかっ!

 我々は、最後の一人になるまで……」


「じゃあ、お前は要らん」


 爺さんは凄まじい声量で何かを叫んでいたが……爺の口上に付き合ってやれるほど、俺の気は長くない。

 近くに落ちていた槍……『盾』の一族の族長だったタウル=タワウが落とした槍を掴むと、老人目がけて放り投げる。

 幸いにも爺が騒いでいた場所はそれほど遠くなかったお蔭で、俺の投槍は狙いを違えることなく爺に突き刺さり……その身体を聖樹へと縫い止める。

 以前、似たような光景を見た時のように、老人は蟲のように足掻くかと思ったが……干乾びる寸前の爺にとって、槍で腹を突き刺されるというショックは大き過ぎたらしい。

 長老とかいう爺は、槍が突き刺さった衝撃であっさりと息絶えてしまったようだった。


 ──まぁ、あんなゴミなど、どうでも構わないか。


 今は反対意見を口にする者がいなくなったというのが一番大事である。


「……さぁ、どうする?」


 反論を口にする者は皆殺しにする……言外にそう告げる俺のその問いに対し、『泥人』からも『聖樹の民』からも反対する者は出てこなかった。

 一切の言葉が尽きた周囲の連中を見届けた俺は、ゆっくりとデルズの餓鬼へと視線を向ける。


「これなら、どうだ?」


「……ええ、異存は、ありません。

 我々『聖樹の民』は、降伏、します」


 俺の問いを聞くまでもなく、答えは決まっていたのだろう。

 デルズ=デリアムは静かにそう告げると……手にしていた弓を足元へと放り捨てる。

 それは……彼ら『弓』の一族にとって、「戦いを放棄する」という意味を持つようだった。

 実際、デルズ少年の行動を見た周囲の『聖樹の民』たちは、歯ぎしりをしながらも……その手の弓を放り捨て始める。


「これで、僕の役割は……『聖樹の民』を防衛する仕事は、終わりました」


「……ああ」


 肩の荷が下りた、という心境だろうか?

 デルズ=デリアムはそう告げると……疲れたような笑みを俺に向ける。


 ──まぁ、無理もない、か。


 コイツは……俺よりもまだ若いのだ。

 そんな餓鬼が一族全ての命運を背負い、矢も罠も通じない破壊と殺戮の神の化身によって率いられた、最悪の侵略者に立ち向かっていたのだから……こうして何もかもが終わった直後に疲れた笑みを向けるのも無理はないだろう。

 そう考えた俺が、この小賢しい餓鬼相手に少しくらいは優しくしてやろうと気を緩めた、その瞬間だった。


「……ですが」


「……ん?」


 不意に、デルズ=デリアムが口を開く。

 無理に取り繕ったような、下手くそな笑みを浮かべたままで。


「僕個人としては、両親を殺した『泥人』に和睦するなど……例え死んでも許せる訳が、ないんですよっ!」


「……つっ?」


 デルズ少年の叫びと……その手に隠し持っていた木の枝が、俺の眼球に向けて突き出されたのはほぼ同時だった。

 完全に不意を突かれた、その失明の危機に……俺は必死に顔を捻る。

 幸いにしてデルズ=デリアムに武術の心得はなく……少年が突き出した先の尖った枝は狙っていた筈の眼球を逸れ、俺の目尻に突き刺さり、へし折れる。


「~~~っ!

 このっ、馬鹿野郎ぉおおおおおおおおっ!」


 不意を突かれ、失明する寸前だった恐怖に、俺の身体は自然と動いていた。

 今まで自由に動かせなかった筈の右腕が、怒りの所為か突如として自由に動かせるようになり……


「……っぺっ?」


 思うがままに渾身の力を込めて放たれたその右拳は、あっさりと少年の頭蓋を砕き抉る。

 ……少し力を入れ過ぎたのだろう。

 破壊と殺戮の神ンディアナガルの権能を持つ筈の俺を、何度も苦境に叩きこんだその脳髄は……あっさりと周囲に飛び散り、塩の塊へと化し、砕け散ってしまっていた。


 ──畜生がっ!


 『聖樹の民』をその知恵で守ろうとしたデルズ=デリアムの最期は、そんなあっけないものだった。

 頭脳明晰な筈の少年が選んだ、唐突なその最期に……俺は怒りと苛立ちを身体の奥から放り捨てるよう、静かに息を吐き出す。


 ──死ぬよりも、耐えられない、か。


 気持ちは……分からなくはない。

 あの状況下でデルズ=デリアムが選んだのは……早い話が『自殺』、だったのだ。

 戦闘に負けるや否や、俺に降伏して『聖樹の民』の身の安全を保障させ……つまりが、己の責務を果たし。

 その上で自分の命と欲求を秤にかけ……欲求を選び行動して散ったのだから、凄まじい。

 それにしても……


 ──難しい、もの、だな。


 俺は、デルズ=デリアムが自ら死を望んだことに、落胆を隠せなかった。

 何しろ、俺が望んで選択した道は「誰もが相争うことのない世界」である。

 つまり、それはあの女神のようなべリス=ベルグスが望んだ理想郷で……それを実現することは、絶対的な正義であろう。

 ……だと言うのに、それを拒む人間がいる。

 その事実に、俺は「正義を為す」ことの大変さを思い知り……その先行きの困難さを誤魔化すように、ため息を口から吐き出す。

 尤も……命を捨ててまで俺に逆らえるヤツなど、そう多くはなかったらしい。


「我々は、貴方様に、従います」


「どうか、ご慈悲を……」


 眼前で若き指揮者を無惨に失うことで、残されていた敵意も戦意も、全てが砕け散ったのだろう。

 周囲に立っていた『聖樹の民』たちは俺に向けて跪き、ただそう呟きを繰り返すばかりの人形へと化していた。

 その余りもの変貌に……俺の周囲に立ったままの『泥人』たちはただ戸惑った表情で、顔を見合わせるばかりである。

 尤も……優秀な指揮者を失った集団など、こうしてあっさり烏合の衆へと化してしまうことなど、俺自身が何度か経験した戦場のお蔭で心当たりがある。

 俺は『聖樹の民』たちの命乞いに、軽く肩を竦めると……


「……まぁ、良いだろう。

 逆らえば、殺す」


 適当にそう釘を刺してやった。

 幸い……俺の脅しを疑うような馬鹿は、この場には存在しないらしい。


「は、ははっ!

 ご慈悲、感謝いたしますっ!」


 周囲の人間はそう告げて首を垂れるばかりで……どうやらデルズ少年が暴走したさっきの一幕は、彼ら『聖樹の民』の、なけなしの反骨心すらもへし折ってしまったらしい。

 もしかすると「あの餓鬼が最期に逆らったのは、この結果を見通したものだったのかもしれない」などという疑念が不意に頭を過ぎるものの……今となってはデルズ少年の意図を確かめる術などありはしない。


 ──取りあえず、これで一段落、ってやつか。


 まぁ、どっちにしろ……俺の降伏勧告によって、『聖樹の民』と『泥人』たちの間で続いていた戦争は終わりを告げ……



 こうして……『聖樹の都』には、平和が訪れたのだった。


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