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【完結済】ンディアナガル殲記  作者: 馬頭鬼
参・第七章 ~『聖樹』攻略戦~
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参・第七章 第一話



「……だ、大丈夫なのか?」


 木の皮を解し編んで作られた寝床に横たわり、苦しそうに息を荒げながら眠る少女を前にした俺は……ただそう問いかけることしか出来なかった。

 鋼鉄の武器を手にした数千の敵を肉塊に変えられる。

 世界中の全ての人間を敵に回しても、その全てを屠れる。

 世界を創りし創造神すらも葬り去れる……破壊と殺戮の神ンディアナガルの権能を持っている筈なのに。

 ……意識を失っても苦しむ少女を前に、俺はただ狼狽えることしか出来なかったのだ。


「五分五分・だな。

 ……ベスの・体力次第、か」


 俺に問いに返ってきたのは、ベーグ=ベルグスの無慈悲な……だけど事実を淡々と語っているだろう、そんな言葉だった。


「一体っ!

 一体、何なんだよ、これはっ?

 ……おいっ!」


「……『腐泥の毒』・だ。

 腐泥の・ある場所で・怪我をすれば……体力の・ない者から・死んでいく・のさ。

 俺は・何とか・無事・みたいだが……」


 若き族長代理は、その仮面の奥の素顔を、恐らくは苦悩で歪ませながら……妹の脚を見つめ、そう呟く。

 ……そう。

 彼女の左脚には、包帯が巻かれていた。

 あの時……『聖樹の都』での戦の時に、俺がこの手にかけた一番隊隊長によって射抜かれた、その傷が。

 その傷が、今、彼女を苦しめる元凶で……

 ……傷口から入り、寝込むほどの熱を出すような病気。

 あまり医学に詳しくない俺でも……その病気の名前くらいはすぐに思いついた。


 ──つまり、彼女の、症状は……

 ──破傷風、ってヤツかっ!


 考えてみれば……当たり前なのだろう。

 これほど腐泥によって汚染された世界で、怪我を負ってしまった彼らが……傷口を洗い流す水すらない状態で、破傷風にかからない、訳がない。

 ……いや。

 俺の住んでいる地球で言うところの破傷風とはちょっとばかり趣が違うのかもしれず……詳しく追及しようとすると、破傷風に良く似た病気、なのだと思われる。

 俺は医者ではないし、詳しい知識がある訳でもないが……傷口が原因で発症する病気と言えば、それくらいしか思い浮かばない。


 ──どうする?

 ──どうすれば、良い?


 流石に寝る時は仮面を外すらしく……熱に浮かされたように顔を歪めるべリス=ベルグスを前に、俺は必死に考える。

 確か「破傷風にはペニシリンを使う」と言う話を、耳にした覚えはある。

 だが俺の知識はその名前と由来程度でしかなく……実際、ペニシリンという薬はカビから云々という逸話を、授業中に教師が脱線して話しているのを夢現の状態で聞いて覚えているだけで……

 残念ながら俺には……肝心のペニシリンを活用するための、具体的な知識がまるでない。


 ──だけどっ!


 知識がない以上……普通なら、ここで諦めなければならないのだろう。

 だが……生憎と俺は普通ではない。

 ……ああ、そうだ。

 二つの世界を滅ぼした、この破壊と殺戮の神ンディアナガルの権能があれば、彼女を救うこと、くらい……


 ──患部を、ごっそりと『殺せ』ば……

 ──ダメ、だ。


 真っ先に浮かんだその案を、俺は首を左右に振って、追い払う。

 何となく分かるのだ。

 既に彼女の左足から侵入した『腐泥の毒』とやらは……彼女の全身を蝕んでいる、ということが。

 彼女の足を塩に変えたところで……今さら、何の意味もない、ということが。


 ──なら、そのウィルスか何かを、殺してしまえば……

 ──っ……くそっ!


 その閃きを実行しようとした俺は……彼女に触れる寸前に、自身の左手を止めていた。

 今の俺がもし彼女の体内にあるウィルスを殺そうとして権能を使えば……彼女の身体全てが塩の塊へと変貌を遂げてしまうことが、直感的に分かってしまったのだ。。

 砂の世界へ足を踏み入れたばかりの、リリを助けたあの頃の自分なら兎も角……今の俺は蟲皇ンと第二の創造神ランウェリーゼラルミアを殺してしまっている。

 その経験値が入った所為か……この俺が扱えるとする権能は、あの時の倍を軽く超えているだろう。

 その上、精密に権能を操るような訓練をこの俺がしている訳もなく……あの時のような奇跡を実現するなんて、無理難題も良いところである。


 ──せめて万全の身体なら……


 ……いや、それも所詮は言い訳に過ぎない。

 何をどう工夫したところで無駄だと、俺の権能では「彼女を殺してしまう」と……破壊と殺戮の神としての直感が、そう全力で訴えてくるのだ。

 いつもならば戦いを楽にしてくれる筈のその直感が……今は憎たらしくて仕方ない。


「何かっ!

 何か、ないのかっ!

 薬とか、注射とかっ、特効薬とかっ!」


「落ち着いて・くれ、堕修羅。

 ……何も・ないんだ。

 せめて、体力を・つけるための・食事と……

 ……いや・せめて、傷口を・洗うだけの・水が・あの時・あれば」


 悲鳴にも似た、錯乱した俺の声に……ベーグ=ベルグスは忌々しげにそう呟く。

 だけど、彼の懇願にも似た呟きは……絶望に染まっていた俺の心に、一条の光を灯していた。


 ──何だ。

 ──話は、簡単じゃないか。


 ……そう。

 何も、難しいことなんて、ない。

 破壊と殺戮の神ンディアナガルの権能を使えば、十分に解決出来る。


 ──どの道、明日攻め込むつもりだったんだ。

 ──『弓』の連中をぶっ殺して……聖樹を奪えば。


 食料と、水を得れば……それで解決するのだから。

 逆らう連中を皆殺しにするだけで、解決するのだから。

 今まで、俺がやってきたことと……何一つ、変わりはしない。


「つまりは……明日って訳だ」


 そう呟きつつ、ゴキンと拳を鳴らす俺は……一体どんな顔をしていたのだろう?

 自分では解決の糸口を掴んだ、叡智溢れる名探偵のような笑みを浮かべていたつもりだが……生憎と自分の顔は自分には見えやしない。

 特に……こんな鏡すら見当たらない異世界では。


「……あ・ああ。

 そう・だな。

 明日・上手く・やりさえ・すれば……」


 ただ、そんな笑みを浮かべる俺の眼前で仮面を外しながら微笑むベーグ=ベルグスは……獲物を前にした肉食獣と変わらない、酷く凄惨な笑みを浮かべていたのだった。





「……また、か」


 べリス=ベルグスを看病した夜が明けた翌日。

 俺の率いる『仮面』『盾』『槍』の三部族連合軍は、夜明けと同時に『聖樹の都』へ向けて進軍を開始。

 そして、順調に『聖樹の都』へと軍を進め……られなかった。


「……こっちも・ダメだ。

 畜生っ、『弓』の連中・めっ!」


「くそっ・たれ・がっ!

 先日・死んだ・同胞をっ!」


 その理由は簡単だった。

 ……『肉林』の存在である。

 この腐れ果てた世界へ来た初日、ミル=ミリアを助けて……いや、助けられなかった彼女に案内された時に見た、あの人間の腐乱死体を杭に突き刺した、グロテスクなオブジェ。

 腐泥の中に規則正しく並べられたアレが……俺たちの進路を狭めていたのだ。

 今も眼前に立ち並んでいるソレは……どう見ても、数日前まで『泥人』だっただろうモノで、身体のあちこちに塗りたくられた、まだ乾き切ってない腐泥が見える。

 だが……その姿は、もはや数日前まで人間だったとは信じ難いモノだった。

 恐らくは致命傷だったのだろう、完全に砕かれた頭蓋と、ここに飾り付けるため肛門から頭蓋の穴へと付き抜かれた木の杭は兎も角。

 どれだけ凄まじい速度で腐敗が進んだのか、右腕は腐れ落ち、内臓はぐちょぐちょに溶けて茶褐色のゲル状と化し、皮膚の内側にはびっしりと蛆が蠢いているのが伺える。

 見るだけでこちらの戦意が砕かれるという最悪のオブジェだが……どうやら『聖樹の民』としは……全く別の意図があってアレを飾り付けているようなのだ。


「もう少し・迂回・しよう。

 あっちにも・進入路が・あった・筈だ」


「……あんなの、無視すりゃ良いじゃねぇか?

 いちいち、迂回するなんざ……」


「……ダメ・だ。

 アレに・迂闊に・近づくと……腐神の・怒りを・買ってしまう」


 ……そう。

 彼ら『泥人』は、そんな……よく分からない迷信を理由に、さっきから『肉林』とやらを見る度、大きく迂回を続けているのである。

 周囲を浸す腐泥の深さが分からない以上、泥の沼に足を突っ込む訳にもいかず……腐泥の中を歩こうと思えば、立木の根を上手く伝って歩かなければならないのだ。

 そんな腐敗し、入り組み、歩き辛い迷路の中で、『弓』の一族が仕掛けた『肉林』とやらが、鬱陶しくも俺の行く手を遮っている。

 いい加減、この腐った泥の中を歩き回るのに辟易していた俺は、その『肉林』とやらを無視して進もうとするのだが……

 生憎とその意見には誰一人として……そんな迷信なんざ一笑に付す筈のベーグ=ベルグスですら賛同しなかったのだ。


 ──ったく、面倒くせぇ。

 ──時間が、ないってのにっ!


 そうして迂回すればするほど……俺は苛立ちを募らせていく。


「ぐぁ・あああぁあっ?

 また・トラップ・かっ?」


「畜生・がっ!

 くそったれた・『弓』の・連中がぁっ!」


 何しろこうして、腐泥の中に幾つものトラップ……小さな落とし穴の底に小さな棘が生えたヤツが、あちこちに仕掛けられていたのだ。

 棘自体は数センチでそう大きくなく……重傷を負う代物ではない。

 だけど、そのトラップが腐泥の中にあることが……ちゃちなトラップを何よりも恐ろしい凶器へと変えているのだ。


 ──頭数を、減らそうってのかよ。

 ──考えてやがるっ!


 ……傷口から入った腐泥は、今寝込んでいるべリス=ベルグスと同じように、破傷風を引き起こすだろう。

 だからこそコレを仕掛けたヤツは、トラップを小型化して殺傷能力を出来るだけ減らし……見つかりにくく、そして数を多くすることで、直接手を下すことなく『泥人』を一人でも多く減らそうと意図しているに違いない。


 ──これを仕掛けたのは……デルズ=デリアムのヤツ、だな。


 その考え抜かれた罠の存在に……俺は『聖樹の都』で肩を並べて戦った小賢しい餓鬼の顔を思い出す。

 俺を『聖樹』から追い出したアイツが今、防衛の指揮を執っているとしたら……


 ──面倒なことに、なりそうだな、畜生。


 俺が内心でそう舌打ちしている間にも……『泥人』たちは罠にかかった怪我人を救い出し、既に統率を取り戻していた。


「前進を・開始するぞっ!」


「足元に・気を・付けろっ!

 また・罠が・仕掛けられて・いるかもしれんっ!」


 そう叫びながら行軍を開始する『泥人』たちの表情は総じて暗く、意気揚々とはとても言えなかった。

 歩く速度が遅々として進まないのは……落とし穴のトラップをまだ警戒しているから、だろう。


 ──くそったれ。

 ──もう少し、早く……は、無理か。


 苛立ちに任せて俺は内心でそう毒づくものの……それが無理だということは、ろくに軍を指揮した経験のない俺でも、よく分かっていた。

 何しろ、誰も彼もが……『仮面』の一族以外の全員が浮かべている表情を見る限り、こんな進軍なんて止めて、とっとと元の家に帰りたいと考えているのだから。

 そんな最悪の士気状態では……行軍速度が上がる筈もない。


「進めっ!

 出来るだけ、早くっ!」


「俺たちには・もう・帰る場所なんて・ないんだからなっ!」


 ……それでも。

 それでも俺たちは……罠だらけの道を、ただただ進むしかない。

 既に食料は明日の分すらなく、水も多くは残っていないのだから。

 酒はまだあるらしいが……人は酒だけ飲んで生きていく訳にはいかない。

 だからこそ……俺と『泥人』たち全員は、こうして腐泥の中を長蛇の列となってゆっくりと進み続けているのである。

 ……そう。

 彼ら『泥人』たちは陣形も何もなく、ずらずらと長蛇の列となりながら、歩き続けているのだ。

 前方には槍や盾などを手にした戦士たちが……そして後方には、怪我人や女子供、老人が並んでいる。

 その中には……倒れてから寝込んだままのべリス=ベルグスが運ぶ担架も存在しているのである。


 ──彼らを連れて行けば、ますます進軍速度が遅くなるんだが……

 ──置いていく訳にも、いかないし、なぁ。


 最初は怪我人を運ぶなんて言語道断と思ったものだが……既に彼ら『仮面』の一族には今後生き延びるだけの水も食料も残っていない。

 ……『聖樹の都』を落とすか、飢え渇いて死ぬか。

 コレは、その二択を咽喉元に付きつけられた……乾坤一擲の決死行なのだ。

 幾ら非効率的とは言え……残念ながら「怪我人や老人を置いていく」という発想すら浮かばないのが現状である。


「……くっ!」


 その遅々とした進軍を見れば見るほど、俺の中には苛立ちが募る。

 俺の命の恩人であるべリス=ベルグスが病に倒れ、早急に水と食料が必要だというのだから尚更だ。

 正直な話……俺は、とっとと彼らを追い立て『肉林』とやらを蹴倒して『聖樹の都』へと攻め入りたい欲求に駆られている。

 ……だけど。


 ──彼らに無理強いする訳にもいかない、か。

 ──畜生がっ!


 その事実を前に、俺は必死に自分の中の苛立ちを抑え込む。

 何しろ俺は、彼ら『泥人』に協力をお願いしている身なのだ。

 である以上……彼らの意見を無視して物事を進める訳にもいかない。

 ……下手に力づくで横暴を重ね、いざというときに離反されるのが一番面倒で、一番無駄な時間を喰うのが分かり切っているからだ。

 もし、病に倒れたあの少女を人質に取られでもしたら……それこそ、何のために『聖樹の都』を落とすのかすら分からなくなってしまうだろう。


「なら……どうするんだ?」


「もう少し・迂回・しましょう。

 あっち・なら……恐らく」


 苛立っている俺に気付いたのだろう。

 俺の近くに同行していた『盾』の一族の指導者……タウル=タワウとかいう若き族長が宥めてくる。

 その根拠のない物言いに、俺はますます苛立ちを募らせるものの……八つ当たりをしても何も解決しないのが分かり切っている。

 だからこそ、苛立ちが余計に募る。

 ……足元から立ち上ってくる臭気、肌にまとわりつくような薄霧、鬱陶しくも行く手を阻む腐泥、鬱陶しくも怪我人を生み出し続けるトラップ、遅々として進まない軍勢。

 それらの何もかもが……俺の気分をささくれ立たせる。


 ──いい加減、全てを塩に変えてやれば……

 ──こうして、歩くのを邪魔されることもっ!


 そんな無限に続くような牢獄に、俺の堪忍袋の緒が切れかかった頃、だった。


「よし・見えたっ!

 さぁ・行きましょう・我らが・神よ」


 『槍』の一族を率いる男……今朝名前を聞いて、確かラング=ランセルとか名乗ったおっさんが、そう叫ぶ。


「……ああ、そうだ。

 この、光景だっ!

 帰った来たぞ、俺はっ!」


 その薄霧の向こう側……空を覆い隠す霧の向こう側へと貫くようにそびえ立つ『聖樹』を見て、俺は思わずそう叫ぶのだった。


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