参・第五章 第六話
「敵襲・だぁああっ!」
「畜生・がっ!
『双斧』の・クソ野郎・共っ!」
「逃げ・ろっ!
早・くっ!
巻き込まれる・ぞっ!」
「パム・はっ? パムは・何処っ?」
天幕の外は……酷く慌ただしかった。
それもその筈で……彼ら『仮面』の一族は、外からの急襲を受けたのだ。
石槍を手に取る男、石斧を手に取る男、子供を探す女性、よたよたと騒ぎの方向から逃げ出す怪我人、泣き叫ぶ子供。
──ああ、戦場だな。
異世界で戦場に慣れ切っている俺は、その殺気立った慌ただしさの中でも特に取り乱すこともなく、人混みをかき分けながら戦闘の叫び声がする方角へと歩く。
片腕を吊ったままの族長代理は槍を手に走り去って行き……その背中はとっくに見えない。
と言うか、さっきからこちらへ向かって逃げてくる女子供に怪我人が多過ぎる上に、誰もが荷物を抱えているものだから、まともに前に進めやしない。
「……統率、取れてないにも程がある」
幾らなんでも敵襲の際の避難経路と手順くらいは訓練しておくべきじゃないかと……現代日本で暮らしてきた俺なんかは思う訳だが。
そう考えると、あの鬱陶しいだけだった学校の避難訓練ってのも真面目にやっておくべきなのだろう。
ああいう時の不手際が……こうやって犠牲者を増やすことに繋がるのだから。
──血の、臭い。
──そろそろ、か。
そうして人混みの中を数分ほど逆流した頃、だろうか。
この集落の中でもずっとまとわりついて来た微かな腐泥の臭いを上書きするような、鉄錆の臭いが鼻の奥をくすぐり始めていた。
「そっち・行ったぞっ!」
「くそ、コイツ・ら、うじゃうじゃ・とっ!」
そうして近づいて行った所為だろう。
気付けば俺は人混みを抜け……戦いの叫びが聞こえる辺りまでたどり着いていた。
そんな中、怪我をしているらしい仮面を被った『泥人』が眼前で倒れ……ソイツを追いかけて来たのか、両手に石斧を持った『泥人』と目が合う。
「くたば・れぇえええっ!」
武器一つ持たない俺を見て、格好の獲物だと思ったのか。
襲撃者である『双斧』の一族と思しき男は、俺に向かって跳びかかって来た。
完全に不意を突かれた俺はその左から振るわれた石斧の一撃を避けることも出来ず、側頭部を強打される。
だけど……ただそれだけだった。
──生憎と、もう不調治っているんだよなぁ。
あの『聖樹』の近くで暮らしていた頃とは違い……今の俺は、破壊と殺戮の神ンディアナガルの権能を完全に掌握している。
鋼鉄の剣すら通じず、人の何倍もある巨大なロボット……『機甲鎧』の一撃ですら傷一つ付かないのだ。
そんな石斧程度……通じる、筈もない。
俺の頭に触れただけで、あっさりと砕け散り……男の手の中にあるのはただの木の棒と化していた。
「ば・ばか、なっ?」
「……邪魔だ」
とは言え、今は先を急ぐ身であり、こんな雑魚の相手をしている暇などない。
俺はソイツに向けて軽く左手で裏拳を放ち、吹っ飛ばすと……先へと進むことにする。
「ぅぼぉぁあ・あああああああああああああ・はぁああああああっ?」
ただ、まぁ、吹っ飛ばした方向と力加減があまり良くなかったらしく、近くに立っていた枯れ木の、幹から飛び出た折れた枝へとその男は見事に突き刺さり……
標本として生きたまま虫ピンで止められた虫みたいになっていた。
激痛の為か、現状から必死に逃れようとしているのか、じたばたと手足を動かすものの……暴れる度に腹に空いた穴から血を噴き出すばかりで、何の解決にもなってない。
──まぁ、放っておいても勝手に死ぬか。
自分の一撃と、相手のダメージを一瞬でそう見切った俺は、ソイツから興味を失うとそのままゆっくりと歩き始める。
「せ、せ・めて・殺し……」
背後で何か掠れた声が聞こえたが……まぁ、どうでも良いことだろう。
──しかし、相変わらず。
歩きながらも俺は、未だに動こうとしてくれない右腕を睨み、内心で舌打ちしていた。
まぁ、あの程度の雑魚が相手では、そう大きな問題も起こらないのだが……もしこの場にベーグ=ベルグス級の、所謂「達人」と呼ばれる相手が出てくると、かなり面倒なことになるだろう。
──痛みはもうないんだがなぁ。
内心でそんなことを考えつつ、十数歩歩いたところで……やっと俺は戦場にたどり着いていた。
「殺せ・殺せ・殺せっ!」
「く・そぉっ!
ゼルがやられたっ!」
「こっち・も、手が・足りないっ!
誰かっ・頼むっ!」
「族長・代理っ!
こっちにも・援護をっ?」
「……押され気味、だな」
薄霧で見通しの悪い中、周囲の様子と声を聞いた俺は、あっさりとそう判断する。
何度も何度も戦場を駆けまわった経験からだろう。
いつの間にか俺は、勘だけで戦況を何となく理解する技能を手に入れていた。
……まぁ、現代日本では何の役にも立ちそうにない技能でしかないが。
「き・貴様っ!
堕修羅・だなっ!」
「ったく、アイツは何をやっているんだか」
つかつかと、戦場のど真ん中を歩いていた所為だろう。
両手に石斧を持った男が一人、俺に向かって跳びかかって来た。
左手一本で、右左と軽く手のひらを払い、難なく石斧を打ち砕いた俺は、化け物を見たかのように固まっていたソイツの首を掴み……
「ば・化け物っ!
は・離びょぷっ」
その手を、軽く右へと捻る。
それだけで泥を塗りたくっていた男の細首はあり得ない方向へと捻じ曲がり、男は静かになる。
そうしてピクピクと痙攣するその男の死体を無雑作に捨て、手に着いた血を近くの枯れ木になすりつける。
「隙・ありゃぁ・ああああっ!」
手の汚れに気を取られていた所為だろうか?
そんな叫びに振り返ってみると、さっき首をへし折った男よりも一回り大きな男が、二つの石斧を叩きつけてくるところだった。
「……無駄なのになぁ」
どうせンディアナガルの権能でダメージすら受けないと分かっている俺は、避けようとも防ごうともしなかった。
ただ立ち尽くして、身体でその二撃を受け止める。
石斧が砕ける衝撃で固まった『的』を殺そうと、手を突き出そうとした、その時。
──パリンと、何かが砕ける、音が、した。
「……あ」
俺の身体は確かに破壊と殺戮の神ンディアナガルの権能によって守られている。
だけど、残念なことに……俺の服や持ち物は、生憎とその権能によって守られている訳じゃない。
……そう。
さっきの音は、さっきの感触は……
俺がさっき懐に仕舞い込んだ、べリス=ベルグスに作ってもらった、泥の仮面が砕ける音、だったのだ。
「あぁああああああああああああああああっ?」
その事実に気付いた時、俺の口からは自然と悲鳴が上がっていた。
慌てて懐から『仮面』を取り出すものの……ソレは下半分が砕け散ってしまい、顔全てを隠す役割は果たせなくなってしまっている。
「……な、何・なんだ・き、貴様・はっ?
か、『仮面』の一族・では・あるまいっ?」
砕けた『仮面』を見て愕然としている俺に、眼前の男はそう問いかけてくる。
その両腕が変な方向へ曲がっているのを見ると……どうやら俺を強打した代償をその身で味わったらしい。
……まぁ、それだけコイツの一撃が凄まじかった、ということなのだろう。
「うるせぇっ!
てめぇがっ!」
その問いに対する俺の答えは……渾身の拳骨だった。
とは言え、その男はそれなりの使い手だったのだろう。
……へし折れた両腕の激痛に脂汗を流しながらも、俺の一撃を躱そうとしたのだから。
尤も、その状態では完全に避けることは叶わなかったらしく、体重を込めて脳天へと突き出した俺の拳は、ソイツの胸へと突き刺さり……胸骨をもぎ取り、腹筋と腹の皮膚を引き千切っていた。
「あ・う・ぁ・ぁあ……」
自分の身体から臓物が零れ落ちるのを目の当たりにして、絶望の表情を浮かべたソイツに向けて、俺は裏拳を叩きつける。
苦しまないように慈悲を、という訳ではなく……ただ拳骨を避けられて、いまいち気が晴れなかったから追撃を加えてみた、だけなのだが。
その一撃で脛骨から上を失ったソイツは、首から血を噴き出しながら横へと吹っ飛んでいく。
「ぅう・ぉぉおおおおおおおおおおっ?」
「ひ・ひ・ひぃいいいいいっ?」
その内臓が腹から飛び出した首なし死体は、飛んで行った先で何やら騒ぎを起こしていたが……
まぁ、戦場ではそういうこともあるだろう。
取りあえず今は……そんな些事よりも、族長代理であり、命の恩人の兄でもあるベーグ=ベルグスの方に用事がある。
俺はもう少し戦場を進むことにした。
「……ぐ・くっ!」
「いつもの・威勢は・どうした、小僧?」
「ほら・ほらっ!
我ら兄弟の・連携を・どうやって・防ぐっ?」
しばらく進むと、やっとお目当ての……族長代理の巨漢が苦戦しているところに出くわした。
ベーグ=ベルグスは石槍を手にしているものの……石斧を両手に持つ兄弟らしき二人の男たちの連携に、防戦一方になっているようだ。
──まぁ、片腕だし、なぁ。
どうやら状況を見るに……彼が苦戦の理由は「俺の一撃を受け止めた所為」らしい。
である以上、このまま傍観するのも不義理だろう。
二対一なのだし、俺も参戦しようと前に踏み出す。
──って、ちょっと待てよ。
と、そうして拳を握りしめて前へ一歩踏み出したところで、ふと思う。
──素手で敵を殺すのって、引かれるんじゃないか?
そんな、俺らしくないことを、またしても。
だけど、アイツは……ベーグ=ベルグスは命の恩人であるあの少女の、実の兄なのだ。
あまり心象を悪くしては……その、いざという時、困るかもしれない。
だったら、下手に破壊と殺戮の神としての膂力を見せつけるよりは……こう、凄まじい力を持った堕修羅の戦士という、人間の範疇に収まった姿を見せた方が、良いんじゃないだろうか?
である以上……下手に不死身の身体を見せつけるのも、あまり良くないかもしれない。
前に一度戦ったので、もう遅いかもしれないが……だからと言ってあまり人間離れしたところを見せつけまくるのもなんだろう。
──とすると、武器を……
そう考えた俺は周囲を見渡す。
が、周囲にはろくな武器がない。
砕けた石斧は使い物にならないし……そもそも敵の戦士と斧と斧で技量の比べ合いをすれば、俺が勝てる道理などある筈もない。
つまり、俺が必要とするのは、槍のように長く、ある程度の膂力があれば扱えても不自然ではなく、技量差を覆すほどの一撃を放てる武器、となる。
「よしっ」
幸いにして、俺が求めてみるものは意外と簡単に見つかった。
……そう。
誰かが居住を作ろうとしていたのだろう。
血で汚れたボロ布の隣に、横たわっていた……主柱とするべき『丸太』が。
──誰の家かは分からないが、でかしたっ!
ソレを見つけた瞬間、俺は踊り出したい気分になっていた。
こんな……腐泥の影響が徐々に広がっているような沼地である。
ここまで自分にとって都合の良い武器などが手に入るとは……俺自身でも思っていなかったのだから。
「むっ」
左手一本でその丸太を掴んだ俺は、軽くその手に力を込めると、軽々と持ち上げる。
その丸太は俺の身長より少し長く、恐らくは二メートルほどの長さと、俺の胴回りと同じくらいの太さで……槍と棍棒と大剣の中間くらいのつもりで扱えそうだった。
そうして武器を調達した俺は、その丸太を左手一本で掴みながら……ベーグ=ベルグスに加勢するべく、彼らの戦場へと駆け寄る。
「お・おい。
アレは・なんだ?」
「……化け・モノかよ……」
俺の武器を見て……度肝を抜かれたのか、『泥人』の兄弟はそう呟いて固まっていた。
一度戦ったこともあり、俺の膂力を身を持って知っているベーグ=ベルグスはすぐさま俺の意図を理解したのは、横っ飛びにその場から離れる。
それを見届けた俺は、軽く左手に力を込め……
「ふんっ!」
その丸太を、ただ力いっぱい、振り回す。
ただし……ソレは、明らかに失敗だった。
振り回すまでは良かったのだが……振り抜いた後に、丸太の棍棒を止めようと手を強く握ったところで、俺の握力に材木としての強度が耐えられなくなったらしい。
一言で言うと……握っていたところが『毟り取れて』すっぽ抜けてしまった。
「ぎゃぁ・ああああああああああっ?」
「腕・がぁ、腕がぁ・ああああああああっ!」
丸太が吹っ飛んで行った辺りでは、そんな悲鳴が上がっていたが……恐らく、敵である『双斧』の一族の悲鳴だろう。
……そうに、違いない。
そして……俺の一撃で薙ぎ払った辺りには、両手の斧を巧みに操っていた兄弟の姿はもう『存在していなかった』。
ちょっと遠くの別の枯れ木にへばり付いた腸とか、根っこに散らばっている肉片とか、その辺りに転がっている骨の破片とか……どれかが兄で、どれかが弟だと思われる。
あそこに転がっている目玉とか、弟っぽい気がするが……実際のところ、どっちが兄でっどっちが弟かすら聞いてなかったから、意味がない考察だろう。
「……相変わらず、凄まじいな」
そんな俺の一撃の残滓を見て、戻ってきたベーグ=ベルグスは苦笑しながらそう呟く。
まぁ、コイツからしてみれば「笑うしかない」状況かもしれない。
何しろ、自分が苦戦していた双斧を持った兄弟の連携を……俺は、ただの一振りで薙ぎ払ったのだから。
親父がたまに見ていた野球の……4番の一振りで、試合が全てひっくり返ったとか、そういう気分になっているんだと思われる。
とは言え……俺の一撃を目の当たりにした『双斧』の連中は、一気に形勢が不利になったと気付いたらしい。
「くそ・ガイガス兄弟が・やられたっ!
退・けっ!」
「何だ・あの・化け物はっ?」
「知る・かっ!
それなりの・『収穫』は・あった・んだっ!
とっとと、ずらかるに・限るっ!」
そんな叫びを上げながら、『双斧』の一族は見事なまでにあっさりと引いて行った。
……本当に何の躊躇もなく、あっさりと。
仲間を抱えているのだろうか?
逃げていく中の数人が、怪我人か死体を担いで行ったのが目に留まるが……まぁ、突然襲撃して行った野蛮極まりないあの連中でも、肉親の情や友愛くらいは持ち合わせているのだろう。
と俺が結論付けた横で、『仮面』の一族を率いる族長代理がポツリと呟く。
「……十数人が殺され、死体が・持って行かれた・か。
く・そっ……人喰い・共めっ!
いや、それだけで・済んだだけ・マシ・と思うべき・なんだろう・な」
その言葉に……俺は、コイツが何を言っているか分からなかった。
だって、普段生きていて、めったに聞く単語じゃないのだ……『ソレ』は。
──人喰い?
とは言え……俺も知らず知らずとは言え、あの塩に覆われた地獄のような場所で、子供の臓物を、口にしたことがある。
だからこそ……「人が人を喰う」という行為を、善とはとても言えないし、良いとも思わないし、嫌悪感を抱くものの……
絶対にあり得ない『常識外のこと』とは断ずることが出来ないのだ。
「何故、そんなことを?」
「……簡単・さ。
連中・も、食料が・ない・んだよ。
だから・我々は、必死に・泥鰐を・狩る。
連中・は、何をトチ狂ったのか……人を・狩ってる・のさ」
俺の問いに、ベーグ=ベルグスはそれが当然と言わんばかりの態度でそう言葉を返してきた。
そして……俺はその答えに頷いていた。
……そう。
俺には、分かるのだ。
水や食料がない悲惨さも、それを手に入れるためなら、人間が人間を殺すことすら、別に特別な行動じゃない、ということも。
──ちょっと、待て。
そこでふと気付く。
彼ら『泥人』の置かれている状況が、如何に極限状態かということに。
……今さらながら。
──待て待て待て待て。
それが現実だとすると……
この世界を、争いのない平和な世界にすると言うのは……あの女神のような少女べリス=ベルグスの願いを叶えると言うのは。
……一体、どれだけ難しいのだろう?
いや、それ以前に……
──こんな世界で、あの娘は、そんな崇高な願いを、抱いていた、ってのか。
人が人を殺し、奪い、傷つけ合い、更には食料として喰うような、この世界で。
その事実に……俺は本気で覚悟を決める。
ちょっと前の……あの少女の願いを叶えると言うのは、正直なところ、ただ勢いで口から出まかせを告げた感が拭えない。
勿論、彼女の願いを叶えたいという気持ちは本当だったのだが……それをどう実現するかなど、深く考えてはいなかったのだ。
正直、「この権能を使えば何とかなるだろう」という程度の気持ちだった。
……だけど。
女神そのものとも言える彼女の願いは……俺の全身全霊を賭しても叶える価値がある、んじゃないだろうか?
──なら、必要なものは、まず、何だ?
「……堕修羅・よ。
俺は、連中の指揮を・執ってくる。
お前は・俺たちの家に・帰っていてくれ」
考え出した俺を見て、ベーグ=ベルグスはそう告げると、俺に背を向け、近くの怪我人のところへと走り去って行った。
恐らく……俺が真剣に何を考え始めたのか、察したのだろう。
その上で、付き合ってられないと感じたのか、それとも族長代理としての立場を優先したのか。
俺は立ち去って行く巨漢と、その周囲の『仮面』の一族の姿を眺めながら……自分が何をすべきか、真面目に考え始めたのだった。