参・第四章 第三話
……だって、そうだろう?
こんな光景、あり得ない。
いや……あって良い、筈がない。
人間を喰らう怪物は……いや、俺の権能が生み出した蟲は、その辺りに擬態して『聖樹の民』へと襲い掛かっている筈で……
その蟲が、こんな……
こんな、少女の姿を、している、なんて、こと……
「……ミル?」
思わず、俺は、その少女の姿をしている「何か」に、声をかけていた。
俺が、その少女の名だと認識していた……その名前で。
その呼びかけで、俺のことに気付いたのだろう。
少女は……いや、少女の姿をしたその「何か」は、こちらを振り向く。
「……っ?」
そうして暗がりの中、その場に座り込んでいたミル=ミリアを……いや、ミル=ミリアだと俺が認識していた「何か」の顔を見た瞬間。
俺の口からは、ただ吐息だけが零れ出ていた。
俺は眼前の、その光景を否定したくて、何か言葉を発しようとしたのだが……生憎と口を開いても、零れ出た呼気は声にならなかったのだ。
それも、その筈……だろう。
少女の顔からは……少女だった筈の「何か」の、頭と、口と、左の眼窩からは……俺の足ほどの大きさの蟲が、はち切れんばかりに飛び出していて。
足元に転がっていた数名『泥人』の、臓腑を……恐らく口から出ている方は小腸を、左目から出ている方は肝臓を、そして頭から這い出している方は心臓を、それぞれその口腔周りの大きな牙を使い、血と肉片をまき散らしながらも貪り食っていたのだから。
「ああ、アル=ガルディアさま。
御見苦しいところを、お見せ、しました」
俺の姿を認識したらしき少女の姿をした「何か」は、そう呟く。
……さっきまで小腸をずるずると噛み千切っていたその蟲の口で。
……朝、俺と食事をした、そのままの声で。
「……あ、あ?」
その事実が俺に『現実』を突きつける。
この訳の分からない生き物が……朝まで俺の名目上の婚約者をやっていたミル=ミリアそのものだという『現実』を。
それを認識した所為、だろう。
俺の足は思わずその化け物から遠ざかろうと動いていた。
「……どうされ、ました?
私は、ただ、食事を摂っている、だけですのに」
そんな俺の内心が理解出来ないのだろう。
少女の姿をしたその「何か」は、小首を傾げながら……いつか見たミル=ミリアと寸分違わぬ仕草をしてみせながら、俺へと歩み寄る。
そうして近づいた所為で、その「生き物」が、一体どういう状況なのか……俺の目がその全体を捉える。
──何、なんだよ、コレ、はっ!
身体全体は、少女だと思い込んでいた時の……ミル=ミリアのソレとそう大差ない。
ただ、少女の左眼窩から、頭部から、口から、右手から一匹ずつ、……そして、縦一文字に裂けた胸の穴から六匹の蟲が顔を出している。
そうしている内に、少女の頭部から……右上の頭蓋骨の亀裂から這い出していた蟲が、心臓を喰い尽くしたのか、一つ大きく飲み込むように収縮すると。
そのまま、器用にも頭蓋の中へと姿を消し……
次の瞬間には、蟲が這い出していたその大穴は、今朝と寸分変わらないミル=ミリアの頭に「見えた」。
──擬態、能力っ!
それを見た俺は、先日、聖樹の根元で蟲と対峙した時、蟲が木の根へと擬態し、そこに存在しているかどうかすら分からなくなっていたことを思い出す。
つまり……そういうこと、なのだ。
俺が名目上の婚約者だと思って受け入れ、寝食を共にし……
……流石にベッドまでは共にしなかったとしても……半ば、とは言わずとも三分の一くらいは一緒に暮らしていた、ミル=ミリアは。
こうして蟲が内部に寄生する、ただの少女の姿をした……「蟲の棲み処」でしか、なかったのだ。
「……嘘、だ」
否定の言葉を俺の足は、知らず知らずの内に眼前の少女……いや、少女の姿をした「蟲の巣」から遠ざかるように動いていた。
「何が、ですか?
アル=ガルディアさま?」
そんな俺の態度を訝しむように、ミル=ミリアだった筈の「蟲の巣」は、俺へとゆっくりと近づいてくる。
……今朝までと、全く何も変わらない様子で。
その事実が……俺の身体を眼前のソレから更に遠ざけてしまう。
その所為、だろう。
ふと気付けば……俺の身体は薄暗い小屋から出てしまっていた。
そして、ミル=ミリアの姿をした「ソレ」も、俺を追いかけて小屋から姿を現す。
……酷く欲深いのか、それとも余程腹が減っているのか……胸の大穴から出た六匹の蟲が、それぞれ『泥人』の足や手を咥えた姿のままで。
背後では何かが騒ぐ物音がするが……今は、耳に、入らない。
「……い、いつから、こんなっ!」
この眼前の現実を認めたくない所為だろうか?
俺の口が、そう動く。
「いつから、とは、どういう意味、ですか?」
「この少女の死体を見て、本気で怒り狂っていたのは、貴方様、でしょう?」
「だから、私たちは、気を利かしたのです。」
「私たちの主である、貴方様の、心痛を取り去ろうと」
そう問いかけていながらも、ミル=ミリアの姿をした蟲の巣が……いや、ミル=ミリアの死体に巣食った蟲共が次々に告げるその回答を聞くまでもなく、俺はその答えを知っていた。
……そう。
俺は確かに、あの時に見たのだ。
この世界に召喚された時、ミル=ミリアが……彼女の胸が縦一文字に切り裂かれ、心臓が抉り出されていた、あの光景を。
今、蟲が湧き出している胸の傷跡を見て、俺は見間違いだと思っていた……いや、見間違いだと思い込もうとしていた、あの血まみれの中で横たわる少女の姿を思い出していた。
──でも、蟲なんて……
首を振ってその光景を振り払おうとした俺だったが……実のところ、その自問に対する答えをも持ち合わせていた。
あの時俺は、少女を嬲り殺した『泥人』共への怒りで、心の赴くままに『蟲』を顕現させ……あのクソ共を喰らい尽くさせた。
その後、用済みとなった蟲に対して「消し去れ」と命じ……その直後、確かに蟲が『四散した』のを見届けたのだが……
「……そうか。
あの時……ミル=ミリアの死体に、入った、のか」
「……ええ」
「あの時の私たちは貴方様からの権能を断たれ、消える寸前でした」
「だからこそ、私たちは生きる術を模索したのです」
「貴方様の役に立てば、消されることも、なくなるだろうと」
言われてみれば……先日対峙した蟲も同じだった。
俺が殺意を込めて一撃を振るったというのに、まだ分裂して逃れようと……主である俺が放った「死ね」という命令より、己の生存本能を優先して動いていた。
この蟲共は……そういう生き物なのだ。
それは……何とか、理解した。
まだ納得はしていないし、信じたくない気持ちの方が大きいのだが……ここまで状況証拠が揃うと、そしてこんなミル=ミリアの姿を見せられると、理解せざるを得ないだろう。
……だけど。
「だが、何故、喰らったっ!
ここの、住人をっ!」
ここ数日で『聖樹の民』が犠牲になったのを目の当たりにしていた俺は、住民殺害の加害者に向けてそう叫ぶ。
確かにこの化け物なら……少女という「棲み処」に巣食う蟲ならば、蔦に巻きつくことでこの聖樹の上にある不安定な街を好き勝手動き回れるだろう。
樹に、少女に擬態すれば、誰からも疑われず……そしてミル=ミリアの脳を喰らうことで知識を得たのか、少女の記憶があるこの蟲共ならば、孤立した家の住人を探し当てることも、そう難しくはなかった筈だ。
──ああ、そうか。
そこで俺は、思い出す。
この『聖樹の都』へたどり着くまでの間、ミル=ミリアの動きや発音がおかしかったことを。
アレは……少女の身体に巣食い始めた蟲が、上手く身体を操れなかった所為、だろう。
そして、記憶も今一つあやふやに見えたのも……恐怖や薬の所為だと思い込んでいたそれらの行動も、そうして理由が分かってしまえば、妙に納得できる。
……出来てしまう。
「どうしたっ!
早く、答えろっ!」
身体の奥底から湧き出すような激情に任せ、俺はもう一度問いかける。
眼前の……少女の身体に巣食う蟲目がけて。
ミル=ミリアの形をしたソレは、少し言いにくそうに……蟲にそんな感情があればだが、躊躇った後、左眼窩から出た蟲がその口を開いた。
「……貴方様からの権能が断たれているから、ですよ」
「無慈悲で残虐非道の、我々の主よ」
胸の大穴から出ている蟲の一つが、続けて口を開く。
牙だらけの蟲の口が、どうしてそう上手く声を上げられるかは謎のままだったが……少女そのものの声が、そこからは放たれていた。
「私たちは、生きるため、喰らって生きるしかないのです」
「我々も、死にたくないのです」
「我らの神である貴方様の手によってとは言え、我らは命を受けたのですから」
同じく胸から出ていた別の蟲が、そう言葉を繋げる。
……まるで、創造主である俺に懺悔するかのように。
「……くっ?」
蟲たちの吐き出す、自分勝手な……だけど、「死にたくない」という当たり前の執着を剥き出しにしたそれらの声に、俺は反論を封じられてしまう。
何しろ……この蟲は、俺が生み出したのだ。
あの時、『泥人』共を殺そうとして。
そして、この蟲は……俺が殺そうとしたのだ。
あの時、『泥人』共を駆逐して、もう用済みになったから。
だからこそ、俺に何かが言える訳もない。
身勝手なのは……お互い様、なのだから。
「それに……貴方様自身が、こんな聖樹とかいう……貴方自身と相反する場所で無理に暮らそうとなさるから」
「こんな……権能を封じられ、削られるような、酷いところで」
「私たちも、ここでの活動はかなり厳しく……普段より大量の餌が必要となります」
「貴方様と触れ合っていれば、その御身体から溢れ出す権能のお蔭で多少はマシになったのですけれど」
蟲たちが次々と告げる言葉を聞いて、俺はようやく理解した。
この世界に来てから……破壊と殺戮の神ンディアナガルの権能が不調だった理由を。
……いや、あの洞窟では確かに、『泥人』の振るって来た石斧を、平然と首で弾き返せていたから、この『聖樹の都』にたどり着いてから、か。
──この『聖樹』の所為だった、のか。
そうして意識てみると分かるが……この場所は聖なる力と相反する破壊と殺戮の神にとっては『毒』の中に等しく……要は、聖剣でじわじわと身体を削られているようなものだ。
尤も、二つの世界を殺し尽くし、二柱の創造神と蟲皇ンまで殺した今の俺は、そんなレベルを遥かに超越してしまっていて、聖剣如きでどうにかなる存在ではない。
そんな訳で俺の身体は、ただ「ちょっと権能の調子が悪い」程度しか影響を受けなかったのだ。
尤も、だからこそ俺は、この『聖樹』そのものが自分に悪い影響を与えているだなんて、考えもしなかったのだが。
そして、その悪影響は俺だけに留まらず……俺の権能によって生み出された蟲たちにも、同じように危害を加え続けていたのだろう。
──道理で、ミル=ミリアが俺にべたべたと触れて来た訳だ。
アレは……俺の権能の「余り」を求めていたのだ。
俺はてっきり、残り少ない命を恋愛ごっこに……婚約者ごっこに費やそうと必死になっているなんて、平和なことを考えていたのだが。
どうやら彼女は……いや、彼女の形をしたこの蟲共は、そんな生温い理由じゃなく、もっと切実な命に直結する理由でベタベタくっ付いてきていたらしい。
男のサガとはいえ……僅かでも少女にくっ付かれて「悪い気はしない」なんて思っていた自分が恨めしい。
「でも、そんな場所にいるというのに、貴方様は栄養にすらならぬ、聖樹の実ばかりを喰らい、聖樹に毒された水を飲み続けました」
「だからこそ、貴方様の身体は訴えていた筈です」
「……もっと、栄養を寄越せ、と」
「……っ!」
ミル=ミリアの声に俺は反論の言葉を持たなかった。
……いくら食べても腹の膨れない聖樹の実に苛立っていたのは、他ならぬ俺自身だったのだから。
その所為か、ずっと「食べたい」「食べたい」と念じていた。
何度も何度も何度も何度も……肉が食べたい、と。
「そうして貴方様の空腹を満たすため、私はこの世界の住人を喰らい続けました。
全ては、貴方様のために……」
その言葉を聞いた俺は……たまに飢えがふと消える、不思議な瞬間があったのを思い出す。
あれは、コイツが餌を……『聖樹の民』を喰らい、どういう手法を使ったかは分からないが、俺へと栄養を送ってくれたお蔭、なのだろう。
「お、おいっ!
あの化け物が出たのは、アイツの所為だってか?」
「やはり、堕修羅っ!
死と破壊と混沌をもたらす、疫病神だっ!」
「ま、まって下さい。
もう、少しだけ話をっ!」
背後で何かが聞こえる。
恐らく、そっちにも注意を向けなければならないのだろうが……今の俺は、それどころじゃない。
眼前の少女から……少女の姿をした「蟲の巣」から目を離すことも出来ないまま、俺はただ立ち尽くすだけだった。
俺の脳みその処理速度では……さっきから入ってきた情報を整理するのが追いつかない。
──いや、違う。
未だに俺は、理解したくないのかもしれない。
俺が婚約者だと……名目上だけの存在で、扱いに困っていた少女が、実は自分の権能で生み出した蟲の棲み処になっていた、だなんて。
ただ……一つだけは、分かっていることがある。
──俺は、正義を、為す。
……そのためには、何をすべき、だろう?
ここで生きるために『聖樹の民』を食い殺し続けた、蟲を、生かすことか。
同族を、友人や同僚や家族を失った背後の『聖樹の民』たちの安心安全のために、この眼前の蟲共を屠ることか。
──結論なんて、考えるまでもない、か。
俺は、ただ正義を為すために……今までの過ちを繰り返さないためだけに、この世界に来たのだ。
だったら「どうするべきか?」なんて……それこそ、考える必要すらないだろう。
そう考えた俺は、知らず知らずの内に右拳に力を込めていた。
「……私たちを、『また』殺す、つもり、ですか?」
たったのそれだけの動作で俺の選択を理解したのだろう。
……いや。
もしかしたら、俺の権能で生み出されたからこそ、俺の意思が読めるのかもしれない。
と言うか、そうでなければ……離れていた時に何故俺が空腹を感じているかを、コイツらが理解出来る訳がない。
つまり、俺とこの蟲共には……何らかの繋がりが存在しているのだ。
──それでも。
それでも……俺は、正義を為さなければ、ならない。
そうしないと……俺が、ここに来た意味すら、なくなるのだから。
「私たちは、こんなに……御為に尽くしてきたというのに」
「貴方様の食欲を叶えるため、獲物を次々と狩ったというのに」
「貴方様の傷を手当し、意味がないとは知りつつも貴方様のためにお食事を用意し、貴方様のためにこの身体も出来るだけ維持を……」
次々と命乞いのような言い訳を口にしていた蟲共は、そう告げたところで……何かに気付いたかのように、動きを止める。
そして、そのことを俺が訝しむ間もなく……蟲たちが、ニヤリと笑った。
……そんな、気がした。
「……ああ、申し訳ありません」
「私たちも、生まれたばかり故……そのことに、気付きませんでした」
胸の大穴から這い出ていた蟲たちは、口々にそう告げると……少女の胸の中へと戻って行く。
体積とか容量とかがどうなっているか悩む暇もなく、蟲共は胸の穴へと戻って行き……気付けばそこには、ただ上半身の服をはだけて真っ白な胸元を見せているだけの、ただの少女が一人佇んでいるだけになっていた。
──なっ?
そのミル=ミリアの姿に……蟲共の擬態の巧さに、俺は絶句することしか出来ない。
「お、おい、あれ……」
「あんなの、どう、見分けろってんだ……」
俺の動揺が感染したかのように、俺の背後でも驚愕の声が湧き上がる。
……いや、これくらいは出来て当然なのだろう。
この数日の間、俺は眼前の少女が蟲共に寄生されている死体だったなんて、気付くことすら出来なかったのだから。
そうして俺が少女の擬態をした蟲共の前で立ち尽くしていると……ミル=ミリアの形をした蟲共は、ゆっくりとその手を動かし、スカートの中に手を入れ……
穿いていた下着を、ズボンごと脱ぎ去ってしまう。
そのまま、左手で上着を掴むと、その「傷一つない胸元」が……いや、殆ど膨らんでいないその胸の天頂部がギリギリ見えない限界まで俺へと見せつけるように、大きく開く。
右手は太ももが隠れるほど長い上着の裾を握り……そのままゆっくりと、太腿の付け根が見えそうで見えないギリギリまでたくし上げる。
蟲が何故そんな煽情的な行動を取れるのかと言えば……恐らくは、俺と繋がっている「何か」から、俺の嗜好を読み取った所為、だろう。
そのまま、相変わらず端正な、だけど無表情の顔のまま……少女は口を開く。
「さぁ、どうぞ、この生娘の身体を、お使い下さい、我らが主よ」
「ああ、大丈夫です。
こんなこともあろうかと、膣だけは鮮度を保った、生身です。
生きていた頃と、そう変わらない感覚のままでしょう」
「私たちは、貴方様の権能により生み出された存在。
貴方様が望むことなら、なんでも叶えます。
ですから、私たちの存在を認めて下さい」
「どうか、殺さないで、下さい。
……我らが主よ」
ミル=ミリアは……いや、少女の身体に巣食う蟲たちは、俺に向けて……
……そう、告げたのだった。