参・第三章 第六話
俺が降り立った先……聖樹の根元を一言で言うならば、死屍累々と表現するのが一番正しいのだろう。
血の池屍の山、と言った方が正確かもしれない。
透明で清らかだった湧水は、『泥人』たちが踏み荒らして行った所為か、それとも落ちて来た死体の所為か、泥と血でブキミなまだら模様に染まってしまい……
周囲には上から落ちて来たらしき死体が臓物や脳漿、肉片をぶちまけて転がっている。
その所為か、辺り一面には血と臓物臭、中身に詰まっていたらしき糞便の臭いが混ざり合った、とてつもない刺激臭が立ち込め……もし俺が、今日初めてこの『聖樹』へと訪れたとしたら、俺はこの樹が聖樹と呼ばれているなんて信じやしなかっただろう。
──まぁ、無理もないよなぁ。
あれだけの激戦があったのだ。
俺自身、この手で十を超える『泥人』を樹から叩き落としたり、直接挽肉へと変化させた覚えがある。
それ以外にも、カル=カラナム率いる一番隊、ミゲル=ミリアム率いる二番隊の一斉射、そして俺が脅した所為でうっかり突き落されたヤツも十数名いたのだ。
それらの『泥人』たちは、こうして十メートル強もの距離を落下し……重力加速度によって見事に肉塊へと化したのだ。
ここら辺り一帯でそれだけの死骸が、大地に叩きつけられた衝撃によって見事に潰され……皮膚の中身を外気に曝け出しているのだ。
……血の臭いや臓物臭がして当たり前というものだろう。
──ん?
っと、そうして俺が周囲を見渡していると……微かに動く気配があった。
「ぅ、ぅぅうううう……」
恐らく、この根元付近で矢を喰らったのだろう。
矢に身体を射抜かれながら、まだ生きている『泥人』の姿が目に入る。
とは言え、もはや激痛にのたうち回る気力もないのか、ただ俯いて傷口を押さえ、呻いているだけに過ぎなかったが。
「っと、ウザい」
俺はソイツへのせめてもの慈悲として、権能を込めた右足でその頭蓋を踏み砕くと……そのままカル=カラナムを始めとする一番隊が走り去った方角へと足を向ける。
「……これ、は……」
正直、聖樹から離れた一番隊の連中をどうやって追いかけたものかと考えていた俺だったが……それは杞憂に過ぎなかったらしい。
何しろ、そこから先はポツポツと、後頭部や背中を射抜かれて即死したらしき『泥人』の死体が転がって、行く先を教えてくれていたのだ。
──追跡を知らせるご飯粒じゃあるまいし……
その殺伐とした目印に俺は肩を軽く竦めると……近くに落ちていた石斧を広い、死体の並んでいる方向へと歩き出した。
たまに射抜かれたまま哀れにも生きているヤツがいたが……そういうヤツは適当に石斧で頭蓋を叩き割って脳漿をぶちまけることで、痛みから解放してやる。
まぁ……行きがけの駄賃、というヤツだ。
どうせのまま寝ころんでいても、出血多量で死ぬか……それとも『聖樹の民』によって縛り首にされるかの違いしかない。
だったら、ここであっさり殺してやるのが慈悲というモノだろう。
──っと。
そうして俺が三度目の介錯をしてやった時だった。
ふと眼前に、十名ほどの弓を持った男たちを発見する。
顔を覚えてはいないが……服装と手にした弓からして、俺が追いかけていた一番隊の連中に間違いないだろう。
全員が全員、俺が来たのとは反対の方角……つまり、『泥人』たちが撤退して行った方角を眺めたまま、何やら顔を突き合わせている。
その上、彼らは気配を隠すようにただ縮こまってばかりで……
「……おい?」
不審に思った俺は、思わず一番隊の連中に向けてそう声をかけていた。
「「「うぎゃあああああああああああああっ?」」」
そんな俺の声に返ってきたのは……一番隊の面々による、周り一帯に響き渡るかのような絶叫、だった。
大の大人が恐怖に慄く顔は……まぁ、正直、あんまり見ていて楽しいものじゃない。
「ひぃ、ひぃっ! くそっ!
せめて一矢っ!」
「ああ、素直に、殺されてやるものかっ!
……って、何だ、堕修羅か」
次の瞬間には、怯える一番隊の連中は、背後に現れた俺に向けて各々が弓を構えていた。
いや……より正確に表現すると、彼らは弓「だけ」を構えていた。
どうやら追撃の途中で矢が尽きてしまい……だからこそコイツらは、こんなところで固まって動けなくなっていたのだろう。
幾ら弓が得意だとは言え……いや、だからこそコイツらは、矢がなくなった瞬間に無力化してしまったのだ。
その上、こうして聖樹から降り、地の利を失ってしまった以上……彼ら『聖樹の民』は、仮面の部族と相対してしまえば、為す術なく狩られるだけの、ただの一般人に過ぎないのだ。
──ったく、情けない連中だ。
いつぞやに映画で見た、拳銃を手にして大暴れしていたチンピラが、銃弾が尽きた途端にビビッて逃げ回る……そんな脇役の生き様を思い出してしまうほど、一番隊の面々はその手の雑魚と酷く似た行動を取っているように思える。
そんなことを考えた俺は、怯えている連中を嘲笑ってやろうと見回し……ふと気付く。
見慣れた顔が……一つ足りてないということに。
「……おい?
あの威勢の良い隊長はどうした?」
「ああ、カル=カラナム隊長はもっと奥へ行ってしまったんだ。
……ここから先は、腐泥も濃くなっていくというのに」
「隊長……奥さんに逃げられて、随分と頭に血が上っていたから……」
「俺たちの制止も聞かず、飛び出していったんだよ。
だから、俺たちはこうして……帰ることも出来ず……」
一番隊の面々は未練たっぷりに枯れた木々の向こう側……腐泥に覆われた世界を眺めながら、悔しそうにそう呟いていた。
──なるほど、な。
その言葉を聞いた俺は、一番隊の評価を少しばかり加算することにした。
勢い任せに突っ走ってきたのは違いないにしても……それでも、コイツらが『聖樹の都』へと戻ろうとしないのは、カル=カラナム一番隊隊長の身を案じているからこそ、なのだから。
尤も……腐泥への恐怖と、『泥人』への恐怖を振り払えずに、こうして立ち尽くしている以上、恰好良いとはお世辞にも言えないのだが。
「すまん、堕修羅。
隊長を……頼めるか?」
「矢の尽きた俺たちには……もう、戦う術がない。
でも……お前なら……」
そして、そんな連中は、当然のように唯一の希望へと……即ち、腐泥の中から平然と現れ、『泥人』たちとの近接戦をこなして見せたこの俺へと縋りつくことで、幽かな希望を繋ぐことにしたらしい。
正直、俺自身はあの怒鳴り散らすカル=カラナムとかいう男の生死に興味などはなかったが……まぁ、こうして頼まれた以上、無碍に扱うのも目覚めが悪い。
「……善処する」
結局俺は一番隊の面々にそれだけを告げると、石斧を手にしたまま、腐泥の中に……彼ら『聖樹の民』が足を踏み入れることすら厭う地獄の中へと、再び足を踏み入れたのだった。
そうして、一番隊の連中から離れて五分ほど経った頃、だろうか。
「……変、じゃないか、これ?」
泥の中に転がっている死体を眺め、俺は思わずそう呟いていた。
何しろ……あちこちに散らばっている『泥人』の死体は、身体中に泥を塗りたくり、顔を奇妙な仮面で覆っているのは事実なのだが……
どう見てもその死体の身体は小さく……デルズ=デリアム並か、それ以下の餓鬼の死体としか思えなかった。
その上、手には武器すら持たず、近くには武器らしい物すらも落ちておらず……首を射抜かれて死んでいる。
──どういう、ことだ?
近くに転がっていた木綿の袋には、ただ毛根やら枯れた葉っぱやら種やらの、ゴミが集められていて……
その死体をじっと眺めた俺は……しばらくして、一つの仮説を思いつく。
「……もしかして、寄せ集め、だったのか?」
考えてみれば……幾ら『仮面』の部族が最大級とか言っても、この腐泥ばかりの地獄で、そんなに大勢の人間を養っていける筈がない。
兵団を運用するには、その大勢の無駄飯喰らいを養えるだけの、食料が……生産力が必要なのだ。
『聖樹の民』と『仮面』の部族の間に……そこまで大規模な兵力差があれば、今までの間、『聖樹の民』があの街を守り通せる筈がない。
つまり、二つの部族の間には、生産力にそう大きな差などある筈がない。
なのに……『仮面』という名の『泥人』の集団は、あの大軍団を動員出来た。
その理由も、こうして考えてみると、容易に想像がつく。
──女子供老人まで、全てを動員したから、か。
……恐らく、『仮面』の部族は今回の侵略に全てを賭けていたのだろう。
二度と帰れない覚悟で、全員を動員し……圧倒的な数で押し切る作戦だったのだ。
彼我の戦力差を考えた上で、的を散らして『聖樹の民』が保有している矢を使い切らせる……即ち、物量戦を挑んできたのだろう。
──だが、『聖樹の都』には俺がいた、と。
物量も作戦も膂力一つで粉砕してしまう破壊と殺戮の神の存在までは、流石の敵も予測できなかったらしい。
だからこそ、ベーグ=ベルグスが殿を務め、命懸けで踏ん張っているにも関わらず、『泥人』たちはあれほど敗走に手間取り……
──こうして追撃を喰らい、非力な餓鬼が矢の餌食になっている、という訳か。
外れた面の隙間から絶望と苦痛を張り付けた形相が伺える、その小さな死体から目を逸らすと……俺は再び前へと歩き始める。
そこから先も……まぁ、似たような感じだった。
カル=カラナム一番隊隊長は意外と接近戦も出来るのか、石槍で突き刺されて死んでいる老婆っぽい死体や、矢で後頭部を射抜かれた十歳にも満たない死体など。
あの男が嫁に逃げられたという怒りのまま、好き勝手に殺し続けたのが伺える。
周囲には相変わらず薄霧が立ち込め、遠くが見渡せないのも、一番隊隊長がたった一人で進撃を続けられた理由だろう。
「……ったく、どこまで行ったんだか」
徐々に血と臓物臭よりも腐泥の……糞便と屍臭と汚泥の臭いが混ざり合ったような、吐き気を催す臭いが勝って来たのを感じつつ、俺はそう愚痴る。
その疲れの所為か、それとも周囲の臭いの所為か……俺はもうカル=カラナムの安否なんてどうでも良くなってきていた。
はっきり言って足元の腐泥は臭いし気持ち悪いし……ミゲルがああして血を吐いたところを目の当たりにした直後だと、正直、こんな汚らわしい泥になんざ、指一本でも触れたくない。
……幾ら破壊と殺戮の神ンディアナガルの権能に守られているのを知っていたとしても、湧き上がってくる生理的嫌悪感はどうしようもないのだ。
と、そうして嫌悪感に心を折られた俺が、もういい加減その辺りの死体を『加工』して、適当な死体をでっち上げて帰ろうと周囲を見渡した……その時だった。
「……ぃゃ・ぁぁぁぁぁっ」
俺は、少し遠くの方で幽かな悲鳴が上がったを耳にしていた。
その声は仮面に覆われている所為か、少しくぐもっていたものの……何故か俺は、その悲鳴が少女のものだという確信があった。
──くそっ!
その悲鳴を聞いた途端、何故か落ち着かなくなった俺は、腐泥の感触も臭いも忘れ、その悲鳴の方向へと慌てて走り出す。
そして……見てしまう。
足を矢で射抜かれて動けなくなっている二人の小さな仮面の『泥族』……恐らくは少女らしき人影と。
その一人の上に馬なりになって、敵から奪ったらしき石のナイフを突きつけている、カル=カラナムの姿を。
「……お、おい?」
「……ああ、堕修羅か。
良いタイミングで顔を出しやがって。
仕方ないな。
……お前も、混ざるか? ええ?」
流石は一番隊の隊長というべきか……カル=カラナムの度胸はかなりのものらしい。
俺の姿を見ても動じることもなく、『泥人』の少女の身体に触れながら、薄ら笑いを浮かべ……平然とそう言い放つ。
その下卑た笑みに俺は嫌悪感を覚えるもの……俺は、コイツを助けに来たのだ。
「……待て、待て待て待て。
お前は、一体、何を、して、いるんだ?」
「こんなクソみたいな連中でも、穴くらいはあるからな。
……どうせ妻にも逃げられたんだ。
やりたいようにやらせてもらう……それだけだっ!」
行為を問う、と言うよりは自制を促すつもりの俺の声に、カル=カラナムは薄笑いを浮かべると……
下に敷いている仮面を被った『泥人』の少女の、腰巻を剥ぎ取ってしまう。
「ぃや・ぁぁぁぁあああ止め・止め・やめっっ!」
「ベル~っ!
ぅくぅ・ぁぁぁ~~~~っ!」
幾ら『泥人』と言えど、少女は少女に違いなく、そして腰巻の下には泥を塗りたくってはいないらしい。
肝心の部分はカル=カラナムの身体が盾になって見えないものの……そのお尻は白く綺麗な、紛れもない少女のソレだった。
隣にいる、足を射抜かれたままのもう一人の少女は、必死に動こうとするが……足を射抜かれているためか、助けに行くことすら叶わない。
「……ぃや・ぃゃ・ゃ……」
貞操の危機に怯えたのか、ベルとか呼ばれたその少女は必死に四肢を動かして、敵である『聖樹の民』から逃れようとするものの……足が射抜かれた身体では逃げることすら儘ならないらしい。
そんな微々たる抵抗を続ける少女の姿に……俺の中の何かが、疼く。
──確か、こんな光景を、何処かで……
見たことのない筈の、だけど身体の奥から湧き上がる確信が……この光景がとてつもなく生理的嫌悪を催すモノだと訴えている。
……すぐさま、この下衆を潰して、黙らせるべきだと。
「やかましいんだよっ!」
そして、少女のそんな些細な抵抗すらも、今の怒り狂っているカル=カラナムにとっては許せないものだったらしい。
足が射抜かれたままの少女の顔面を殴りつけ、黙らせる。
その瞬間……だった。
──っ!
俺の脳裏に突然、子供たちの惨殺死体が、浮かぶ。
帰ってきたテテニスの家で、強盗になす術なく殺されていた……俺たちを待っていた筈の、子供の姿、が。
そんな俺の前で、少女の抵抗がなくなったことを悟ったのか、カル=カラナムは着ていた服を脱ぎ捨てながら……
「ははっ、そうだ。
黙っていれば、良いんだよ。
てめぇら、なんざ、ただの、的に過ぎないんだか……」
下卑た声でそう告げる。
いや、そう告げようとして……だけど、この下衆は、その言葉を最後まで吐き出すことは叶わなかった。
何故、ならば……
……俺が握っていた石斧が、カル=カラナムの頭蓋を横薙ぎに叩き潰していたのだから。
「……やっちまった」
下半身の剥き出しにした、頭蓋の半ばが吹き飛んだ死体を眺め、俺は思わずそう呟いていた。
とは言え、後悔はしていても……間違ったことをしたつもりはない。
あんな下衆な光景を見せられたら……俺は、何度でも同じ選択を繰り返すことだろう。
「……どう・して?」
そんな俺を見上げながら、ベルとか呼ばれた『泥人』の少女……仮面の下の顔はどう見てもまだ中学生低学年という感じの少女が問いかけて来る。
だけど……俺でさえ分からない衝動的な行動を、敵の少女に向けて懇切丁寧に答えてやる必要もない。
俺は証拠隠滅を兼ねて、手に持っていた石斧を捨てると……カル=カラナムの死体の足を掴み、持っていくことにする。
──ま、『泥人』に返り討ちにあったって言えばいいか。
どうせこんな聖樹から遠く離れた奥地で、一人敵のど真ん中まで深追いをしてきたのだ。
目撃者もいない訳で……適当に誤魔化せば分からないだろう。
と、俺が踵を返した時だった。
「……貴様・どういう・つもり・だ?」
右肩と腕に四本の矢が突き刺さったままの、仮面を被った巨漢……ベーグ=ベルグスが、薄霧の向こうの枯れ木の影から出てきたかと思うと、殺気を剥き出しにしたまま俺を睨みつける。
どうやら、機を見てあの少女を助けようとしていたらしい。
──しくじった、か。
コンマ差で味方を殺すことになった俺は内心で舌打ちをするが……まぁ、殺してしまったものはしょうがない。
俺は開いた手で後頭部を掻きながら、口を開く。
「単に、下衆を見過ごせなかっただけさ。
そもそも俺は、『聖樹の民』なんかじゃないからな」
「なる・ほど・な。
……貴様は・堕修羅・か。
凶悪な戦闘力と、身勝手な正義感を行使する、好戦的な連中と伝え聞く通りだ」
俺の適当な答え一つで、俺が何者かを見抜いたらしく……ベーグ=ベルグスとかいう仮面の『泥人』はあっさりと俺の素性を言い当てやがった。
どうやらこの巨漢……戦闘力や判断力だけではなく、頭脳もかなりのものらしい。
「大丈夫・か、ベーグ=ベルグス。
怪我を・しているんだから、あまり・無理をするな」
「……っ、コイツ!
此処で遭ったが……」
っと、下手に睨み合いに気を取られていた所為だろう。
気付けば、周囲は数名の『泥人』によって囲まれていた。
──ちぃっ?
俺は足元に捨てた石斧を、視界の端で確認しつつ……内心で舌打ちを隠せない。
勿論、この程度の雑魚共が幾らいようが……破壊と殺戮の神ンディアナガルの化身たるこの俺には、それほど脅威にはならないだろう。
だが、この眼前に立ち尽くす……俺に怪我を負わせ得るベーグ=ベルグスがいるなら、話は別だ。
──どうする?
──無理やりでも、突っ切るか?
先ほどの戦いで突かれた咽喉への衝撃を思い出した俺は、歯を食いしばりつつ……それでも突破口を探そうと周囲に視線を向ける。
とは言え、泥に埋もれたこの足場で……そしてカル=カラナムの死体というお荷物付きで、逃げ遂せる自信など、俺にある筈もない。
……そんな俺の思考を読んだのだろうか?
眼前に立つ仮面の巨漢は左手を上げると……殺気に逸っていた『泥人』たちを制止する。
「しかしっ!
コイツは・仲間の・仇ですっ!」
「兄を殺した・コイツを・殺さねばっ!
我が一族の・面子がっ!」
とは言え、さっきまで殺し合いをしていた同士である。
幾ら、指揮を任されている『仮面』の巨漢とは言え……そんな左手一つで大勢の殺意を抑え切れる訳もない。
数人の『泥人』がベーグ=ベルグスの制止すらも振り切って俺へと跳びかかろうと走り出す。
俺はカル=カラナムの死体をその辺りに捨てると、両の拳でソイツらを迎撃しようと腰を落とし……
「お前らっ!
俺に、恥をかかせる気かっ!」
次の瞬間に響き渡った仮面の巨漢の怒声によって、心ならずも硬直させられしまう。
とは言え、近くにいた俺でさえも思わず身体が動かなるほどの怒声だ。
直接ソレを向けられた『泥人』たちは……完全に硬直してしまい、俺への殺意も恨みも忘れ、ただただ枯れ木の後ろ側へと逃げ去って行く。
そうして殺意に我を忘れた部下がいないことを確かめると、ベーグ=ベルグスという名の『仮面』の巨漢は、俺の目をまっすぐに見つめ……
「……何故・貴様が『弓』の連中に・肩入れしているか・知らぬが……
妹を・助けてくれた・ことには……礼を言う。
その恩に・報い……この場は・見逃そう。
だが・我らは・敵同士」
……そう、告げて来た。
「……ああ。
次に会ったら……その頭蓋、叩き割ってやるさ」
どうやら文明レベルが低く見える『泥人』たちの間にも……武士道精神や騎士道精神のような、戦士としての一定のルールが存在してるらしい。
……いや、このベーグ=ベルグスという漢だけが、その手の精神を持ち合わせているのだろうか?
とは言え、こうして恩によって俺が解き放たれたのは事実であり……
その巨漢は足を射抜かれた少女二人を担ぎ上げると……そのまま俺に背を向けて腐泥の中へと歩き去って行った。
──思ったよりも、言葉の通じる連中だったな。
俺はそのことに少し驚きを覚えつつも……
そのままカル=カラナムの死体を引きずってその場から離れることにする。
足元の腐泥は臭く、気色悪い感触を足へと伝えていて……ここから『聖樹』まで帰る最悪の道のりを連想させていた。
しかも……あの『聖樹』をもう一度登らなければならないというオマケ付きである。
「……腹、減ったなぁ、畜生」
俺は霧に覆われた天を仰ぐと……そんな愚痴を小さく吐き捨てたのだった。