第三章 第二話
……待つことしばし。
恐らく、一〇分も経っていないだろうその時間は、俺にとっては凄まじく長い拷問のように感じられた。
そうして俺がいい加減に焦れてきた頃、ようやく俺の部屋のドアが開かれ……
「~~~っ!」
入ってきたのは山羊の髑髏を被ったいつもの面だった。
期待した分、俺の落胆は非常に大きく、俺は思わずその山羊の頭蓋骨ごとチェルダーの頭を叩き潰そうと腰を浮かせかける。
そんな俺の動きを止めたのは、チェルダーが恭しく頭を下げた後に発した一言だった。
「では、伽の女性をお呼びいたします」
冷静に考えれば、顔も知らぬ女性をいきなり誰かの部屋に送りつけるような礼儀知らずを、俺を崇拝しているらしきコイツらがする筈もない。
俺は軽く息を吐き出して動悸を整えると、上げかけていた腰を再び床へと下ろす。
「……ああ、頼む」
俺は緊張を必死に押し殺して平静を装いつつ、何とかそう言葉を返す。
「はっ。今すぐ。
入ってこい。お前たち」
その言葉を受けて、十名ほどの女性が俺の前へと現れる。
正直、彼女たちの一歩一歩が、一人一人が並ぶ時間が落ち着かない。
水が絶対的に足りてないってことや、さっきまで食べていた食事が塩辛いというだけでなく、さっきからずっと咽喉が非常に渇いて渇いて。
……と言うか、緊張してしまって顔を上げることすら、彼女たちの顔を確認することすら出来ない。
これから『そういうことをする』と考えるだけで、足が笑い手が震え、相手の方をまっすぐに見ていられないのだ。
だから俺は、必死に床を……彼女たちの足先だけをジッと見つめていたのだった。
(初めて風俗店とか行けば、こうなるのかもしれないな~)
俺は緊張の中、自分の震える手元を見つめながらも、現実逃避気味にそんなアホなことを考えていた。
そうして、俺が初体験を迎えるべき相手が並ぶ。
(いっそのこと、全員とか)
吹っ切れたというか開き直った俺が、そんなハーレムアニメの主人公でも思いつかない結論を出し……
顔を上げた。
「……うぁ」
そして、絶句してしまう。
右から順に、四十代ほどの女性一人に、三十代後半のおばさんが三人、二十代後半が三人と……しかも、全員が全員、くたびれきった顔をしていたり、顔が腫れあがっていたり切り傷があったり。
その挙句、水が足りないからだろう。
……どの女性も完璧に肌が干からびまくっていて、皮膚年齢が顔の年齢に二〇ほど足した感じなのだ。
左端の女の子に至っては、まだ十代前半という幼さで胸もろくにない始末。
しかも顔の左半分を包帯でかくしていて……そこから見えるのは、どす黒く炭化した生々しい火傷跡で、視線は何処を見ているのか分からない有様だった。
十名もいる女性たちの中辛うじて俺の射程圏内のは……左から二番目の、二十代前半でかなり胸の大きな、その分少しばかりふくよかな女性だけ、という始末である。
外れの風俗店に入ったような気分に陥った俺は、溜息を一つ吐き、脳内でピンク色に輝いていたハーレム願望を捨て去った。
正直な話、十名から選ぶというより……一択以外にあり得ないのだが。
「……なら……」
俺がその少しばかりふくよかな女性を選ぼうと声を上げた、その時だった。
「待ってくれっ!」
部屋の入口から大声を上げながら、一人の男が入って来た。
腕に剣を携え、決死の表情をしているその顔には……覚えがあった。
「ロトっ!
貴様、我らが主に刃向うかっ!」
「黙れっ!
我が妻を返してもらう!」
そう。
部屋に入ってきたのは、先の戦闘で俺の副官を務めたロトである。
ロトはチェルダーの叫びに怒鳴り返すと、チェルダーに向けて威嚇の剣を振う。
左手には鉄で出来たような、×と〇を組み合わせた飾りを胸元に抱きしめている。
そんな彼のところへ走って行ったのは、これから我が伽を務める……ハズだった、少しふくよかな女性だった。
「ああ、ロト。
そんなことをしたら貴方まで!」
「構わない! たとえ神が相手でもっ!
お前を奪われるくらいなら、討たれて散った方がマシだ!」
そうして抱き合う二人。
(何だ、このメロドラマは……)
その光景を、俺は冷めた目で見つめていた。
さっきまで初体験への興奮と期待があった分、気分は冷め切っている。
言うならば『洋画がベッドシーンに突入しようという直前に、お袋が突如三流のメロドラマにチャンネルを変えた時の気分』である。
……しかし。
チェルダーを始め、黒マントの連中は自分たちの権威を傷つけられたと思ったのか非常に殺気立っているし、ロトも既に心中する覚悟を決めたのか、引く気が一切ない。
飯を食ったばかりで……しかも内臓のスープを飲んだ直後に血と臓物を見るのも正直気が進まない。
──何より、今の俺は無敵になれる鎧を着ていないのだ。
下手にこちらにとばっちりが来ても困る。
「……俺は、人妻には興味ないぞ」
杯で水を飲みながら、俺がそう告げると……場の空気が一変した。
「お、おい。お前たちっ」
何しろその場にいた女性が全て、チェルダーが止めるのも聞かずにホッとした雰囲気で部屋を出て行ってしまったのだから。
ロトでさえ俺に頭を大きく下げると危険地帯から慌てて妻を逃がすようにさっさと出て行ってしまう始末である。
……どうやらこの場にいた女性は、ほとんどが人妻だったらしい。
(ったく。チェルダーのヤツ、強引に集めてきたんだろうな~)
俺は内心でそう嘆息すると、冷めた視線のまま杯の水を飲み干した。
基本的にこのチェルダーという男は、俺というか破壊神の名を借りて権力を振りかざすようなヤツ、なんだろう。
──どう見ても邪教徒っぽいし。
しかし、人妻ばっかりとは、運がないというか、何と言うか。
……いや、違うか。
夫が兵士だからこそ彼女たちは優先的に食事を回され、逃げ延びる時も優先的に助けられ……だからこそ生き延びることが出来たというのが正しいのだろう。
もしかしたら、未亡人も妻を失った兵士とすぐに結婚してしまっただけかもしれない。
サーズ族自体がこんなギリギリの状況だから……頼る相手・縋る相手がなければ生きていけない訳で。
──ま、未亡人が人妻って名目で俺から逃げ出したのかもしれないけどな。
この集落に来てからの俺は、凄まじい力で虐殺を続ける化け物である。
女性としてはあまり近づきたくない、猛獣のような存在と思われているのかも……
──っと。よく見ると一人だけ余っていた。
よくよく見てみれば、顔半分が包帯で隠れた、一〇代前半の少女がまだ俺の視界の端に突っ立っていた。
流石にこの子は未婚だったらしい。
「……一人余りましたが、如何いたしましょう」
「俺は別に幼女趣味はないんだが」
正直、あまり興味を持てなかった俺はそう呟く。
エロいことをしたい気持ちは一杯なのだが、虚空を見つめ現状もよく分かっていないような幼女に悪戯をする気は欠片もない。
ちなみに俺の好みは胸が結構あってだけど身体はすらっと細くてだけどスタイル良くて、美女で男を立ててくれて処女で金持ちで俺にべた惚れって感じの、だな。
「そう、ですか。なら仕方ありませんな」
チェルダーはそう言うと、自分が何処にいるのだか分かっていないようなその少女の肩を掴み。
「おい。早急に潰すぞ。用意しろ」
と、近くの黒マントに指示を……
「って、ちょっと待て!
潰すって何だ、潰すって!」
「いえ。仕方ないのです。
コヤツはこの通り、前にべリア族の襲撃を喰らった時、母親と共に家ごと焼かれて以来、心が壊れたのか……この有様でして。
炊事も縫い物も……一人で食事も出来ませぬ故」
「い、今まではどうしてたんだ?」
「は。今までは父親が戦に出て自分の食糧を必死に分けていたようですが……無理が祟ったのか先日の戦いで戦死してしまいまして。
そうなった以上、もうコヤツを養うことなど、とてもとても」
俺の視線が少女の虚ろな瞳を見つめるなか、チェルダーは言葉を続ける。
恐らく、昼間の……あの銀色の戦巫女の突進によって討たれた戦士の中に、彼女の父親がいたのだろう。
「それに食糧もろくにありませぬ。
我が主の伽くらいならば務まるかとも思ったのですが、それも無理となると……
もう何の役にも立たぬコヤツなんぞ、口減らしと食糧確保を兼ねる以外……」
(……そう、か)
コレがこの時代の現実ということなのだろう。
今話題になっている生活保護の不正受給問題が如何に平和な問題で、そして、如何に冒涜的な問題であることか。
こいつらサーズ族は、食べるだけの食糧も残っていないから……働けないなら殺されて潰されて、食べられる側……肉になるしかないのだ。
現代社会において、そういう働けない人が助かるための取り分が生活保護であり、それを横合いから健康な人間が掻っ攫うってのは……働けない人を助けるための生活保護という社会の善意に泥をかけて汚すに等しい訳で。
っと。今は日本の問題を考えている場合じゃなかった。
「まて。やっぱりソイツを俺に寄こせ」
「しかし、コヤツはこの通りの……」
「……二度言わせるな。
取りあえず穴に突っ込めりゃそれで構わん」
「ははっ」
如何にも投げやりな、鬼畜な暴君を装った俺の言葉は……非常に不本意ながら、チェルダー他数名の黒マントたちには説得力があったらしい。
連中は俺に一礼すると、長居するのもお邪魔とばかりに立ち去っていく。
正直、俺には暴君なんて似合わないと思っていたのだが。
(……仕方ない、よな)
このまま連れ去られて肉にされるのを放っておくのも見過ごすのも後味が悪い。
「お前、名前は?」
「……」
俺の問いかけに返事は来ない。
彼女が『壊れている』というのは嘘偽りなさそうだ。
……しかし。
何も話さない、初対面の相手と二人きりというのは、正直気まずいにもほどがある。
話すこともなければ、することもないのだ。
しかも……暇をつぶす本もなければテレビもない始末。
「んと」
ふと興味を引かれて……と言うよりは、単に間がもたなくなった俺は少女の服をめくってみた。
パンツと言うよりはドロワースという感じの、野暮ったいあまり綺麗でない下着が目に入る。
同時に、食糧が足りてなくて逆に膨らんできているお腹と、全然肉付きの良くない太股、そして左側の肌にところどころ見える黒く爛れた火傷痕も。
反応を窺うように見上げた少女の表情は相変わらず何も映さず……包帯の下の火傷の痕が痛々しい。
「……はぁ」
一瞬でヤる気を削がれた俺は、溜息を一つ吐くと……毛布をかぶって寝ることにした。
そろそろ日も沈んできたようで、周囲はゆっくりと冷え込んできている。
灯りもろくにないこの社会では、窓からの光に頼らざるを得ず、夜更かしなんて原理的に不可能のようだった。
だというのに、少女は全く何の反応もせず、ただ中空を見つめたままだった。
「ったく。しょうがないなっ!」
流石に見かねた俺は、少女を自分の毛布の中に引きずり込む。
抵抗らしい抵抗もないまま、少女は俺の腕の中に抱きすくめられていた。
(ま、だからと言って何かがしたいとも思わないんだけど)
猫を抱いて寝るような感覚で俺は温かい少女の体温を感じつつ、目を閉じる。
昼間に戦争をしていたこともあり、俺の意識は一瞬で闇の中に沈んでいったのだった。