参・第三章 第二話
「射れぇええっ!
あの腐れ『泥人』共を、聖樹に近づけさせるなぁあああああっ!」
戦いの始まりは、至極地味な始まり方だった。
カル=カラナム一番隊隊長の叫びによって一番隊の面々が聖樹の上から、根元に群がる『泥人』たちへ一斉射を放ったのがきっかけなのだから。
尤も……その一斉射の効果があったかどうかは、よく分からない。
それほどに……聖樹の下へと寄ってくる『泥人』たちは大勢だったのだ。
正確な人数など数えられる訳もないが……恐らく数百を超えるほどの軍勢が足元に群がっているのが見える。
「……おお、うじゃうじゃいやがる」
手に木の盾や石槍、石斧などを持った『泥人』たちが約千近くも足元へと駆け寄ってくる様を見た俺は、思わずそう呟くことしか出来なかった。
とは言え、聖樹の通路は細長く……『泥人』たちが幾ら大勢いようとも、一斉に押しかけてくることなど、敵わないようだったが。
──なるほど、なぁ。
狭い通路で横合いから矢を喰らい、直下に墜ちていく『泥人』を見て、俺はようやく聖樹の通路が何故あんなに通り辛かったかを理解していた。
アレは……こうして防衛のため、わざと通り難い構造になっているのだろう。
つまり、俺がこの『聖樹の都』へと初めて足を踏み入れた時、よたよたと危なっかしい足取りになってしまったのは……そういう構造で造られている以上、仕方のないことだったのだ。うん。
そうして弓が使えない俺は、戦況をのんびり眺めていたのだが……俺と同じように最前線に出て戦う覚悟を決めたデルズ少年は、そうのんびりと構えてはいられなかったらしい。
「アレは、『泥人』たちの中でも、最大の部族……『仮面』です。
あ、あんな数相手に、どう、したら……」
震えながら呟くデルズ=デリアムの言葉通り、眼下に群がる『泥人』たちは、揃って変な泥を固めたような仮面を被っていた。
遠目で確認はし辛かったが……泥を焼いて固めたようなそれらの仮面は、二つとして同じ形はないように思える。
恐らく……アレこそが戦国武将の旗ように、自身の存在を証明する何かなのだろう。
──文化の違い、か。
それらの仮面の軍勢を眺めつつ、俺は軽く肩を竦めて見せる。
正直、こうして眼下に並ぶ数を直視すれば鬱陶しいことこの上ないが……この狭い聖樹の上で戦う以上、一対一以上の戦闘など不可能だった。
──だったら、楽勝なんだよなぁ。
破壊と殺戮の神ンディアナガルになりたての頃、塩の砂漠で数百のサーズ族を相手に一人で戦い抜いた経験を思い出し、俺は思わず笑みを零していた。
あの時は広大な砂漠であり、四方八方から攻撃を受ける戦場で数百の敵を相手にしたものだが……アレに比べると、この一対一でしか戦えない、細い聖樹の上という戦闘ステージは、何の脅威も感じられないイージーモードそのものである。
しかも、手元には十を超えるリーチの長い得物が揃っている以上……一対一で俺に攻撃を当てられる相手なんて、そうはいないだろう。
そうして俺が適当に掴んだ、青竜刀とかいう武器の使い勝手を試している間にも……戦況は徐々に変化し続けていた。
「射れぇっ!
矢が尽きるまで、射続けろっ!」
「先頭を狙えっ!
何としても食い止めるんだっ!」
「くそっ!
これ以上、近づけさせるなっ!」
一番隊、二番隊、三番隊の斉射によって、『仮面』の部族の兵士たちは徐々に数を減らしつつも……所詮は焼け石に水らしく、号令はいつの間にか悲鳴の様相を見せ始めていた。
──まぁ、そりゃそうだなぁ。
徐々に『泥人』が聖樹を駆け上がってくる様子を見ながら、俺は内心でそう呟いていた。
何しろ……そもそもの数が違うのだ。
しかも『泥人』たちは『盾』の部族ほど大きくはないものの、粗雑な木組みの盾を手にしていて……『聖樹の民』が放つ矢を防いでいる。
勿論、その直径一メートルほどの盾では降り注ぐ矢を全ては防ぎ切れないらしく、直撃を喰らって通路から堕ち、聖樹の根元に真紅の花を咲かせる哀れなヤツもいるのだが……数百の敵が一匹や二匹減ったところで、そう大きな影響などある訳がない。
──このままじゃ、押し切られる、な。
青竜刀を片手に戦況を眺めながら、俺は冷静にそう判断していた。
生憎と『聖樹の民』側は攻撃の手が足りず……『仮面』の部族とやらの足止めにすら失敗している有様である。
幾ら現在は地の利を得て一方的に射掛けられると言っても、そもそもの攻撃力が足りない以上……あと十分もしない内に、『聖樹の民』たちは接敵され、一方的に狩られる側に回ってしまうだろう。
──ま、この俺がいなければ、だけどな。
俺は眼前に迫ってきた『仮面』の部族に向けて同情の呟きを零しつつ……右手の青竜刀の感触を確かめていた。
……そう。
生憎と、俺とデルズ=デリアムが立ち塞がるこの幹を通らない限り……この連中は『聖樹の都』へと足を踏み入れることは叶わないのだから。
「弓を・使うしか・能のない・連中が……たった・二人で・立ち塞がる・とは。
……良い・度胸・だ」
一番先頭に立っていた腐泥を固めたような、薄気味悪い色の仮面を被った大きな男は、俺に向けてそう言い放ってきた。
この男は、よほど腕に自信があるのだろう。
矢を十本以上も受け止めていた木製の盾を足元へと置くと、石斧を手に構え……躊躇うことなく、俺の射程内へと一気に走り込んで来たのだから。
……だけど。
「……お前も、な」
男の賞賛に軽く賞賛を返すと、俺は手にしていた青竜刀の柄の先を握ると、右手一本でソレを軽く薙ぎ払う。
「その・程度っ!」
この大男は確かに、かなりの技量を持つ……素晴らしい戦士だったのだろう。
本気でなかったにしろ、俺の膂力によって放たれた斬撃に反応し、あまつさえその一撃を受け流して見せたのだから。
「おっと」
尤も……俺が放った一撃は右手一本で、しかも手加減して放っただけの代物でしかなく。
その上、俺はこうして受け流しを喰らうことにもいい加減慣れて来ていて……今さら驚いたり慌てたりすることもない。
受け流された青竜刀を、俺は柄の先を握っていた右手首の力だけで、強引に頭上へと持ってくる。
「なん……だと……?」
その光景を目の当たりにした仮面の男は、驚愕に目を見開いていた。
恐らく、身体を日常的に鍛え自分の限界を知る男にしてみれば、その俺の行いは、まさに非常識極まりない……悪い冗談の類に思えたのだろう。
事実、仮面の男は振り上げられた俺の青竜刀を呆然と見つめるだけで……ソレが振り下ろされ、己の頭蓋へと叩きつけられるまで、何の反応も見せなかったのだから。
「ぇぺっ?」
男の最期の声は、そんな間の抜けたものだった。
実際、青竜刀が頭蓋を砕く瞬間に、ようやく我に返ったらしき男が何か言葉を発しようとして……そのまま青竜刀先端の錆びた鈍い刃によって命を失ったのだから、仕方ないのだろうけれど。
兎に角、俺の放った青竜刀は、頭蓋を見事に縦に砕き、周辺に脳漿を飛び散らせた挙句。
刃筋が立たなかった所為か脊椎の左側を通り抜け、あばら骨から骨盤をあっさりと粉砕、股下へと飛び出し……
「っとと」
そのまま直下の聖樹の幹へと衝突し、またしてもへし折れてしまったのだった。
刃があまりにも錆びていた所為か、男の腹に収まっていた弾力のある小腸は刃の重量だけでは切断出来ず、聖樹の幹との間で潰されてようやく切断され……飛び出した後で千切れた臓物は、周囲に未消化の何かをまき散らす。
その臓腑の匂いと、クソみたいな何かの匂い、そして鮮血の匂いが周囲に立ち込め……聖樹によって浄化された綺麗な空気があっさりと汚染されてしまう。
「……ちぃっ」
その刺激臭に顔を歪めながら、俺は手元の青竜刀だったものを……今はただの棒切れと化した柄を睨みつけていた。
これではもう武器として役には立たないだろう。
たった一人を殺すだけで……武器を一本失っていては、あと二十人殺すことも叶わない計算になる。
──コレは……ヤバい、か?
今さらながらに俺は、この『聖樹の都』へ来てから、権能が不調で……『泥人』たちが持つ石斧でもダメージを受けてしまうという事実を思い出したのだ。
と言っても、俺が忘れっぽい訳ではなく……それほどまでに俺は、この破壊と殺戮の神ンディアナガルの権能による『無敵モード』に慣れ切ってしまっている、ということなのだろう。
俺は少しだけ気を引き締めると、残された柄を握り絞め……新たな武器を手にしようと僅かに一歩だけ後ずさる。
尤も……俺のその警戒は、ただの杞憂に過ぎなかったらしい。
「うわ・ぁあああああああああっ?
うげぇえええええっ」
「……化け・物・だ」
幸いにして『泥人』たちは、眼前で顔見知りが惨殺されたことに動揺していて、俺の武器の状態を気にするほどの余裕などないらしい。
仮面を被ったまま反吐を吐き散らす哀れなヤツや、惨殺死体に怯えて後ずさるヤツ、そして、動揺して震えるヤツなど……
常識外れの俺の一撃と、惨殺された哀れな男の残骸によって、『泥人』たちの進撃は完全に止まってしまっていたのだ。
そして……その隙を逃すほど『聖樹の民』たちもお人好しではない。
「今だっ!
敵は棒立ちだっ!
射れっ! 射れぇっ!」
ミゲル=ミリアム二番隊隊長の号令が鳴り響いた瞬間、動揺して動きが止まった『泥人』たちへの矢が一斉に放たれる。
「う・ぎゃぁああああああああっ!」
「目が・目がぁあああああっ?」
「うあ・うぁ、うああぁぁぁぁ……」
「ばか・やろうっ!」
動揺していた『泥人』たちにとって、狙い澄ましたミゲルたちの一斉射は絶大な効果があったらしい。
矢に貫かれ悲鳴を上げる者、激痛にのたうち回る者、矢から逃れようとした挙句、狭い幹から身を投げる者等。
俺という脅威に怯え後ずさっていた『泥人』たちが、意図せず密集していた分……その阿鼻叫喚の地獄は凄まじいことになっていた。
動揺が動揺を呼び、押され蹴られ突き通され……直下にある『聖樹の根』という名の凶器によって命を奪われていくのが見える。
まぁ、正直……足元遥か下にどういう光景が広がっているかなんて、見ようとも思わなかったが。
「流石っ!
ミゲル隊長っ!」
「気を緩めるなっ!
敵が混乱している内に、次、放てっ!」
遠くの幹では、二番隊らしきそんな声が響き渡っていた。
そちらの方へと視線を向けると……ミゲルの奴は仲間の賞賛を受けても笑み一つ浮かべることなく、苦々しげな表情を浮かべるだけだった。
──ま、そりゃそうか。
その表情を見た俺は、軽く肩を竦めて見せる。
何しろコレは……こうして近接部隊が足止めをした上での一斉射という戦術は、ミゲル=ミリアムが邪険に扱い、結局、聞き入れることがなかった、デルズ=デリアム少年が散々口にしていた代物なのだから。
実際、この場所に俺を案内したのはデルズ少年であり、彼ら二番隊をあの場所に配置するように手配したのは……やはりあの少年なのだろう。
「手柄だな、お……い?」
「……ぅ、ぅくっ」
その事実に背後を振り返った俺が目の当たりにしたのは……蹲ったまま必死に口を押えていた、デルズ=デリアムの姿だった。
……どうやら、吐き気を必死に堪えている、らしい。
恐らくはさっきの……『泥人』が真っ二つに開かれる姿を、こうして至近距離で目の当たりにした所為だろう。
──まぁ、無理もない、か。
いい加減俺は慣れてしまったのだが……眼前で人間の臓腑がぶちまけられる光景というのは、常人にはかなり衝撃的な代物のようだった。
俺自身は何が何だか分からず放り出された初陣……あの塩に埋もれた地獄のような場所で、ただ死にたくない一心で戦斧を振り回し暴れまくり、恐怖と殺意と疲労で何一つ考える余裕すらなく戦い続けている内に……
血も死体も臓物も脳みそも眼球も、何もかもが……こうして全く気にならなくなってしまっているのだが。
──ま、慣れだよな、こんなもの。
いちいち蚊を潰すことに躊躇う人間などいないように、家庭菜園をやれば害虫を殺すのに躊躇わなくなるように、釣りをやれば魚を平然と殺せるように。
血と臓物と死への耐性なんて……慣れ以外何一つないだろう。
戦場に行けば、その内人殺しへの抵抗なんてなくなるに違いない。
……この俺のように。
そうでなければ、死ぬだけなのだから。
──っと、そんなことを考えている場合じゃないな。
──次の武器は……
首を左右に振って要らぬ思考を振り払った俺は、背後の武器棚へと駆け寄り……適当な武器を手に取る。
本当に無雑作に俺が手にした武器は、先端が雷マークのようにギザギザになった、変な形の矛だった。
前に何かの漫画で見たことがある……確か、蛇矛とかって武器、だろう。
当然のようにその先端部は錆びていて、使い物になるかどうか微妙なところだったが……まぁ、それでもないよりはマシ、である。
尤も……こんな錆びた武器では、すぐにまたぶち壊れてしまうのが目に見えていたが。
「くっ!
コイツさえ・突破・すればっ!」
とは言え、狭い通路の上で矢で狙われ続け、背後は自軍で埋め尽くされている『仮面』の部族とやらにとって、活路は前……即ち、俺の方にしか見い出せなかったのだろう。
決死の覚悟を決めた一人が、俺に向かって跳びかかって来る。
「ちぃっ!」
武器の心許なさに舌打ちをしつつも、俺は手にしていた蛇矛とかいう武器を跳びかかって来た『泥人』目がけて振り払う。
力づくで振るった俺の斬撃を、見事にその『泥人』は手にしていた盾で防ぎ切っていた。
とは言え、武器を止めることは出来ても、空中の上では身体にかかる横合いの運動エネルギーに逆らうことは出来なかったらしい。
「うぉ、おおおおおぉぉぉぉぉぉぉ……」
跳びかかって来た『泥人』は、俺の蛇矛によって右へと運ばれた所為で、幹に着地することなく……情けない悲鳴だけを残し、そのまま帰らぬ人となっていた。
「てめ、ラス=レスタをっ!
畜生ぉおおおおおおおおっ!」
「ったく、いい加減っ!」
またしても跳びかかって来た、細長い変な仮面を被った『泥人』に向けて、俺は蛇矛を突き出す。
まっすぐに突き出した俺の突きは、受け流そうとした『泥人』の石槍を砕くと、そのままその胸元を突き抜け……
「……ふっ、ふぉぐっ?」
肺を突き破られた所為だろう。
その『泥人』は仮面の下から血を吐きながら、言葉にならない言葉を発したかと思うと……そのまま動かなくなっていた。
俺はその出来たての死体から蛇矛を引き抜こうと力を込め……
「……あ」
つい力が入り過ぎたのか、ギザギザの形をした先端の刃は、半ばで見事にへし折れてしまう。
まだ使えないことはないものの……そう長くは使えないのは明白だった。
「って、面倒だな、こりゃ」
へし折れた先端部から視線を逸らした俺は、徐々に動揺から回復し、統率を取り戻しつつある『泥人』たちの様子を伺い……
これからも続くだろう、手間がかかりそうな戦闘の予感に……軽くため息を吐くのだった。




