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【完結済】ンディアナガル殲記  作者: 馬頭鬼
参・第二章 ~『聖樹の都』~
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参・間章の一 ~聖樹の夜~


 分裂する蟲を狩り終えた俺たちが、しつこいほどに周囲を索敵し……日が暮れる頃になってようやく撃ち漏らした蟲はいないとの判断を下し。

 そうして各々が三々五々に解散した後。

 俺は、ミル=ミリアの部屋へと戻り……蟲を殴った所為で怪我をした右手の治療を受けていた。

 と言っても、もう血は止まっていたし、傷口もそう大きくはなく……はっきり言って、かすり傷以外の何物でもなかったのだが。


「うぉわっ?」


 名目上は『婚約者』となっている少女が、右手に触れ……その直後、右手に走った生暖かいぬるっとした感触に、俺は思わずそんな悲鳴を上げていた。


「……何か、おかしかった、ですか?」


 ミル=ミリアがそう尋ねてくるものの……どう考えても、その治療法は間違っているだろう。

 ……犬猫じゃあるまいし、舐めて怪我を治す、なんて。


「……そう、ですか」


 俺の無言の抗議に気付いたのだろう。

 ミル=ミリアは目を伏せると……小さな藁の編み籠を手に取ると、中から包帯らしき布を取り出す。


 ──なら、さっさとそっちを使ってくれっ!


 思わず俺は、そう声を荒げそうになるものの……

 ……まぁ、余命幾ばくもない、かもしれないこの少女には、彼女なりの「婚約者」に対する夢でもあったのかもしれない。

 そう考えると……こうして無碍に扱うのも少しばかり気が咎めてくるものだ。

 俺はため息を一つ吐き出すと……少女の治療行為に対して抗議の一切を諦め、身を任せることにした。

 実際……この程度のかすり傷なんて、放っておいてもすぐに治るだろうし、下手な治療をするくらい、別に嫌がるほどのこともないだろう。


「……こう、ですか?」


「大げさ過ぎるっての、ったく」


 勿論、治療と言っても包帯を巻くだけでしかないのだが……何となく婚約者になってしまったミル=ミリアという名の少女は、どうやら誰かの治療をしたこともないらしく。

 その上、あまり器用とは言えないタイプの女の子のようだった。

 何をどうすればこうなるかは分からないものの……気付けば大仰な包帯によって俺の右手は、まるで重傷を負っているかのようになっていた。

 その所為でちょいと不便ではあるが……まぁ、婚約者ごっこのついでだ。

 たまには怪我人の気分になるのも悪くはないだろう。

 とっくに血も止まった額の怪我にも包帯を巻かれ……


 ──ったく、こんな怪我なんかよりも……

 ──俺は、飯を食いたいんだけどな。


 顔の前で右左する、少女の幽かな胸から視線を少し逸らしつつ、俺は胸中でそう嘆息していた。

 とは言え……もう空腹のピークを通り過ぎたのか、さっきまで腹が痛むほどの飢えを訴えていた身体は、妙に落ち着いてしまっていたのだが。


 ──蟲と戦う前は、あれほど飢えていたってのに……


 人の身体ってのは本当にいい加減なものであると、俺は今さらに実感していた。

 尤も……今の俺の身体が、本当に人間のソレと同じモノなのか、今一つ確証は持てなかったが。


「……お役に、立てましたか?」


「……あ?

 ああ、まぁ、な」


 俺は重傷者へと成り下がった自分の右手を半眼で眺めながらも……少女の問いにそう頷くことしか出来なかった。

 勿論、ミル=ミリアに悪意があるならば怒るなり何なりという対処法も浮かぶのだが……

 残念ながら、目の前に佇む少女の様子は、どう見ても純粋に善意で動いているとしか思えず。

 その下手くそな善意を怒鳴りつけられるほど、俺は非道にも外道にもなり切れやしない。

 ただ、それでも「目は口ほどにものを言う」なんて諺がある通り……俺がその下手くそな包帯を眺める視線は、あまり良くないモノだったらしい。


「あの……お気に召さなかった、でしょうか?

 私は、役に、立ちません、か?」


 俺のその視線に気付いたのだろう。

 婚約者ということになっている少女は、俺から顔を逸らしながら……酷く傷ついたかのような声で、そう呟くのだ。

 相変わらず表情は全く変わらないままだったのだが……

 その声を聞いただけで、俺は軽い罪悪感に苛まれてしまう。

 ……だけど。

 自分の表情を……いや、目の奥の感情を取り繕えるほど、俺は演技が上手い訳もなく。


「ご、御苦労だったな。

 じゃあ、俺は疲れたから、寝る」


 結局、嘘で誤魔化すことも、適当なことを告げて場を取り繕うことも出来なかった俺は……少女に感情を悟られないよう、その部屋から逃げ出すことしか出来なかったのだった。




 ……だけど。


「お、おい?

 ちょ、何だそりゃ……」


「済まないな、義兄弟。

 ミル=ミリアをよろしく頼む」


 少女の部屋から逃げ出し、罪悪感を寝て忘れようとミゲルの部屋に戻った俺を待っていたのは……名目上の義兄である青年の、そんな無慈悲な一言だった。

 それどころか、一欠片の交渉の余地もないとばかりに、ミゲルのヤツは部屋から綿と布を放り出しやがったのだ。


「お、おい。

 何を考えて……」


「分かり切ったことを聞くな、義兄弟。

 さぁ、行って来い」


 戸惑いを隠せない俺の問いにも……ミゲルの奴は扉の向こう側からそう突き放すばかりだった。


 ──こうなったら、ドアを叩き壊してでも……


 一瞬だけ俺は、そんな力づくの解決策を思い浮かべるものの……義理の、しかもただ名目上とは言え、ドアごと兄弟を叩き潰す訳にもいかず……


 ──しゃーない、か。


 俺はため息を吐いて、昨日の寝床であるミゲルの部屋を諦めることにする。

 そもそも、こうして布と綿を部屋から放り出されている以上、無理にミゲルの部屋へ押し入り、ドアを破壊するくらいなら……

 今、この場所で綿と布にくるまって寝ても、そう大差ないのが現実なのだから。


「……くそったれ」


 仕方なく俺は、ミゲルの部屋から排出された綿と布を抱え上げると……途方に暮れ、ため息を一つ吐き出す。

 何処かで寝ようとしても……俺にはもう、ミル=ミリアの部屋しか行く場所などなく。

 とは言え、俺は……幾ら行く場所がないからって少女の部屋に無遠慮に押しかけられるほど、厚い面の皮などは持ち合わせていない訳で。


 ──しかし……どういう心境の変化だ、ったく。


 確か今朝は、少女が俺の手を握っただけで怒鳴ろうとしていたアイツが……たった一日経っただけで、こうして意見を180度もひっくり返しているのだ。

 何やら俺には分からない葛藤があったのだろうとしか、予測できる訳もなく。


 ──もしかして、ヤバいのかも、な。


 腐泥の穢れによって三日とは生きられないという彼女……ミル=ミリアの寿命が迫っているのかもしれない。


 ──俺には分からないところで、その兆候が見えている、とか?


 その可能性を思いついた俺は、さっきまで同じ部屋にいた少女の情報を精一杯脳裏に思い浮かべてみる。

 そうして考え込むこと、十数秒。

 そして、その結論は……すぐに出た。


「……分からん」


 ……そう。

 異世界から来た堕修羅と呼ばれるこの俺に、この世界のことなど……分かる訳もない。

 大体が、腐泥の穢れと言われても、何のことやらさっぱりである。

 「三日とは生きられない」というくらいだから、見てすぐに分かるほど、凄まじくヤバ気な症状が出てくるのだろうけれど……


 ──そんなのも、ないんだよなぁ。


 俺がこの目で見る限り、あのミル=ミリアという少女には健常に見える。

 熱は低いくらいだし、肌には特に変な湿疹もなく、表情は少しばかり乏しいけれど……顔色を視る限り、特に具合が悪そうにも見えない。


 ──お手上げ、か。


 と言うか、お手上げ以前に……知らないことなど分かる訳もないのだ。

 幾ら破壊と殺戮の神ンディアナガルの権能を得た俺であっても……知識量が増えている訳でも、凄まじい閃きを得ている訳でもない。

 たまに妙な「確信」が浮かぶ時はあるものの……アレはあくまで権能を使う時や、膂力が体感的に分かるレベルの確信であり、こういうときには役に立たない。

 そもそも、最近はどうもこう……深く考えたり悩んだりするのも面倒になっているような……


「……ん?

 アル=ガルディアさま?」


 そんなことを考えながら、綿を抱えながら立ち尽くしていた所為だろう。

 俺の婚約者ということになっている少女が、部屋からひょいと顔を出したかと思うと。


「……どうぞ、私の部屋へおいで下さい」


 立ち尽くす俺に向けて、そう声をかけて来たのである。




 据え膳喰わぬは男の恥と言う。

 しかしながら……見え見えの針がついている餌に喰らいつくのも、やはり愚の骨頂だろう。


 ──いや、しかし、もう婚約者になっていて。


 俺は少女の横たわるベッドに背を向けたまま、そう自問自答していた。


 ──しかも、すぐに死ぬかもしれない、相手で。


 いや、自問自答と言うよりは、言い訳を脳裏に綴っているだけ、というのが正しいのだろう。

 即ち、『婚約者に手を出さないための』言い訳と、『少女の身体へ触れたいという欲求を肯定するため』の言い訳という、二律背反の言い訳を。


 ──死ぬってことは、後腐れなく味わえるってことだぜ?


 そうして綿のごわごわした肌触りと、温もりとの葛藤から意識を逸らすかのように、俺の自問自答は続く。

 ……少女に背を向けたまま。


 ──そんな相手が初めての女性って、どうなんだ?


 幾ら考えたところで……答えなんてない。

 ……出る訳もない。

 そもそも悩んでいるということは、最初から『欲求と同じくらい、躊躇いがある』ことなのだから。

 そんな状況だからこそ、もしも今、振り返って少女の身体を見てしまえば、今保たれているギリギリの均衡が崩れてしまいそうな……俺にはそんな予感があった。

 だからこそ……こうして必死に少女に背を向けたまま、俺は自問自答を繰り返す。


 ──そりゃ……可愛いのは、間違いないんだけど、な。

 ──将来、美人にはなりそうだし。


 そうして肯定する意見が浮かび上がったところで。


 ──でも、まだ、餓鬼だろ?

 ──小学生に、ちょっと毛が生えた程度じゃねぇか。


 すぐに否定する意見が浮かぶ。

 そんなことを考えていた所為、だろうか?


 ──いや、毛、生えていたか?


 ふいに、俺の脳裏には、そんなどうでも良い疑問が浮かび上がってきた。

 そしてその疑問への答えは、運が良いのか悪いのか……俺の記憶の中にある。

 俺の記憶力が、農の奥底から『その映像』を引っ張ってくるのには、ものの数秒とかからなかった。

 事実、次の瞬間には、あの祭壇で血まみれで横たわる少女の、幽かながらでもその存在を主張していた僅かな膨らみとか、白くほっそりとして余計な肉もない陶器のような足とかが脳裏に浮かび上がり……


「思い出すなっ!」


 慌てて俺は首を左右に振ると……その光景を脳裏から振り払う。

 だけど……

 脳裏に浮かんだ白い裸体の記憶を振り払うため、迂闊に声を出してしまったのが……どうやら今日最大の悪手だったらしい。

 その声で俺が起きていると確信したのだろう。

 薄っぺらい理性を総動員し、ミル=ミリアの身体を視界に入れまいと、背を向けたままの俺の背後で……

 少女が起き上がる気配があったのだ。


 ──う、ぁ。


 それだけで俺の心臓は痛いほど激しく打ち始める。

 何となく、理解はしているのだ。

 ……この状況は、ギリギリのバランスで保たれた天秤にしか過ぎず。

 後一押しで俺の理性は、人間の臓腑のように、あっさりと破け千切れてしまうという状態だと……


「……私と、したいのです、か?」


 そんな状態の俺へと向けて、少女の口は無慈悲なまでの追撃を放つ。

 そのあまりにも直接的な、勘違いのしようもない一言を聞いた瞬間……俺の咽喉は知らず知らずの内に大きな音を立てていた。

 そして……今さらながら、気付く。

 ……緊張の所為か、さっきから酷く咽喉が乾いているという事実に。


「……この身体を、使いたいのです、か?」


 相変わらず、自分の意思よりも俺の意思を問いかけるような、そんな口調で放たれた少女の声に、俺の理性はあっさりと砕け散ってしまう。

 俺は身体を覆う綿を振り払うと、身体を起こし……


「な、う、ぁ……」


 そして、その直後には、硬直して動けなくなっていた。

 それは別に、少女が俺の眼前でズボンを下ろし、現在進行中で下帯を脱いでいたから……ではない。

 少女の顔が……表情が、この期に及んでも何の感情をも浮かべていなかったから、だ。

 その姿は、何というか……こう、人形が動いているかのようで。

 

「ぁ~~」


 その姿を見た瞬間。

 何と言うか……流石に、萎えた。

 幾ら俺が世間的には思春期と呼ばれる年齢で、女の子のことばかりを考えているような思考回路だとしても……

 流石に、『人形』相手には、どうこうしようとは思えない。

 そうして思い返してみると……確か、少し前も同じような結論に達したような。

 少女を見ぬままにヤる/ヤらないと葛藤し、そしていざ実物を見ては失望するという……本当にアホな行動を繰り返している自分が嫌になってくる。

 そんな俺の意気消沈に気付いたのだろう。


「……どう、しました?」


 下帯を脱ぎ捨てたミル=ミリアが、そう小首を傾げて尋ねてくるものの……相変わらずその表情は全く変わることもなく。


「いや……早く寝ろよ。

 明日も、何があるか分からないからな」


 結局俺は、少女に背を向けると、またしても綿に包まることにした。

 そうすることで、言葉に出さないまま「そんな気分」じゃないと、背後で俺を待つミル=ミリアへ伝えようと思ったのだ。

 そうして動作で意図を伝えようとしたのは……背後で下半身を丸出しにしている少女を直視しながら、ソレを口にする自信がなかった所為でもある。

 ……だけど。


「私は、必要、ありませんか?

 ……また、捨てられ、ますか?」

 

 相変わらず表情をなくしたような、何一つ感情の読めない顔のまま、少女はそう尋ねて来たのだ。


 ──一体、何を?


 その突拍子もない問いを、俺は笑い飛ばそうと背後へと振り返りながら、口を開きかけ……

 すぐに、気付く。


 ──両親に……何か、言われた、のか?


 彼女を必要としていない……腐泥の穢れを受けた少女の存在を疎んじる相手がこの世界にいる、という事実に。


「……くっ」


 俺は、未だに表情一つ変えようとしない少女の顔を見つめ……知らず知らずの内に歯噛みしていた。

 俺の婚約者ということになっているこの少女が、これほどまでに感情を無くすのも……考えてみれば当然なのかもしれない。

 何しろ、この少女は……誘拐された上に、友人たちを全て残酷に殺され。

 帰ってくれば、腐泥の穢れとやらで、残りの命が少ないと言われ。

 その挙句、そんなどうしようもない状態に陥ったこの少女が、世界で最も頼りになる筈の、実の両親という存在に……少女は、自身の存在さえも否定されているのだ。

 そして、そんなミル=ミリアを前にして……俺は、この問題を解決する術持ってない。


 ──何か、何かを、言わないとっ。


 膂力では解決し切れない、敵を殺すだけではどうしようもない問題を前に……俺はせめて、この場の空気くらいは払拭しようと口を開くものの……

 生憎とそう達者でもなければ、友達を作ることさえ出来ない俺のコミュニケーション能力では、こういう時に気の利いた慰めの一言など浮かぶ訳もなく。

 追い詰められた俺は、最後の手段として、自分に出来る唯一のことを……ドラマの中の主人公みたく、少女の身体を抱きしめたい衝動に駆られ、手を伸ばそうと力を込め……


「───っ」


 ……すぐに躊躇う。

 だってそんな行動……テレビで見ていて思いつきはしても、こうして実際にやろうと思うと……

 照れや恥が前に出てきて、とても出来るような行動じゃないっ!


 ──無理だっ!


 結局、俺は虚空を彷徨っていた両手を引き戻すと……


「……大丈夫、だ。

 お前は、俺の、その、婚約者、なんだ、ろ?」


 照れ臭さから明後日の方角を睨みつけながら、そう呟くことしか出来なかった。

 尤も……少女にしてみれば、それだけで十分だったらしい。

 俺の声を聞いて安堵のため息を零すミル=ミリアは、おずおずと俺の身体にしがみ付いてきて……


 ──う、くっ?


 俺はその下半身を丸出しにしたままの、少女が抱きついて来た感触に歯を食いしばり、耐える。

 だって今、このシーンは……性欲に任せるような、性への好奇心に駆られるような場所じゃないだろう。

 そのなけなしの理性を総動員することで、俺は必死に歯を食いしばり続け……


 結局、その晩は何もないまま……やり過ごすことが出来たのだった。



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