参・第二章 第三話
……そう。
さっき落ちて行った『泥人』が教えてくれたのだ。
この戦場では『真っ当に戦う必要なんてない』という真理に。
「なら、使うべき武器はっ!」
俺は残された二本の武器に目を落とし……熊手よりは頑丈そうな、狼牙棒という武器を手に取る。
棍棒の先に棘のついた金属部分があるソレは、かなり錆びついていて不安が残る上に、今まで使ったことのない『鈍器』ではあるものの……この場面ではかなり使える武器に違いない。
──頼むから、腐っててくれるなよっ!
俺はそう祈りつつも、その狼牙棒を振りかぶると、近寄って来ていた『泥人』へと……盾の上から、その鈍器を軽く叩きつける。
「うぁああああああぁぁぁぁぁぁ……ぇぺっ?」
俺の予想は正しかった。
幾らコイツらが盾を構えようが、俺の膂力の前では「軽く撫でるだけで吹っ飛んでいく」と予想した通り。
俺の軽い一撃によって、『泥人』は防いだ盾ごと吹っ飛ばされ、幹から下へと墜落し……何やら潰れたような、気色悪い音を立てる。
──真っ当に戦って勝てないなら、盾ごと吹っ飛ばせば良い。
それこそが、俺の到達した答えだった。
幾ら相手のリーチが長かろうが、こっちは長柄の狼牙棒で、敵の構えた盾を狙うだけで済むのだから、リーチ差はほぼないに等しい。
盾に阻まれている所為で、なかなか攻撃が当たらないと思い込んでいたが……盾ごと相手を吹っ飛ばすなら、敵の何処を狙って良いのだ。
……いや、むしろ盾を狙えば良いのだから、速度差も技能差も意味をなさなくなるだろう。
そして、こんな場所だからこそ……相手を軽く『押す』だけで、実際の殺傷行為は『重力』という、破壊と殺戮の神ンディアナガルの権能ですら逆らえない物理法則と、そして足元の地面という凶器が行ってくれる。
後は放っておいても敵が勝手に死んでくれるのだから……楽なこと、この上ない。
いや、生死は実のところ不明だが……この高さだ。
……まぁ、助かる見込みはない、だろう。
──死んだ、よな?
ふと。
怪我をする恐れなく戦闘に勝てるという確信を得、危機感が薄れた所為、だろう。
好奇心に背中を押されるがままに、俺は、足元を……敵を落とした方を、覗き込んでみた。
……覗き込んで、しまった。
「う、ぉおおおっ?」
そして、眼下に広がる光景を見た瞬間……俺は自分が明らかに「間違えた選択をした」ことを悟っていた。
……そう。
コレは明らかに……人が見てはいけない世界、だった。
自分の身長の数倍……いや、数十倍の遥か彼方に地面がある、という感覚。
自分自身の体重を支えているのが、この小さな……大地と比べればほんの些細な『ただの枝一つ』だという事実。
そして……直下に墜ちた自分が一体どうなるかという、想像上の恐怖。
それらはあっさりと……俺の足にしがみ付き、離さない。
──今の俺は……石斧一つで、怪我をするんだ。
──もし、この高さから、叩きつけられたなら?
俺の脳は、考えまいと思えば思うほど、ソレを考えてしまう。
その……絶望的な結果しかあり得ない、想像を。
「……う、ぁ、ぁっ」
脊椎に冷たい氷が貫いたような、足に亡者がしがみ付いたような、手足に血が通わず感覚が吹っ飛んだような……そういう、自分の身体が自分の身体じゃないような感覚に、俺は思わず後ろへと数歩下がっていた。
気が付けば、俺の身体は自分の意に反してガタガタと震え始め……どう頑張ってもその震えを止めることは叶わない。
ソレは……この「落下」という、致命的な敵に対して生物が生まれながらに持つ、本能的な恐怖の所為、なのだろう。
「お、おいっ?
堕修羅っ!」
「前だっ!
前を、見ろっ!」
そうして高さに気を取られた俺を、隙だらけだと判断したのだろう。
さっきまで怯んでいた『泥人』の一人が、石と木を結んだ鉈らしき武器を手に、俺へと跳びかかってくる。
──待てよ、おい。
──もし、アイツと戦って、押されて落下したりしたら……
それは、俺が久々に抱いた、死への恐怖、そのものだった。
そして、それを恐怖だと認識した、その瞬間。
──死ぬ、だと……
──この、俺が?
──こんな、訳の分からない世界で?
俺は、身体の奥から凄まじい勢いで噴き出してくる『何か』の存在を自覚する。
それは……言葉にすれば「怒り」とか「殺意」とかいう代物、なのだろう。
「うぁああああああああああああっ!」
そして、ソレを意識した時、俺の身体は自然と、『死』に抵抗しようと動いていた。
即ち……俺に「死」をもたらそうとした『泥人』を排除するべく、手に持っていた狼牙棒を、必死に振るったのだ。
……文字通り、『渾身の力』を込めて。
「───っ!」
手応えは、殆どなかった。
無理に言葉にするならば……水風船をバットで殴ったような、その程度の細やかな感触があったくらいとしか言いようがない。
だけど……その威力は絶大だった。
俺が渾身の力を込めて振るった狼牙棒は、その『泥人』の手にしていた木の盾を文字通り粉砕し、その盾を支えていた腕の、骨も筋肉も容易く潰し……
ついでに『泥人』の胴体をもトマトのように砕いてしまっていたのだ。
──う、わぁ。
数多の死を見て来た俺でさえ、思わず眉を顰めるほど……その『泥人』の最期は酷い有様だった。
何しろ、ソイツの上半身で残されていたのは、ただ脊椎が二節残っているだけだったのだから。
残りの下半身は、未だに自らの死が理解できないのか、その場に立ち尽くして、動脈か静脈か分からない血管から血を噴き出すばかりだったし……
そして、飛んで行った分がどうなったのかは……言うまでもないだろう。
俺の渾身の一撃によって、文字通り粉砕され……血も肉も骨も内臓も皮膚も、何もかもがペースト状の挽肉になって遠くの枝に飛び散っていたのだから。
──やり過ぎたかな、こりゃ。
その惨殺死体と表現するのも生ぬるい、もはや人間がいた痕跡に過ぎない赤い物質を眺め……俺は少しだけ反省する。
「お、おい。
……何、なんだよ、アレは」
「伝説に謳われし、堕修羅の異能、か。
てっきり、ただの誇張された噂話だと思っていたが……」
「……俺らがあれだけ苦労したあの盾が……アイツにかかりゃ、枯葉扱いかよ」
幸いにして、背後でその様子を見ていたミゲルたちは、俺の膂力を「化け物の所業」とは思わなかったらしい。
彼らの言う『堕修羅』とやらが一体何なのか、俺には分からないものの……以前にも俺のような、常識外れの力を持ったヤツがいたのだろう。
そのお蔭か、こうして異能の力を見せつけても……彼らは俺を忌避しようとは思っていないようだった。
──反省しなきゃ、な。
彼らからしてみれば、俺は破壊と殺戮の神ンディアナガルの化身ではなく、少しばかり力の強い異邦人程度なのだ。
あまり凄まじい力を見せつけ過ぎると……化け物として、恐れられることになりかねない。
今までは運よく……神の化身として受け入れられたり、機甲鎧を上手く使えるヤツとして受け入れられ、化け物扱いされて追い出されるようなことはなかったものの……
……今までが上手く行ったとして、これからも上手く行くとは限らない。
「さて、と」
そう反省した俺が、今度は少し手加減しながら、惨殺死体を見て怯んでいる『泥人』たちへ追撃をかけようと、手にしていた狼牙棒を握り直し……
──って、何だこりゃ。
そのことに、気付く。
……どうやら、本当に反省すべきは、別のところにあったらしい。
──しまった。
──力を、入れ過ぎた。
……そう。
絶望的なまでに人間離れしまくっている俺の握力は、いとも容易く狼牙棒の柄を『握り潰して』いたのである。
──持ちにくい、なぁ。
完膚なきまでに潰れ、ボロボロの木片と化した「かつて柄だった場所」を眺めながら、俺は内心でため息を吐いていた。
尤も……狼牙棒ってのは長柄の武器であり、持ち手が多少潰れたところで武器としての性能がそう大きく変わる訳じゃない。
……ちょっとばかりリーチが短くなる程度である。
実のところ、俺の膂力による被害はそれだけに留まらず、狼牙棒の先端部分もさっきの衝撃には耐えられなかったのか、形が少しばかりひしゃげていたものの……まぁ、元々が切れ味もクソもない武器だ。
多少歪んでいたところで、コレで殴れば……問答無用で相手は死ぬだろう。
俺は少しだけ持つ場所を変えると、その狼牙棒を担ぎ、『泥人』の方へと視線を向ける。
「……次に潰されたいのは、誰だ?」
俺はそう余裕綽々に笑みを浮かべ、『泥人』たちを挑発するものの……
──頼むから……もう、来ないでくれよ……
実のところ、その余裕の笑みの裏側で首筋に冷や汗をかきつつ、内心でそう祈るほど切羽詰っていたのである。
何しろ今、俺が立っている此処は……ちょっと足を滑らせれば墜落死するような、手摺りも安全柵もない、枝の上なのだ。
枝と言っても直径数メートルほどの太い枝で、こうしてど真ん中に立っている分には、そう不安がある訳でもない。
……だけど、もし。
──そう。
──もし、ちょっと足を滑らせたら?
もしくは、俺がちょっと目測を誤って、渾身の力でこの狼牙棒をつい足元へ叩きつけてしまったら?
敵に手練れがいて、俺の一撃を受け流し、投げるような……あの塩の荒野で出会った戦巫女のような相手が出て来たのなら?
──冗談、じゃない。
墜落死、もしくは墜落して重傷する危険性のある……『命の危険が伴うような』戦いに身を投じるつもりなんて、俺には欠片もないのだ。
あくまで無敵で安全だからこそ。
あくまで相手を一方的に殲滅できるからこそ。
……だからこそ俺は、必死に『正義』を貫こうとしている、だけで。
──頼むから、退いてくれっ!
俺の願いが通じたのだろうか?
それとも……さっき男を肉片と化した、常識外れの一撃を見せつけたことが効果的だったのかもしれない。
理由はどっちにしろ……『泥人』たちは顔を見合わせたかと思うと、すぐさま盾で背中を庇いつつ、来た道を帰ってくる。
「くっ!
逃がすなっ!
射れ、射れっ!」
「二度と、この聖樹へと登らせるなっ!」
その様子を見て、好機だと思ったのだろう。
さっきまで俺の膂力を呆然と眺めていたミゲルたちは、逃げ行く『泥人』たちへと一斉に矢を射掛けていた。
流石に大きな木の盾を持つ連中でも、背中からの矢を全て防ぐことは不可能らしく、一人の『泥人』が矢を受け、枝から墜落して消えていく。
他にも、矢を足に受け、動けなくなっていたヤツが二人ほどいたものの……ミゲルとは別の部隊の奴らがその場へ駆けつけ、ソイツらを縄で縛り、何処かへ連行していく。
──あ~あ。
そうして連れ去られていく『泥人』を眺めつつ……あの二人の『泥人』の行く末に同情した俺は、内心でドナドナを歌ってやる。
縛り首か、斬首か、拷問の挙句に責め殺されるか……
奴らの行く末がどうであれ……人んちの庭に土足で踏み入った侵略者なんざ、ろくな最期を迎えないと相場が決まっている。
「……さて、と」
周囲での戦闘が一段落したのを見届けた俺は、血と肉片が絡んだ狼牙棒を足元へと倒すと、それ以上重力に逆らうことなく、その場に腰を落としていた。
──疲れ、たぁ。
内心で大きな息を吐き出しながら、俺はそのまま大の字に寝ころぶと……全身を足元の枝へと預けることにする。
まぁ、疲労と言っても、そのほとんどは精神的な疲労でしかないのだが。
「命懸けって、こんなにしんどかったのか……」
久々に命を懸けた……あの塩の世界での初陣以来の疲労感に、俺は思わずそう呟いていた。
そう呟きつつも、実際のところ、あの時とは違って肉体的な疲労はそう大きくない。
こうしてもう少し休んでいれば、すぐ元に戻るだろう。
そう判断した俺が、ゆっくりと目を閉じようとするものの……
「……大丈夫か、義兄弟」
生憎と、すぐに邪魔が入ってしまう。
俺は返事のため上体を起こすことさえも億劫に感じつつも……流石に義兄という名目になった相手を邪険に扱う訳にはいかず。
無理やりに軽く笑みを浮かべ、何とか体裁を取り繕うことにする。
「ああ。別に身体に異常はないさ」
「堕修羅の異能、か。
酷く疲れると伝承にあったが……どうやら本当らしいな」
そんな俺に、ミゲルは興味深そうな視線を向けていた。
何となく観察されている気分になりつつも、俺はこれ以上大の字で寝ころぶのは無理だと判断し、立ち上がる。
よくよく考えてみれば、俺の正面にいた連中が逃げ出したと言っても……まだ戦闘が終わった訳じゃない。
一つ間違えれば、自分の棲家がなくなるかもしれない……そんな瀬戸際なのだ。
……流石に、いつまでも寝ころんではいられないだろう。
「……戦況は、どうなった?」
「ああ、問題ない。
こっちは片付いたし、第一の方も盾を持ってない部族が相手だ。
今日みたいな小勢なら、問題なく追い返せる」
俺の問いに、ミゲルはそう答えつつ、余裕の笑みを返してきた。
「こちらの犠牲は一人も出なかったし、今日は楽勝だった。
お前のお蔭さ、義兄弟」
俺の胸を小突きながら告げられたミゲルのその賞賛の声に、俺は少しだけくすぐったくなって、肩を竦めてみせる。
……素直に褒められるってのは、いつまで経っても、どうもこう、くすぐったくて慣れやしない。
「とにかく、飯にしようぜ。
戦いの終わった後の飯は、最高なんだ」
そんな俺の様子が面白かったのか、ミゲルはその美形としか表現しようのない顔に、満面の笑みを浮かべると……馴れ馴れしくも俺の肩に手を回し、そう告げてくる。
その親しみ溢れる行動に馴染めない俺は、少しだけ眉を吊り上げつつも……身体を押されるがままに歩き出す。
多少ウザいとは言え、コイツの行動に悪意がある訳じゃなく……抵抗するのも振り払うのも、何となく変な話だと思ったのだ。
それに……腹が減っているのも、また事実である。
朝の内は別に空腹を感じなかったものだが……やはり木の実ばかりじゃ食事が少しばかり足りてないらしい。
──って言ってもなぁ。
この世界で食べるものと言えば、あの木の実くらいである。
そんなもの、幾ら食べようが腹の足しになるとは思えず……それでも、背に腹は代えられないのが現実で。
そうして十歩ほど俺たちが連れ立って歩いていた時だった。
「……っと、そうだ。
午後は、その、ミルとも顔を合わせてやってくれ。
やはり……あんなことの後だ。
多少は心細いと思うからな」
不意に、ミゲルは俺から視線を逸らしつつ……そんなことを小さく告げる。
どうやら、コイツはコイツなりに、妹の身を案じているのだろう。
何と言うか、こう……俺を勝手に婚約者にしたりと、不器用で迷惑極まりない下手くそな気遣いではあるが……
──まぁ、兄には違いないのかも、な。
その不器用な気遣いに、何となく俺はミゲル=ミリアムという男に親しみを覚え、笑みを浮かべる。
……その時、だった。
「大変だっ! ミゲルっ!
アイツが……ベルデ=ベンダムが、家の中で、殺されているっ!」
伝令役らしき一人の少年が、上の枝から蔦を滑り降りながら、そんな叫びを上げたのだった。