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【完結済】ンディアナガル殲記  作者: 馬頭鬼
参・第二章 ~『聖樹の都』~
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参・第二章 第一話


「さぁ、こっちだ義兄弟っ!」


 翌朝。

 相変わらず腹に溜まる様子のない木の実を齧るだけの朝食を終えた俺は、ミゲル=ミリアムの先導に従って、「訓練場」とやらに向かっていた。


「訓練所ってのは、あの『泥人』の暴虐に対抗するため、若者たちが中心となって、訓練を積む場所だ。

 義兄弟のことを、紹介しないとな」


 ──訓練場、ねぇ。


 妙にやる気に溢れているミゲルを横目で眺めながら、俺はあくびを噛み殺しつつ、適当に歩いていた。

 朝っぱら叩き起こされた俺に、訓練に励む気なんざある訳もない。

 ……と言うか。


 ──今さら、俺の何を鍛えるってんだ?


 一切の武器で傷一つつかず、ただ握るだけで人間の頭蓋を潰す膂力を持っている……俺は、今やそんな存在なのだ。

 今まで訓練の一つもせず、無敵で最強の力を得た俺としては……訓練なんて汗臭い行事、やる気がなくて当然だった。


 ──ただでさえ、ろくなもの、喰えなかったってのに。


 空きっ腹を思い出した俺は、寝るまで延々と痛み続けていた腹に手を置き……今さらながらに気付く。


「……腹が、減って、ない?」


 昨夜、あれだけ俺の睡眠妨害をしてくれた空腹の痛みが……何故か、今は全く感じなくなっていた。

 今朝食ったのは、カイワレ大根みたいな苦くて辛い白い木の実一種類だけだったというのに、だ。


 ──意外と、カロリーあるのかもな。


 朝食べた……いや、口に入れた、苦辛く「不味い」としか表現のしようのない木の実の味と量を思い出した俺は、何となく内心でそう呟いていた。

 だって、他に考えられないだろう。

 不味く、量もない、そんな木の実だけしか喰ってないというのに……

 ……昨夜より、空腹が収まっている、なんて。

 基本的に、このミゲルたち『聖樹の都』に暮らす連中は、これを喰って生きているのだ。

 人一人が生きるくらいのカロリーが含有されていると考えても不思議はないだろう。


 ──それとも、空腹に、慣れてきたか?


 そんなことを考えつつも、俺は足を前へ運び続ける。

 そうして十分ほど歩いた頃、だろうか。

 相変わらず周囲からは敵意と警戒心に満ちた視線が向けられていて……俺はその重圧を振り払うように肩を竦める。

 そんな俺の仕草に気付いたのだろう。


「……義兄弟には、悪いことをしたと、思ってる」


 突如、ミゲル=ミリアムがそんなことを言い始めた。

 謝られる心当たりのなかった俺は、首を傾げるだけだったが……義理の兄になりそうな青年は、そんな俺から視線を逸らすと……


「いや、ミルとの婚約の話だ。

 ……少し、強引だったのは分かっている」


 突然、そんなことを言い始めたのだ。


「……そりゃそうだ。

 彼女の意思確認もせずに、だな」


 ようやく逃げ場を見つけた俺は……すぐさまソレに飛びついていた。

 ……一度でも己の意に沿わぬ婚約者なんてモノをあてがわれたことがあるなら、この気持ちも分かるだろう。

 だけど。


「いや、ミルには話をしてある。

 お前が望むなら、異を唱える気はない、とさ。

 アイツも……自分の立場くらい、分かっているのだろうよ」


 俺が飛びついた逃げ道は、既に塞がれていたらしい。

 あの少女の素直すぎる答えに、俺は絶句してしまう。

 と言っても……俺の婚約者とやらになっているミル=ミリアは、昨夜から部屋を出ようとはせず、今朝に至っては顔を合わせることすらしていないのだが。


 ──でも、ミゲルの言う言葉が本当かどうかなんて……


 その逃げ道を放棄できない俺は、あの少女自身の口からしっかりと聞くまで、婚約というこの現実を認めないと内心で決意を固めていた。

 まぁ、そう考えること自体……この『婚約者とかいう訳の分からない足枷』から逃れたいと思っている所為、なのだろうけれど。


「俺も、その……無茶を言っているのは分かっているんだ。

 だけど、分かってくれ」


 俺が内心でその婚約を放棄する術を練っているのを知ってか知らずか、ミゲルは言葉を続ける。

 そんな彼の表情は真剣そのもので……俺が言葉を挟めるような雰囲気ではない。

 そして……

 そこで言葉を挟めなかったことが、俺の、この世界での最大の失策、だったのだろう。


「俺だって、あの沼へ足を突っ込んでいる。

 ……三日後に死ぬのは、俺かもしれないんだからな」


 歯を食いしばりながらの、ミゲルのその言葉を聞いた瞬間……俺は自分の逃げ道が完全に塞がれてしまったこと悟っていた。


 ──つまり、婚約ってのは……


 コイツは、自分自身の命が失われるかもしれないからこそ……妹の命を、未来を、俺に託そうとしたのだ。

 流石に、出会ったばかりの俺なんかといきなり実の妹を婚約させるなんて、おかしいとは思っていたのだ。

 だけど……それなら、納得できないことはない。

 二人の両親はあの通り、泥に汚染されたミル=ミリアのことなんて、意に介そうともしていない。

 泥の穢れってのがどういうものかなんて、この世界の住人でない俺には知る由もないが……この件では友人縁者にも頼れる者がいなかった彼だからこそ、出会ったばかりの俺に、必死に縋りついたのだろう。

 多分……昨日、彼のその生き方を認める言葉を吐いたから、こそ。


 ──くそっ!


 逃げ場を完全に失った俺は、内心でそう吐き捨てる。

 それでも、何か反論を口にすることなんて、出来やしない。

 俺はもう……コイツの言葉を、死を目前に控えた遺言として、受け入れてしまったのだから。

 破壊と殺戮の神ンディアナガルの化身となり、数多の世界で心ならずも殺戮を重ねてしまったこの俺でも……死に瀕した者の遺言と、女の子の涙には誠実でありたいと、そう思っている。


「だから……妹を、ミルを、頼む」


「……あ、ああ」


 そして……だからこそ、ミゲル=ミリアムの『最期の願い』を、無碍に扱うことなんて、俺には出来る訳もなく。

 俺は今度こそ自分の意思で、ミル=ミリアという名の婚約者の少女を受け入れるべく、首を縦に振ってしまったのだった。

 



「さぁ、此処だ。

 みんな、集まってくれっ!」


 そう言ってミゲルが足を止めたのは、やはり木の上にある……太い幹が入り組んで、ちょっとした広場になっている場所だった。

 ミゲルが声を張り上げながら小走りに歩くのを横目に見つつ、俺は好奇心に任せて周囲を見渡してみる。

 どうやら此処は一種の空き地になっているらしく、近くに家はなく、藁で編まれた案山子……人型の的らしきものが幾つも立てられている。

 その案山子には矢が何本も打ち込まれていて……


 ──確かに、訓練場だな、こりゃ。


 上空から吊るされたロープや、幾重に張り巡らされた柵などを見て、俺は何となくそんな感想を抱く。

 そうして俺が辺りを見渡している間にも、ミゲルも用事を終えたらしい。

 七人ほどの男たちを連れて、俺のところへと戻ってきた。


「待たせたな、義兄弟。

 今日はちょっと人が少なかったが……まぁ、隊長クラスはいたので、紹介しておくよ」


「って、おいおい、コイツ、昨日の堕修羅じゃねぇか」


「義兄弟ってお前、まさか……」


 男たちが怪訝そうな顔をするのを意にも介さず、ミゲルは俺の方へと顔を向ける。


「彼が、一番隊隊長のカル=カラナム」


「よっ、また会ったな。

 まぁ、そもそもこの都は狭いんだがな」


 そう言って前に出たのは、細身の……昨日見たような顔だった。

 この世界の人間らしく、全体的に細身ではあるものの……ミゲルよりも少しばかり骨太で、角ばった印象が強い。


「カルは、一番の強弓の使い手なんだ」


「ははっ。

 ま、これしか取り柄がないんだがな」


 ミゲルの紹介を聞いた、カル=カラナムはその背に吊るしていた、身の丈を遥かに超える、大きな弓を手に取ると……何気なく矢を番え、適当に放つ。

 何気なく放たれたその矢は、五十メートルくらい離れていた案山子の胴をあっさりと貫いていた。

 ……強弓、なのだろう。

 それを簡単に射放つ辺り、カル=カラナムというこの男は、やはりかなりの使い手に違いない。


「二番隊の副長ベル=ベンザム。

 身体は小さいが、なかなか頼りになる奴だ」


「身体は小さいは余計だ、二番隊隊長、ミゲル=ミリアム。

 ったく……ま、良いけどな。

 で、俺の特技は、コレ、だ」


 ベルとか呼ばれた小柄で、やはり細身の男がそう告げた、その瞬間だった。

 いつの間に現れたのか、五十センチくらいの小さな弓がその手に現れたかと思うと。

 次の瞬間には、その弓から矢が放たれていた。


 ──いつ、撃った?


 それは、こうして眼前で見ていても、目を疑うほどの早業で……俺は思わず目を見開いていた。

 尤も……その矢は案山子の肩の端にようやく刺さった感じで、狙いはあまり上手くないようだったが。


「これでもうちょっと上手ければ、言うことはないんだがな」


「うるせぇ。

 当たれば良いんだよ、畜生」


 そう捨て台詞を残すと、ベル=ベンザムという二番隊副長は下がっていく。

 まぁ……ああいう感じのヤツ、らしい。


「次は……」


「三番隊の隊長はこの俺……ギガ=ギグロムだ。

 まぁ、見ていろよ」


 その次に、ミゲルの言葉を先んじて前に出たのは……背の高い細身の男だった。

 ギガ=ギグロムというその男は、やはり背に吊るしていた身の丈ほどの長弓を引き絞ると、じっくりと狙い、放つ。

 その矢は狙い違わず、案山子の頭の部分のど真ん中を見事に貫いていた。


「ふっ!」


 だが、それだけでは終わらなかった。

 その次に放った矢は、その案山子よりも遥かに遠く……百メートルくらい離れた案山子の頭部を。

 更にもう一本はなった矢は、二百メートル近く離れた案山子の、やはり頭を見事に貫いていたのだから。


「……相変わらず、凄まじい腕だな、ギガ=ギグロム」


「ははっ、てめぇらが下手なんだよ、ったく」


 ミゲルの感嘆に、その長身の男はそっぽを向いたまま傲岸極まりない言葉を放つ。

 だけど……その耳が赤くなっている辺り、どうやら照れているだけ、のようだった。


「あとは……ファルス=ファルナムは顔を合わせたこと、あったな?」


「……ああ。

 生憎と、俺は誇れるような腕はないけどな」


 やはり細身の、背が高いでもなく、低いでもないそのファルス=ファルナムという男は、腕を見せるかのように、弓を番え、放つ。

 早いでもなければ遅いでもないその動作によって放たれた矢は、案山子の胴の少し外れた位置を貫く。


 ──何と言うか……


 無難に平均に、目立つところのないこの男は……非常に、コメントに困るヤツだった。

 俺が言葉を探していることに気付いたのだろう。

 ミゲルは場を取り繕うように大きな声を張り上げる。


「あとは、一番隊のテル=テリムと、二番隊のトマス=トルトム。

 そして……デルズ=デリアム、か」


 ミゲルが言葉を濁した最後の名前に聞き覚えがあった俺は、ふと顔を上げて、ソイツの顔へと視線を向ける。

 そこには、何というか……おどおどした小柄な少年が立っていた。

 俺の視線に気付いたのか、他のみんなと同じように矢を番えて放つものの……その矢はみんなが易々と当てていた一番近くの案山子に触れることもなく、明後日の方向へと跳んで行ってしまう。

 だけど……それを見ても、誰も何も言わない。

 失敗を笑うどころか、失敗して当然という雰囲気が漂っていて……少年は己の不甲斐なさに顔を赤くして俯いて黙り込んでしまう有様だった。


 ──あ~あ。


 その微妙な雰囲気に、俺は思わず肩を竦めていた。

 だけど……ソレは、対岸の火事ではなかったらしい。


「さぁ、義兄弟。

 お前も、その力を見せてくれ」


 何しろ、ミゲルがそう告げて……俺に弓と矢を手渡してきたのだから。

 どうやらこの世界では、挨拶代りに弓術を見せる変な風習があるらしい。


 ──そういや、弓矢ってのは、初めての経験だな。


 考えてみれば、あの塩の世界で、べリア族に何度か射られた記憶はあるものの……自分で弓を射た記憶はない。

 それでもこの『弓』というものは、こんな一介の学生に過ぎない俺でも、那須与一やウィリアムテルの逸話など、それなりに馴染みのある武器でもある。

 俺は少しだけワクワクしながら、ミゲル=ミリアムの手渡してきた弓と矢を眺めてみる。


「……意外と、細いんだな」


 その弓という武器は、今まで俺が使ってきた武具……巨大な戦斧と比べると華奢で軽く、どうにも頼りない。

 その上、造り自体も思ったよりも原始的で……和弓とも洋弓とも違い、ただ切り出した木の枝に弦を括りつけただけ、という有様である。


 ──こんなんで、飛ぶのか?


 矢は矢で、削り出した枝に真っ黒な石器を括りつけただけの代物である。

 俺は親父の見ていた時代劇の記憶を辿るように、軽く肩幅に足を開き、左手に弓を構え、右手に矢を持つと……


 ──確か、こんな感じで……


 弦に矢筈を乗せたまま、正面の案山子に狙いを定め、時代劇の俳優になった気分で、渾身の力を込めて弓を引き絞り……


「うぉわっ?」


 その次の瞬間、ブツンという音がしたかと思うと、弦が千切れてしまい……力の行き場を失った両手が虚しく空を切っていた。

 ……どうやら、動作を真似ることに夢中で、力の加減を忘れてしまったらしい。


「あちゃ~」


 それどころか、弦が切れた時に思わず両手に力を込めた所為か、弓は手のところでへし折れていたし、矢筈が右手の中で潰れて繊維質の塊と化していた。


「悪い、壊れた」


「……兄弟。

 お前、一体……どんな腕力してるんだよ、おい」


 呆れたかのようなミゲルの声に、俺は軽く肩を竦めてみせる。

 そう言われても、俺の膂力が常識を三つくらい飛び越えていることくらい、俺自身が良く知っている。


「しかし、俺の弓を扱えないとなると……

 カル=カラナムのは一品モノだしなぁ」


「……俺のはやらんぞ?

 壊されてはたまらんからな」


 突如話題を振られたカル=カラナムは、へし折れたミゲルの弓と己の弓とを見比べ……慌てて自分の強弓を背へと隠す。

 どうやらこの世界の連中は、弓を大事にする傾向があるらしい。

 ミゲル=ミリアムは弓が壊れたことに対して、何一つ言ってはこなかったものの……


 ──悪いコト、したな。


 手の中でへし折れた弓を見ながら、俺はミゲルに脳内で軽く詫びる。

 尤も……謝罪を口に出すなんて恥ずかしい真似、出来る訳もなかったが。

 そうして訓練場に集まった誰しもが、俺に向かって微妙な視線を向けている、その時だった。


「あ、あのっ!」


 さっきまで何一つ言葉を発しようとしなかった、矢の下手なデルズ=デリアムが意を決したかのように口を開く。

 普段からあまり意見を口にするヤツじゃないのだろう。

 その声の主が、この小柄な少年だと分かった瞬間、周りの連中は、あからさまに彼への興味を失っていた。

 それは、「どうせろくなことを言わないだろう」という、完全に少年を侮った態度であり……その周囲の雰囲気に、少年は一瞬怯んだものの……


「彼は、その、堕修羅なのですから、堕修羅が使っていた武具を、使ってもらった方が良い、んじゃない、かと……その……」


 それでも、自分の言葉が間違えていない自信があったのか、そう意見を言い切る。

 ……最後の方は、少しばかりしどろもどろになってはいたが。


「……言われてみれば、その通りかもな」


「確か、堕修羅が残した武器が、幾つかあっただろう?」


「ああ、こっちだ。

 そこの洞の中に全部押し込んである」


 とは言え、コイツらにも少年の言い分が正しかったなら、それを受け入れるだけの度量はあるらしい。

 少年の提案を受け入れた俺たちは、ミゲルの先導に従ってその武器を押し込んであるとかいう洞へと足を運ぶこととなった。

 この程度の作業、俺一人で十分だとは思ったのだが……恐らく、この連中は、戦いがないと暇で仕方ないのだろう。

 好奇心が抑えきれないのか、誰一人欠けることなく、その武器庫とやらへと足を踏み入れる。


「……暗い、な」


「刃物なんかがあるから、気をつけろよ、義兄弟」


 当然のことながら、洞の中は真っ暗で……何があるのかすら分からない有様だった。

 ミゲルの忠告に従い、俺は恐る恐る洞の奥へと足を運ぶ。

 そうして、洞の暗さに俺の目がようやく慣れてきて、周囲に何があるのか、やっとわかりかけて来た。

 ……その時だった。


「敵襲だぁああっ!

 泥人共が、また来やがったっ!」


 洞の外側から、そんな叫び声が飛び込んで来て……洞の中で木霊したのである。


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