参・第一章 第五話
……はっきりと言葉にしてしまうと。
俺がたどり着いた『聖樹の都』という場所は、「都」とは名ばかりの……「巣」と呼んでも過言ではない場所だった。
何しろ、真っ当な家など一つもないのだ。
洞に木の戸を立てたばかりの家や、枝の上に板を打ち付けただけの家と言うのもはばかられる小屋や、木の枝を積み上げた鳥の巣みたいなものまで……
その中でも辛うじて家と呼べるのは、大きな枝の上にある歴史の授業で習った竪穴式住居みたいな建物だけ……という有様なのだ。
しかも現代日本のように、家々が集まり連なっている訳ではなく、前後左右上下に点在している上に、道も木と縄で結われた梯子や、丸太造りの階段が見える程度で……誰かの家を訪れるだけでも一苦労するだろう。
はっきり言ってしまうと、弥生時代の人間の方がまだ良い暮らしをしているんじゃないかってザマである。
──こりゃ、もう滅びてもおかしくないんじゃないか?
その閑散たる都の様子を見た俺は、内心でそんな感想を抱いていた。
とは言え、流石の俺も……素直な感想を口にしない程度の分別くらいは弁えていたが。
「さぁ、来てくれ。
こっちだ」
そんな都とは名ばかりの巣の中を、ミゲル=ミリアムは先導して歩き続ける。
青年に導かれるままに、俺は枝の上を歩き、階段を上り……
そうして周囲を見渡しながら歩いている間にも、周囲の家々や洞の隙間から、俺たちに向けて突き刺すような敵意が向けられるのを感じていた。
──何だか、なぁ。
どうやら俺は、酷く警戒されているらしい。
中には露骨に……弓と矢を手に持ったまま睨みつけている連中もいて、正直、一発ぶん殴ってやろうかと思ったくらいである。
……勿論、そんな正義っぽくない行動など、却下したが。
そうして俺が周囲からの敵意に肩を竦めていると、前を歩いていたミゲル=ミリアムが突然近くの桶を蹴飛ばし……
「くそっ!
何が穢れだっ!
沼に怯えるばかりの臆病者共がっ!」
苛立ちに任せたような声で、そう叫ぶ。
その声に痛いところを突かれたのか、それともミゲルの剣幕に怯えたのか……さっきまでの窺うような視線はその一喝によって見事に消え失せていた。
「済まないな、大声を出して。
この街では……聖樹から降りることも、あの沼に足を踏み入れることも、酷い禁忌とされているんだ。
ったく、迷信深い。
てめぇの身内を助けに行くのに、何が咎だってんだ」
大声を出した程度では苛立ちが収まらないのだろう。
端正なその顔を歪ませながら、ミゲルはそう吐き捨てる。
その様子を見た俺は、助け出された当の少女へと視線を向けるものの……ミル=ミリアはただ俯いたまま、俺の服へとしがみ付くばかりで、その表情は窺えない。
「でも、さ。
お前は、それでも……助けに行ったんだよな?」
……この少女が、傷ついている、かもしれない。
そう思った所為だろうか?
俺は、気付けばそう尋ねていた。
「当たり前だろう。
身内、なんだからな」
「だったら、良いじゃないか。
周囲がどう言おうと気にせず、胸を、張れよ。
……お前は、正しいことをしたんだからな」
俺の口から不意に零れ出たその言葉ではあったが……実のところ、あまり俺らしくない台詞だという自覚はある。
それでも多分、その言葉が口から零れたのは、あの砂漠で俺を庇って死んだアイツへの……
誰からも認められなかったものの、勇気と善意を持ち合わせ、誰かのために命を張った……まさに『英雄』と呼ぶに相応しかったあの友人に向けようと、俺が心の何処かに留めていた言葉だったから、だろう。
だからこそ、その言葉は自然と俺の口から零れ出ていて……それ故にミゲル=ミリアムにも届いたのだろう。
「……ああ。
そうだ、そうだよな」
俺の声を聞いたこの美青年は、目尻を押さえて上を向くと、五秒ほどそのまま固まり……
「さぁ、来てくれ!
アル=ガルディア!
最高の御馳走を用意するからな!」
硬直から解けた途端、底抜けに明るい声でそう叫んだのだった。
……だけど。
──コレ、が、御馳走、だと?
ミゲル=ミリアムに招待されるがまま、二人の家にたどり着いた俺は、瞬間で意気消沈する羽目に陥っていた。
「さぁさぁ、君は二人の命の恩人なんだ。
遠慮せずに食べてほしい」
「ああ、貴方がいなければ、息子は助からなかったんだ。
遠慮はいらないよ」
テーブルを挟み、真正面にいるのは、ミル=ミリアとミゲル=ミリアムの両親だった。
その顔立ちには、何処となく二人の面影がある……いや、逆で、この二人の遺伝子によってミゲルとミルの二人が造られたのだろう。
何となくその様子を……若かりし頃の二人の夫婦が子供を造っている姿を想像してしまった俺は、慌てて首を振ってその妄想を吹き飛ばす。
……他人の行為なんざ想像しても、何の得にもなりゃしない。
──それよりも、だ。
今はもう少し大きな問題が一つ、眼前に横たわっている。
「どうした、食べないのか?」
ミゲルにそう促された俺は、場の空気的に「まず俺が食べなければならない」と理解し……その『御馳走』へと手を伸ばす。
と言っても、別にその『御馳走』は腐っている訳でもなければ、塩漬けでもなく、蟲を喰わされる訳でも、挙句の果てに子供の臓物を食べさせられる訳でもない。
正直……今まで俺が食ってきた料理の中では、比較的マシな方だろう。
何しろ、その木製のテーブルの上には、木のコップに入った水と……そして、木の皿の上に、幾つかの種類の木の実が乗っているだけなのだから。
──でも、なぁ。
問題は、質じゃない。
……食べ物が、文字通り『たったのこれだけ』という点にこそあった。
普通、御馳走と言えば……俺の中では焼肉や鍋などの、こう、豪華でボリュームのある料理のことで。
だからこそ、その理想と現実にギャップを前に、軽くショックを受けていたのだ。
……だけど。
──食べないのも、失礼、だな。
俺は、すぐにそう思い直す。
……人の行為を無碍に扱うのは、正義の行いではないだろう。
「……では、頂きます」
俺はそう告げると……まずどれを食べようかと視線を皿の上へ落とす。
その木の実は、大きく分けて四つに分類されるようだった。
親指くらいの赤い球体のヤツと、ゴルフボールくらいの茶色の硬い殻に覆われたヤツと、えんどう豆みたいな緑のヤツと、白い株のような形のヤツで……
まず俺は、一番目立つ真っ赤な木の実へと手を伸ばし、口へ入れて噛む。
「う、ぐ……」
次の瞬間、口の中を走った酸味に、俺は思わず顔を歪めていた。
何と言うか、こう……梅を濃縮したような、そんな味で……真っ当な食い物ではあり得ないとしか言いようのない……
それでも、あのヘドロの沼で胃の内容物を全て吐いてしまった所為か、俺の身体は栄養を欲していたらしい。
俺はその酸味の塊としか言えない、酸っぱい赤い球を吐き出すことなく、飲み込んでいた。
「おいおい。
そのアスィは、なかなか食べられない高級品なんだぜ?
まぁ、合う合わないが大きいのは事実なんだけどな」
俺が顔を歪めたのを、目の当たりにしたのだろう。
ミゲル=ミリアムはそう俺に説教っぽく告げるものの……その表情はどう見ても、必死に笑みを我慢しているようにしか見えなかった。
流石に年の功なのか、二人の両親は笑みを浮かべることなく、穏やかな表情を浮かべたままだったのだが……
──ったく。
思わず笑いものにされてしまった俺は、少しだけ唇を尖らせつつも……それでも突如湧き上がってきた空腹感に釣られ、次に食べる木の実へと視線を向ける。
どうやら、このアスィとかいう、食い物スレスレという酸っぱい木の実でも……口に入れたことで空っぽだった胃が刺激されてしまったらしい。
そんな俺が次に手を伸ばしたのは……鞘に入ったえんどう豆みたいな緑色の三日月状の木の実だった。
「ああ、それは皮を剥くんだ」
ミゲルの食べ方を見習いつつ、俺はその緑の皮の中から出て来たやはり緑色の種を口の中に入れ……
「う、くっ?」
またしても、絶句する。
口の中に広がった、酷いエグ味と野菜独特の生臭さに耐えかねたのだ。
まぁ、そうは言っても、その味は……さっきの赤よりは随分とマシの、まだ十分『食べられる範囲の不味さ』だったのだが。
──っと、危ない。
とは言え、コレは彼らからしてみれば、『御馳走』なのだ。
……いつまでも愉快な反応を見せるのも、失礼だろう。
そう判断した俺は、必死にそのエグ味たっぷりの緑の塊を飲み込み、木のコップに入った水を一気に飲み干す。
──う、ぉ?
その水も、何か変だった。
舌をちくちく刺すような、炭酸水みたいな味で……
──何だこりゃ?
慌てて俺は水をよく見てみるものの……別に水は普通の水で、炭酸が入っている様子などは見られない。
──もしかして、硬水ってヤツ、か?
ふと俺は、数か月前の数学の授業中、先生の話が逸れまくって行きついた果てに、「海外旅行では、水が日本人に合わないこともある」などと話していたのを思い出していた。
それが硬水と軟水で水の味が違うとか言っていたから……この水の不味さは多分、その類の問題が発生しているのだろう。
事実、聖樹から湧き出る水は、透き通るように綺麗で、そのまま飲んでも問題はなさそうだった訳だし……
──むしろ『そのまま飲める水がある』だけで、幸せ、だよな。
水の一滴も惜しまれたあの塩だらけの世界や、汚水をろ過して飲むしかなかったあの砂漠の生活を考えると……こうしてちょっと変な味でも、水を飲めるだけで十分だろう。
そう思い直した俺は、もう一度木のコップを傾け、口の中にまだ残っていたエグ味と生臭さを徹底的に洗い流す。
「さて、次は……」
その後、気を取り直した俺は、懲りずに次の食べ物へと手を伸ばす。
俺が選んだのは、硬い殻に包まれたゴルフボール状の木の実だった。
俺はすぐにその殻は食べられないと判断し……
「ああ、それは実は飾りで、殻を割った中身を後から……」
ミゲルのヤツが何かを告げるその前に、握力でソレを握り砕く。
破壊と殺戮の神ンディアナガルの化身たる俺の握力は、人間の頭蓋を軽く砕くレベルである。
……木の実の殻如きが、我が食欲に逆らうなど、千年早い。
「……お、おい?
一体、どういう握力をしてるんだ、お前……
それは、専用の、割り器を使って……」
「おいおい、ミゲルよ。
彼ら堕修羅の方は……そういう常識からは程遠いという話があるじゃないか」
──堕修羅、ね。
口を大きく開けたままのミゲルを、父親が窘めるのを眺めつつ、俺は割った殻から出て来た白い中身を口に含み……
「~~~~っ?」
……その塩辛さに、必死に奥歯を噛みしめ、顔が歪むのを必死に堪えていた。
どうやら、この硬い木の実は例に漏れず……あまり美味しいとは思えない類の食べ物らしい。
「どうだ?
それは甘いことで有名な……
ああ、君は、甘いのは苦手だったか」
──どこが、甘いんだよ、畜生っ!
ミゲル=ミリアムの声に、俺は必死に内心で悪態を吐いていた。
だって、どう言葉を取り繕うにも、この実の味は……『ただ塩を齧っている』のとそう大差ない類の塩辛さでしかなく。
──どうやらこの世界の連中とは、味覚が合わないらしいな。
俺はピリピリする水を慌てて口へと流し込みながら、あっさりとその結論に達していた。
こうして三つも世界を巡って旅をしてきたのだ。
……「甘い」と「辛い」があべこべの世界があっても、そう不思議はないだろう。
「で、これはそのまま齧るんだが……」
「……ぅ」
残り物には福があるという諺に縋り、最後に残された唯一の希望である白い木の実は……例に漏れず、やはり『外れ』だった。
今までの三つと比べるとかなりマシで、『食えないことはない』というレベルではあるものの、その白い木の実はカイワレ大根のような苦辛い塊を、ただシャリシャリと食べるだけの代物でしかなく……
まぁ、喰えないことはないものの……どう言葉を言い繕ってもそれだけで食べたいと思える品ではなかった。
「しかし、驚いたよ。
お前が、アル=ガルディアという名前で、男性というのだからな。
異なる世界の不思議、というヤツか」
「いやいや、ミゲルよ。
むしろ異なっていて当然だろう。
世界は広いんだからな」
「しかし、やはりお強いのでしょうか?
勿論、うちのミゲルも、弓を取らせれば都でも指折りの剛の者と名高く、堕修羅相手にも引けを取らないと評判なのですけどね」
ミリア一家か、それともミリアム一家なのか、よく分からないものの、俺を話題にしたまま話は弾み……
その中で、俺は味気ない白い球を齧りながら、適当に話を聞き流していた。
──あ~、くそ。
──肉が、喰いたい、なぁ。
そんなことを、頭の中で願いつつ。
俺はふと自らが助けた少女、ミル=ミリアの方へと視線を移す。
「……?」
少女は水も飲まず木の実を食べようともせず、ただ静かに座っているだけだった。
その様子に俺は少しだけ首を傾げるものの……
──あ~、ま、食欲なくて当然、か。
友人の斬首シーンと、その生首が串に刺されたまま飾られる光景を目の当たりにして、その挙句にあの臭いヘドロの中を潜り抜けて来たのだ。
いい加減、死体にも死にも血と臓物にも慣れた俺は兎も角……ただの少女には少しばかり刺激が強すぎたのだろう。
そう結論付けた俺は軽く嘆息すると……適当に木の実を齧りながら、相槌を打つ作業に戻ることにした。
「まぁまぁ、母さん。
弓ばかりが武芸じゃない。
誰にだって得手不得手はあるのだから」
「しかし、三つ上のデルズ=デリアム君なんて、ねぇ?
我ら聖樹の民の誇りは、やはり弓でしょう」
「いや、俺は誇りとやらを重んじるつもりなどないよ、母さん。
ただ、友達を、家族を守れれば、それで……」
「またまた、ミゲルよ。
お前の腕は、そう安いものでは……」
幸いにして……二親の注意はミゲル=ミリアムの方へと移ったらしく、俺はただ適当に笑顔を浮かべながら木の実を齧るだけの作業を繰り返すだけで済んだのだが。




