~弐~ エンディング
『爪』を使って砂の世界から帰ってきた俺は、ふらふらと夜の街を歩いていた。
──何が、悪かったんだ?
そう、自問自答しながら、街の中を彷徨い歩く。
ボロボロで返り血と砂まみれの俺の服装に、街行く人が奇異と嫌悪の視線を向けてくることを意に介することもなく。
「何が、悪かったんだ?」
口に出しても、答えは返ってくる筈もない。
……いや。
実のところ、答えは分かっている。
アイツなら……アルベルトなら、上手くやっていたと聞かされたばかりなのだから。
──アイツほど、良き行いを心掛けさえ、すれば。
──アイツのように、正しい行いを心掛けさえ、すれば。
……『正義』を、行えば。
そうすれば……こんな、俺でも……破壊と殺戮の神ンディアナガルの権能を使ったとしても……
……そんな『力』でも、誰かを……世界を救えるのだと。
そう、創造神ランウェリーゼラルミアから聞かされたばかり、なのだから。
「いやがったな、てめぇっ!」
「三日間も、何処へ雲隠れしてやがったっ!」
悩みながら歩いていた所為だろうか?
どういう連絡網を築いているのかは知らないが、気付けばクラスメイトたちに俺は囲まれることになっていた。
──そう言えば、追われていたっけ、な。
今さらながらに、そんなことを思い出す。
あの砂の世界に喚ばれる前は、面倒事が嫌で、ただただ必死に逃げ回っていたんだった。
この十数名の連中は恐らく……あれからずっと、俺を探し回っていたらしい。
……暇な、連中である。
それよりも……
──三日間?
取り囲む連中の声に聞き捨てならない一言が混ざっていることに気付いた俺は、ふと首を傾げていた。
確か、俺があの砂の世界にいたのは十日やそこらの話ではない。
──もしかしたら、異世界ごとで時間の進み方も違う、のだろうか?
そんな俺の疑問は、突然胸ぐらを掴まれたことで掻き消えてしまう。
「そんなボロボロの格好で、姿を隠したつもりか?
ええ、こら?」
「たー坊の腕をへし折った報い、その身体で受けて貰うからなっ!」
その言葉に俺は……後悔と自責で冷え切っていた俺の心に、自然と怒りが湧き上がってきていた。
腕をへし折ったその報いと言うのは分かる。
……だけど。
──リリスの買ってくれた、この服を……貶すなっ!
──何も知らない、てめぇらがっ!
そして、気付く。
──たった一人を、数人で取り囲み、優越感に浸る。
──少女の心を込めた衣装を、馬鹿にする。
──コイツらは……『悪』、だ。
アルベルトのように……あの俺の友人のように、『正義』を行おうと決めた俺が、そう結論付けることは当然だったのだろう。
──滅ぼしても構わない、『悪』だ。
そう決めたら、あとは簡単だった。
俺は親指を突き出す。
……軽く、眼前のヤツの……腹に向けて。
「ふぐっ?」
そのクラスメイトの腹を親指で突き破るのは……いとも容易かった。
……当たり前だ。
俺の膂力は、成年男子の頭蓋を握り潰すほどの代物なのだから。
鍛えてもない……しかも隙だらけの男の腹筋を突き破るなど、豆腐に指を突き刺すよりも簡単な作業に過ぎない。
「うぎゃあああああああああああああああああっ?」
「お、おい。山ちゃん、どうしたんだよ?」
何が起こったか分からないのだろう。
突如、腹を抑えて悲鳴を上げ始めた一人を、他の面々が気遣うような声に取り囲み始めていた。
だけど誰一人として、彼の身に何が起こったかは理解できないらしい。
──まぁ、それも当然か。
眼前のクラスメイトがいきなり指一本で腹筋を貫かれたなどという非常識を、平和の中に暮らし常識に凝り固まったコイツらには、想像も出来ないのだろう。
そのまま俺は、足元で悲鳴を上げて転がりまわる、そのやかましいクズの頭蓋を踏み砕いて黙らせようと、足を軽く上げ……
──いや、待てよ。
……ふと、気付く。
──幾らなんでも、殺すのはやり過ぎ、か。
罪には、それに合った制裁が科されるのが当然だろう。
あの片足の少女の努力を馬鹿にしたとは言え……コイツらは知らなかったのだ。
命を奪うのは、少しばかり罪が重過ぎる気がする。
「なら、これくらい、か?」
「みぎゃああああああああああああああああああっ?」
「ひぎぃいいいいいいいいいいいいやぁあああああああああああっ?」
そう考えた俺は、手加減を心掛けながら……近くにいた一人の膝を手加減して蹴り砕き、もう一人の鎖骨を軽くへし折る。
複数人で一人を凹ろうとした、ゲス共だ。
こんな馬鹿共が『やっちゃいけないこと』を学習するためには……まぁ、この程度の痛みくらいは必要だろう。
そんな結論の上での制裁だったが……俺の予想通り、十二分に効果的だった。
「ひ、ひぃいいいいいっ!」
「す、済みません、済みません、済みませんっ!」
「俺らが、悪かったっ!
だから、だから許してくれっ!
もう、追い回したりしないからっ!」
複数人で一人に対してリンチを敢行しようとしていた連中が、そうして罪を認めて謝り始めたのだ。
その様子に満足した俺は、逃げ惑うクラスメイトに興味をなくすと、再び夜の街を歩き始める。
──何だ。
──やれば出来るじゃないか。
アルベルトのヤツらしい行動なんて……『正義』なんて、そう難しいことじゃない。
ただ悪を滅ぼしさえすれば良いのだから。
今までの俺は、個人的な怒りや激情に任せるまま、突っ走っていた、だけで。
……罪に相応の罰を。
その思想さえ忘れなければ……常に頭の何処かに置いておけば……
好き勝手に暴れ殺しさせしなければ……
──あんな、間違いは二度と起こらないに、違いない。
俺がそう考えた、その時だった。
大通りへと出た俺の耳に突然、周囲の空気そのものが悲鳴を上げているような、凄まじい轟音が鼓膜を震わせる。
「おいおい、また出悶厨首爾の連中かよ」
「アイツらの所為で、毎晩毎晩、眠れやしねぇ」
「畜生。
警察は何をやっているんだ」
どうやら、暴走族とかいう連中らしい。
爆音と訳の分からない叫びを上げつつ、その数多のバイクや車は、こちらへ向かって来るようだった。
──そうだな。
──悪は、滅ぼさないと。
あっさりとそう決断した俺は、近くに路上駐車していた違法車……その中で最も大きかった石油のタンクローリーに近づくと、横合いからその巨大な車を全力で蹴飛ばす。
効果は、絶大だった。
何とかってその暴走族の連中にしてみれば、まさに降って湧いた災難だったのだろう。
突如、横合いからタンクローリーがとんでもない勢いで吹っ飛んできたのだから。
そして、暴走族という連中は、バイクや車を暴走させているから、暴走族である。
……車は、急に止まれない。
その格言を思い出すまでもなく、吹っ飛んだタンクローリーに百を超える数のバイクや車が次から次へと突っ込み……
あっさりと爆発、炎上。
凄まじい轟音が腹の奥へと響き、耳から脳内を直接叩くほどの衝撃が俺の身体を震わせる。
そして……
「うぎゃぁああああああああああああああああああっ?」
「ひぎぃぃぃいいいいいいいいいっ?」
事故で即死出来なかったのだろう。
十人ほどの暴走族の連中が、悲鳴を上げながら炎の中から走り出てきたかと思うと、身体から燃え盛る炎を必死に消そうと、じたばたと暴れまわっていた。
──ああ、本当にああなるんだな。
映画で良く見る、火だるまの人間がじたばたと暴れる……良く見た通りのその光景に、俺は無意識の内に軽く頷いていた。
「うああああああああああああああぁっ!」
「事故だ、事故だぁああああああっ!」
ようやく眼前の状況を理解したのだろう。
通りを歩いていた連中も、その惨状に叫び声を上げ始めていた。
そして、誰かが通報したらしく、遠くからサイレンの音が聞こえてくる。
そんな中を俺は、野次馬の群れに逆らうように、ただ一人人混みの流れを逆に歩いていた。
……正義を行えたという、正しいことをしたという確信を胸に秘めて。
──ああ、これだ。
迷惑をかける連中を潰す。
悪を滅ぼして、正義を示す。
これこそが、自分の生きる道だと……今ならば胸を張って言える。
──これなら……次は、失敗しない、だろう。
そして同時に、そんな確信があった。
今の俺ならば……間違えることなんて、絶対にない、という。
……だからだろう。
「ああ、そうだ。
次は、次こそは……」
気付けば俺は、そう呟いていた。
そして、そんな俺の中には……もう一つの確信がある。
破壊と殺戮の神ンディアナガルの権能を持つ限り……俺が再び異世界に召喚される日々も近いのだろう、という。
つまり、それは、再びやり直しが出来ることでもあり。
リリスのような子を、テテニスのような女性を、もう一度助けられるのだ。
その確信に俺は、今すぐ駆け出したい気分に駆られるものの……
──落ち着けっ!
──それでも、今日明日でいきなり喚ばれることはない、だろう。
すぐさま、そう自戒する。
そのまま俺は喜びに逸る心を、拳を握りしめることで必死に抑え……
「おい、事故だってよ、事故っ!」
「人が、何人も死んだって話だっ!」
「見に行こうぜっ!
死んだのはあの、出悶厨首爾の連中らしいからなっ!」
──ああ、早く次の世界を。
──俺にもう一度、やり直しをさせてくれ。
そんな叫びに満ちた喧騒の中を俺は、拳を握りしめたまま、ゆっくりと家へと向かって歩き始めたのだった。




