第二章 第六話
とは言え、俺はそれほど足が速い訳でもない。
この奇跡の鎧を着ている所為で筋力が上がっているハズなのだが、足の速さはそう変わらないらしく……
俺はドタバタと思いっきり恰好悪い走り方を続け、数分で何とか戦場へとたどり着く。
「ぜぇっぜぇっ。
んぐ、助けに来たぞ～～～っ！」
「おお、済まぬっ！」
「「「おおおおおおおおおおおおお」」」
息を切らしながらの、だけど俺の渾身の叫びに……バベルが、崩れかけていたサーズ族の戦士たちが雄叫びで答えていた。
どうやら俺が追いついたことで、崩れかけていたサーズ族の兵団はギリギリのところで踏み止まってくれたようだった。
（……計画通りっ！）
あの二騎と同じく、自分という援軍の存在が味方を踏み止まらせる効果があると思って、息切れを我慢して無理に叫んでみた訳だが、効果は絶大だったようだ。
浮き足立ち逃げようとしていたサーズ族の男たちは、気を取り直したらしく武器を握り直してべリア族へと向き直っていた。
（何か、英雄っぽいよな、これ）
声一つで戦況を変えたその様を「まるで三国志の武将のようだ」なんて思った俺は少しだけ笑みを浮かべ、疲労で萎えかけた気力を無理やり高揚させると、顔を上げて討つべき敵の姿を探す。
その時、俺は見てしまった。
──バベル他数名の戦士たちと戦いながらも、その槍でサーズ族を全く寄せ付けない彼女の姿を。
「……綺麗、だ」
思わず、俺はそう呟いていた。
綺麗というより、神々しいというのが表現としては相応しいのかもしれない。
深いスリットの入った純白のドレスに、白銀の甲冑。
金の長い髪に白い肌、青い瞳。
美少女と美女のちょうど合間で、俺と同じか少し年上っぽい、地球で言うところの北欧系という雰囲気があった。
胸元で輝いているのは、銀色の×と〇で模った、何処かで見たような飾り。
血と臓物と汗と鋼鉄の匂いしかしないこの戦場にはどう見ても相応しくないそんな少女の姿に、正直、俺は一目で心を奪われていた。
……次の瞬間。
俺と彼女の視線が、絡み合う。
男女交際の経験もない俺は、たったそれだけのことで心臓が跳ね上がっていた。
が、彼女にとって、俺の存在は新たな敵、程度だったらしい。
「エリーゼ！ あっちの援軍を、お願い！」
「はいっ！ セレスお姉さま！」
セレスという名前らしい彼女の叫びに応えて、もう一騎……彼女と同じ装備をした、彼女よりは少しだけ幼い雰囲気の、肩辺りで金髪を切り揃えた少女が、俺目がけて槍を構えて突っ込んでくる。
「覚悟～～～っ！」
馬という巨大な生物が蹄の音を立てながら迫って来るその光景は……慣れない地上の人間にとってはとてつもなく恐ろしいものだった。
「うぉおおおお？」
そのあまりの迫力に、俺は自分が無敵の鎧を着ていることも凄まじい威力の奇跡の武器を手にしていることも忘れ……慌てた叫びを上げながら、馬の突進ルートから身体を逸らしていた。
だが、俺が避けるのも予想の上だったらしく、その馬上の戦巫女は槍を俺の方へと構えて突き出そうとしていた。
「ちぃっ！」
俺はその槍を喰らうまいと、崩れかけた体勢のまま強引に戦斧を振り回し、彼女を遠ざけようとした。
……けれど。
必殺の戦斧が迫っているにもかかわらず、その少女は慌てることも退くこともなく、その振るわれた戦斧の軌道に合わせて手にした槍を振り上げる。
「お、おおおおっ？」
凄まじい音と共に俺の戦斧は強引に軌道を変えさせられ、何もない中空に大きな弧を描いていた。
──なんだ、この力っ？
少女から放たれたとは思えないその凄まじい力に、俺は驚きを隠せなかった。
けれど正直、その膂力に驚いているどころじゃない。
……何しろエリーゼというその少女は、鋭く光る槍の切っ先を俺目がけて突き刺そうとしているのだから。
「喰らえっ！」
「っ！」
無理な体勢から強引に振り回した戦斧が空を切った所為で、完全に身体が泳いでいた俺は、その槍の一撃を無防備で喰らうしかなかった。
それでも俺は何とか必死に身体を傾け、咽喉目がけて突き付けられた槍を何とか肩口で受け止める。
「～～～～ってぇっ？」
そして、気付けば俺は……痛みに悲鳴を上げていた。
彼女の一撃は、その細腕から繰り出されたとは思えないほど凄まじい力と速度が込められていて、普通の兵士に斬られた時とは痛みが比べ物にならなかったのだ。
ただ、肩口に走る痛みは刃物で突き刺された感じではない。
恐らく、彼女の一撃よりもラメラーアーマーの加護が上回っていたようだった。
──が、それでも痛いものは痛い。
女の子の力で、服の上から木刀の突きを喰らったらこんな感じだろう、くらいの痛みに俺は眉を顰める。
「何よ、それ。理不尽」
だが、眉を顰めたのは俺だけではなかった。
エリーゼという名の少女も、必殺の一撃を繰り出した槍の切先が砕けるという異常事態に眉を顰めている。
「くっ。どうすれば良いのよ。
攻撃が通用しないんじゃ……」
戦巫女は槍の切先と俺を見比べながら、俺の攻撃を警戒している。
（う～～～ん、やっぱ女の子相手ってのは、どうもやり難いな～）
彼女が躊躇しているのと同じ頃、俺はそんな戦場にあるまじき感想を抱いていた。
何しろ俺の戦斧は大の大人、巨躯の男性でさえも頭蓋ごと真っ二つにかち割る威力を秘めている。
そんな一撃を少女に向ければ……この可愛い女の子をただの肉片に変えてしまうのは間違いなく……
（何というか、もったないんだよな）
俺はそんな今さらな感想を抱きつつ、少女に向けて戦斧を振うのを躊躇っていた。
そうして、俺と戦巫女はお互いに別の理由で攻撃を躊躇し合うという、妙な睨み合いを開始する。
「エリーゼ！」
膠着状態に入った俺たちを見かねたのか、セレスというさっきの美少女がバベル他数名の戦士を瞬きの内になぎ倒すと、一直線に俺の方へと駆け込んできた。
「っ！」
ドドドドドッという馬の蹄の音は凄まじい威圧感だったし、彼女の構える槍の穂先は先ほどのエリーゼと同じ気配を漂わせていた。
だから、戦いにも痛みにも慣れてない俺は、ここで怯んで当然なのだろう。
──いや。さっきまでの俺だったら、確かに怯んでいただろう。
だけど、今の俺は違っていた。
恐怖なんて微塵もなく、かと言って憎悪や殺意に支配されている訳でもない。
情けない話……俺はただ単純に、セレスという美少女のその勇姿に見とれていただけだった。
とは言え、敵でしかないこの美少女が、俺の心情に関して何らかの考慮をしてくれるハズもなく。
「やっ！ たっ！ せっ！」
「ぉおっおおおっ？」
馬上から繰り出される槍の連撃を、俺は必死になって避ける。
何しろ、彼女たち戦巫女とやらの槍は……刺さるとかなり痛いのだ。
幸いにしてこの戦斧の柄は長く、防ぐだけなら素人の俺にでも何とか……
「やっ！」
「ってぇっ」
……なるハズもなく、あっさりと腹を突き刺される。
腹筋に力を入れて痛みを我慢するものの、やっぱり痛いものは痛い。
──だけど……耐えられない訳じゃない。
そしてエリーゼの時と同じく彼女の槍は、俺の鎧との衝突には耐えられなかったらしい。
折れた穂先と俺を見比べ、やはり驚いた表情を見せるセレスという名の戦巫女。
その顔も可愛くて……命のやり取りをしているハズなのに、俺はちょっと視線を合わせるのが恥ずかしかったりする。
「……何者ですか」
「え、えっと。余は破壊神の化身である！ ……とか？」
名乗るのもちょいと気恥ずかしかったので、俺はそう告げてみる。
……いや、実のところ、ちょっと大きなことを言って印象付けさせてみたかっただけ、なんだけど。
途中で演技するのも恥ずかしくなって、ちょっと自信無さげになったのは、まぁ、愛嬌ということで。
「破壊神、ンディアナガルっ！」
「終末の予言に記されし、死の嵐を呼ぶ獣っ！
血の海を招く悪魔っ！
塩の荒野を生み出し世界を終わらせる最悪の神かっ！」
自信無さげだった俺の声とは裏腹に、その効果は絶大で……彼女たちはこの世の終わりが来たかのような表情をして見せた。
ただ、その効果はどう見ても俺が望むような……好感度の上がるような印象を与えてはくれなかったようだけど。
「姉さま、現在の装備で倒すのは無理です。
戻って神槍と神剣の用意をっ」
「ええ。そうですね。
……撤退します！」
その声と同時に二人の少女たちは手綱を引くと、またしてもサーズ族の戦士たちを突っ切って逃げ去っていく。
「……戦巫女、かぁ」
「ああ。創造神の力を身に宿すことで、凶悪な力を手にした最悪の悪魔ども。
我らの同胞が一体何人ヤツらの手にかかって死んでいったか」
俺の呟きに答えたのは、いつの間にか隣に来ていたバベルだった。
彼女たちに手傷を負わされたのか右の肩口から血を流しているものの、命に別状はなさそうで、俺は安堵の溜息を吐く。
「だが、今日は……我らの勝利、だ」
「そっか。水場を取り戻したん、だっけ」
巨漢の言葉に、俺は背後を振り返る。
遠目から見てもその集落はあちこち真っ赤に染まっており、幾つも男たちの死体が転がっていて、正直あまり住みたいとは思えない有様ではある。
が、それでも……水が手に入るようになったというのは大きいだろう。
少なくとも俺自身が渇いて死ぬことはなくなった訳だ。
「……なら、良しとするか」
「ああ。貴殿のお蔭で、我々は命が長らえた。
……助力に感謝する」
バベルの言葉に、俺は返す言葉もなく、去って行く戦巫女の背中から視線を逸らさず、肩を竦めるだけで応える。
……と言うか、誰かに感謝されるなんて慣れない行為、くすぐったくてくすぐったくて……正直俺は、にやけそうになる顔を我慢するだけで精いっぱいだったのだ。
