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糖度に眠る恋心

作者: 穂波

 今週に入ってから陽射しが暖かく感じられる日も何日かあったが、今日の空は、ほとんどが雪の予感をまとう雲に覆われていた。常時より風通しのいい首周りから冷気が流れ込む。どこか暖房の効いた店で時間をつぶしたかったが、あいにくバス停の周りには住宅が並んでいるだけで、めぼしい店はなかった。日頃当たり前のようにそばにいてくれるアイツの有り難さが身にしみた。




糖度に眠る恋心




 このバス停は雨避けがあるくせにベンチのひとつもないところがいけない。俺がいつも通学時に乗るバス停はキレイとは言い難いが、腰を下ろして待ちぼうけをしても差し支えないベンチがちゃんとあった。

あぁ、またもや当たり前のようにそこにある存在にどれだけ助けられていたのかを気づかされる。どれだけ大切だったのか、思いしるのはいつも失った後なのだ。

 ……バカバカしい。

 暇潰しには一瞬で飽きた。時刻表を見ると、俺がバスで体を暖められるのは15分程先らしい。

 我慢できない長さではないが……恨めしい時間だ。

 こんなことなら、姉貴の頼みなんて聞かなければよかった。わざわざ俺が学校帰りに寄らなくても、考えてみればあいつは免許も車も持っている。自分で行かせればよかった。

 それに昨日のことだって……。


「おーい」


 考えに耽ろうというところで、呼び声がそれを遮った。

 先ほど自分が歩いてきた逆の方向から、制服姿の女が向かってきている。顔が見えてくると、どうやら中学の同級生のようだった。スクールバックを右肩に掛け、反対の手には小さめの紙袋を持っている。

久しい顔に、体育大会や陸上大会の輝かしい成績が飾られた学校新聞で幾度か見た走っている姿を思い出す。

だが、向こうから小走りに駆け寄ってくる伊浦は手を振って笑顔ではいるが、どこか強ばっている面持ちだった。


「久しぶりだね。卒業して以来じゃない?」

「そーかもな。そっちの高校の奴らとは電車もバスも時間が合わないから」

「それとバス停、ここじゃないよね」

「ちょっと野暮用で」


 二人で連れ立ち、来るバスを待つ。久しぶりに顔を合わせたせいか、お互いにどう接するべきか探り合う気配が漂った。よそよそしい空間をどうしたものかと思案していると叩きつけるような強風が俺たちを襲った。全身に力を込めて耐える。横の伊浦はぐるぐるにまいてあるマフラーに顔を埋めて寒さをしのいだ。その姿を見たら、コートと手袋以外に防寒具をつけていない自分が余計に寒く思えた。


「マフラー、あったかそうだな」


 容赦なく吹き付ける風が恨めしくて自然と口をついた言葉だったが、伊浦はビクッと体を固めた。

 ん。なにか変なことを言っただろうか。

 考えるが思い当たらない。伊浦は少し息をついていた。そして気を取り直したように顔を上げる。


「マフラー持ってないの?」

「持ってるよ」

「えっ。でも、巻いてない」

「あぁ、悪い。言い方を間違えた。持ってはいるが、今は手元にない」


 これにはちょっとした事情があった。


「姉貴がコーヒーこぼしたんだよ。俺のマフラーめがけてな」


 何も障害のない場所でこけて。

 マフラーはいつもリビングのソファに掛けてあるのだが、その日――昨日はダイニングのテーブルに置いてあった。姉がわざわざ椅子に掛けてあったものを手にとって移動させたのだ。加えて、ソファはこの間新調したばかりのものだった。

 十中八九、わざとだ。

 問いただしても偶然だの一点張りで、犯行の動機もわからなかった。


「そ、それはどうもすみません……」

「ん?なんでお前が謝るんだよ」

「あ、いや、」


 今度のマフラーに顔を埋める行動は、表情を隠しているように見えた。


「そんなことよりさ、今日の収穫はあった?」


 いきなりの話題に束の間置いていかれる。


「収穫?」

「あはっ!その様子じゃゼロだったみたいだね。ごまかさなくていいよー」


 俺の反応を見て、途端に目を細める。心なしか強ばった表情も和らいだ。中学時代の伊浦を見た気がした。緊張が解けてきたのだろうか。それはよかった。

 だがしかし、伊浦が笑う理由は?


「いや、本当に理解できてないだが」


 たしか、『収穫』と口にした。……いや、違う。『今日の収穫』と言ったんだ。今日、と限定されるもの―――あ。


「バレンタイデーか」

「……もしかして、本当にわかってなかったの?バレンタインを忘れる男子なんて初めて見た……」

「それは大袈裟だろう」


 俺の他にもいるはずだ。たとえば……今道路をはさんだ向かいの歩道を歩いている小学生とか。

……でも、そういえば。周りにはどことなく落ち着かない生徒もいたかもしれない。前の席の奴はいつもより髪が逆立ってた気もする。あんなに髪をベタベタにして何が嬉しいのだろうか。


「でもさ、忘れてたってことは、もらえなかったってことだよね」


 やけに弾んだ声だ。少しむっとする。

 

「別にいいだろ。感じ悪いぞ、お前」


身長差があるので自然と伊浦を見下ろすような形になると、伊浦に緊張の色がさした。……俺は目付きが悪いとよく言われる。実際よりも怒っているように見えるのかもしれない。

空気を一新したくて、今度はこちらから問いかけた。


「ところで、伊浦はどうなんだ。さっきから収穫収穫って、お前は誰かのふところに実らせたのか」

「えっ」


上ずった声にちらと横に視線をずらすと、伊浦の耳は朱に染まっていた。そして、ゆっくりと顔をゆがませていく。

息を飲んで、咄嗟に見なかったことにしよう思い視線をはずすと今度は体の前に両手で握りしめられている紙袋が目に入った。その瞬間、理解する。


____しまった。


もう俺たちは家路についている。にもかかわらず、伊浦の手には届けられずに行き場をなくしている紙袋。あれを入れるにしては少し大きい気もするが、中身はきっと……。顔を合わせてから張り付けていた緊張の色の意味が鮮明に頭に浮かんだ。

頭にひんやりとした水が流し込まれたような気になる。とんでもない地雷を踏んでしまった。


伊浦はここに来る前に一戦越えてきたのだろう。

つまりは、当たって砕けた。


今まで経験したことがないくらいの速度で頭を回転させる。

 なにか話題をガラっと変えられるものは?やはり、お互いの学校生活についてか……いや待て、状況的に伊浦の想い人は学校関係者だ。ヘタに話題を振ってストライクしたらどうする。それに今はほんの少し話題が掠めただけでも思い出させてしまうだろう。そんな手は打つべきではない。なら、なんだ、趣味とか?……まずい。伊浦の趣味を全く知らない。無理もない、中学時代もクラスが同じだったくらいで、さして関係はなかったし、卒業してから一年近く経っている。伊浦について込み入った話を知るわけがないのだ。そうは言っても、俺は人に語ることができるような趣味は持ち合わせていない。しいていうなら、読書か。いやでも伊浦は本に興味はなさそうだ。中学の頃から運動神経のいい陸上少女だった。いやいや、人の一面だけ見て興味の対象を決めつけるのもダメだろう。人は見かけによらないと言うし……。

ああ、まずい。考えがまとまらない。


 二人共押し黙った状態はどれだけの時間だっただろうか。ほんの数秒のようにも、数分のようにも思えた。

 沈黙を破ったのは伊浦だった。


「き、気づいたみたいだね」

「あ、いや、その……」

「ごめん、調子乗って。久しぶりに話せたから舞い上がっちゃった。

 ストーカーまがいなことして、本当にごめんなさい」

「は?ちょっと待て今なんて、」


どうにも今日伊浦と交わす会話には言葉が足りなすぎる。思考が追い付く間もなく事が進んでいくことの不安が体中をかけめぐった。

前触れもなく、伊浦が俺に向き直る。いままでで一番すばやい「左向け左」を目の当たりにして思わずのけぞる。


「こ、これ!」


 そう言うと、紙袋をぐっと前に突き出した。反射的に受け取る俺に「それじゃっ」と言い残し、来た道をがむしゃらに引き返していってしまう。

 呆気にとられた。


「これ、俺にだったのか……」


 紙袋をのぞくと、予想通りの薄いブルーの四角い箱がサイズぴったりに収まっていた。

 中身は、流石に俺でも分かる。


(……なんで、俺に?)


走り去った先を見たが、もう姿は見えない。 

 すべきことが分からず、とりあえず箱を取り出そうと手を突っ込む。あまりにピッタリ入っているので箱の端に指を引っ掛けることができなかった。少し考えて、箱の上面を謙虚に飾っている濃い青色をしたリボンを右手でつまみあげ、解けないようにゆっくりひきあげる。

 手にある重さに違和感を感じた。紙袋は俺の20センチくらいの高さがあるのに、この箱はそこまでの大きさの重みを持っていない。

紙袋から出てきたのは、ひらべったい正方形の箱で、思った通り、紙袋にはまだ何か別のものが入っている様子だった。


のぞきこんで目に入ったのは毛糸のなにか。箱を脇にはさんで取り出す。

それは、赤を基調とした見事な手編みのマフラーだった。


……そういえば、伊浦はうちの姉貴と仲が良かったな。

姉貴も部活の話になると、よく家でも伊浦の名前を出していた……。


ということは、伊浦はよりにもよってアイツに協力を求めたのか。マフラーは非常にありがたいが、それだけはいただけない……。その証拠に、俺が元々持っていたマフラーをわざとらしく汚したり、今日もこんな寒いなか買い物に寄らされたり、俺はなかなかひどい目にあった。




まったく俺の趣味じゃないマフラー(これは姉貴の嫌がらせだろう)を首にまきつける。あったかい。

ふと思い出して、脇に挟んだままだった箱のリボンをほどいた。ふたを開けて薄い白紙をめくると、規則的に並ぶチョコレートがみっちり入っていた。この菓子の種類は心得ている。生チョコというやつだろう。以前姉が作ったものを食べて絶賛した覚えがあった。さすがにここは抜かりがない。

 楊枝が見当たらなかったので直接つまんで、チョコレートを口内に放り込む。

 舌に乗せて転がすと、甘味が心を満たした。


「――――うまい」


 ある一節が頭に浮かんで苦笑する。こんなクサい洒落はない。

 今度伊浦に言ってみよう。そこまで親しくない相手をからかう柄ではないが、そうしてみようと思った。

 さらにチョコレートを口に含む。

 待ちかねていたバスのエンジン音が聞こえた。

彼が最後に思いついたシャレは、私の誤変換からです。そもそも、このお話はその誤変換からはじまりました。

そして、偶然見たドラマ、大好きな小説、誤変換してしまったときに話題になっていた周りの出来事がガッチリ合わさりできあがったものです。

ここでヒントをひとつ。

私が変換を誤ったのは『とうど』の部分です。

さて、彼の頭に浮かんだしょうもないシャレはなんだったのでしょう。

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