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猫神  作者: 角野のろ
9/21

次ノ一

 遅筆なりに急いで文章をつむいで行きたいと思います。

 ―――そこは暗い森の中だった。

 鳥や獣の鳴き声が僅かにあるばかりの喧噪から解き放たれた静寂。

 月光で浮かび上がるのは敗北者の姿、自然の緑に囲まれた薄暗がりの中にバラバラに惨殺された死骸がある。

 その形になってしまう前、多くの獣と同じように、その骸は四肢で歩く動物の姿をしていた。

 おそらく始めは二つの命を持っていたはずのものである。

 何故ならば同じ形をした肢が一対ずつ、場所は散らばっているが全部で八つあるからだ。

 冷たく涼しげな月光。おぼろな輝きが物言わぬ骸を照らしあげていた。

 

 静寂が、沈黙が、どこか死という現実に対して、明確な境界を作っているかのように、まるで世界から拒絶されているようだった。

 近くでガサガサという物音がする。

 濃緑色の藪が揺れ動き、そこにある気配を捉えた青白い月光が照らし出していく。

 現実感のない空気の流れ、存在を知覚するために、視線を動かすよりも自然にそちらに映像が切り替わる。

 恐れを感じても、そちらを見ることしか出来ない。

 人間がいた。

 何者かも知れぬ人間が笑っていた。暗いために口元しかよく見えない。だが、その口は三日月型に歪められていた。血の滴る刃物を持ち、薄気味悪くこちらを見ていた。

 身体は動かない。ただ恐ろしくて涙がこぼれたような気がした。

「さぁーーーお前の番だ」

 そうして、世界は真白になった。



 ぼんやりとまどろむように、緩慢な眠りから目が覚めた。

 日課である時計の針の確認をして、遅刻でないことを理解すると、ベッドから起き上がる。

 ああ、随分と長い夢を見ていたような気がする。

 身体が重く感じるのは寝ている間の体勢が悪かったか、先程まで見ていた夢のせいだろう。

 そう、これまでのことは全て悪夢、誰が何と言おうが悪夢なのである。

 顔を洗えばさっぱりするに違いない。

 そう思って、洗面所の前に立った。

 バシャバシャと蛇口から出る冷水を掌ですくっては顔にあてる。

 二、三度やるだけで大分頭はさっぱりした。タオルを取ろうと右手を伸ばし、ゴシゴシと顔を拭く。多少、乱暴に扱っても男の柔肌は傷つかないのだ。

 水気を十分にとってからタオルを元の位置に戻した。鏡で自分の顔を確かめる。

 ちょっと目の下にクマが出来かかっているが、許容範囲。別段、変なところはない。

 ただ、

「枯れているな……」

 自分の表情を見て、なんとなく、そんな風に呟いてしまった。

 さて、一階したに下りるとしようか。美味しそうな朝飯の匂いがするぞ……! む……どうも左腕にちょいとばかり違和感を感じる。が、他のことをしている内、すぐにその感覚は薄れてしまった。

 おそらくは気のせいか、特に何でもないことだったのだろう。もしや、肌荒れでも起こしたかなとゴシゴシさすりながら、俺は階段を下っていった。

「よう、修治。随分と遅かったのう、理沙のあさげならもう出来ておるぞ?」

 扉を開けて挨拶しようと思ったら、急激な立ち眩みに襲われた。

 寝床のはずのベッドには確かにいなかった。だがなんで、なんでコイツが一家の団欒の場である食卓にいるんだ!? 奴が部屋にいないことで、そうかそうか、昨日からおかしいなと思いながらもずっと続いていたことは全部夢だったのかと安心したのに……。現実はこんなものなのか。

 いや、本当は現実を直視したくなかっただけだ。そう言えば俺は何で押入れなんかで寝ていたんだ? ……夢な訳がない。

「お主がなかなか起きぬからのう、あまりに退屈だったもので、猫飼の屋敷を探索することにしたのじゃ。懐かしいが中の様子はだいぶ変わってしまったのう。時の流れを身に染みて感じたぞ。そう思って感慨に耽っていたらの、どこからともなく美味そうな香りが漂ってきておる、釣竿に釣られるように誘われてきてみれば、ほれ、こうして立派なあさげが用意されておる処に到着したのじゃ。これはご相伴に預からない訳にもいかぬじゃろう、そういった次第じゃ」

 その……なんだろう。コイツは立ち眩みだけじゃなくて、急性中垂炎ハライタまで併発しそうな大事件である。

 いつも通り、台所に立つ母さんは笑みを浮かべてこっちを見ている。ただにっこりと。

「母さん、昨日はコイツと家の関係について聞いた気がするけど俺は権左衛門に朝飯なんて用意するのは気が進まない。普通がいいのにまったくもって普通じゃない」

「まったく、面倒臭がりの癖して無駄にせっかちにことを荒立てるのが好きじゃのう。ほれ、そんな修治には仕置きじゃ」

「うぉ、熱、熱ッ熱熱ッッッ!?」

 その途端、左腕に急激な高熱が発生した。いや、正確には腕の紐が結ばれている辺りだろうか。火傷の瞬間のように、一歩間違えば気を違えるほどの熱さである。

「おい、一体な、なんだってんだ!? あ、熱い熱熱痛痛痛ッ、」

「カッカッカッ、何も出来ぬ絶望にむせび泣くがよい。そして、見よ。これぞ、ワシが猫紐の力じゃ」

勝ち誇ったように笑う権左衛門はいつのまに取り出したのやら、手中に扇子を広げていた。

 勘弁してくれ。どうやら、奴の猫紐とやらには孫悟空の頭にある金の輪っかと同じような効力があるらしい。普通なら、こういうのは特に変わった能力を持たない方がある方の力を制御するために使うものだろうが。なんでヤツばっかり? ……まあそんなことは気にしても結局意味はなくて、現実ではこんなものなのだろう。

「まぁ、そういう訳じゃて」

 俺が何を考えているのか、口に出さずともわかるといった様子で、ふと権左衛門は、

「あ、そうそう。理沙とも契約したから」

 予想外のことを口にした。

「なっ、母さんと!?」

 言われてよくよく見れば、母さんの腕にも俺と同じような、茶色の紐が装着されている。

「契約者って……一人じゃないのか?」

「そんなものは人によりきり、もとい、猫によりきりじゃて。基本的に名字に猫の字があれば契約できるわけじゃし」

「…………」

 俺の存在意義って一体……。

 あぁ、そんなことよりも母さんまでが契約してしまうなんて! そう、こうして母さんまでが権左衛門の毒牙にかかってしまったのだ。

「ところで修治? 早く喰わぬと栄徳が来てしまうぞ。なんなら、このワシが代わりに食べてやろうかの?」

そう言いながら、既に俺の皿から目玉焼きの五割をかっさらっている。半熟の黄身がどろりと皿の表面をこぼれている。これ以上取られては学校の授業半ばで餓死してしまうだろう。俺は溜め息を吐きつつ、権左衛門から皿をひったくるように取り返すと、朝食を食べることにした。




 しばらくはのんびりとした展開かもしれません。

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